~Episode of Summer III~
それからしばらく日は流れて、七月末の月曜日━━
(あまり寝られなかったな……)
三鳥栖志智が浅い眠りから目覚めたとき、時計の針は90度をさしていた。
深夜バイク便のアルバイトがある日ならば、これからやっと家へ帰ろうかという時間である。
(本当だったら今日も働いてておかしくなかったんだけどな)
未成年の志智にとっては遠い世界の出来事である国政選挙が、メディアの予想した通りの結果に終わってから数日後。
バイク便業者『テラ・ロジスティクス』の社長である藍田頼子から、志智が告げられたのは月末までのお前の仕事はないという一言だった。
曰く、働きたくても働かせない。その分は給料に割り増すと。選挙期間中に頑張った見返りだというのだ。
もっとも、頼子はその他にも自分の応援していた勢力が、もくろみ通りに大勝した祝儀だとも言っていたが。
(なんでそれがお金につながるんだ……?)
やはりこの論理も志智の年齢では、理解に遠いものだった。
「ったく、中途半端に夜型のままだな」
結果として、志智は突然の暇を言い渡されたも同然である。
おまけに大多磨周遊道路へいこうとすると、夕立に阻まれたり、あまりの猛暑に頭痛がしてきたりと、先日、芦田・橋本の二人と走って以来、ふしぎと縁がない。
「なんか……俺、うまく回ってないよな……」
「あ~……う~……あ、おにいちゃんだぁ~……」
「なんだ、千歳。起こしたか?」
どこか霞がかかったような気分のままシャワー浴びたあと、リビングとはとても呼べない手狭な共有空間へ戻った志智が目にしたのは、だぶだぶのワイシャツ姿で目をこすっている妹だった。
「うん……あのね~、今日ってキャンプ……いくんだよね」
「ああそうだな」
「ん~……おにいちゃんが明日までいなくなる~」
「こらこら」
半分どころか七割くらいは寝ぼけていると思われる足取りで、志智に抱きついてくる千歳。
女子高生としては、かなり背が高いといってよいだろう彼女だったが、184センチもある志智の腕に包まれていると、ごく一部以外は平均的な少女に見える。
「お風呂あがりあったかい……ほかほか~……おにいちゃんエキスの補充する~……」
「……なんだよ、それは」
ぐりぐりと顔を押しつけてくる千歳の頭を撫でながら、志智はため息をつく。
「う~……」
「ほらまだ朝早いんだから、寝てろ」
「おいにちゃん、はやく帰ってきてね……帰ってこないとわたし、死ぬから~……死んじゃうからあ~」
「わかったわかった」
千歳を抱き上げると、志智は右足で小突くようにして薄っぺらなドアを開ける。
(そういえば、こいつの部屋に入るのは久しぶりだな……)
暗くておぼつかない足下に注意しながら、ベッドへ妹の体を横たえると、タオルケットをかけて、軽く前髪を撫でた。
「鍵ちゃんとかけるんだぞ。チェーンもな」
「う~……おにいちゃぁん……」
「やれやれ」
足音を忍ばせながら自室に戻る。大きな物音を立てると、また千歳が起き出しそうだ。
「昨日のうちに荷造りしておいて良かったな」
ため息をつきながら、肩にかかったバスタオルを放りなげ、洗ったばかりのライディングウェアへ袖を通す。
「……じゃあ、さ。
少しだけ留守にするよ。そのあいだ、千歳のことよろしく」
仏壇の両親へ手を合わせ、渡り廊下へ出ると、早くも空が明るくなりはじめていた。
「さて、と」
きゅるきゅるという音が連続する。後ろ髪を引く何かがいるように、スパーダのセルが愚図っている。
なかなか火のつかないエンジン。
苦笑しながら、軽くスロットルを捻り気味にしてスタータースイッチをふたたび押すと、黎明の住宅街にVツインのエキゾーストノートが一瞬吠えて━━そして霧消する。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「よう」
「来ましたわね、志智」
「あ、おはようございます、お兄さん!」
時折、トラックが行きかう程度の国道16号をひた走り、待ち合わせ場所の道の駅・八王子滝山へ到着すると、そこにはリアシートへ荷物を満載した亞璃須とティックの姿だけでなく、吉脇のハイエースも認められた。
「あれっ、ひょっとして吉脇さんも来るの?」
「いえ、私は留守番ですが、なにぶん朝早いものですから……少しでもお嬢様たちに楽をして頂こうと、ここまで参りました」
「なるほどね」
つまり、自宅から道の駅までXR650Rとグロムを積載してきたというわけだ。
少なくとも常識的な生活を送っているかぎり、朝四時半集合というタイムスケジュールはかなり厳しいに違いない。
「ところで」
「どうしました、志智?」
「いや、お前のXRだけどさ。
なんか変わってないか? こんなにコンパクトだったか?」
「………………」
志智の言葉に日原院亞璃須は一瞬だけ、呆気にとられたように目を丸くした。
