~外伝 恋する少年のクリスマス~
時は師走。
期末テストも終わり、早朝の手すりに霜がおりていることも珍しくない、そんな冬のはじまり。
都立南田磨校の屋上に、二つの影があった。
「急に呼び出して、いったい何の用だ?」
「お、お兄さん。あの……お願いがあるんですっ」
夕暮れを通りこし、黄昏に至ろうとしている空を気にしながら、三鳥栖志智は眼前に立つ、やたらと真剣な表情の少年を見た。
姓は日原院。名はティック。
なんでも時計が針を刻む『Tick』から取ったというその名前は、世間に名高いキラキラなんとかでもなければ、意味不明な当て字でもない。
(正真正銘のハーフだからな……)
きらきら輝く金髪と、左が青、右が黒のオッドアイは見るからに日本人からかけ離れた色合いである。
せいぜい、年齢に比してやたらと幼くみえる顔立ちくらいは、日本人らしいと言える要素かもしれない。
「お願い、ね」
「はいっ。
そのっ……あ、あの、ち、ちちち、千歳ちゃんにっ!
クリスマスプレゼントをあげたいんです!!」
「………………ほう」
「そ、それで、ですね━━って、ちょっと待ってください! まだ話の途中なんですけど!
なんで指をバキバキ鳴らしているんですか!?」
「ん? なんだ?
今の発言は殺してくれっていう意味じゃないのか?」
「どう解釈したら、そんなふうになるんですかっ!
わわわっ……と、とりあえず、その手っ……拳、なんとかしてくださいよっ!」
「ちっ」
大音響に怯えるハムスターのようにフェンスへしがみつくティックを見ると、志智はしぶしぶといった表情で、きつく握りしめた拳を開いた。
「言っておくが、この平手でもお前の口と鼻をおさえれば、窒息死させられるんだからな」
「ぶ、物騒ですね……」
「で、なんだ。千歳のやつにクリスマスプレゼント?
そういえば、そんな季節だよな。けど、どうして俺に話を持ってくるんだ?」
「それはえっと、あのう……そのう……や、やっぱりお義兄さんは千歳ちゃんの━━」
「ほーほーほー。そんなに死にたいか」
「あ! い、いえいえっ!」
志智がぐるぐると腕を回し始めると、ティックは慌てて首を振った。
「すいません、間違えました!
お兄さん! 千歳ちゃんのお兄さんですからっ! そ、そのっ、僕としては事前に許可をいただいた方がいいかなあと思っ……ちょ、ちょちょちょ!
やめてください何でもしますからひいいいいいー!!」
「なるほど、言いたいことはよくわかった」
そう言いながら、志智はティックの喉笛を締め上げる寸前だった両手をゆっくりと引っ込める。
「なかなか殊勝な心がけだ」
「あ、ありがとうございます」
「だが……だ。
一見そんなふうに見せかけて、お前が小癪にも外堀を埋めてるつもりなんじゃないかと、考えたりもするが」
「そ、そんなことないですよ、あは……あはははは……」
「……どうだか」
真夏のように汗をかいているティックを一瞥すると、志智は肩をすくめてみせる。
「まあ、別にいいんじゃないか。
お前がいかがわしい気持ちで千歳をどこかへ連れ出したりするならともかく、プレゼントの一つくらい、好きにしたらいいだろ」
「ほ、本当ですかっ!?」
「………………ああ、そうだ」
まるで結婚でも許してもらったように、目をきらきらと輝かせるティックから、仏頂面で顔をそむけながら、志智は思う。
(こいつが惚れてる相手が、どこかの知らない女なら、わだかまりもないんだけどな……)
どうして千歳なのだ。どうして自分の妹なのだ。
(しかも、一目惚れとか……な)
単にアメリカ帰りで、日本の女子高生に免疫がなかっただけではないだろうか。
今でも志智は、ティックが転校してきてから、数日くらい千歳が風邪で休んでいたなら、結果は変わっていたのではないかと思っている。
「あ、ありがとうございます!
うわ~、やったあ~! 僕、絶対ダメだって言われると思ってました!」
「いくら何でもそんなことを言うわけないだろう。
恋愛なんて……人の勝手だからな」
「そ、そうですよね!
