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返したはずの借金

少年を先頭に、レインとリシェルが市場を抜けて王都の南区へ入っていく。


中心部から離れるにつれて人通りはまばらになり、足元の石畳にはひびや欠けが目立ち始める。通り沿いには年季の入った建物が並び、壁や屋根には何度も補修された跡が残っている。


貧しい地区ではあるものの、決して荒れ果ててはいない。


家々の間には洗濯物が風に揺れ、通りでは子供たちが楽しそうに追いかけっこをしている。


開け放たれた店からは夕食の支度をする香りが漂い、奥からは食材を刻む「トントントン」という包丁の音が聞こえてくる。



先を走っていた少年が振り返り、大きく手を振る。


「こっち! もうすぐだから!」


リシェルが少し早足になりながら声をかける。


「分かりました。走ると危ないですよ」


「大丈夫だって!」


少年は笑って前を向き、そのまま「タタタッ」と元気よく駆けていく。


リシェルも、先を走る少年を追って少し歩調を速める。


その後ろを、レインが相変わらず気の抜けた様子でついていく。


少年は何度もこちらを振り返りながら、元気よく道を案内している。


レインがその背中を見て、ぽつりと言った。


「さっきまであんなに怯えてたのに、もう元気そうだな」


リシェルも少年を見て、少しだけ表情を和らげる。


「ええ。あれだけ怖い思いをしたあとなのですから、元気になってくれた方が安心です」


「まあ、それもそうか」


そう答えながらも、レインの視線は一か所に留まらない。


細い路地へちらり。


建物の屋根へちらり。


店の窓、すれ違う人間、その手元や足取りへと、ごく自然に視線を移していく。


歩き方も表情も、どこにでもいる気楽な冒険者そのもの。


それでも周囲の確認だけは途切れない。


少し離れた屋根の上では、クロエが物陰に身を寄せ、レインたちを追っている。


「…………」


クロエの視線がレインに留まる。


少年やリシェルと話している間も、レインの注意は周囲から外れていない。


クロエの目がわずかに細くなる。


警戒しているような緊張はない。


それなのに、死角になりそうな場所を一つずつ拾うように視線が動いている。


クロエは足音を立てず、一定の距離を保って追跡を続ける。


やがて少年が、一軒の古びた建物の前で足を止める。


「ここ!」


少年が指さしたのは、小さな孤児院だった。


すぐ隣には古い教会が建っており、孤児院とは渡り廊下でつながっている。


石造りの壁には何度も修理した跡があり、木製の扉もところどころ色が違う。


決して立派な建物ではない。


それでも庭からは、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。



石壁には新旧いくつもの補修跡があり、木製の扉も継ぎはぎするように直されている。庭には使い込まれた木製の遊具があり、そのそばで幼い子供たちが笑いながら遊んでいる。


「孤児院……」


リシェルが小さく呟く。


建物は質素で、決して裕福には見えない。


それでも庭からは「きゃははっ」という子供たちの明るい笑い声が絶えない。


少年は孤児院の扉を勢いよく開けると、そのまま中へ駆け込んだ。


「先生!」


玄関から奥の部屋を覗き込み、大きな声でもう一度呼びかける。


「先生、どこにいるの!?」


すると、奥の方から慌ただしい足音が近づいてきた。



「どうしたの、そんなに慌てて」


「パタパタ」と足音が近づき、奥から四十代ほどの女性が現れる。


簡素な服を着た、少し疲れのにじむ顔の女性。それでも少年を見る目は柔らかい。


少年の無事な姿を確認すると、ほっと胸へ手を当てる。


「もう。急にいなくなるから心配したのよ」


「ごめん」


「どこへ行っていたの?」


少年の口が止まる。


さっきまでの勢いが消え、視線が下へ落ちる。


その変化を見て、女性の笑みも消える。


「……また、商会の人たち?」


少年が小さく頷く。


「うん」


女性の肩が「すっ」と落ちる。


