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84話『炎の匂い染み付いて』



  

 冬の江戸は風の強さと空気の乾燥も相成り、二日と置かずにどこかしらで火事が発生するという。

 こうなれば住民も慣れたもので、大火に発展する前に周囲の家を打ち壊して、精々が二、三軒の燃焼で済ませるように手をつくしていた。

 大岡越前守忠相が制定したと云われる町火消も[い組][は組]など、いろは四十八組が作られたのは正月の事であったようだ。 

 また、江戸の街の火事を担当するのも町火消だけでなく、大名火消し、定火消し、奉書火消し、大名が自費で菩提などを守るために作った[加賀鳶]などが有名な私設の火消しなど様々な者が火事に対応する。

 無論、町奉行所や火付盗賊改方も現場での指揮や調査と云った形で参加するのである。


 その夜──。

 清水門外にある、火盗改方の役宅。

 ここはその屋敷を火盗改長官が借りる形で自宅とし、またその火盗改方の本拠としているのである。

 長官の屋敷を本拠とする、とあるのだが、なかなかに責め部屋などを用意して血腥ちなまぐさいこともある屋敷を自分の物とはしたくないのでこのように代替わりする度に屋敷の所有者が変わる。

 その、裏手にて。

 材木の切りくずや、腐った畳などを積んだ荷車が止まり、役宅を囲む壁にぴたりと

 そこに壺を抱えた男がとく、とくと液体を注いでいた。

 僅かだが液体から酸化した腐臭のようなものを感じる。

 古い鰯油である。

 十分に荷車に染み込ませた男は墨壺と筆を取り出して、通りの反対側の壁に直接何やら文字を書き記した。

 書き終えた後で忍び笑いを零す。

 そうして、男は提灯の火を火種にして、ぽうと荷車に火をつける。

 十分に燃え上がりそうであることを確認して、その場を離れていった。

 やがて──火盗改方の裏から火の手があがり、夜闇を照らした。




 *****




「火盗改が放火を受けるとはな……これは明らかに我らへ戦を挑んでいると云ったものだ」


 役宅の広間に出仕してきた同心与力を集めて火盗改方長官、山川忠義は告げる。 

 燃え上がった火は裏戸を焼き落とし、塀を焦がした。幸い周囲には燃焼せず、役宅にも被害は及んでいないが重大な問題となる。

 

「更には同時刻、馬喰町の香問屋で押し込み強盗があった。こちらに火を付けたのも陽動の可能性がある。皆の者、何としてでも犯人を捕まえ、名誉を回復させるのだ。儂はこれから老中殿に報告に行かねばならないが……下手をすれば腹を切る可能性もある」


 長官の言葉に、集まった同心らはどよめく。

 しかしながら明らかな放火ではあるが、役宅からの不審火で犯人を捕まえなければ責任は長官が取らされることも考えられるだろう。

 大きな役目にある為に、厳しく処罰を受けて見せしめのようになるかもしれない。それだけ、火盗改方が放火されたという事態は幕府の威信に掛けてでも解決せねばならないのである。

 警察機構がしっかりと働く為には、彼らは舐められてはいけない、悪党も手出しができない存在でなければならないのだ。

 火付けの調査と、押し込みの調査。人員の指示を出させて忠義は江戸城へ向かうのであった。


 さて……。 

 火盗改の裏手側にて、火事跡には多くの人が集まっている。

 既に読売には面白おかしく書き立てられているだろう。集う者を番人に押し止めさせて、火事班は現場の調査を行っていた。


「どうよ、なんかわかる? 拙者ァさっぱりだけど」


 中山影兵衛が焦げ付いた藁の端などを拾い上げ、指ですり潰しながら同僚に尋ねる。

 切った張ったの場で活躍する影兵衛が殺しもあった押し込みではなく、火付けの方に回されているのには理由がある。

 彼の凶悪な顔つきを見て、混乱した目撃者や被害者が影兵衛が犯人だと証言することがあるのだ。勿論違うのだが、恐慌状態にある被害者にしてみればこの危険な男はあからさまに悪人でそう信じこんでしまうのである。