もっ、もし僕と千歳ちゃんがっ……こ、恋人になったとしても……そうですよね!?」
「いや、それは許さん。
殺す」
「そ、そんなあ……」
期待をこめて訊ねた少年の問いかけを、とりつく島もなく粉砕しつつ。
(まさか……いや、そんなことがあるはずは……ないよ、な……)
志智の胸には、どうしても抑えきれないざわめきが生まれていたのだった。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
翌日のこと。
「━━というわけで、いちばん重要なお義兄さんの許可はもらうことができたんだ」
「なるほど、それは良かったですね」
都立南田磨校高等部の図書室。
期末テスト前は勉強にはげむ学生たちで賑わっていたこの場所も、すでに閑散として現代ではSレア属性の読書好きがぽつぽつと姿をみせる程度。
そんな図書室の一角で、日原院ティックは一人の眼鏡女子と向きあっていた。
「これで、第一関門はクリア、というわけね」
「うんっ。はあ~、本当にどうなるかと思ったよ~」
「……そうね。良かったわね、日原院くん」
とろけたような笑顔で頭をかいているティックを、その少女は眼光するどく見つめている。
きまじめさを象徴するような、太いフレームの眼鏡。飾り気のうすい三つ編み。それでいて、よく整った顔立ち。
その気になれば、男子生徒たちの注目をあつめるに十分な容貌をもちながら、彼女はあえて自分の存在を抑え込んでいるかのように、クラスの中で地味な一員を装っている。
「ところで、日原院くんが許可をもらった三鳥栖さんのお兄さんですけど……風の噂ではかっこいい人らしいですね」
「あ、うん。まあ、そうだね。
背も高いし、ちょっと憧れちゃうなあ……」
「天然総受け体質の日原院くんと背の高い美形先輩の絡み。これはいけるわ」
「えっ、何か言った? 琴呂さん?」
「いえ、なんでもないです」
少女は━━琴呂楓は。
ほんの一瞬だけ緩んだ目元をひきしめつつ、こぼれそうになったヨダレを咳払いのふりをしてぬぐい取る。
「それにしても、意外ですね。
日原院くんはあんなに女子から人気があるのに、恋の相談できる相手もいないなんて」
「そ、それは……その、だ、だって仕方ないじゃないかっ。彼女たちに……ち、千歳ちゃんのことを言って、何かあったらまずいし……」
「……まあ、女子の社会はそういうものだけど」
言い訳するように首を振るティック。うっすらと微笑みながら、楓はティックの困ったような表情を好ましく思う。
(それにしても、三鳥栖さんに好意を抱いてることを他の女子に知られて、何かあったら嫌だ、なんて)
陰湿な嫉妬から来るいじめでも想定しているのだろうか。高校生の男子というものは、そんなところまで気を回せるものだろうか。
(海外にいた頃、同じような状況でもあったのかしら……ね。さもなくば、親しい誰かから忠告されたとか)
楓の目からみて日原院ティックという男子は、あまり察しのいいタイプには見えないが、なかなか世渡りのいいタイプだな、とは思う。。
「まあ、とにかく。すこし整理しましょう。
日原院くんは三鳥栖さんが好き。もちろんお兄さんの方ではなく、私たちのクラスメイトで同級生の三鳥栖千歳さんが好き。
そして、千歳さんのお兄さんはとても厳格で、日原院くんを力尽くで押さえつけられるくらいの体格をしていて、しかも美形」
「う、うん。あんまり整理になってないような気がするけど、言ってることは間違ってないね」
「日原院くんは三鳥栖さんに愛を伝えるため、クリスマスプレゼントをあげたい」
「あ、愛を伝えるためだなんて……ひ、日頃の感謝だよ……」
顔を真っ赤にしてうつむくティック。くすりと口元だけを笑わせて、楓は言葉をつづけた。
「そのための許可はお兄さんからもらったけれど、果たして何をあげればいいのか?