そこで初めて、少年の後ろに立つレインとリシェルに気づく。


「こちらの方々は?」


「助けてもらったんだ!」


少年がレインとリシェルを振り返る。


「商会のやつに捕まってたところを、この二人が助けてくれた!」


「えっ!?」


女性の表情が一変する。


すぐさま少年のそばへ駆け寄ると、心配そうに肩や腕を確かめる。


「どこか怪我はない!? 痛いところは?」


「大丈夫だって!」


少年は平気そうに腕を動かしてみせる。


しかし、男に強く掴まれていた腕には、まだ赤い跡が残っていた。


それに気づいたリシェルが、少年の腕を見ながら口を開く。


「大きな怪我ではありませんが、その腕は念のため冷やした方がいいと思います」


「そうですか……」


女性が少年の腕を心配そうに見たあと、レインとリシェルへ深く頭を下げる。


「本当に、ありがとうございます」


「頭を上げてください」


リシェルが慌てて手を出す。


「当然のことをしただけですから」


リシェルがそう言うと、レインが隣からちらりと彼女を見る。


「……当然、ね」


その呟きに、リシェルが振り向く。


「何か?」


「いや、別に」


レインは何でもないように答えると、すっと視線を逸らした。


リシェルは不思議そうに首を傾げる。


そんな彼女を横目に、レインは心の中で思う。


――変わったやつだな。


見ず知らずの子供を助けるために、迷わず厄介事へ首を突っ込む。


しかも、それを本気で「当然」だと思っているらしい。


女性に招かれ、二人は孤児院の中へ入る。


室内には古い机と、何度も修繕された不揃いな椅子。壁には子供たちが描いた色とりどりの絵が貼られている。


棚に並んでいる本は多くないが、一冊一冊が丁寧に扱われている。


奥の扉から、小さな子供が「ひょこっ」と顔を出す。


「あ」


少年を見つけた途端、顔が明るくなる。


「帰ってきたぁ!」


その声を合図に、「わっ」と何人もの子供たちが集まってくる。


「どこ行ってたの?」


「おやつある?」


「その人たち誰?」


四方から質問を浴びせられ、少年が少し得意げに胸を張る。


「助けてくれた人!」


「助けてくれた?」


「強いの?」


「どっちが?」


今度は子供たちの視線が一斉にレインとリシェルへ向く。


「じーっ」


子供たちはレインとリシェルを取り囲み、興味津々といった様子で次々に質問を投げかける。


「お姉ちゃん、強いの?」


「お兄ちゃんも冒険者?」


「どっちが強い?」


リシェルは矢継ぎ早の質問に少し困りながらも、一人一人に優しく微笑みかける。


一方のレインは、子供たちに囲まれることに慣れていないのか、どう対応すればいいのか分からず困った顔をしていた。


そんなレインを見て、リシェルがくすっと笑う。


「ずいぶん人気者ですわね」


「……お前も同じくらい囲まれてるだろ」


「わたくしは困っていませんもの」


「そういう問題か?」


「そういう問題です」


レインは楽しそうなリシェルを見て、小さくため息をついた。


幼い女の子がリシェルのそばまで寄り、服の裾を「くいくい」と引っ張る。


小さな女の子が、リシェルの服の裾を引っ張る。


「お姉ちゃん、お姫さまみたい」


「……っ!」


思いがけない言葉に、リシェルの肩がぴくっと跳ねる。


まさか正体に気づかれたのか。


一瞬そう思い、リシェルの表情が固まる。


その反応を、隣にいたレインは見逃さなかった。


「へえ」


「……何ですか?」


「いや。お姫さまみたい、だってさ」


レインがどこか探るような目でリシェルを見る。


「ずいぶんと動揺してるみたいだけど?」


「ど、動揺などしていません!」


「そう?」


「そうです!」


「じゃあ、なんでそんなに慌ててるんだ?」


「それは……」


リシェルは言葉に詰まり、慌てて顔を背ける。


「急にお姫さまなどと言われたので、驚いただけです!」


「ふうん」


「……何ですか、その顔は」


「別に?」


「絶対に何か疑っていますわね!?」


「いやいや。普通の女の子だと思ってるよ」


「そうです! わたくしは普通の――」