 さて、この現場での調査に於いて、担当責任者は与力だが調査主任として見られているのは同心二十四衆の[家屋解体]奥村政信であった。

 彼は反対側の壁に書かれた一句をじろじろと見ている。

 目付きが普段から悪いが、このような調査をするときは焼けた銅を飲み干した閻魔もかくやと云ったような目色になる。

 別段意識をして悪くしていたり、悪を憎んでと云うわけではなく、単に集中して目を凝らしていのだと本人は云うが。


「なんだそりゃ? ええと、『世の哀れ 春ふく風に 名を残し おくれ桜の 今日散し身は』……っと」

「犯行声明か」

 

 影兵衛の後ろから顔を出した、朝一番で呼ばれて仕方なく出てきた九郎が云う。

 なんだかんだで火盗改の手先と云うか御用聞きをしているのである。

 この日は特に二件同時に進行しているので九郎にも声がかかり、他に予定も無かったので出てきたのだ。

 おだてる様に影兵衛が云う。


「おう九郎大先生。こりゃなんの暗号だ?」

「いや、知らんが。というか何の句だ、これは」


 首を傾げていると、奥村政信が低い声で述べる。


「井原西鶴が書いた本、[好色五人女]に出てくる一句だな。痴情のもつれで火事を起こした八百屋お七の残した句と云う設定だ」

「なんだか事件の猟奇性というか、物語性が増してきたな九郎よ」

「ううむ、そうだのう。なんかこう……その土地に伝わる呪い歌でも聞かされた気分になってきた」


 半眼で火で炙られた影響で壁にこびりついている句を見る。

 二人は口々に憶測のようなことを言い合った。


「っていうとあれか。痴情のもつれが原因で放火したって云う宣言かもしれねえな」

「或いは当時に逮捕された八百屋お七とやらの関係者の可能性もあるかもしれぬ」

「いや待てよ? そのお七とか云う女と男をとっ捕まえたのって、拙者の爺さんだったって設定があった気がするんだが」


 顎を撫でながらそんなことを云う影兵衛である。

 一説では中山勘解由が取り調べを行い、火炙りの刑を言い渡したとされているのだ。


「と言うと、お主が最近……いやもう、結構前だが結婚したことで恨みに思って……」

「げっ……拙者が原因とか勘弁してくれよ。恨まれるこたぁ……まあ、ちょっとむっちゃんを嫁にするから付き合いあった女を十人ばっかりフッちまったが」

「女にだらしないのう」

「手前に云われたくねえよ! もっと別の線から洗おうぜ」


 自分が原因だとは思いたくない影兵衛は話の矛先を逸らした。

 刺してくる相手や闇討ち辻斬りされるなら余裕だが、さしもの影兵衛も知らぬところで放火されては相手が悪い。

 微妙に捜査に色眼鏡が掛かったような感じになった気がしたが、九郎は句を見ながら告げる。


「そうだのう。この句のそれぞれ一番最後の文字を取ると、[れにしのは]になるな」

「おう」

「これを並べ替えると……[はしにのれ]、とある。この火事現場からすぐ見える位置にある橋と云うと」

「そこの堀か!」


 二人はすぐに近くの堀に掛かっていた、小さな橋の上に行くと周囲を見回した。


「見ろ、影兵衛。この橋から見れば……船着場にある舟の数は合計で五つ」

「成る程、その舟に新しい証拠を残してるってわけだな。へへっ拙者達と遊ぼうっていうのかよ?」


 にやりと影兵衛が笑い、一人じろじろとまだ壁の句を見ている政信に声を掛けた。


「おーい奥村。いつまで見てんだ。調査に行くぜ!」

「……どういう理屈でそっちに注目しているかわからんが、こっちは大体分かった」

「あん?」


 九郎と影兵衛が再び壁の落書きへ戻ってくると、政信は説明を始めた。


「九郎とやら。この壁に向けて手を伸ばしてくれ。筆を握ってる感じで」

「こうか?」


 九郎が軽く手を上げて句の一番始め、[世に哀れ]と云うところに指を向ける。

 すると政信は頷き、推理を話した。


「犯人はお前ぐらいの身長だ。書いた高さでわかる」

「ほう、確かに普通に書こうと思えば己れぐらいではあるのう」

「ついでに左利きだ。右利きとは筆圧が異なる」

「う、ううむ、それは気づかなんだが」

「左利きとなれば、武士や女は矯正されるから武士浪人でない男に限られる。無理やり左手で書いた様子ではなく、書き慣れている」

「ははあ……」

「井原西鶴の物語本を好むのは若い男が多いからな。恐らく二十代から三十代。作業を行ったのは足跡から一人。となれば燃やすものを準備するだけでもなかなか大変だから健康的な体格の良い者だろう」