ゆらめく乙女心。ときめく思春期の聖夜。少年は悩む! ああ、一生に一度しかないこの時……抱いてほしい! その力強い腕でっ!!」
「えーと、あの、琴呂さん?」
「━━失礼。ちょっと飛んでましたね」
ティックの言葉と、周囲から向けられた非難めいた視線に、楓はここが図書室であることを思い出す。
「ま、ポイントはこんなところですか。
そして日原院くんをいつも追いかけてる女子達に知られると、いろいろ面倒そうだから、中立に近い立場の私を相談相手に選んだというわけですね」
「そ、そうだね」
「私が思うに━━あなたが何をしたいか、だと思うわ」
「え?」
楓は手にしたボールペンの先をティックへ向けて、キツい視線で見つめる。
戸惑うように目を丸くする金髪の美少年を見ていると、妄想の中でどんな目に遭わせてやろうかと、胸が弾む。
「あなたは三鳥栖さんと恋人になりたい……そして、どんなことをしたいの?」
「ど、どっ、どどどっ、どんなことって……それはその……手、手をつないで帰ったりとか……」
「小学生かっ。その先よ、その先。
いろいろあるでしょう。コピー手伝ってほしいとか、誤字を探してほしいとか、キスしたいとか、匂いくんかしたいと、それ以上とか!」
「せ、清書って……?
よくわからないけど、それだったら、そうだなあ……僕、バイクに乗ってるんだよね」
「その話は聞いたわ。
三鳥栖さんのお兄さんとも、バイクが縁で知り合ったんじゃないかしら?」
「うん、そうだね」
うなずきながらティックは、目の前の知性あふれる少女に━━
「僕の姉さんが千歳ちゃんのお兄さんにぞっこんで僕は姉さんの紹介でお義兄さんにあったんだけどその時にはお兄さんの妹つまり千歳ちゃんに一目惚れで姉さんは僕が千歳ちゃんと付き合えば兄姉弟妹で包囲網が完成するとか何とか」
「ええ、そうね。
……その説明で状況を理解できる人はごく少数だと思うけど。
おたがい兄弟姉妹同士のカップリングって『こっち』ではポピュラーなシチュだから、私にはわかるわ」
「そうなんだ……なんだかわからないけど、琴呂さんはやっぱり凄いなあ」
「………………まあ、当然よ」
眼鏡をくいっ、とあげながら、楓はこの世界の善意を凝縮したような尊敬のまなざしを、絶望に曇らせたらさぞかし美味だろうと思った。
「で、バイクがどうしたの?」
「あ、うん。
えーっと、せっかくバイクに乗ってるし……そ、その、ありがちだけど、千歳ちゃんとタンデム。つまり二人乗りしたいなあ……って思うんだ」
「回された両腕……背中に感じる巨乳の感触……日原院くんはそんなものが素晴らしいと思うのっ!?」
「べ、べつにそんないかがわしいつもりじゃないよっ!!
つもりじゃないから……折れそうなほど、ボールペン握りしめるの止めてほしいんだけど」
「………………失礼。
すこし興奮しました」
興奮するようなことだろうかと、ティックはその時はじめて楓の言動に疑問をおぼえたが、きっと女子にしかわからない何かがあるのだろうと思った。
「ともあれ、これではっきりしたわね」
「えっ」
「あなたが三鳥栖さんと二人乗りしたいと言うなら━━プレゼントは『アレ』じゃないかしら?」
琴呂楓。16歳。
伊達眼鏡をはずして、三つ編みをほどけば、校内有数の美少女で通るはずの優等生。
(ふふふ……それにしても、今日はおいしいわ。
姉の彼氏━━長身の美形! このシチュは次回のネタに使いましょう……!)
彼女こそは、ティックをモデルにした金髪美少年が、幾人もの同性とドロドロ愛憎劇を繰り広げる小説を、ネットに投稿して好評を博している腐り女子であるが。
今のところ、その正体は校内の誰にもバレていない。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
それから数日後。夜の三鳥栖家。
「おにいちゃん、お鍋もういい?
