第9話 自業自得の幕引き
会議二日目の議場は、昨日とは空気が違っていた。
昨日は学術の空気だった。泉の原理。魔法省の鑑定。論理と数字の応酬。
今日は──裁きの空気だ。
百を超える椅子が埋まっている。両国の国王陛下と大公殿下が、議場の最奥に並んで座っている。諸侯の顔が固い。昨日のざわめきは消えて、議場には冷たい静けさが満ちていた。
わたくしは傍聴の席に座った。今日の主役はわたくしではない。
「第一議題。グリューネヴァルト辺境伯アルベルトと、ゲルハルト子爵の共謀に関する審議を開始いたします」
議長の声が、広間に響いた。
◇ ◇ ◇
最初に提示されたのは、昨日父上が提出した書簡だった。
書記官が読み上げる。
「──ゲルハルト子爵宛て。グリューネヴァルト辺境伯アルベルトの署名。『銀嶺の湯への物資供給路を遮断されたし。当方にて温泉資源の接収手続きを進める。成功の暁には、泉源周辺の利権を子爵に分配する』」
議場が、凍りついた。
読み上げはもう一通。
「──グリューネヴァルト辺境伯宛て。ゲルハルト子爵の署名。『ご指示の通り、街道の分岐にて荷馬車を迂回させております。また、禁術の噂については、殿下の側近の女性から送付された書簡を社交界に回覧しております。効果は上々かと存じます』」
殿下の側近の女性。
ナターシャのことだ。
議場のあちこちで、息を呑む音がした。
前列に座っている二人の男を、全員が見ている。
アルベルト殿下──辺境伯は、椅子の背に手をかけたまま動かなかった。顔が白い。昨日よりも白い。
ゲルハルト子爵は目を伏せていた。温厚な老貴族の面影は、もうない。
「続きまして、証人の出廷を求めます」
議長の声に、議場の扉が開いた。
入ってきたのは──クラウスだった。
几帳面な筆跡の、あの手紙の主。殿下の側近。痩せた中年の男は、軍服でも正装でもない、書記官の地味な外套を着て壇上に上がった。
宣誓台に手を置く。
「証人。氏名と所属を」
「クラウス・ヴェーバー。グリューネヴァルト辺境伯付き書記官──でした」
「でした」という過去形に、議場がざわめいた。
「宣誓のもと、証言を求めます」
クラウスが息を吸った。顔は青い。けれど、声は震えなかった。
「グリューネヴァルト辺境伯アルベルトは、銀嶺の湯の温泉資源を接収するため、ゲルハルト子爵と共謀し、物資供給路の妨害を指示されました。また、元侍女ナターシャ・エルストを通じて、宿の女将──リディア・フォン・ヴィンター様が禁術を使用しているという虚偽の噂を社交界に流布させました。さらに、禁術の噂を口実として、国王陛下に国益条項の発動を進言し、リディア様の婚姻申請の保留を画策されました」
議場が、静まり返った。
物資妨害。虚偽の噂。婚姻の妨害。──全てが一つの線で繋がった。
「証人。その証言を裏付ける根拠は」
「辺境伯の執務室で、わたくし自身が書簡の写しを作成しました。辺境伯の筆跡による原本は、先ほど読み上げられた通りです。また、ナターシャ・エルストが社交界に送付した書簡の控えも、わたくしが保管しておりました」
クラウスが議長に書類を差し出した。
「──これらが、その控えです」
議場に、紙が回された。諸侯が目を通す。大使が確認する。魔法省の鑑定士が筆跡を照合する。
全てが、辻褄が合っている。
「辺境伯。反論がおありでしたら」
議長がアルベルト殿下に向いた。
殿下が、立ち上がった。
白い顔。引き結んだ唇。──何か言おうとした。口が開いた。
閉じた。
もう一度、開いた。
「……あの書簡は」
声がかすれた。
「あの書簡は──僕の意図とは異なる解釈を──」
「書簡は辺境伯ご自身の筆跡であると、魔法省の鑑定士が確認しております」
議長の声は、感情を含まなかった。事実を述べただけだ。
殿下の口が、閉じた。
それきり、何も言わなかった。