「……」

「書き損じも無いから夜目も利く。これを書いたのは捜査の撹乱を狙ってのことかもしれないが、そうすると火盗改方がどういう風に捜査をするのか知っている可能性が高い。右往左往する我らを見るのが目的ならば相応の恨みもある。それに火の付け方からして初犯ではないな。問屋で売っている鰯油ではなく、古油を集めたことからもわかる。となれば……これまでの容疑者から絞り込み……」


 奥村政信は目をつむってこめかみを何度か軽く指で叩きながら告げる。


「以前に逮捕し損ねた、町方風烈見廻の手下だった庄七しょうしちと云う男が全てに合致する。こいつは数年前、夜中に何件か自分で放火して自分で発見していたのだが、おれが怪しんで家宅捜索したところ証拠が見つかったがそのまま逃げて行った男だ。右手に目立つ火傷痕があったからそれを皆に伝えて探させよう」


 政信は颯爽と役宅に戻り、連絡を取らせるようにするのであった。

 その場にぽつりと残された九郎と影兵衛は、


「……官憲が優秀だと、謎の推理とか挟む余地は無いのう」

「拙者が犯人だったらまずあいつから殺さねえとすぐ痕跡を見つけられちまうだろうよ」


 感心したような、拍子抜けしたような顔で早速捜査に出て行くのであった。

 なお、一応橋から見える舟は調べたが何も無かった。




 *****




 影兵衛の捜査と云うのは、江戸のあちこちに住んでいるやくざやチンピラで影兵衛から見逃されている手下に声を掛けて、盗賊が良く利用する宿や賭博場で見ない顔なのに荒く金を使っていた者がいないか調べさせる。

 これ以外にも様々に仕事を押し付けたり、時には小遣いを渡したりもするがあまりに役に立たないと行方不明になると噂されているので、手下は必死に働く。

 恐怖政治めいた方法で部下に、


「右手に火傷痕があるか、右手自体を隠してる若い男を探せ。見つけたら住処までな」

「へい了解しました!」

「ついでに押し込みの連中が博打やら酒やらで豪遊してるかもしれねえから、見ねえ顔の奴が出入りしてねえかどうかもだぜ」

「へい了解しました!」


 それ以外の返事をしたら殺されるとばかりに連絡役のスリは頷いて走っていった。

 

「さーて、報告が来るまでそうそうぶらついても見つかるもんじゃねえよな」

「そうだのう」

「つっても経験上、九郎と捜査に出ればなんか見つかる率高い気がすんだけどよ。ま、どっかで一杯やりながら探すとするか」


 云いながら小伝馬町のあたりを歩いていると、ある古着屋の前を通った。

 店の前に、首に札を下げている犬が伏せて尻尾を揺らしていた。中型で毛並みの良い犬で、額に星のような毛の模様が付いている。

 九郎は見覚えがある犬だと、立ち止まった。


「影兵衛、あれ」

「あん?」

「風烈見廻の犬同心、伯太郎の犬だぞ。古着屋に居るのか」


 影兵衛は「ほう」とニヤつきながら足をそちらに向けた。


「確かホシも風烈見廻の手下だったな。よし、あの稚児趣味あんちゃんにも手伝わせるか」

「少しばかり事情を聞くぐらいならよかろう」


 そして二人は古着屋に入る。

 江戸の住人の多くは古着を着ている。繕ったりしながら大事に着て、使わなくなったらまた古着屋か布屋に売る。

 時には両国広小路あたりでは古着の大市場が起こるぐらいには需要と供給があるのであった。

 

「いらっしゃいませ」


 丁稚の声が掛かる。九郎と影兵衛は店内を見回した。

 基本的に大きさ──子供向けか大人向けか、男用か女用かにわけて古着を置いてある中で、伯太郎は熱心に選んでいた。

 女児用の古着を。


「おい伯太郎。何をしておる」

「あっ九郎くん。いやね、考えても見てよ。合法的に女児が着用していた着物を入手出来るってこれ凄いことだと思わない? 規制される前にこうして時々いいのを手に入れてるんだ。しかも副次効果として堪能した後親しい女児に上げたりして。ぼくが堪能した着物を女児が着用するってなかなか想像するだけで漲ってくるよね」