残りは雑炊にしてあしたの朝ご飯にするね」
「ああ、そうだな」
あと数日で二学期も終わろうかという月曜日の夜は、志智にとっても千歳にとっても、平穏で貴重な時間だった。
「えへへ~」
「なんだよ、急に」
「私、月曜日とか火曜日とか好きだなあ。だって、おにいちゃんのアルバイトがないもん」
水炊きの残り汁に米を放り込んでフタをすると、千歳は志智の隣に椅子を動かして、肩をすりつけてきた。
「そりゃあ、俺だって夜遅くまでバイトしなくていいのは楽だけど、こういう日も働いていたら、もっと千歳を楽させてやれるのになって思うよ」
「もう、そんなに無理しちゃダメだよ。
おにいちゃんも私もまだ高校生なんだからね」
「まあ、そうだけど……さ」
━━肩越しに、千歳の髪の匂いをかいでいると、すこし頭がぼうっとする。
(ちょっと暖房強かったかな……?)
決して立派とは言えない、それどころかみるからに古くさい石油ファンヒーターを見つめながら、志智は思う。
「あっ、そういえばね」
「ん?」
「あのね、今日クラスで変なことがあったの。
琴呂さんっていう、すっごく頭のいい子がいるんだけどね、休み時間に髪をいじらせてって言ってきてね」
「ふぅん」
髪をいじる。その表現から、相手が男でないことを確認すると、志智は頬の筋肉から力を抜いた。
「でもねぇ……なんだか変だったんだ。
いいよーって言ったんだけど、何かするわけじゃなくて……メジャーで頭のサイズとか計られちゃった」
「俺にはわからないが、女の髪ってのは頭のサイズとかも関わってくるのか?」
「うーん……髪の長さはともかく、そういうこともないと思うんだけど……あっ、でも頭の形はみんな違うから、琴呂さん、そういうところまで気にしてたのかも。
やっぱり成績トップの人は違うなあ」
「……まあ、お前だって成績は悪くないんだからさ。
頭のサイズを計らせてやったかわりに、勉強でも教えてもらえばいいだろ」
「えへへ、そうだね」
肩と肩を接点に、志智と千歳はおたがいの体温を感じている。
兄は所在なげに前へ視線を向け。妹は甘えるような上目遣いで兄を見つめている。
(おにいちゃんの横顔、かっこいいなあ……)
時を止める魔法が使えたなら、命尽きるまで乱発してしまうだろうと、いまの千歳には思えた。
「そういえば、千歳」
「えっ、な、なに? おにいちゃん」
「明日ってクリスマスだよな……あれっ、明後日だっけか」
「えっと、明日がイヴだね」
「そうか。何か欲しいものとかあるか?」
「それって、クリスマスのプレゼントってこと?」
「まあ、そうだな。
今月はほとんど金使わなかったから、すこし手持ちがあるんだ。頑張って探せば、もうちょっといい暖房器具とか━━」
「時間」
志智の言葉をさえぎるように。
そして、離れていこうとする大切な人へすがりつくように、兄の袖をつかみながら、千歳は言った。
「おにいちゃんの、時間がほしいです」
「時間……?」
「あっ、その、えっと。
半日でいいから、私の言うこと何でも聞いてくれる時間とか……そういうの、ダメかな?」
「ダメもなにも、そんなことでいいのか、俺が申し訳ないくらいだよ」
「えへへ、やったぁ。
おにいちゃんの時間……本当はイヴがいいけど、終業式のあとでもいい?」
「クリスマスの当日だな。それでいいよ」
「うんっ!」
志智には、千歳がなぜこんなにも嬉しそうなのかわからない。
(でもまあ……喜んでるなら、それでいいや)
理由などいらない。事実があればそれでいい。
「損しないように、今からよく考えておけよ」
「もちろんだよ~」
満足げな志智に、千歳が改めて幸せそうな笑顔を見せたそのとき━━電話が鳴った。
「……誰だろ?」
「ちょっと待ってろ」
志智は固定電話代わりに使っている、070の受話器をとる。
「もし、三鳥栖ですが………………なんだ、お前か」
「………………」
聞き耳をたてる千歳には志智の「こんな時間に」とか、あるいは「どうしてもって言うなら」などといった言葉が届き。
「……わかった。今回だけだぞ」
そして、しぶしぶ何かに承諾して、電話が終わったことだけは分かった。
「千歳、お前に客だ」
「えっ」
「今、下まで来てるんだってさ……ティックのやつ」
「ティックくん?