そこでリシェルの言葉が止まる。


レインが首を傾げる。


「普通の?」


「……何でもありません!」


レインはますます怪しそうな目を向けた。


少し離れた屋根の上。


窓越しにその様子を見ていたクロエが、無言で「すっ」と目を閉じる。


「…………」


眉間にほんのわずかなしわ。


再び目を開けると、リシェルをじっと見つめる。


「みんな、向こうで遊んでいなさい」


女性に促され、子供たちが口々に「はーい」と返事をする。


何人かはレインたちを振り返りながら、名残惜しそうに奥へ戻っていく。


室内に残ったのは、女性、少年、レイン、リシェル。


女性が二人に椅子を勧め、自分も向かいに腰を下ろす。


「私は、この孤児院を預かっているマリアと申します」


「リシェです」


「レイン」


二人が名乗ると、マリアは改めて頭を下げる。


「先ほどは、本当にありがとうございました」


「それより」


リシェルの表情が引き締まる。


「商会の人間に、借金を取り立てられていると聞きました」


マリアの顔が曇る。


「……はい」


レインが懐から先ほど拾った紙を出し、「パサッ」と机の上へ置く。


「ガルド商会」


紙を見た瞬間、マリアの顔が強張る。


「それを、どこで……」


「さっきの男が落とした」


マリアが恐る恐る紙へ目を落とす。


そこには『未払い』『銀貨二十枚』『孤児院敷地担保』の文字。


「違います」


マリアがすぐに顔を上げる。


「これは、違います」


リシェルが表情を険しくする。


「何が違うのです?」


「借金は、もう返しました」


レインの目がわずかに細くなる。


「全部?」


「はい」


マリアは迷いなく頷く。


「三か月前に」


「金額は?」


「銀貨十枚です」


少年から聞いていた金額と一致する。


リシェルが机の紙へ目を落とす。


「では、この銀貨二十枚というのは?」


「分かりません」


マリアは力なく首を振る。


「利子があるとは聞いていました。でも、そんな額ではありませんでした」


「契約書は?」


リシェルの問いに、マリアの手が「ぴたり」と止まる。


「……あります」


レインとリシェルが同時にマリアを見る。


マリアは立ち上がり、奥の棚から古い箱を取り出す。


腰につけていた鍵を使い、「カチリ」と錠を開ける。


中から一枚の紙を取り出し、机へ広げる。


「これです」


リシェルが内容を確認する。


「借入額、銀貨十枚……返済期限、半年以内……」


指先で文字を追っていく。


「利子、銀貨一枚」


そこで顔を上げる。


「合計十一枚」


「はい」


「では、二十枚というのは明らかにおかしいです」


「そうなんです」


レインは契約書を手に取り、黙って確認する。


印章。


署名。


日付。


紙の状態。


一つずつ確かめたあと、マリアへ目を向ける。


「返したときの証明は?」


マリアの表情が固まる。


「…………」


「ない?」


「……なくなりました」


リシェルが眉を寄せる。


「なくなった?」


「はい」


マリアが悔しそうに唇を噛む。


「返済した日に、受領証を受け取りました」


「確かに?」


「確かです」


「どこへ保管を?」


「この箱に。契約書と一緒に」


マリアが箱を指す。


レインが箱へ手を伸ばす。


持ち上げて底を確認し、蝶番に指を沿わせ、鍵の周囲も調べる。


「壊された跡はないな」


「気づいたのは?」


「一週間ほど前です」


「それまで確認していなかった?」


「はい……」


マリアが申し訳なさそうに俯く。


「もう返したものですから、必要になるとは思わなくて」


リシェルが顎へ指を添える。


「商会側には返済の記録が残っているはずです」


「それが……」


マリアが力なく首を振る。


リシェルの手が止まる。


「ない?」


「商会は、お金など受け取っていないと言っています」


「…………」


その言葉を最後に、室内が静まり返る。


遠くから聞こえてくるのは、庭で遊ぶ子供たちの楽しそうな声だけ。


リシェルは信じられないという顔でマリアを見る。


