~Episode of Autumn VII~
それからしばらく━━
11月も中旬を過ぎると、朝夕の冷え込みは厳しくなり、峠へ向かえば真冬の下界にも匹敵する気温がライダーを苦しめる。
ネットではどこの峠が今朝は凍結していたと━━あるいは、どの街道に塩カルが撒かれたと━━
北の人々は、ガレージにしまいこんだ愛機のバッテリー端子を外し、用品店は今が最後のチャンスだと、ウインターウェアとグリップヒーターの販売に余念がない。
「……誰だよ、こんな時間に」
そんな日曜日の夜。
自宅でのんびりとしていた三鳥栖志智が聞いたのは、無愛想な呼び出しベルの音だった。
「また新聞の勧誘かな」
「もう八時過ぎてるのに、変だね」
「俺が出るよ。勧誘だったら追い返してやる」
「あはは……あ、あんまりエキサイトしないでね、おにいちゃん」
拳を鳴らしながら玄関へ向かう志智を、エプロン姿の千歳が困ったような顔で見送る。
「はいはい。あのさぁ、勧誘なら━━」
「こんばんは、志智」
玄関のドアを開けた瞬間、志智の視界に飛び込んできたのは目の覚めるようなオッドアイと金色の髪の毛だった。
「………………」
「ち、ちょっと! なんで閉めるんですの!
開けなさ~い!!」
「……なあ、千歳」
「あれっ、おにいちゃんどうしたの? なにか外で騒いでるみたいだけど……」
「お前、最近……ウチの住所とか、誰かに聞かれたか?」
「ううん。別にそんなことないけど」
「そうか、分かった」
扉の向こうから響いてくるキックのような音は無視して、志智はコメカミを押さえた。
「志~~智~~!! 開けなさいったら~!」
「……勧誘なら間に合ってまーす……」
「チェーンの隙間だけ開けて、何言ってるんです!?
足突っ込みますわよ!?」
「ったく、いきなり来るからびっくりしたぞ……いったい何の用だ?」
ドアチェーンを外して、そっけない鉄製の扉を全開にすると、外の冷たい空気が一気に吹き込んでくる。
寒いな、と志智は感じたが、亞璃須の方は暖かいとは思わなかった。
それは三鳥栖家にある暖房器具が、お世辞にも強力とは言えない、年代物の石油ファンヒーターのみである事と無関係ではない。
「いえ、ちょっとそこまで来たので、寄ってみただけですわ」
「聞きたいことが二つほどある。
ちょっとそこまで来た割に、よそ行きの格好なのはどうしてだ。あと、ウチの住所どこで聞いた」
「鈍いですわねえ、志智。
クラスメイトの住所生年月日なんて、担任の持っている資料をすこしのぞき見すればいいことですわ。
それに、『ちょっとそこまで』といっても、別に志智の家が目的でないとは、一言もいってません」
「要するに、最初からウチに来るつもりだったわけだな……まったく」
ダッフルコートにやたらとボリュームのある手袋とブーツをつけ、妙なデザインのリュックを背負った亞璃須を半眼でながめつつ、志智はため息をついた。
「志智、あなたには二つの選択肢があります。
わたくしを家に上げてもてなすか、少し外に出て用事に付き合ってくれるか」
「このまま追いかえす選択肢もあるはずだが」
「あらあら。
志智は優しい心を持っていますから、妹さんの前でそんな鬼畜の所行には及ばないと信じていますわ」
「……ずいぶん遠回しな脅迫だな。
まあ……やらなきゃいけない事がたまってるわけでもないし、別にいいか。ちょっと待ってろ」
そう言いながら扉をしめた志智がふりむくと、柱の陰から千歳が様子をうかがっている。
「別に怪しい奴じゃなかったから、問題ないぞ」
「あ、うん。えっと亞璃須さん……だよね。
おにいちゃん、わたしがいたらお邪魔かな? すこし出ていよっか?」
「そんなわけないだろ。少し出てくるのは俺の方だ」
「えっ、亞璃須さんとわたしの二人っきり?