なんだろ? クラスのプリントとか? でも、私、忘れ物とかしてないはずなんだけどなあ……」
「まあ……とりあえず会ってやれ」
「う、うん。ちょっとだけ行ってくるね」
部屋着にコートをはおり、サンダルを履いただけの格好で、千歳は玄関から出ていく。
三鳥栖志智は、その背中を苦虫をかみつぶしたような顔で見送りながら、こう呟いた。
「……10分経って戻ってこなかったら、邪魔しにいく」
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「ち、千歳ちゃん、こんばんはっ」
「こんばんは、ティックくん。わぷっ、風すごい……今夜も寒いね~」
「そ、そうだねっ!
えっと、あの。ごめんね、こんな時間に呼び出しちゃって」
「ううん。だいじょうぶだから」
アパートの階段をおりて、すぐ先にある街灯の下。
日原院ティックはニコニコと微笑む三鳥栖千歳の表情にみとれながら、やっぱり天使だなあとか、部屋着は縦セタなんだとか、素足にサンダルなんて新鮮だ触りたい、などと妄想を駆け巡らせていた。
「あ、あのねっ、千歳ちゃん。
明日って……クリスマス・イヴだよ、ね」
「そうだね。もう今年も終わっちゃうね~」
「そ、それでねっ!
あの……えっと、その……あ~……ぼ、僕っ、千歳ちゃんに……」
舌がもつれる。声帯が痺れる。
脳内の回路はオーバーヒートし、冷却水は汗となって頬から噴きだす。巨大なヒモの先に縛られて、ぐるぐると振りまわされているかのように、視界は円運動する。
適当な言葉でとりつくろって逃げ出してしまえば。
きっと楽になる。それを選んでしまえば簡単だと思う。
それでも━━日原院ティックはいちおう男だった。
「千歳ちゃんっ!!
ぼっ……ぼぼぼっ、僕からっ! クリスマスプレゼントがあるんです! 受け取ってくださいっ!!」
「………………プレゼント?」
「う、うんっ!!」
差し出された四角い箱には、クリスマスプレゼントとしては簡素なラッピングが施されていた。
「えっと……あの、ありがとうティックくん」
「よ、よかったら開けてみて」
「うん」
困っているわけでもなく、さりとて感動を浮かべるでもなく。
ただただ「そう来るとは思っていなかった」という、意外の感情を浮かべつつ、千歳はその箱を開けた。
「これって……」
「い、いろいろ考えたんだけど……その、琴呂さんにも協力してもらって……」
「うん、ヘルメット……そっかあ。それで私の頭のサイズ、計っていたんだね」
それは奇をてらったデザインが施されているわけではない。女子高生が一目見て、かわいいと声をあげる代物でもない。
しかし、経験を積んだモーターサイクルライダーならば、決して安くはないと即座に理解できる一流メーカーの、確かな防護能力を持ったジェットヘルメットだった。
「ありがとう、ティックくん。
ヘルメット……ね。私、すごく欲しかったかも」
「ほ、ほんとっ!?
良かった……そ、それでね。今日、僕もバイクで来てるんだけど……」
「ティックくん……」
時刻はまだクリスマス・イヴの数時間前。
初雪をすでに観測している東京とはいっても、都合よく聖夜にあわせて、冬型の気圧配置が崩れるわけもなく。
快晴の空には皓々と星がかがやき、放射冷却はいよいよ激しく。
行き交う車とトラックの音は無粋で。繁華街へいけば、忘年会帰りの酔客がいくらでも歩いている。
ロマンチックとは言いがたい夜。
(それでも……っ)
少年は一つの決意を固めてきたのだ。
「千歳ちゃんっ!!
もし、良かったらそのヘルメットをかぶって、ちょ、ちょっとだけ、ぼ、僕の……僕の━━」
「━━おにいちゃんの後ろに乗せてもらうとき、使わせてもらうね、このヘルメット!」
「僕のバイクの後ろに乗ってください!……って。
えっ……?」
そのとき日原院ティックは、どうか聞き間違いであってくれと願ったが、彼の聴覚はまったく健康健全そのものだった。
「プレゼント、大切にするね!
ティックくん、メリー・クリスマス! また明日ね~!」
「あっ……ち、千歳ちゃっ……!?
