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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第三章 黒牙

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第20話 選んだ力



 廃工場の二階。


 窓ガラスの割れた事務所では、黒牙の幹部たちが地図を囲んでいた。


 テーブルの上には食料の在庫表。


 ガソリンの残量。


 仲間の負傷者。


 そして、街の地図。


 赤い印は日に日に増えている。


「総長。」


 若い構成員が口を開いた。


「変な噂を聞きました。」


「噂?」


「北側を縄張りにしてたチームの奴なんですが……。」


 男は少し言い淀む。


「魔犬に噛まれたらしいんです。」


 蓮司は黙って続きを促した。


「死んだと思われてたんですけど、生きて戻ってきて。」


「その後、車を一人でひっくり返したらしいです。」


「……は?」


「本人も力加減が分からなくなってるとか。」


 別の構成員も頷く。


「俺も聞きました。」


「あと、化け物の肉を食ったら強くなるって話も。」


 工場内が静まり返る。


 そんな馬鹿な話があるわけがない。


 誰もそう思っていた。


 だが、この五日間で常識は何度も覆されてきた。



 蓮司は工場の奥へ歩いていく。


 そこには巨大な黒い肉塊が横たわっていた。


 熊の化け物の前腕。


 三日前。


 仲間十人以上を失いながら、重機を使ってようやく切り落とした戦利品だった。


 あの日のことを思い出す。


 目の前で潰される仲間。


 逃げ惑う声。


 自分では誰一人守れなかった。


「……力が足りなかった。」


 その一言だけが胸に残っている。


 もう二度と、あんな思いはしたくない。


 そのためなら。


 人間でなくなってもいい。



「総長、本当にやるんですか?」


 幹部の一人が止める。


「何が起こるか分からないんですよ!」


「だから俺がやる。」


 蓮司は静かに答えた。


「もし死ぬなら俺一人で済む。」


「でも……!」


「お前らには手を出させねぇ。」


 誰も反論できなかった。


 蓮司は鉈で肉を切り分ける。


 分厚い筋肉を断ち切るたび、鉄臭い血が床へ滴る。


 炭火の上へ肉を置く。


 ジュウ……。


 脂が弾ける。


 妙に食欲を刺激する香りだった。


 蓮司は苦笑する。


「化け物なのに、美味そうだな。」


 そう呟くと、小さく切り分けた肉を口へ運んだ。


 硬い。


 だが噛むほどに濃厚な旨味が広がる。


「……。」


 何も起きない。


 そう思った次の瞬間。


 ドクン。


 心臓が大きく脈打った。


「ぐっ……!」


 全身を激痛が駆け巡る。


 骨が軋み、筋肉が裂けるような痛み。


 膝をつく蓮司。


 仲間が駆け寄ろうとする。


「来るな!」


 怒鳴った声は、獣の唸りのように低かった。



 その時。


 誰にも聞こえない声が、蓮司の頭の中へ直接響く。



《魔素適合を開始します》


適合率……18%


適合成功。



「何だ……!」


 頭が割れそうに痛い。


 視界が赤く染まる。



《スキルを獲得しました》


【身体能力向上・大】



 全身へ力が満ちていく。


 筋肉が熱を帯びる。


 呼吸が軽い。


 視界も、聴覚も、今までとは比べ物にならないほど鮮明だった。


 しかし。


 アナウンスは終わらない。



《精神系異常を確認》


【欲望増強】を付与しました。



 胸の奥から、得体の知れない衝動が込み上げる。


 もっと欲しい。


 もっと力が欲しい。


 もっと喰いたい。


 その衝動を必死に押さえ込む。


「ぐぁぁぁっ!」


 蓮司は床を拳で殴った。


 コンクリートがひび割れる。


 仲間たちが息を呑んだ。


 まだ終わらない。



《精神汚染を確認》


現在侵食率 3%



「侵食……?」


 意味が分からない。


 すると最後に、冷たい声が静かに告げた。



《警告》


精神汚染は能力使用に伴い進行します。


現在の精神状態は正常です。



 声はそこで途切れた。


 工場には静寂だけが残る。


 蓮司はゆっくりと立ち上がる。


 近くに落ちていた鉄パイプを握る。


 軽く力を入れただけで、分厚い鉄が飴のように曲がった。


「総長……。」


 誰も言葉を失う。


 力を手に入れた。


 だが蓮司だけは気付いていなかった。


 心の奥底で芽生えた小さな「もっと」という欲望が、もう二度と消えることはないということに。


 その頃――。


 藤堂家では朝倉恒一が高熱にうなされながらも、人としての理性を守ろうと必死に耐えていた。


 同じ魔素に触れながら、選んだ道は違う。


 二人の運命は、この日を境に静かに分かれ始めていた。

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