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『世界が大変だけど、念のため備えていたら家族と生き残れました ~通信障害から始まる終末サバイバル~』  作者: バックドロップ
第三章 黒牙

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第19話 黒牙



 「クソッ!」


 鉄パイプが勢いよく壁へ叩きつけられる。


 ガァン!!


 廃工場の中へ金属音が響いた。


 胸の奥に溜まった苛立ちが、どうしても収まらない。何もできない自分への怒りが、腕を通して鉄パイプにぶつけられていた。


「総長!」


「落ち着いてください!」


 若い男が慌てて駆け寄る。


 しかし、その男は振り返りもしない。


 身長は百八十センチを超え、鍛え上げられた身体。


 右腕には黒い龍の刺青。


 黒牙総長――神崎かんざき 蓮司れんじ


 この街では知らない者はいない暴走族のリーダーだった。


 ――落ち着けるわけがねぇだろ。


 頭では分かっている。怒鳴ったところで状況は変わらない。それでも、何もできない現実が、喉元まで込み上げてくる。



「今日も駄目でした。」


 仲間の一人が地図を広げる。


 地図には赤い印がいくつも付けられていた。


「国道十六号。」


「工業地帯。」


「川沿い。」


「全部あの化け物がいます。」


 蓮司は舌打ちした。


 ――逃げ場がねぇ。


「あの熊か。」


「はい。」


「今日も一台、トラックが潰されました。」


「自衛隊も近付けません。」


 蓮司は黙って煙草を取り出す。


 しかし火が点かない。


 ライターのガスは昨日で切れていた。


「……チッ。」


 煙草を握り潰し、そのまま床へ投げ捨てる。


 ――こんなもんで気を紛らわせるしかねぇ自分が、情けねぇ。



 五日前。


 世界が変わった。


 最初は誰も信じなかった。


 通信障害。


 停電。


 ネットもテレビも繋がらない。


 それでも、


『数日もすれば元に戻る。』


 そう思っていた。


 だが違った。


 街には異様に巨大な熊のような化け物が現れ、人が死に始めた。


 警察は消え、自衛隊も来ない。


 ならば。


 守るしかない。


 仲間を。


 自分たちの居場所を。


 ――誰も助けに来ねぇなら、俺がやるしかねぇ。


 そう思った瞬間から、逃げるという選択肢は消えていた。



 最初の三日間。


 蓮司はコンビニやドラッグストアを回り、食料を集めた。


 略奪ではない。


 店員がいない店の商品を運び出しただけだ。


 老人や子どもにも分け与えた。


「総長!」


「ありがとうございます!」


 そんな言葉を何度も掛けられた。


 自分でも悪くない気分だった。


 ――まだ、この街は終わってねぇって思えた。


 だが。


 四日目。


 積み込んでいた食料を、助けたはずの男たちに奪われた。


 仲間も二人殺された。


 女も一人連れ去られた。


 人間は変わった。


 いや。


 元からそうだったのかもしれない。


 ――俺が甘かっただけだ。


 あの時の光景が、頭から離れない。血の匂い、仲間の倒れる音、助けを求める声。


 守れなかった。


 その事実が、胸を締め付ける。



「もう助けねぇ。」


 蓮司が低く呟く。


「俺たちの物は俺たちの物だ。」


 仲間たちは何も言わない。


 それでも誰も離れなかった。


 蓮司は仲間を見捨てない。


 それだけは今も変わらないからだ。


 ――もう二度と、あんな思いはさせねぇ。


 その決意だけが、彼を立たせていた。



「総長。」


「何だ。」


「住宅街で新しく人が集まってる家があります。」


「何人だ。」


「八人くらい。」


「食料もかなり運び込んでました。」


 蓮司はゆっくり立ち上がる。


 ――また同じことになるかもしれねぇ。


 助ければ裏切られる。奪えば、自分も同じ側に落ちる。


 その狭間で、思考が軋む。


「……様子だけ見ろ。」


「まだ手は出すな。」


 それでも即断できなかったのは、まだ完全に捨てきれていない何かがあったからだ。


「はい。」


 仲間は頷き、バイクの鍵を握る。



 一人になった蓮司は、工場の奥へ歩いていく。


 そこには血痕が残っていた。


 そして。


 巨大な黒い肉の塊。


 熊の化け物の腕だった。


 三日前。


 仲間を守るため、蓮司はその熊と戦った。


 勝てる相手ではなかった。


 だが、重機を使って押し潰し、片腕だけはもぎ取った。


 その代償に、十人以上の仲間を失った。


 ――あいつらの顔が、まだ消えねぇ。


 笑っていた顔も、怒鳴っていた声も、全部。


 蓮司は震える手で、その肉を見つめる。


 恐怖が、遅れて込み上げてくる。


 あの化け物の圧倒的な力。自分が一歩間違えれば、同じように潰されていたという現実。


「……これを食えば。」


 仲間を守れる力が手に入る。


 そんな噂を聞いた。


 根拠などない。


 だが、この世界では常識など役に立たない。


 ――こんなもん食って、人間でいられるのか?


 喉が乾く。吐き気すら覚える。


 それでも。


 ――力がなきゃ、守れねぇ。


 あの時の無力感が、背中を押す。


 蓮司は静かにナイフを握った。


 この選択が、自分の人生を大きく変えるとも知らずに――。

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