第60話 本拠地へ
カプリース号は全速力で念物『泥の海』へと向かっていた。
やがて、目でも見えるほどの位置まで近づく。
『泥の海』は荒々しい泥波が猛り狂う、しけの海になっていた。
「おっかねェ。かつての泥沼のときが嘘みたいだ」
日向がそんな感想をもらす。
「もう奴らが来ているような様子は見えないな」
「さすがにここにガーベンはいないと思う」
俺の感想に和泉が答えた。
「場所は分かるか?」
「うん。ちょっと深いところになるけど」
『深い』と言うのは、この夢幻界では深度の深さを意味する。
夢幻界の上部はレム睡眠に近いので、世界全体が明るい空のようだ。
しかし、深くなるとノンレム睡眠に入っていくので、空が暗くなり、宇宙空間にいるような錯覚を覚える。
あんまり深く入ると、俺たちでも意識を保てることが困難になる。
かつてはそのようなことを知らない隊員たちが、超深度ダイヴを試みて、意識不明になったことがあるそうだ。
「えーっ、ダイヴやるのかァ?」
日向が嫌っそうにたずねた。
「もうダイヴングならしてるだろ。すでにここは夢の中なんだし」
「俺が言ってるのは深度ダイヴだよ。あれはちょっとつらいものがあるからなあ」
「なら、ここで途中下船する? 実際の海と違って溺れ死ぬことはないわよ」
神在月さんはいたずらっぽく笑った。
「勘弁して。ここで置いてけぼりにされたら、見つけられないで終わりだろ」
神在月さんは愛ちゃんの映っているモニターを見た。
「愛、深度ダイヴ行くわよ」
「う、うん。いいよ」
愛ちゃんも声が少し緊張気味だ。
俺は座席に座り、外のモニター表示に切り替えられたスクリーンを注意深く見た。
「コントロールは私がするわ。愛は私の指示で動いて」
「わかった」
神在月さんは操縦席に座ると、ゆっくりと船を沈めていく。
船内に重圧が掛かる。
重圧と言っても、目に見えるものではなく、精神的に感じられる圧力だ。
一番多い現象は眠くなってくるということだ。
人によっては「キーーーン」と強い耳鳴りがしたり、圧迫感を覚えることもあるという。
俺はまだ深度ダイヴを体験したことがなかったから、うわさだけで知っていたが、さすがに体験してみると思ったよりこたえる。
眠気よりも変な緊張感が迫ってきて落ち着かなくなるような感じだ。
まるで後ろから人の気配がするのに、振り向くと誰も居ないような不気味さだ。
日向も和泉も座席にピッタリと背を押しつけて、不快さに耐えている。
すでに景色は真っ暗で、深海の底に降りていく感じだ。
「神在月さん、まだですか?」
俺は辛抱しきれずにたずねた。
「もう少し、そろそろモニターに見えると思うわ」
「ひょっとして、あれか?」
俺はモニターの奥に小さな黒い点があるのに気付いた。
点を拡大するように愛ちゃんに指示した。
そこに映ったのは、黒い渦巻きだった。
すっかり暗くなった夢幻界の底にある渦巻きは、宇宙にあるブラックホールを思わせるぐらい不気味なものだった。
「あった! あれだわ!」
神在月さんが声をあげた。
だが、その渦巻きのような物体から霧状のものが向かってくる。
「あれは、何だ?」
俺の台詞に画面を注視した日向が立ち上がった。
「さあ、おいでなすったぞ。俺は甲板で迎え撃ってくる」
「やっぱり敵か! 俺も出るぞ」
俺と日向が操舵室を出た。
「二人とも無茶しないで」
和泉の声が後ろから響いてきた。
俺たちが甲板にある備え付けの大型クロスボウ・アーバレストの前にたどり着く頃には、霧は黒い野獣のような夢魔に姿を変えていた。
日向はすでに矢を放っているが、スピードが速いせいか、うまく急所に当たらない。
「なら、俺もやってみるか」
俺は念じて太い矢を創造すると、できた矢をアーバレストにセットする。
そのまま、バネを思いっきり回し、弓を引いた状態で置く。
後は狙い定めて撃つだけだ。
俺は黒い豹のような野獣めがけ、矢を放つ。
しかし、狙いは外れ、矢は相手の上を通り過ぎていった。
野獣は雄叫びを上げ、俺の方へ向かってきた。
注意を引いただけになったか、くそっ。
俺はまたもや太弓を弾く。