「でも、あなたは確かに返済したのですよね?」


「はい。間違いありません」


「それなのに、返済した証拠の受領証はなくなっている……」


「……はい」


マリアが悔しそうに俯く。


「それだけではありません。商会の帳簿には、今も『未払い』と記録されているそうです」


リシェルの眉がきゅっと寄る。


「つまり……」


状況を整理するように、ゆっくりと言葉を続ける。


「孤児院には、借金を返したと証明できるものがない。一方で商会には、まだ返済されていないという記録が残っている」


「そういうことです」


「それでは、まるで……」


リシェルは言いかけて、口を閉じる。


まるで最初から、孤児院が借金を踏み倒したことにするために用意されたような状況だ。


偶然にしては、あまりにも出来すぎている。


リシェルの表情から驚きが消え、代わりに疑いの色が浮かんだ。



隣のレインを見る。


レインは何も言わない。


契約書。


マリア。


室内。


窓。


箱。


順番に視線を動かしている。


「この箱」


「はい?」


「誰が触れる可能性がある?」


マリアが少し考える。


「私と、職員が二人ほど」


「鍵は?」


「私が持っています」


「合鍵は?」


「ありません」


「本当に?」


「はい」


レインがもう一度、箱へ目を落とす。


「壊された跡はない」


リシェルも箱を見る。


「ということは、内部の誰かが?」


「そんな!」


マリアが椅子から腰を浮かせる。


「可能性の話です」


リシェルがすぐに両手を軽く上げる。


「疑っているわけではありません」


レインは箱を机へ「コトッ」と戻す。


「他には?」


「え?」


「変わったこと」


マリアは記憶を探るように視線を落とす。


「……商会の人が来るようになりました」


「いつから?」


「一か月ほど前からです」


「何を言いに?」


「返済が滞っている。土地を担保にする約束だった、と」


リシェルが契約書をもう一度確認する。


「この契約書には、土地を担保にするとは書かれていません」


「はい」


「では、なぜ……」


「分かりません」


マリアが膝の上で両手を強く握る。


「でも最近になって突然、土地を渡せと言い始めたんです」


「突然?」


レインの目がマリアへ向く。


「はい」


「前からじゃない?」


「違います」


レインが椅子にもたれ、少し考える。


「ふうん」


レインは何か引っかかったように、机の上の契約書をじっと見つめる。


その様子に気づいたリシェルが、横から顔を覗き込んだ。


「……何か気づいたのですか?」


「いや、まだ何も」


「それは嘘ですよね?」


「なんでそんな事を言うんだよ」


「今、明らかに何か考え込んでいたではありませんか」


「考えるくらいするだろ」


「では、何を考えていたのです?」


「…………」


レインが黙る。


リシェルの目が細くなる。


「やはり何か気づいていますわね?」


「まだ確証がないだけだ」


「でしたら、そう言ってください」


「言ったら絶対に食いつくだろ、お前」


「もちろんです」


「ほらな」


レインは面倒そうに、頭をガシガシと掻いた。


「借金だけが目的なら」


「はい」


「わざわざ土地を欲しがる理由が弱い」


リシェルの目が見開かれる。


「確かに」


レインが契約書を指先で「トン、トン」と軽く叩く。


「銀貨十一枚」


「ええ」


「孤児院を追い出してまで取る額か?」


リシェルが口を閉じる。


少し考えたあと、契約書からマリア、そして建物の壁へと視線を移す。


「……借金以外に、何か目的があるということですか?」


リシェルが尋ねる。


「たぶんな」


レインは机の上の契約書へ目を落とす。


「わざわざ孤児院を追い出してまで、この土地を欲しがってる。何か理由があるはずだ」


マリアが不安そうに二人を見比べる。


「理由って……いったい何が……」


「そこまでは、まだ分からない」


レインは椅子から立ち上がる。