だが、次の刹那には苦虫をかみつぶしたようになって顔で呟く。
「……わたくしが前髪を切っても気づかないくせに、バイクの変化にはすぐ気づきますのね」
「はあ?」
「ああっ……あの、えっと、お兄さん。
姉さんのXRは今回、特別に足つき良くしてあるんです。それでコンパクトに見えるんですよ」
「ああ、そうなのか。それで……おっ、シートが低くなってるんだな」
「フォークの突き出しに、サスペンションリンク……シートもあんこを抜いてあります。
もともと17インチホイールにしただけで、原形よりずいぶんディメンションは変わっていますが……今回は特にスポーツライドもいたしませんし、思い切ったローダウンが出来ました。
まあ、現在のシート高は840mmといったところでしょうか」
「………………あー俺にはよく分からないけど。
亞璃須、要するに足つきがいいんだろ?」
「ええ、そういうことですわ。
そうですものね、志智には説明してもそのくらいしか分からないでしょうね」
「……いやまあ、実際わからないけどさ。何が不満なのか知らないけど、怒るなよ」
「べ・つ・に。あなたらしいと言えばあなたらしいですから」
ぶすっと頬をふくれさせながら、亞璃須はようやく顔を出し始めた朝日の方向をむく。
朝の光に照らされるその姿は地味である。
亞璃須はカーキ色のパンツに、白基調のジャケット。ティックもジャケットが色違いなだけで、同じメーカーのパンツを履いてるようだ。
明らかな血縁関係をしめす金髪とオッドアイがなければ、姉弟ならんでいるとペアルックと勘違いされそうだった。
(まあ俺だって、かっこがつかないのは似たようなもんだけど)
膝カップ入りのジーンズに、ソリッドブラックのメッシュジャケットをまとっているだけの志智も人のことは言えない。
どうにも、ツーリングの快適性・安全性とファッション性の両立は不可能らしい。
「ふっ」
「何を笑っているんですの?」
「いや、いつものツナギだったらいろいろ映えるのにな、って思ってさ。
でもキャンプや観光に革ツナギじゃさすがに……だよな」
「あら」
志智は特に意識してその言葉を口にしたわけではなかったが、亞璃須はなぜか急に機嫌を直したように目を笑わせた。
「そうですわねえ。
でも、志智。ライダーの外見は、バイクへまたがった時に評価するべきだと思いませんか?」
「ああ、違いないな。
着ている服の色が地味でも、バイクと組み合わせるとばっちりはまっていたりするもんな」
「お言葉ですが、志智様。
バイクブームの頃はレーシングスーツで泊りがけのツーリングに出かけるような、かぶき者も目にしたものです」
「……そりゃすごいね」
「あはは、今でも漫画の中にはいますよね。ツナギでツーリングする女の子」
「ま、とにかく出発しましょう。
通勤車両が出てくる前に、都内は抜けたいところですから」
「この時間ならさすがに大丈夫だと思うけどな」
三人はそれぞれにヘルメットをかぶり、グローブを装着する。
リアシートの荷物を大足でまたぎながら、スパーダのシートへおさまる志智。
『蹴り』を繰り出さぬように、おそるおそるグロムのシート上へ足を通すティック。
亞璃須はというと、サイドスタンドを出したままのXR650Rへ、ステップからよじのぼるように乗車する。
キックペダルを踏むと、かちんという金属音がした。そこからペダルは動かない。
が、それは予定の動作だったらしい。亞璃須は手慣れた様子でクラッチレバーのすぐ近くにある小さなレバーを引くと、キックペダルをほんの少しだけ踏みおろした。
「デコンプ、って言うんだっけか。あれ」
「はい。お兄さん、よく知ってますね」
「……前にも一回見たからな」
次に亞璃須はサイドスタンドを出したまま、ステップの上で立ち上がる。
右足をキックペダルへ。
力を込めたようには見えない。左足をゆっくりと屈伸させる。乏しい全体重を右足に伝えつつ、重力の方向へキックペダルを『落としていく』。
次の瞬間、ドドドドという始動音がしてXR650Rの水冷エンジンが目を覚ました。
「へー、お見事。うまいもんだな」
「どうも。ですけど、志智くらい力があれば、適当に蹴ってもかかると思いますわ」
口調こそ淡々としているものの、ヘルメットの中で笑う亞璃須の瞳は、果てしなく自慢げだった。
「キックスタートっていいよな。見ててかっこいいよ」
「そうですね、僕も好きです。失敗するとちょっと情けないですけど」
「なんだティックもやったことあるのか」
「オフロードコースで使うレーサーは、みんなキックスタートなんです。最近はセルがついてるモデルもありますけど」
「そうか。俺だけキックしたことないんだな……スパーダにもキックつかないかな……」
「VTにキックをつけたいなんて言うのは、世界中探しても志智だけだと思いますわ」
呆れた声にあわせて、セルの音が二つ。