あ、うう~……確かに亞璃須さんとはおにいちゃんのことで、そのうちしっかりお話しないとって思っていたけど、今日、急にっていうのは心の準備が……」
「お前まで何を言ってるんだ……」
神妙な表情で、しかしなぜか顔を赤らめながら声を震わせる千歳に、志智はぐったり肩を落とす。
「亞璃須とそこら辺を歩いてくるよ。
昼間洗濯してた俺のジャンパー、もう乾いてるか?」
「あっ、うん。あったかいところに掛けておいたから、たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、すこし出てくる」
飾り気のないソリッドカラーのジャンパーを一枚着込むと、志智は玄関の扉を開ける。
渡り廊下には、仏頂面の亞璃須が立っていた。
「待たせたな」
「そうですわね。
玄関の中に入れておいてくれるくらいの、心遣いはほしかったところですわ」
「ウチの玄関は本当に狭いんだよ……立ってるだけでいっぱいいっぱいだぞ」
「面積ではなく、誠意の問題です」
「はいはい、わかったわかった」
「む~」
真面目に取り合う様子のない志智が階段をおりはじめると、亞璃須は不満げにうなりながらついてくる。
足が一歩前へ出るたび、安物のスニーカーはぺしぺしと情けない音を立て、亞璃須のブーツはコツコツと小気味のよいビートを刻む。
「いて」
「……階段の天井に頭をぶつける人、はじめて見ましたわ」
「見ての通り、古い建物だからな。
何もかもいろいろしょぼいんだよ。天井は低いし、エレベーターもないしさ……」
一階までおりると、集合式の郵便受けには、大量の広告や請求書が詰まり放題だった。
唯一、『三鳥栖』の部分だけはぽっかりと空洞があき、ダイヤル式の錠まで付いている。
「……あまり隣人には恵まれていないようですわねえ……」
「まあ、こういうところに住んでる人間なんて、そんなもんだろ。
借金抱えてたり……職がなかったり……寝たきりだったり、さ。
ウチも似たようなもんかもな」
「………………」
無言のまま、二人は外に出て。
無言のまま、志智はいずこへともなく足を向け。
そして、無言のままで亞璃須がついていく。
二人の足が止まったのは、小さな公園だった。
「あたたかい飲み物でも買うか。亞璃須、何がいい?」
「志智の飲みかけがいいです」
「………………。
お前な━━」
「志智の飲みかけがいいです」
「………………」
日原院亞璃須の青と黒の瞳が、どこか頑なに少年を見つめている。
(なんなんだよ……今日のこいつは)
三鳥栖志智は返す言葉を思いつかないまま、自販機へコインをいれると、コーヒー缶のボタンを押す。
「あっ」
「……どうしました?」
「しまった。冷たいの買っちまった」
「別に構いませんわ」
「いや、お前が構わなくてもだな……」
志智の言葉を無視するように歩み寄った亞璃須は、自販機から冷たいコーヒー缶を取り出した。
カシュ、という音がして缶が開く。差し出されたコーヒー缶を志智は軽く一口、飲み干した。
「ははは、ブラックはやっぱり苦いな。こう冷たいとなおさらだ」
「そうですわね」
「っ、おい……」
亞璃須の手が伸びて、志智からコーヒー缶を受け取る。
否、受け取ったという表現は正確でない。
少女は奪い取るように、そして少年は抵抗するように指を絡め合う。
しばしの後、外気温よりは暖かく、しかし心臓の熱に比べれば冷たすぎるコーヒー缶は、恋する少女の手に握られていた。
「……んっ、く……」
「………………」
「ぷ、は」
アルミニウムとキスする亞璃須の唇を、志智は魅入られたように見つめている。微かにうごめく喉元がやたらと魅惑的に思えてくる。
「えへへ~」
「なにをニヤニヤしてるんだよ」
「志智と間接キスですわ」
「……ばか」
とろとろに溶けたような笑顔の亞璃須から、今度は志智がコーヒー缶を奪い取った。
街灯の光が妙にまぶしく感じた。
乳白色の光に照らされた亞璃須の背中に、天使の羽根が存在しているような錯覚が押し寄せる。
「……んく」
志智はコーヒー缶を空になるまで飲み干すと、やや離れた場所にあるゴミ箱へ放り投げる。
判定はストライクだった。かくして180mlのコーヒー缶は、あるべき場所へおさまる。
「それで?