「黙れ」

「酷いな!?」

「お巡りを呼ぶぞ」

「火盗改市中見廻りでェす」

「町方風烈見廻りだけど」

「くそっ世も末だ」


 気色の悪いことをペラペラと喋る伯太郎に嫌悪の表情を隠さない九郎である。

 利悟よりも見た目は爽やかで世間の評価は犬好きの同心なのだが、その性質は利悟よりも悪い。ギリギリアウトな利悟に比べて普通にアウトなのが伯太郎だ。

 ジト目で彼を見ながら、


「と云うか利悟が身を固めたから実質お主の業の深さが一点集中だのう」

「嫌だな、ぼくは十六歳以下原理主義だった利悟くんみたいに頑なじゃないよ。まあ何故か彼はお嫁を見つけたみたいだけど」


 彼は堂々と九郎に云う。


「だから見た目が十代前半で止まってる女の人が居たら年齢問わないので紹介して欲しい」

「……心当たりは幾つかあるが絶対にお主にはやらん」

「ずるいずるい!」

「黙れ」


 騒ぐ伯太郎の額を弾く。 

 ひとまず将翁には、こいつの前ではあまり少女形態で出ないように言い含めておこうと思った。後は異世界人なので大丈夫だろうが。

 

「お楽しいお趣味のお話の途中でお悪いんだが、それより仕事の話しようぜ」


 影兵衛に云われて、伯太郎に話しかけた用事を思い出した。


「お主は風烈見廻に居て、放火の容疑があったが逃げた庄七と云う男を知っておるか?」

「うん? ええと……ああ、確かぼくがまだ新任だった頃の事件だったね。自作自演で火事を起こして、人が騒いでいるのを見るのが好きだったんじゃないかって。余罪もずらずらと火盗改の捜査で出てきて、大層奉行所が気まずくなってた」


 と、彼は人事のように云った。

 証拠も無く奉行所の手下を逮捕するわけにもいかなかった火盗改が、彼の住む長屋を調査したところ、床下から油壺と出処不明の小判が見つかり、また証言などからも古い油を買い求めていたこと、火事現場の近くに必ず居たことなどが判明して証拠を固めたのだがその間に察したのか江戸を離れたようで逮捕には至らなかった。

 それが江戸に戻ってきて、火盗改方に逆恨みし放火した……と、まではともかく。


「同時刻に発生した押し込みってのがな。悪党の使いっ走りになったか?」

「いまいち、危険度は高いのに儲けは少なそうな役目だのう」


 強盗をするから警察署に火をつけてこいなど、普通に考えてまともな役目ではない。

 首を傾げるが、ともあれ。


「お主の犬は役に立つから貸してくれ」

「うう、まあいいけど……古い油に火の匂い、現場を一回嗅がせれば犯人の匂いは覚えると思うよ」

「捜査犬を育てるのだけは優秀だのう……」

「でもあんまり同僚には信じられて無いんだよね。犬畜生がそんな立派なことをわかるわけ無いだろって。ぼくの犬達は賢いのに」


 云いながら惜しみつつ女児用着物を棚に戻して、伯太郎は外に出た。

 入り口で寝そべっていた犬の頭を軽く撫でてやり、指示を出す。


[篝火かがりび]、この人達に協力してあげてくれ」


 欠伸をして応えるの、のそのそと篝火と呼ばれた額に星のある犬は立ち上がって九郎の側にやって来た。

 

「うむ、賢そうだ」

「そんじゃ借りてくぜー?」

「夜になったら勝手にぼくの家に帰るようにさせてるから、昼間だけね。あと、九郎くん」

「なんだ?」

「……薩摩には連れて行かないように」

「己れを薩摩の手先か何かと思っておるのか」

 

