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術式を消す

倉庫内、衛兵たちが次々に商会の男たちを取り押さえていく。


「武器を捨てろ!」


「抵抗するな!」


怒号。


走る足音。


ドタドタッ


武器が床へ落ちる。


ガランッ


その騒ぎの中、リシェルはクロエと共に倉庫の奥へ

進んでいる。


「子供は!?」


「奥の部屋です!」


先行していた衛兵が振り返り、奥を指す。


リシェルの足が速くなる。


「殿下」


「分かっています!」


クロエもすぐ横を離れずについていく。


そして奥の扉。


リシェルが勢いよく開く。


「――!」


部屋の中。


倒れた護衛たち。


床に散らばった武器。


壊れてはいない。


だが文字だけが不自然に消えている契約紙。


その部屋の中央に少年。


手足の縄はすでに解かれている。


そして、その前に立つレイン。


「レイン!」


リシェルが思わず声を上げる。


レインが振り返る。


「あ」


何でもないことのように。


「来たか」


その軽い声にリシェルの眉が一気に上がる。


「来たか、ではありません!」


足早に近づく。


「無事なのですか!?」


「見ての通り」


「怪我は?」


「ない」


「本当に?」


「たぶん」


リシェルの足が止まる。


「たぶん!?」


そのままずかずかとレインの前まで来る。


腕。


顔。


肩。


服。


視線を忙しく動かして確認する。


「血は?」


「返り血でもない」


「本当に?」


「俺より」


レインが顎で少年を示す。


「こっち」


その一言で。


リシェルの表情がすぐに変わる。


レインから離れ、少年の前へしゃがむ。


「大丈夫ですか?」


少年はまだ少し震えている。


それでも小さく頷く。


「うん……」


「痛いところは?」


少年は自分の腕を見る。


何度か指を動かして確かめる。


「もう」


少し不思議そうに。


「痛くない」


リシェルもその腕を見る。


傷。


痣。


魔法の印。


何もない。


「……何も?」


少年が少し迷う。


「さっきまで」


腕を指差す。


「黒いのが」


「腕に出てて」


リシェルの目が止まる。


「黒いもの?」


「契約の印です」


背後から低い声。


衛兵に拘束されたベルガが、苦々しい顔で答える。


「仮契約は」


歯を食いしばる。


「成立していた」


リシェルがゆっくり振り返る。


「では」


「解除したのですか?」


ベルガの表情が歪む。


「違う」


「解除ではない」


その言葉に。


リシェルの視線がレインへ移る。


レインは露骨に少し嫌そうな顔をする。


「…………」


「レイン」


「何?」


「こちらを」


リシェルが床へ手を伸ばす。


契約紙を拾う。


カサ……。


紙自体は破れていない。


けれど。


文字がない。


術式の中核。


条件。


対象。


罰則。


そこだけが。


まるで最初から書かれていなかったように、きれいに消えている。


「これ」


リシェルの声が少し小さくなる。


紙から目を上げる。


「あなたが?」


レインは答えない。


「…………」


リシェルが待つ。


「レイン」


「…………」


少し間。


レインが諦めたように息を吐く。


「はぁ……」


それから。


リシェルを見る。


「リシェ」


「はい?」


「今から見ること」


一拍


声から軽さが消える。


「他の奴には言うな」


リシェルの表情も自然と真面目になる。


「……何を?」


「約束してくれ」


「…………」


ほんの少しだけ驚く。


それでも迷わず頷く。


「分かりました」


レインの目がわずかに細くなる。


「軽いな」


「軽くありません」


「聞かないの?」


「何をです?」


「理由」


リシェルは少しだけ考える。


それから。


静かに答える。


「言いたくないのでしょう?」


「まあ」


「でしたら」


契約紙を両手で持ったまま。


「話したくなった時に」


「聞きます」


「…………」


レインが黙る。


ほんの一瞬。


目元から警戒が少しだけ抜ける。


「変なやつ」


「今」


リシェルの眉が上がる。


「褒めました?」


「いや」


「では何です?」


「変なやつって言った」


「普通に悪口ではありませんか!」


「声でかい!」


「……もう!」


リシェルがむっとする。


張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩む。