こんな茶番のために俺を呼び出したわけですか、お姫様?」
「茶番、とはずいぶんな言いぐさですわね。本題はこれからです。
なんと、わたくしから志智にプレゼントがあります」
「プレゼント……?」
「ええ、そうですわ。
志智、あなた今月の頭が誕生日だったでしょう」
「はあ……?」
亞璃須の言葉は志智にとって、まったくの予想外であり、そして意味不明なものだった。
確かに自分の誕生日は11月の2日である。
けれど、それがどうしたというのだろう。誕生日を大喜びする年ではない。
何より、既に半月以上も過去の話ではないか。
「まったく……教えてくれれば、ちゃんとお祝いしましたのに」
「いやまあ、何のことだか分からないが……ああ、そうか。ひょっとして大型免許を取れとか、そういう話か?
だけどな、免許を取るのにも金がかかるしなあ」
「本当にバイクのことばかり考えてますのね。
プレゼントがあると言ったでしょう。
かなり遅れてしまいましたけど、わたくしからの誕生祝いですわ」
「誕生祝い……?
プレゼントって━━えっ。ちょっと待ってくれ」
その時になって、志智の脳内では初めて誕生日という単語と、プレゼントという単語が、意味を持って結びついた。
「まさかお前……それを渡すために、わざわざ来たのか!?」
「何をそんなに驚いているのか分かりませんけれど……誕生日プレゼントを渡す行為は、特別なものでしょう?」
「い、いや、だけど……プレゼント、ってそんなもの俺は……」
「さ、受け取ってくださいな。わたくしの手編みですわよ?」
「………………」
ドヤ顔で胸を張る亞璃須から、毛糸のマフラーを受け取ると、志智は硬直したように佇む。
(ああ、そうか……)
これは誕生日の祝いなのだ。自分に宛てたものなのだ。
(だけど、プレゼントなんて……俺がもらっていいのかな……)
どうせ贈るなら自分より妹に━━あるいは、もっと生活に役立つ何かを━━
(プレゼントなんて俺がもらっても……でも、誕生日って、そういうものだっけ……考えてみたら、俺が何かもらっても……いいのか……いいんだよな……)
脳裏をよぎったのは遠い日の記憶。
両親と過ごした10年近く前の誕生日の光景だった。
あの頃は父がいて、母がいて、千歳はまだ幼くて。
(何買ってもらったんだっけ……はは、確かゲームだったな。あれは嬉しかったな……)
「……あ」
次の瞬間、三鳥栖志智が我にかえったのは。
不意に吹き付けた風が、頬のあたりで特に冷たく感じたからだった。
「……志智? 泣いてますの?」
「泣いてる……だって?
ん、なんだこれ……なんで俺の頬が濡れてるんだ? 道理で冷たいはずだな……」
「………………まあ。
わたくしからのプレゼントが、泣くほど嬉しかったのならいいのですけれど。
きっとそうではありませんわよね。あなたが今、思い出したもの、今度聞かせてほしいですわね」
「……ああ、いや。まあ、そうだな。
うん……気が向いたら話すよ」
戸惑うように言いつくろいながら、志智は手元にあるマフラーへ目を落とした。
シンプルな形のマフラーだった。手編みというのは本当らしく、いくつか明らかに編み込みを失敗した箇所がある。
「それにしても短いな、これ……マフラーってもう少し、長いもんじゃないか?」
「バイクに乗ってるときにほどけて、どこへ絡んだら大変ですわ」
「ああ、なるほどな。
確かに、バイクに乗るとき首に巻くなら、このくらいの方がいいかもな」
やや厚手のマフラーを首へまいてみると、まるで上等なネックウォーマーのように、しっくりとフィットする。
「うん、なかなかいい……いいよ、これ。
ありがとうな、亞璃須」
「ふふふ、どういたしまして。
志智の首の太さをわたくしの両手が覚えていて、よかったですわ」
「言われてみれば、お前には何回か締められていたな。
しかし、こんないいものをもらったらお返ししないとな。お前の誕生日って……確か早かったよな」
「4月3日ですわ」
「そうそう。それであれだ。
18になった途端に大型免許とったって話だよな」
苦笑しながら、志智は春のことを思い出していた。
(そう。あの時はまだ二年生で……俺は、バイクに乗って何ヶ月も経っていなくて……何もかもめちゃくちゃで……最悪で……)
━━あれからまだ一年も経っていないのか、と。
戦慄にも近いものを覚えながら、志智は自分の歩んできた時の短さを思い知る。