そのままの状態で矢を手に創り出すと、しっかりと備え付けた。
今度はしっかりとイメージを作り上げる。
矢が飛び出し、相手の眉間に突き刺さり、消えていく瞬間を。
「今だ!」
俺の渾身の一撃は、野獣に向かって飛んだ。
そのまま吸い込まれるように狙ったところに突き刺さった。
野獣が苦しさのあまりはねのいた。
もんどりうってもがいているうちに、黒い霧になり消えていった。
「よし!」
思わずガッツポーズが出た。
イメージ通りだ。
この調子で敵を仕留めていけばいい。
そう思って前を見ると、さらに多くの幻影のキマイラが飛んできている。
翼のあるデビルに似た奴、ケンタウロスのような亜人タイプ、空飛ぶ蛙人間のような奴もいて、バリエーション豊富だ。
「すでに夢魔はいないはずじゃなかったのかよ。どんな想像力なんだ」
俺はグチった。
あの『泥の海』がなくなったから、夢魔は生まれないはずだが、それまでに作った精鋭軍団か、それともガーベン自ら想像力全開で新たに生み出した連中どもなのか。
とにかくかなりの数の敵がこっちへ向かってくる。
「武蔵君、どう? 苦戦してる?」
「和泉! 大丈夫なのか?」
和泉が俺の後ろに弓を持って控えていた。
「ええ、ここまで来たら、後は愛ちゃんと神在月さんに任せておけるから」
和泉は前方を向いて敵を確認した。
「結構いるわね。50匹ぐらいかな。すでに夢魔を生み出せないのに、この数って・・・・・・?」
「ああ、多すぎだな」
俺は甲板から愛ちゃんに呼びかけた。
「愛ちゃん、残り何時間残っている?」
「あと三時間半ほどだよ」
この残り時間では、こんなところで手こずっているわけにはいかない。
残った手段は直接乗り込むしかない。
俺は考えをまとめた。
「みんな、俺は直接ガーベンのいる念物に降りる。ガーベンはこの船を狙うのに必死になっている。その隙に勝負をかける」
俺の声は船内のみんなに届いたようだ。
日向が驚いて聞き返した。
「ムチャだ! たった一人で特攻をかけるってのかよ?」
「確かに無茶かもしれないけど、時間がないだろ。このままあいつのペースで戦いを進められるよりは、打って出る」
「確かに奴さえ倒せば、敵は消えるんだから、その手しかないか」
日向があきらめたように言う。
「愛ちゃん、神在月さん、メグと協力して船の距離を取りながら敵の集団に囲まれないようにして。日向、一匹ずつなら強くっても相手できるな?」
「あ、ああ、何とかなると思う」
「じゃあ、俺は気付かれないように下へ降りる」
「私はどうしたらいいの?」
和泉は静かに聞いた。
「和泉、俺と一緒に来られるか?」
「いいの?」
「当然だろ」
「わかったわ。私も下に降りる」
和泉の緊張した表情に笑顔が戻った。
「和泉さん・・・・・・」
日向が心配そうに和泉を見つめた。
「日向君、私なら大丈夫」
和泉は控えめな笑顔を見せた。
「和泉さん、少し変わったよな。なんか以前に比べて丸くなった」
和泉は困ったような表情になった。
「変わったんじゃなくて、これが元々の私なの。以前は気を張っていたから、気の休まる時がなかった。それに比べたら今の方がもっと自然で、私らしい気がするの」
和泉の言葉を聞いて、日向は黙って頷いた。
「武蔵、後は頼むぞ。何とかガーベンを倒してくれ。当然だけど二人とも無事で帰ってこいよ」
「ああ」
俺は親指を上げた。
「和泉さんのこと、頼んだぞ」
真剣な日向の表情がすべてを物語っていた。
「絶対に俺たちは生きて帰る!」
俺はそう大声で言うと、カプリース号の縁まで歩いた。
和泉も側に並んだ。
「準備はいい?」
「うん」
和泉は緊張した表情だったが、しっかりとした答えを返した。
俺は和泉の肩に手をまわした。
和泉も俺の肩に同じようにつかまった。
「一、二、三で飛び出すぞ。いいかい?」
「わかった」
「行くよ。いーち」
「いーち」
俺と和泉の声がゆっくりと唱和する。
「にいー」
「にいー」
「さん!」
「さん!」
同時に叫ぶと、俺たちはカプリース号から一歩を踏み出した。
とたんにすごい力で下へと吸い込まれた。
俺と和泉は同時に船から落下していった。