少し離れたところ。


クロエは何も言わず、二人を見ている。


レインが契約紙へ手を伸ばす。


「これ」


指先で術式の一部を示す。


「まだ」


「残ってる部分がある」


リシェルも紙へ視線を落とす。


契約術式の外側。


補助線や文字の一部は残っている。


「さっき」


「全部消したのでは?」


「必要なところだけ」


「必要なところ?」


「ああ」


レインが消えた部分を指でなぞる。


「契約そのものを」


「成立させる部分」


リシェルの目が少しずつ見開かれる。


「そんなことが……」


「普通は」


ベルガが低く割り込む。


「できない」


顔にはまだ信じられないものを見る色が残っている。


「契約魔法は」


「術式全体で一つだ」


「一部だけ消せば」


声が強くなる。


「暴発する」


「なら」


レインがちらりとベルガを見る。


「暴発しなかったから」


肩をすくめる。


「できたんだろ」


「そういう問題ではない!」


ベルガが身を乗り出す。


衛兵がすぐ肩を押さえる。


「静かにしろ!」


ベルガが舌打ちしながら引き戻される。


リシェルは。


そんなベルガではなく。


レインだけを見ている。


「レイン」


「ん?」


少し言葉を選ぶ。


「あなたの能力」


「消す」


「そういうものなのですか?」


レインの動きが止まる。


「…………」


リシェルも、それ以上は急かさない。


沈黙。


周囲では衛兵の声。


足音。


だが、二人の間だけ少し静かになる。


そしてレインが小さく言う。


「《イレイサー》」


リシェルの目がわずかに動く。


「それが」


「名前?」


「ああ」


レインが自分の手を見る。


「消したいものを」


「消す」


「記録も?」


「できる」


「契約も?」


「ああ」


「呪いも?」


「たぶん」


リシェルの眉が上がる。


「たぶん?」


「試したことあるやつと」


「ないやつがある」


リシェルの表情が複雑になる。


驚き。


警戒。


そして。


心配。


「……それほどの能力を」


「どうして隠しているのです?」


レインは少しだけ笑う。


「目立たずに済むから」


「目立たずに?」


「ああ」


「知られてない方が、余計な面倒に巻き込まれずに済む」



そこで言葉を切る。


「…………」


リシェルはすぐには理解できない。


けれど少しずつ。


その意味に気づいていく。


知られれば、使えと言われる。


消せと言われる。


奪おうとする者もいる。


囲い込もうとする者もいる。


王家。


貴族。


商人。


軍。


教会。


誰であっても欲しがる。


リシェルの表情がゆっくり沈む。


「……なるほど」


小さく呟く。


レインを見る。


「だから隠しているのですね」


「まあ」


「そんなところ」


クロエが一歩前へ出る。


「その能力」


レインへ鋭い視線。


「どこまで消せます?」


レインがクロエを見る。


「さあ」


クロエの眉が寄る。


「分からない?」


「ああ」


「自分の能力なのに?」


「上限」


レインが短く答える。


「知らないんだよ」


クロエの目がさらに鋭くなる。


「危険ですね」


「知ってる」


「制御できない可能性は?」


「あるかもな」


「レイン」


リシェルの声。


先ほどより少しだけ柔らかい。


心配が混じっている。


「使う時」


「何か代償は?」


「…………」


レインがほんの少しだけ黙る。


一瞬。


だが、リシェルは見逃さない。


目が細くなる。


「……あるのですね?」


「小さいのなら」


レインが視線を逸らす。


「ほぼない」


「大きいと?」


「疲れる」


「それだけ?」


「たぶん」


「また」


「たぶん」


「…………」


リシェルがじっとレインを見る。


レインは目を合わせようとしない。


「本当に」


リシェルが小さく息を吐く。


「分かっていないのですね」


「ああ」


「では」


一歩近づく。


「無茶に使わないでください」


「またそれ?」


「またです!」


少し声が強くなる。


「自分でも上限の分からない能力を」


「平然と使わないでください!」


「平然とは、、、」


「そう見えます!」


「そう?」


「そうです!」


レインが少し困ったように眉を下げる。


「でも」


少年を見る。


「使わなかったら」


一拍


「間に合わなかった」


リシェルの口が止まる。


「…………」


少年。


契約。


