第9話 領主会議の審判
三ヶ月ぶりの王都は、何も変わっていなかった——けれど、わたくしは変わった。
領主会議。年に一度、王国中の諸侯が集まる合議の場。温泉宿の事業報告のため、わたくしは事業主として出席していた。
大広間に並ぶ貴族たちの間を歩く。三年間、この場所で微笑み続けた。今日も微笑んでいる——けれど、あの頃とは違う。
今のわたくしの笑顔は、自分のためのものだ。
「リディア」
父上——ルートヴィヒが、広間の隅でこちらに頷いた。穏やかな目。心配していたのだろう。
「お父様。ご心配をおかけいたしました」
「いいや。立派にやっているようだな」
それだけ言って、父上は自分の席に向かった。多くは語らない。わたくしたちは、いつもそうだ。
◇ ◇ ◇
議事が始まった。
辺境の事業報告。わたくしは銀嶺の湯の事業概要を簡潔に述べた。温泉宿の開業。薬湯による傷病兵の治療実績。街道整備との連携。地域経済への波及効果。
報告を終えると、議長が次の議題を読み上げた。
「続きまして。グランツ公国より、銀嶺の湯に関する推薦状が提出されております」
推薦状。
壇上の書記官が読み上げを始めた。グランツ公国近衛将軍カイの名による公式推薦文。
『銀嶺の湯の薬湯は、我が軍の傷病兵の回復に顕著な効果を発揮した。その調合技術は学術的に見ても極めて高度であり、両国の友好関係に資するものである——』
淡々とした文面。公的な推薦として適切な、抑制された文体。
しかし——
『初めてこの湯に触れた時から、この事業が両国にとって不可欠なものになると確信していた。宿の主の見識と献身に、最大限の敬意を表する』
初めてこの湯に触れた時から。
公文書に書く言葉ではない。私情が、にじんでいる。
会場がざわめいた。わたくしは思わずカイの方を見た。
カイは会場の端に座っていた。グランツ公国の代表として。背筋をまっすぐ伸ばし、前を向いている。
目が合った。
一瞬だけ。
カイの目が——僅かに、揺れた。
わたくしは初めて、その目を真っ直ぐ見返した。
◇ ◇ ◇
次の議題で、空気が変わった。
「ヴェルデン王国第三王子アルベルト殿下の外交事案について」
広間がしんとなった。
書記官が淡々と報告を読み上げる。過去半年間の外交失策。隣国からの抗議文の累積。大使夫人の茶会中止。慈善晚餐会の不手際。
これらの証拠は、父上が半年かけて集めてくださったものだ。各国大使館への照会、慈善事業の共催者への聞き取り、そして外交報告書の比較分析。静かに、けれど確実に。
そして——婚約破棄に伴う違約金の未払い。
「ヴィンター侯爵家より、違約金に関する法的請求が正式に提出されております」
父上が席から立ち上がった。
「お手元の資料をご覧ください。婚約契約書第七条に基づく支度金の返還、および慰謝料として年収の三倍に相当する額。これは公的債務扱いとなります」
アルベルト殿下が前列に座っていた。
顔が青い。
書記官の報告は続く。殿下が自身の外交成果として提出していた報告書の数々。その大半が——リディア・フォン・ヴィンターの書簡と酷似していること。
「リディア嬢が宮廷を離れた直後から、外交報告書の質が急落したことは、記録が証明しております」
諸侯の目が、一斉にアルベルトに向いた。
冷たい目だった。
殿下は一言も反論しなかった。できなかったのだろう。反論する材料が、何もない。
国王陛下が立ち上がった。
「第三王子の処分については、追って沙汰する」
その一言で、議場が静まり返った。
——転封が確定的だと、誰もが悟った。
◇ ◇ ◇
会議の後。
長い廊下を歩いていると、背後から足音がした。
「リディア」
振り返ると、カイが立っていた。
「今日の報告は見事だった」
「……ありがとうございます」
「君は——」
カイが一瞬、言葉を探すように黙った。
「今日の君は、誰よりも堂々としていた」
低い声だった。穏やかで、力強くて。
(——この人は、いつもこうだ。大事なことを、少ない言葉で言う)
「カイ様。推薦文、拝見しました」
「ああ」
「公文書にしては、少し……私的な表現が多かったように思いますわ」
カイの耳が、ほんの僅かに赤くなった。
「……書き直すべきだったか」
「いいえ」
わたくしは微笑んだ。
「嬉しかったですわ」
カイが一瞬、目を見開いた。
それから——ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
この人の笑顔を見たのは、初めてだった。