「商会のことを少し調べてみるか」


「調べてくださるんですか?」


マリアの表情に、わずかに希望が浮かぶ。


「ああ。ただ、期待はしすぎないでくれ。何が出てくるか分からないからな」


「ありがとうございます」


マリアが頭を下げる。


すると、その隣でリシェルもすっと立ち上がった。


「では、わたくしも調べます」


「……お前も?」


レインが嫌そうな顔で振り向く。


「当然でしょう?」


「いや、当然ではないだろ」


「困っている方がいるのですよ。このまま放っておけません」


「さっき刃物を向けられたの、もう忘れたのか?」


「忘れていません」


「だったら、もう少し危険を考えろ」


「危険だからといって、何もしない理由にはなりません」


リシェルはきっぱりと言い切る。


レインはしばらくその顔を見つめる。


「……本当に迷わないな、お前」


「迷っている間に、困っている方を助けられなくなるかもしれませんから」


「そういうところが危なっかしいって言ってるんだけどな」


「何か仰いました?」


「いや、何も」


レインは小さくため息をつくと、マリアへ向き直る。


「そういえば、商会の連中が来るのは三日後だったか?」


「はい」


マリアの表情が再び曇る。


「三日後までに借金を払えなければ、孤児院を明け渡せと……」


「役所には相談した?」


「しました。でも、商会の帳簿や契約について正式に調べるには、時間がかかるそうです」


今度はリシェルが尋ねる。


「どれくらいかかるのです?」


「早くても……十日ほどは、と」


「十日……」


リシェルの表情が険しくなる。


三日後には、孤児院を追い出される。


だが、役所の調査結果が出るのは早くても十日後。


それでは、到底間に合わない。


レインが短く答える。


「間に合わないな」


「でも、正式に調査すれば不正が――」


「十日後に分かっても」


レインの静かな声が遮る。


「三日後には、ここ追い出されるんだろ?」


リシェルの口が止まる。


窓の外から子供たちの笑い声が聞こえる。


庭では何も知らない子供たちが遊具の周りを走り回っている。


「正しい手順は必要だ」


レインも窓の外へ目を向ける。


「でも」


わずかな間。


「間に合わなきゃ意味がない」


リシェルは返す言葉を探すものの、何も言えない。


膝の横で手を握る。


やがて顔を上げる。


「それでも、諦めるわけにはいきません」


リシェルが顔を上げる。


「三日後までに、借金を返した証拠を見つけます。それと同時に、商会が何をしているのかも調べます」


レインがリシェルを見る。


「三日しかないんだぞ?」


「分かっています」


「役所でも十日はかかるって話だ」


「でしたら、わたくしたちが先に証拠を見つければいいのです」


リシェルはまっすぐレインを見返す。


「そして、ガルド商会が不正をしているのなら、それを正式に明らかにします」


「……簡単に言うな」


「簡単だとは思っていません」


リシェルは膝の上で、ぎゅっと拳を握る。


「それでも、三日後までに何もしなければ、ここの子供たちは帰る場所を失ってしまいます」


その声に、迷いはなかった。


「それに、今回だけ孤児院を助けても、それで終わりではありません」


リシェルは机の上の契約書へ視線を落とす。


「もしガルド商会が同じ方法で他の人たちも苦しめているのなら、また同じことが起きます」


レインの表情から、わずかに軽さが消える。


「だから、不正の証拠を見つけます。そして、商会が二度と同じことをできないようにします」


「…………」


レインは何も言わず、リシェルを見る。


リシェルも視線を逸らさない。


本気らしい。


三日しかないと分かっていて、それでも目の前の孤児院だけではなく、その先まで何とかしようとしている。


やがてレインが、小さく息を吐いた。


「……面倒なやつ」


リシェルの眉がぴくっと動く。


「今、何と仰いました?」


「何も」


「『面倒なやつ』と聞こえましたけれど?」


「気のせいだ」


「はっきり聞こえましたわ!」