 嫌そうに手を振り払う仕草をする九郎であった。

 ひとまず犬を連れて影兵衛と捜査を再開する。


「うむ、これで優秀な部下も手に入れたから心強いのう」

「っていうか本当に犬で大丈夫なのか?」

「実績はあるから大丈夫だ。自分であくせく働くよりはよっぽど」

「ふーん。じゃあとにかく、俺らは部下の報告を待って酒でも飲んどくか。肴は何にする?」

「鹿屋が塩漬け豚を入荷したと聞いた。日本橋に寄ってから現場に戻るか」


 ──そうして、九郎は何の気兼ねもなく、犬を連れて薩摩交易商店へ向かうのであった。


「お主も芋でも食うか? 芋でも」


 ぶふ、とくしゃみのような返事をする篝火である。

 篝火に芋の味を教えてしまったので、その後度々、伯太郎は憎き薩摩の店で芋を買わねばならない羽目になるのであった……。

 飼い主の見ていないところでの普段食べないものの餌付けは止めましょう。





 ******




 それから数日──。

 九郎と影兵衛の捜査は、毎日進展が無かった。

 朝に火盗改の役宅で篝火とも合流して、篝火とは別れて二人は持ち回りの街をぶらつく。

 昼ごろに篝火がやって来るが、見つからなかったとばかりに首を振るので餌の蒸かした芋を与えて再び出発。

 時には石燕も合流して、捜査しているのか飲み歩いているのかよくわからなくなる不良同心であった。

 一方で押し込みの方は状況の変化があった。

 押し込みのあった翌日の深夜に、その店が火で焼けたのである。

 幸い店の生き残りは、人死にのあった店はまだ血の匂いもあって不気味であったので他所で寝ていたから無事だったが、放火で店は焼け落ちてしまった。

 捜査を嘲笑うような犯行に、町奉行所も火盗改も血眼で犯人を探しているのだが……。


 夕酒をしていると、影兵衛の手下で髪をモヒカンのような髷に結った袖のない着衣のごつい男が走ってきた。

 一人いるだけで街のモラルが下がりそうなチンピラは唾を飛ばさん勢いで仕入れた情報を影兵衛に伝える。


「兄貴! 例の押し込み強盗のやつ、町奉行所が先に情報を掴んでこれから捕り物になるって……」

「馬鹿野郎ィ! どこほっつき歩いて探してやがった! 先越されてるじゃねえか!」

「ひっ……す、すんません!」

「まあこれは日当だから受け取っとけ」


 一度怒鳴った後でそれはそれとして働いた賃金として二朱銀を握らせる。

 金払いは良い男である。基本的な収入の財布は嫁に握られているので、副収入は別のところに預けてそれで遊ぶ用に使っているらしい。

 

「で、どこでやるんだ?」

「鷺森神明宮の参道沿いにある宿が盗人宿だって話で……そこに向かって行きやした」

「こうなっちゃ仕方ねえ。見物にでも行くか、九郎」

「現場の者に嫌がられると思うが」


 さっさと店の勘定を済ませている影兵衛に云う。


「もし超強い悪党とか居て、取り逃がしそうになったら危ないだろ? かははっそうなりゃ合法的におこぼれいただきだぜ」

「そうそう居るかのう」

「見込みはあるんだ、押し込みで斬り殺された死体の一つは結構良い太刀筋だった。ありゃ小太刀の富田流だな」

「お主もそう云う鑑識ではよくよく気付くものだ」


 九郎も探しても見つからぬ放火魔のあてもないので、影兵衛について見物に行くことにした。

 捕り物に参加するのは迷惑だろうと思われるので偶然通りかかって見るだけという形だが。

 

