第9話 届かない救い
朝になっても、町は静まり返っていた。
停電四日目。
水道も止まり、通信もほぼ途絶えている。
それでも太陽だけは、何事もなかったように昇っていた。
昨日までと変わらない青空。
変わってしまった世界。
その対比が、妙に腹立たしかった。
俺は二階の窓際にしゃがみ込み、カーテンをほんの数センチだけ開ける。
正面の住宅街。
人影はほとんどない。
昨日までは犬の散歩をする人や、通勤する車が絶えなかった道路も、今は静まり返っている。
電柱にはカラスが数羽止まり、何かを警戒するように辺りを見回していた。
その時だった。
ゴォォォ……。
遠くから、低く重いエンジン音が聞こえてきた。
バイクではない。
トラックとも違う。
ディーゼルエンジン特有の重厚な音。
「父さん!」
俺は小さく呼んだ。
父さんも二階へ上がってくる。
「どうした?」
「あれ……」
二人で耳を澄ませる。
エンジン音は徐々に近付いてくる。
住宅街の向こう。
県道の方向だ。
やがて建物の隙間から、緑色の車両が見えた。
「自衛隊……」
父さんが呟く。
迷彩塗装の大型トラック。
その後ろにも二台。
荷台には迷彩服を着た隊員たちが乗っていた。
小銃を抱え、周囲を警戒している。
その姿を見た瞬間、胸の奥に張りつめていた何かが少しだけ緩んだ。
助けが来た。
そう思った。
隣の家の二階からも人が顔を出す。
向かいの住宅でも、お年寄りがカーテンを少しだけ開けている。
みんな同じ気持ちなのだろう。
誰もが、自衛隊を見て安堵していた。
しかし――。
車列は止まらなかった。
一定速度を保ったまま、そのまま県道を走り抜けていく。
誰にも手を振らない。
物資も配らない。
救助もしない。
ただ、前だけを見て走っていく。
「行っちゃう……」
彩乃が小さく呟いた。
母さんも黙ったままだ。
父さんだけが静かに言う。
「止まれないんだろうな」
その言葉に、俺は窓の外を見つめた。
トラックの荷台には、水のコンテナらしきものが積まれている。
医療資材も見えた。
後方の車両には赤十字の腕章を付けた隊員もいる。
きっと向かう先がある。
もっと被害が大きい場所。
守らなければならない拠点。
病院。
浄水場。
発電所。
ここは、その優先順位には入っていない。
それだけの話だ。
理解はできる。
だが、割り切れるものではなかった。
⸻
昼前、ラジオから新しい放送が流れた。
『政府は全国規模で自衛隊による災害派遣を実施しています』
『主要幹線道路、病院、浄水施設、発電施設の防衛を優先しています』
『現在、各地で変異生物による被害が拡大しており――』
雑音が混じる。
それでも、以前より情報は増えていた。
『避難所への物資輸送を開始していますが、道路寸断および変異生物の襲撃により、大幅な遅延が発生しています』
父さんが腕を組む。
「やっぱり人手が足りないんだな」
母さんも頷く。
「全国同時だもの……」
日本中が同じ状況なら、自衛隊が数万人いても到底足りない。
その現実が、ようやく見えてきた。
⸻
午後。
自治会長が数人の住民を連れてやってきた。
もちろん玄関越しだ。
不用意に家へ上げるような状況ではない。
「今日、自衛隊の車列が通ったでしょう」
自治会長が言う。
「県庁方面へ向かう部隊だったそうです」
「この辺りには?」
父さんが尋ねる。
自治会長は首を横に振った。
「今のところ巡回予定はないそうです」
その一言で、場の空気が重くなる。
「だから私たちは、自分たちで夜を守るしかありません」
父さんは黙って頷いた。
⸻
その日の夕方。
俺は二階から県道を見ていた。
もう自衛隊の姿はない。
代わりに、黒い煙が遠くで上がっていた。
どこかで火災が起きている。
消防車のサイレンは聞こえない。
聞こえるのは、風の音だけだった。
左腕が微かに熱を帯びる。
俺は目を閉じる。
遠く。
微かな魔素の流れ。
複数。
獣。
そして――。
人間。
今までとは違う、妙な反応。
何かが変わり始めている。
俺はゆっくりと目を開いた。
この町だけではない。
日本中が、少しずつ新しい世界へ飲み込まれている。
そして、その変化は魔獣だけでは終わらない。
人間もまた、変わり始めていた。