め、めりー、くりすます……ははっ……はははは……」
手を振りながら、ぱたぱたとサンダルの足音を立てて、階段をかけあがっていく千歳。
そんな彼女を見送りながら、少年は後ろ姿もいいなあとにやけることしかできない。
「………………行っちゃった」
「行っちゃった、じゃありませんわ。
このへたれっ」
「い、痛いっ!!」
後頭部を襲った衝撃に、ティックは悲鳴を上げながら振り返る。
「ね、姉さん……見てたの?」
「こんな時間に出ていくところを放っておけるわけありませんわ」
「そ、それはそうだけど……あ、吉脇まで……車でよく追いかけてこられたね……」
「どうせここに来るだろうと踏んでましたもの」
振り返ればそこには見慣れたハイエースと、運転席から会釈する執事の姿があった。
もちろん、不満げに腕組みしている姉の姿も。
「あはは……プレゼントは渡せたけど、これじゃあ50点くらいかな。ちょっと残念」
「まあ、そうですわね。
けれど、今日のところはこんなもので良いでしょう」
「あんまり怒らないんだね、姉さん」
「我が弟としてはあまりに不出来ですけれど、二年後までに射止めればよしとします」
「……二年後?」
「正確には一年と十一ヶ月、ですけれどね」
空を見るような角度で、アパートの渡り廊下をみあげる亞璃須の視線。
その先にある影に、ティックは最後まで気づかなかった。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
それから二日後。
二学期の終業式が行われた日の夕方。
「本当にちょっとだけだからな。
いいか、しっかり掴まって……足で俺の体を挟むようするんだ」
「うんっ、わかった」
志智の自宅近く。市道ですらない狭く荒れた生活道路の片隅で、今から発進しようとしているVT250スパーダの姿があった。
「よっ……と」
「わわっ。すご~い! 動いてる~!」
「そりゃバイクだからな」
メインシートでハンドルを握るのは志智。このモーターサイクルの主。
そして、タンデムシートにまたがるのは彼の妹。上下には明らかに丈のあまっている志智のウェアを着せられて、ヘルメットだけがぴかぴかの新品だった。
「ねえねえ、おにいちゃん。今、何キロ?」
「時速15km」
「そうなんだ。すごいね~。このまま一時間走ったら、15kmも遠くに行けちゃうんだね~」
「……まあ、そうだな」
ギアは1速。クラッチは半分ほどつないでいるだけ。
(しかし、何を頼まれるかとおもったら、少しでいいから後ろに乗せてほしいなんて……)
志智としては千歳をタンデムシートに乗せるのは、断固反対だったが、クリスマスプレゼントという名目をつけられては妥協するしかない。
「よ、と……」
子供がこぐ自転車にも抜かれてしまいそうな速度で、千歳を乗せた志智のスパーダは住宅街の隘路を抜けると、多磨川沿いの道路へ出た。
「わ~。ずっとまっすぐだね~」
「このまま走れば、南平あたりまではいけるな。
もっと先までいけば、羽田空港だ」
「そうなんだ。風が冷たいけど、なんだか気持ちいいね~」
「……そうだな」
かじかむ手も、全開にしたシールドから吹き付ける寒風も。
少し油断するとエンストしそうなエンジンも、おぼつかないバランスも、今の志智にとっては気にならなかった。
(楽しそうだな……千歳のやつ)
背中から、耳元から、妹の明るい声がひっきりなしに聞こえてくる。
それだけで、彼には十分だった。
「よし、一回だけ時速40kmまで出してやる」
「ほんとっ? わっ……すご~い! はやい~!!」
「本当はもっと速いんだけどな」
「えっ、な~に? おにいちゃん、聞こえない~!!」
志智は言葉を繰り返すことはしなかった。
ただ、満ち足りた微笑みを浮かべた。
「バイクって気持ちいいね~! 楽しいんだね~!
おにいちゃん、だ~いすき~!!」
ひどく慎ましいVツインのエキゾーストノートが、夕暮れの多磨川に消えていく。
年は終わり、冬は深まり、けれど彼らの毎日は続いていく。
やがて来る春へ向けて、しばしの安息にモーターサイクルライダーたちはまどろんでいる。