 麻布、田島町のあたりに二人が来た頃にはすっかり日も暮れていた。

 この辺りは寺が多いが、夜になれば参拝客も居なくなり、時折見かけるのは農作業を終えた農家の者と、近くの屋敷で中間をしている者ぐらいだ。

 参道を歩きながら影兵衛は口笛などを吹いてあたりを見廻している。

 ──と、笠を深く被った男が近づいてきた。


「おいおい困るよ、九郎に中山殿。ここは町方の出番なんだからな」


 笠を軽く上げながら声を掛けたのは五十も手前に見える皺と白髪だが飄々とした顔つきの男、町方筆頭同心の美樹本善治である。

 影兵衛は白々しく肩を竦めて云う。


「なんだ死にかけのとっつぁんが指揮してんのか? これは余計に目が離せねえな。あと拙者ら、偶然お参りに立ち寄っただけだから」

「勘弁しろよ。火盗改の強引な介入ってまた叩かれるぞい」

「こっちも家焼かれて相当上はカッカ来てるからよ。ま、ちょいと見物ぐらい許してくれや」


 言い合って、仕方なさそうに善治は手招きした。


「勝手に歩き回られるとたまんないから、こっちの陣地で休んでて貰おうか。万が一取り逃がした時の後詰めってことで。ほんと、万が一なんだけどね」

「とっつぁんは万が一で運悪く大怪我することが何度もあっただろ?」

「生きてりゃ儲けものだって。なあ九郎」

「そうだのう」


 言い合い、美樹本に案内されて二人は近くの空き家へ入っていった。

 そこから見える位置にある宿の[佐々屋]が盗賊の寝床らしい。二階建ての大きな宿であり、呼び込みもしていないのが怪しい様子だ。

 町方の陣地としている空き家には、与力が三人と同心が六人、手先の者が五人詰めていた。

 

「美樹本、そいつは……」


 与力が呼びかけて、影兵衛の顔を確認して悪事の現場を見たように顔を顰める。

 笠を脱いだ善治は手を振りながら、


「現場近くをうろつかれたら困るんで連れてきたんだ。ま、大人しくしてもらわないと」

「火盗改方は手を出すなよ。これは町方の手柄だ」

「へいへい。お手並み拝見させてもらいますよ」


 影兵衛は床に座り込み、店から持ってきた酒とメザシを取り出した。

 むしゃむしゃと頭からメザシを齧り、酒を煽る姿はとても同心に見えない。

 九郎も彼に対面して座り、自分で持ってきた炒り豆をぼりぼりと齧りつつ鹿屋で買った芋焼酎を飲む。

 近年に作られだした芋焼酎は徐々にノウハウを蓄積していっているのだろう、味の変化が顕著でなかなか面白い。はずれは芋臭く舌が痛むが、水のような飲みくちなのに焼き芋を頬張ったような風味を感じるものもある。

 突然詰め所にやって来て酒盛りを始める二人に、呆れた顔で全員が見ている。


「緊張感無いねえ」

「おうそうだとっつぁん。敵はどれぐらい居るんだ?」

「確認した感じでは七人。殺しの得意な奴が一人か二人って感じか。おれが手先と同心連れて突入して、与力さん達は数名宿の外に逃げないか見張って貰う。馬があるからね、与力は」

「ふむ。しかし戦力の一部という感じだな。もっと大勢の方が確実ではないのか?」


 九郎が見回して告げる。

 悪党捕縛の為に集まっているのだが、同心には利悟の姿も無いし全員合わせて十数名しか居ない。相手は十人足らずとは云え、確実性を増すならばもっと人員が必要だと思うのだが。

 美樹本はやや言い難そうな顔をして、


「こっちもいろいろあるんだよ。例の火付けが……」

「親っさん!」

「おっと、悪い。こいつは機密情報だった」

「えーなんだよずりーな。メザシやるから教えてくれよ。酒もあるぜ。温まるぞう」

「お生憎。仕事前は飲まない事にしてるんだ。前にそれで血がどばどば出て死にかけてさ」

「死にかける経験が豊富ってのも珍しいもんだ。なあ九郎」

「己れはお主から危うく殺されかかったのだが……」

「今度こそおれ、嫁と娘に心配かけちゃいかんよなあ。あ、今度娘の誕生日なんだ。予約してる櫛を受け取りにいかないとなあ」

「よせ、そんな危険な発言は」

 

 そうこう言い合っていると、周囲は真っ暗になっていた。

 佐々屋だけが明かりが灯り、人の気配を感じる。

 

「早々と終わらせよう。それじゃ、皆行こうか」

「はい!」

 

 与力も居るのだが、その場で最年長であり同心として捕り物を何十度も行ってきた美樹本の号令で皆は歩みだした。

 店の中に入る者は十手、縄、棒を持ち、外で待機する者は刺股、梯子など長物で取り押さえる形である。

 こっそりと空き家から出て遠目に九郎と影兵衛は見張る。


「おうおう、始まったな。とっつぁん大丈夫かね」

「心配か? 凄腕なのだろう」

「あのとっつぁん作戦はそつない感じに立てるし、厭らしい搦手が得意な剣術使うんだけど、なーんか運が悪ィんだよな。二回ぐらい町方と共同で大捕り物したことあるんだけど、床がたまたま抜けて足を取られて転んだところに短刀が落ちてて刺さったのと、悪党の刀が目釘折れてて変な方向にすっ飛んで関係ないところで戦ってたとっつぁんにぶっ刺さったのとで二回とも重傷になってた」