解析に三日。


解除ならさらに。


遅すぎる。


リシェルは言い返せない。


「……それは」


視線を落とす。


「そうですけれど」


少し間、そして顔を上げる。


「だからこそ」


真っ直ぐレインを見る。


「無事でいてください」


レインが少しだけ目を逸らす。


「努力する」


「約束してください」


「また?」


「またです」


一拍


レインが小さく息を吐く。


「分かった」


リシェルを見る。


「約束する」


リシェルの表情がようやく少し緩む。


その時。


「殿下!」


衛兵隊長が部屋へ入ってくる。


リシェルがすぐに表情を切り替える。


「状況は?」


「倉庫内の制圧」


「ほぼ完了しました」


「逃走者は?」


「二名」


「ですが」


「外周で確保」


「証拠品は?」


「帳簿」


「契約書」


「記録石」


「複数」


リシェルの目が鋭くなる。


「保全してください」


「誰にも触れさせないで」


「はい!」


「それと」


視線をベルガへ。


「この男も」


「正式に拘束」


「魔法契約に関する尋問を」


「はっ!」


衛兵がベルガの腕を取り直す。


その時。


ベルガが顔を上げる。


「無駄だ」


全員の視線が集まる。


リシェルが眉を寄せる。


「何が?」


ベルガの口元が歪む。


「ここを押さえても」


「何も変わらん」


レインの目が細くなる。


「《暴露庫》?」


ベルガの顔がほんの一瞬止まる。


リシェルが即座に反応する。


「知っているのですね?」


「…………」


「答えなさい」


ベルガは口を閉ざした。


レインが少し前へ出る。


「俺も一つ、聞きたいんだけど」


ベルガが警戒する。


「何だ」


「それ、どこにある?」


「知らん」


「本当に?」


「知らん!」


レインは何も言わず、しばらくベルガの顔を見つめた。


「…………」


やがて、小さくうなずく。


「……たぶん、本当に知らない」


リシェルが横から顔をのぞかせる。


「分かるのですか?」


「顔で」


「また勘ですか?」


「勘」


リシェルは呆れたように息をつく。


「勘だけで、そこまで分かるのですか……」


クロエが淡々とベルガを見る。


「当たっている可能性は高そうですが」


リシェルが驚いてレインを振り返る。


「あなたまで、ベルガの言葉を信じるのですか!?」


「本当に知らん!」


疑われ続けたベルガが、苛立ったように声を荒らげる。


それから少し迷い、観念したように口を開いた。


「……場所を知っているのは」


一拍置


「ガルドだけだ」



空気が変わる。


レインとリシェル


自然と目が合う。


「やっぱり」


レインが言う。


「本人まで行くしかないか」


リシェルも静かに頷く。


「ええ」


「ですが」


一拍


レインをじっと見る。


「今度は」


「一人では行かせません」


「…………」


レインが少しだけ嫌そうな顔をする。


「何です?」


「いや」


「面倒なの増えたなって」


リシェルの目が細くなる。


「今」


「わたくしのことを言いました?」


「さあ」


「レイン!」


「声でかい」


「もう気にしません!」


クロエが二人を見て。


小さくため息をつく。


「お二人とも」


「続きは」


「ここを片づけてからにしてください」


リシェルが少しだけ頬を膨らませる。


「……分かっています」


レインも肩をすくめる。


「はいはい」


「返事が軽いです!」


倉庫内。


衛兵たちの声。


拘束されていく男たち。


証拠を運ぶ足音。


少しだけ。


空気が戻る。


けれど。


三人とも分かっている。


まだ終わっていない。


ガルド本人。


そして《暴露庫》。


王都中の人間の弱みを。


人質にした仕組み。


それを止めなければならない。


レインは何気ない顔のまま。


身体の横へ右手を下ろす。


そして誰にも見えないように。


そっと握る。


ぎゅ……。


指先がほんのわずかに震えている。


レインは左手を重ねることもせず。


ただ震えが収まるのを待つ。


「…………」


その小さな異変にリシェルは気づいていない。


衛兵たちも。


少年も。


誰も見ていない。


ただ一人。


クロエだけが。


レインの右手へ視線を落とす。


目がわずかに細くなる。


けれど何も言わない。


レインが顔を上げるより先に。


クロエは静かに視線を外した。


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