レインは悪びれる様子もなく肩をすくめる。


「まあ、好きに調べればいいさ」


「あなたはどうするのです?」


「俺も調べる」


「でしたら、一緒に――」


「いや。俺は別に動く」


リシェルが首を傾げる。


「なぜです?」


「調べたいものが違うからだ」


レインは机の上の契約書を指さす。


「お前は、ガルド商会が不正をした証拠を探すんだろ?」


「ええ。借金を返した証拠や、帳簿を書き換えた証拠が見つかれば、正式に訴えることができます」


「俺が知りたいのは、そこじゃない」


「では、何を?」


レインの目がわずかに鋭くなる。


「どうしてガルド商会が、そこまでしてこの土地を欲しがってるのか」


リシェルが目を瞬く。


「土地を欲しがる理由……」


「ああ」


レインは契約書に書かれた『孤児院敷地』の文字を指で軽く叩く。


「借金を回収したいだけなら、こんな面倒なことをする必要はない。なのに、あいつらは受領証まで消して、返済してないことにしてまで孤児院を追い出そうとしてる」


「つまり……」


リシェルも契約書を見る。


「この土地そのものに、何かあると?」


「その可能性が高い」


レインは立ち上がる。


「だから俺は、そっちを調べる」


「でしたら、わたくしも行きます」


リシェルもすぐに立ち上がる。


だが。


「来るな」


レインは即答した。


リシェルの動きがぴたっと止まる。


「……なぜです?」


「目立つから」


リシェルは自分の姿を見下ろす。


栗色の髪。


そばかす。


地味な服。


どこから見ても、今は普通の町娘だ。


「この姿で?」


「姿じゃない」


「では、何が目立つというのです?」


「行動」


「行動?」


「見ず知らずの子供を助けるために荒くれ者に喧嘩を売って、そのまま孤児院まで来て、今度は商会の不正まで暴こうとしてる」


レインは指を折りながら数える。


「十分目立つだろ」


「…………」


リシェルの口が止まる。


反論しようとする。


しかし。


言われてみれば、否定しづらい。


「それは……困っている方がいたからで」


「そういうところだよ」


「どういうところですか!」


「じゃあな」


「ちょっと、待ってください!」


レインはリシェルの抗議を聞き流し、そのまま扉へ向かう。


リシェルも追いかけようと一歩踏み出す。


だが。


ふと背後を見る。


マリアが不安そうに両手を握りしめていた。


これからどうなるのか。


本当に孤児院を守れるのか。


そんな不安が、その表情にはっきりと浮かんでいる。


リシェルの足が止まった。


今は、マリアからもう少し詳しく話を聞く必要がある。


その間にも、レインは扉を開ける。


「じゃ、俺は行ってくる」


「レイン!」


パタン。


扉が閉まる。


「…………」


リシェルは閉じた扉をじっと見つめる。


やがて頬を少し膨らませ、小さく呟いた。


「……本当に、失礼な人ですわね」


そう言いながらも。


その目はもう、次に何を調べるべきか考え始めていた。


屋根の上。


クロエが孤児院から出てきたレインを目で追う。


レインは何事もないように通りを歩いていく。


足取りにも変化はない。


やがて道の角へ差しかかる。


そのまま曲がる――直前。


レインの視線だけが「すっ」と上へ動く。


屋根の上にいるクロエと目が合う。


「…………」


クロエの顔から表情が消える。


先ほどの偶然とは違う。


レインの目は、明確にクロエのいる場所へ向いている。


ほんの一瞬。


レインは声もかけず、表情も変えない。


そのまま視線を戻し、角の向こうへ姿を消す。


「…………」


クロエだけが屋根の上に残される。


数秒、身じろぎひとつしない。


風が「サァ……」と髪と衣服を揺らす。


やがてクロエが小さく口を開く。


「……やはり、気づいていますね」


その呟きは風に溶ける。


孤児院の中にいるリシェルには届かない。


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