「よく生きてるのう……それで[殉職間近]か」


 嫌な予感を覚えながら見ていると、提灯で周囲を囲みながら宿の中で暴れる声に混じって大声が響いた。


「親っさんがまたやられたぞー!!」


 またやられたらしい。

 九郎達は確認できなかったが、美樹本は抵抗をする盗賊一味を十手で打ち倒していると用心棒とも云える剣術使いと戦いになった。

 小太刀と十手。間合いはそう変わらないが打ち合い、相手の刀を十手の返しで挟んでへし折ろうと試みた瞬間であった。

 別の場所で、捕り物に迫られた悪党が最後のあがきと放り投げた鉄の鍋が放物線を描き美樹本の頭頂部へ直撃した。

 狙ってのことではない。

 だが大きく隙ができた美樹本の体に一太刀を浴びせた。


「誕生日……約束……してたんだけどなあ……」


 無念そうに言い残して、美樹本は倒れた。

 そうして剣術使いは包囲を切り抜けたのである。

 小太刀の利点は身軽さと、振り回しの良さだ。体に近づけられた刺股を打ち払い、梯子を切り落とし剣術使いは逃げた。


「ちょいと待ちなァ!!」

「生き生きしておるな」


 そこに立ち塞がるのが出番とばかりに待ち構えていた影兵衛である。

 彼は気持ちの良い笑みを浮かべて刀を抜き放つ。


「町方が逃したんだ、拙者がつかまえても問題はねぇよな!」

「そうだな」

「美樹本のとっつぁんの仇はその命で払ってもらうぜ!」

「そうだな」


 とりあえず影兵衛に任せるモードに入った九郎は適当に同意しておく。

 すると相手も、背後を気にしながら小太刀を構えてするすると動き、距離を取るように見せつつ今にも打ちかかってきそうだ。

 だが、逃してはならないこの状況で影兵衛に[待ち]は無かった。


「そらよォ!!」


 飛びかかり袈裟斬りに斬りかかる。大抵のなまくらを持った悪党はこの一撃で即死する。

 剣術使いは受け止めた。小太刀と刀の鉄片が火花のように飛び散り、快い音を出す。

 すぐに影兵衛の刀を跳ね除けて、逆に懐に飛び込むようにして剣術使いは間合いを更に詰めた。

 刀の刃を返してその一撃を受け止めて、左手を刀から離し腰の十手を引き抜いて影兵衛は追撃で打ち付ける。

 巧みだとしか言い様がない力配分で剣術使いは影兵衛の剣を押すのと、十手を受け止めるのを連続で数合行い金属音が鳴り響いた。数歩間合いを開けて、袖元で口を拭う剣術使い。


「中々やるじゃねえ──かっ!」


 更に攻撃を行う影兵衛。再び二人の眼前で剣と小太刀が交差する。

 その瞬間に奇襲は行われた。


ふう!」


 とでも勢いよく叫んだような吐息と同時に、剣術使いの口から飛沫の液体が大量に影兵衛に吐きつけられた。

 唾ではない。影兵衛は顔に掻き毟りたくなるような熱さを感じた。目にもついたらしい。途端に視界がぼやける。


(毒か!)


 相手の胴を切り払うが手応えはない。飛び退いたらしい。どこに居るのか、目で探すことができなくなっていた。

 

「くくく……見えないお前は何もわかるまい」


 剣術使いは、袖元に仕込んでいた毒を口に含んで吹きつけたのである。

 余裕を持って相手は云う。


「わかるまい……うっかりこの毒を口に入れたから俺の顔が今どれだけ真っ青か……」

「そこは考慮しとけよ!」


 思わず九郎がツッコミを入れた。

 毒霧なのにガチで毒のようだ。だらだらと口が弛緩したように毒混じりのヨダレを垂らし続けている剣術使いである。


「だがこれで貴様は」

「──ペラペラ喋りやがって、見えてなくてもなァ!」


 影兵衛が刀を地面に突き刺し、懐から小柄を取り出した。

 その数両手に八本。


「大体わかりゃいいんだよォ! 小柄ァ!」

「ぬう!?」


 やや声のする前方広範囲に投射した小さな刃物が、二本ばかり剣術使いに深々と突き刺さる。

 