「志智?」
「い、いや、何でもない。
だけど、来年4月ってのはずいぶん先だよな。もう卒業じゃないか」
「ええ、そうですわねえ。ですので、わたくしとしてはプレゼントの前借りがしたいですわ」
「……こっちは先にもらった立場だから、別にそれは構わないけど、値段次第だぞ。
何かほしいものでもあるのかよ」
「費用はかかりませんわ。
ただ、ちょっと志智がやる気を出してくれればいいだけです」
そう言いながら、亞璃須は志智の前に立つと、僅かにみあげる角度で目を閉じた。
「なっ━━」
狼狽して後ずさろうとする志智を。
逃がさない、とでも言うように、亞璃須の右手が伸びて、ジャンパーの裾をつかむ。
「お、おまっ、こんなところで……誰か見てるかもしれないだろ」
「別にわたくしは見られても構いませんけれど」
「……俺が困る」
「じゃあ、人に見られない場所だったら、よろしいですのね?」
ゆっくりと目を開けた亞璃須は、仕掛けにはまった獲物を確認するように、にんまりと笑った。。
観念したように少年がうなずくと、少女はその手をひいて、照明の届かない木の陰に移動する。
服と服が擦れ合う音がして、吐息の音がかすかに漏れた。
そして数分の時が過ぎると、頬をツヤツヤさせた亞璃須と、口元についた液体をぬぐいながらぐったりと肩を落とした志智が現れた。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「おやっさん……人生ってなんだろうな……」
「ど、どうした志智!?
恐ろしいほど魂抜けてるぜ、今日は……ヨ?」
「いや、ちょっといろいろ考えちゃってさ」
翌週の土曜日。
まもなく月も変わろうかという大多磨周遊道路は、紅葉めあての四輪に、シーズン最後のツーリングを満喫しようとする二輪が加わり、年に何回あるだろうかという賑わいを見せていた。
気温はかなり低いものの、それでも間近に迫った冬を考えれば、最後のベストコンディションと言える一日である。
「まあ、こういう時期はいろいろ物思いに耽るかもしれないけど……ヨ。
まだ若いんだから気楽にいったらどうなんだヨ?」
「そうかもしれないけどさ……はあ」
「こ、こいつは重症だな、おい……ヨ」
「俺は健康だよ……」
「うおお……まずいぜ……ますいぜ、志智……ヨ」
生返事の志智に、ZRXの『おやっさん』が頭を抱えていると、一台のハイエースが川野駐車場へ入ってくる。
「志・智」
「あ、亞璃須か」
今日は走るつもりがないのか、いつものゴシックロリータ姿の上から、ふかふかのロングコートを羽織った亞璃須が、ハイエースから降りてくる。
「き、今日はいい天気……だな」
「ええ、そうですわね」
どこか落ち着かない視線を返す志智にたいして、亞璃須は得意満面。なにか決定的な大勝利をした直後のような笑顔をうかべていた。
「ティックから聞きましたけど、登りで負けたとか」
「……さっき『おやっさん』のZRXにな。別にいいだろ。お互い本気じゃなかったし」
「まあ、志智らしくもないセリフですわね。
少しふわふわしすぎなのではなくて?」
「……いったい誰のせいだよ。
気にしなくても大丈夫だぞ。出来の悪いサスみたいなもんだ。いい加減ぐらぐらもおさまってきたところさ」
「それならいいですけれど。
気を抜くだけなら構いませんが、転倒でもされたらわたくしも寝覚めが悪いですもの」
「それじゃあ、ちょっとそこで立ちゴケでもしてくるか。スパーダは傷つけたくないから、お前のXR650Rで」
「まあ、乗りたいなら止めませんけど……大型免許、ありませんわよね?」
「……あの頃のお前もそうだったろ」
「さて、何のことかしら」
平然と視線をそらしてみせる亞璃須を睨みつけながら、志智は道路交通法の時効はいつだろうかと、考えてしまう。
そんなとき━━
「……あ」
不意に耳へ届いた四気筒のエンジン音は、『大人区間』を周回するスーパースポーツのサウンドでも、定期的に川野駐車場へやってくる焼き芋売りのトラックでもない。
わずかに色あせた、しかし未だ鮮やかなフルカウル。
サイレンサーは通常モーターサイクルとはことなり左側へ、チェーンと一緒にまとめられ、そのシートは時代を反映するかのように、比較的低い。
「最後の……レーサーレプリカ……」
「ん……おお、君はあの時の」
三鳥栖志智の前に現れたのは、確かに奥原一征の乗るRVFであった。