椅子に座り直した殿下の横で、ゲルハルト子爵が深くうなだれていた。温厚な老貴族の仮面は完全に剥がれ落ちて、そこにはただ、小さく縮こまった老人がいるだけだった。
◇ ◇ ◇
ヴェルデン王国の国王陛下が、立ち上がった。
議場が静まる。
「審議の結果を踏まえ、処分を申し渡す」
陛下の声は穏やかだった。──穏やかだからこそ、重い。
「第三王子アルベルト。物資妨害の共謀、虚偽告発の教唆、国益条項の不正な利用。これらは王族の名を汚す行為であり、先の転封処分にもかかわらず反省の色が見られない」
議場に、誰も声を発しない。
「よって──グリューネヴァルト辺境伯の位を剥奪し、蟄居を命ずる」
蟄居。
爵位も領地も失い、指定された場所から出ることを禁じられる。事実上の、社会的な死だ。
「ゲルハルト子爵。物資妨害の実行、共謀への積極的関与。──爵位を剥奪する」
子爵──ゲルハルトが、がっくりと肩を落とした。
「ナターシャ・エルスト。虚偽の噂の流布、共謀への関与。──国外追放とする」
三つの処分が、淡々と読み上げられた。
わたくしは傍聴席に座ったまま、前を向いていた。
殿下を見なかった。ゲルハルトを見なかった。ナターシャの名前が読み上げられた時も、何も感じなかった。
怒りは、ない。
嘲りも、ない。
(──わたくしは、ただ母の研究を発表しただけ。事業を守ろうとしただけ。それだけのことだ)
加害者は、自分で墓穴を掘った。物資を止め、噂を流し、虚偽の告発をし、証拠の残る書簡を自分の筆跡で書いた。
わたくしは何もしていない。
それが──いちばん気持ちの良い結末だと、わたくしは知っていた。
◇ ◇ ◇
会議が閉じた後、廊下を歩いた。
長い廊下。高い窓から午後の光が差し込んでいる。一年半前、この王城の別の廊下を歩いた。あの時は一人だった。西日が差し込む回廊を、一人で。
「リディア」
背後から、声がした。
振り返った。
カイが立っていた。正装の軍服。銀の釦。──あの日、宿のテラスに正装で来た時と同じ姿。
「終わったな」
「ええ」
「……今日の君は」
カイが、言葉を切った。
この人はいつもこうだ。大事なことの前で、一度止まる。口を開いて、閉じて、それからもう一度──
「今日の君は、誰よりも──」
止まった。
また止まるのかと思った。推薦文の時のように、言いかけて飲み込むのかと。
けれど今日は、違った。
「──誰よりも、美しかった」
廊下に、声が響いた。
低くて、少しかすれていて。
美しかった。
壇上で論文を発表していた姿が。証拠と論理だけで、怒りも嘲りもなく、淡々と事実を述べた姿が。
──そう言っているのだと、わかった。
この人にとっての「美しい」は、顔や装いのことではない。
わたくしの仕事を。わたくしの意志を。わたくしの戦い方を。──美しいと言った。
目が、熱くなった。
泣かない。泣かないと決めている。──まだ、ここでは。
「……ありがとうございます」
声が少し、揺れた。四度目の同じ言葉。けれど今日は、それでいい。
カイが一歩、近づいた。
「それと──もう一つ」
「何ですか」
「両国の国王陛下から、婚姻の承認が下りた。──先ほど、レオンが受け取った」
息が止まった。
「泉が両国の共有資源であること。その管理者と公国の将軍の婚姻が両国の友好に資すること。──国益条項の適用外と判断された」
壁が、崩れた。
カイが壊すと言った壁。回り込むと言った壁。──壁は、わたくしの母の研究と、わたくし自身の発表で、崩れた。
「……そう、ですか」
声が出ない。出ているけれど、自分のものに聞こえない。
目の奥が、じわりと熱い。
泣かない。──まだ。
「帰りましょう、銀嶺に」
わたくしの口から、その言葉が出た。
カイが、頷いた。
廊下の窓から、午後の光が差し込んでいる。王城の長い回廊。一年半前、一人で歩いた道。
今日は、隣に人がいる。