「そこかァ! くたばりなァ!!」


 小柄には細い糸が結びつけられており、導火線のように影兵衛と剣術使いを結んでいた。

 影兵衛は地面に刺した刀を抜き去り突進する。


「必殺剣──[三春駒]ァ!」


 それは避けられぬ神速の三連斬撃であった。

 袈裟斬り、逆袈裟、胴の順で打ち込むことで上下左右をカバーして逃げ場を失わせる。

 一撃目で相手の小太刀を破壊して腕を切り落とし、二撃目で致命傷を与えて三撃目で絶命させた。速度を上げる為にやや振りには手加減が必要だが、いずれも致死の一撃である。

 斬り殺した感触を覚えつつ、影兵衛は顔を押さえる。


「痛ゥー……やっべ、目ェ大丈夫かよこれ」

「これ、少し顔を見せてみよ」


 九郎が引張り、影兵衛の体を無理やり地面に力づくで寝かせる。

 目には何らかの毒物が入っているようで、それの種類を判別することはできない。


「まったく、最初から必殺剣とやらを使え。舐めるからそうなるのだ」

「だって盛り上がりたいだろぉー?」

「ええい。いいか、少し染みるぞ。大の大人が喚くなよ。最初に云ったからな」


 云うと九郎は精水符を取り出してやや出力を高め、コップの水を零すような勢いで影兵衛の顔に水を流し始めた。

 

「うぷっ」

「目を開けておれよ……」


 云いながら九郎は着ている着流しの袖を掴み影兵衛の顔に持っていく。

 疫病風装を水で濡らして──おもむろに影兵衛の眼孔へ指に纏わせて突っ込んだ。


「ぐあっく!? 何してやがる九郎!?」

「消毒だ、消毒」

「なんだそりゃああ!?」


 疫病風装には解毒、消毒の作用があり九郎の体を守っている。  

 他の者が身にまとえば寒気がすると云うので着れないのだが、服自体にも毒や菌を消す効果があることに気づいたのはカビの生えたモチを撫でたらカビが消えたことからだった。

 まあ、普通は腐ってたものが大丈夫になったからと云ってあまり食いたくは無いし、二日酔いの石燕の頭を撫でても治らないのだが。

 

(こうして直接毒に当てれば効果があるはず……)


 片目が終わればもう片方の目も。


「がああ!?」

「もう終わる。よし終わった」


 他人の眼孔に指を突っ込むと云う荒っぽい治療を終える。これで治らなかったらそれはそれだが、


「ああ、くそ。なんかちっとずつ見えてきたのが逆にむかつく」

「大人しくしておれ──と、美樹本は?」


 九郎が顔を向けると、仲間に肩を貸されながら宿の中から善治がよろよろと姿を表していた。

 胸元から出血はしているものの、死ぬほどではない。

 嫁から修理に持って行ってと渡されていた鏡を胸元に入れていて切り傷が浅く済んだのである。


「なんとか向こうも助かったみたいだな」

「あのとっつぁん、運は悪いのに悪運は強いからなあ」

「他の盗賊も捕まった様子だから、ひとまず解決かのう」


 九郎は立ち上がると、気怠げな表情で云う。


「しかし、よく考えれば全然解決しておらぬな。己れらの担当は放火犯だったわけで」

「ま、共犯だったら多少は分かるんじゃねえか?」

「そうだと良いが……どうもこう、尻尾を掴んでおらぬような感じが……」


 釈然としない様子で九郎が悩んでいると、遠くから犬の鳴き声が聞こえた。

 顔を向けると篝火が走ってきており、何かしらを伝えようとしているのか吠えたくっている。

 

「どうした?」


 九郎が云うと、篝火は踵を返して江戸の街の方角を向いた。

 そこを眉根を寄せてじっと見ていると──。


(……明るい?)


 もう夜だと云うのに、空の雲が地上からの光で照らされている。

 

「まさか……」

「おい九郎どこに」


 影兵衛の呼びかけに応えずに九郎は真上へ空に飛び上がる。

 そうすれば違和感の正体は一目瞭然だ。

 雲のように見えたのは煙だ。光は火であった。


「江戸が──燃えておる」


 彼の眼下ではくっきりと、風に煽られて燃え広がる江戸の街が見えるのであった。

 九郎は迷わずに燃える街へ飛行して行くのであった……。





 



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