スパーダとグロムのエンジンが始動。全部で四つのシリンダーが、熱帯夜の余韻さめやらぬ酸素の薄い空気を吸い込みはじめる。
「じゃ……行くか」
「いきましょうか」
「はいっ!」
手を振る吉脇に見送られて三人が走りだしたそのとき、時刻はまだ五時前だった。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
(秩父から回るルートもあるみたいけど……今日は大多磨経由なんだよな)
先頭を走るグロムが高速に乗れないことを考慮したわけではないが、地図だけで見るなら、八王子から長野県戸隠までの一般道オンリーの道のりは実に遠い。
まずは新滝山街道を進む。圏央道あきるのインターチェンジを右手に眺めながら、普段は左折する睦橋通りの交差点を、今日は直進する。
日中はとにかく流れが悪いこの道路も、早朝とあって車の姿はまばらだった。吉野街道へ入り、梅郷の前を通過。
コンビニエンスストアに面したT字路では、国道411号線と再合流する。
「朝ご飯は食べてきましたわね、志智?」
「ああ」
五分ほどの小休止。さらに進むと、すぐに小河内湖が見えてくる。
午前八時にゲートオープンの大多磨周遊道路へ乗り込むには、まだ早い。
それでも明らかに『走る』ために来たと思われるスーパースポーツを湖畔に面した大麦代駐車場に見つける。よほどの早起きなのだろうか。
地図上では、小河内湖の北湖畔にあたる位置を走るのが国道411号線であり、大多磨周遊道路は南側になる。
西進。県境を抜け、山梨県に入ると一気に風景は緑深い━━別の見方をすれば、寂れたものになる。
点在する集落のあいだを糸が縫いとおすように、曲がりくねった411号線をひた走る。三人とも十分すぎる技量を備えているだけあって、荷物を満載していてもペースは速いままだ。
上り坂ではしばしばティックのグロムが失速するものの、それでも公道走行にはまったく問題ない程度のトルクを備えているのが125ccという排気量である。
何台かの先行車を抜き去り、丹波山の集落をスルー。
小河内湖の源流にあたる川が深い谷底へ見えなくなったかと思うと、真新しいトンネルが連続して現れる。
(横に行く道が……あれか。おいらん淵ってやつか)
脅かし半分にZRX1200の『おやっさん』が語ってくれた怪談を思い出す。もっとも、現在ではトンネルの開通にともなって、旧道自体が封鎖されているため、怪談の現場に近づくことは容易ではない。
長いトンネルを抜けると、一気に傾斜がきつくなった。
ヘアピンの先に枝分かれしているのは、笠取山登山道への小道だが、二輪にとっては基本的に縁のないものだ。
途中に集落をはさみながら、上り勾配が続く。どこまで登るのかと思う頃に、路面はグルービング舗装へ切り替わり、そして唐突に木と山にさえぎられていた前方の空がひらけた。
「へぇ……」
「ここで休憩しましょう」
柳沢峠。いかにも峠の最高地点というその駐車場からは、うっすらと雲にかすんだ富士山が見える。
その先は一気に甲府盆地へむけて下っていく。
勝沼から国道20号のバイパスへ入り、甲府市の中心部を突き抜ける。ぎりぎり通勤時間の終わるころにさしかかっていたが、片側二車線の道路だけあって、二輪にとってストレスを覚える交通状況ではない。
道路が片側一車線に戻る頃には、日本の田舎らしいのどかな風景が眼前に広がっていた。
韮崎を抜け、諏訪、塩尻へ至るころには太陽がもっとも高い位置へやってくる。
ざるそばに舌鼓をうち、国道19号を一気に北上。
善光寺を外観だけ眺めて、夕食の買い出しを済ませると、戸隠バードラインを北上する。
徐々に秘境めいた景色が広がり、太陽の傾きと共に肌寒さをおぼえるころ、三台のモーターサイクルは目的地のキャンプ場へ到着した。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「さてと。ティック。
テントの設営は任せましたからね」
「うん、わかった。あの、お兄さん、手伝ってもらえますか?」
「ああ……だけど、俺はやり方とかは分からないぞ」
「簡単ですから~」
グロムのタンデムシートへ満載された荷物をおろすと、ティックは何か『骨』のようなものを地面に並べ始めた。
志智がたずねるとテントのフレームにあたるものだという。興味深そうに眺めていると、今度は『骨』の上に一枚、二枚と布をおおいかぶせている。
「お兄さん、そっち側持って下さい」
「こうすればいいのか?」
「はい。いきますよ……いち、に、さんっ」
地面に並んでいたフレームが立ち上がると、そこには一軒のロッジのようなテントがすでに完成している。
「おお」
その光景は志智からすると、魔法のように見えた。感嘆の声と共に、おもわず手を叩いてしまう。
「あとは地面に固定しますから、これをハンマーで地面に打って下さい」
ティックから渡されたのは、『杭』のようなものだった。テントの四隅のフレームへ引っかけて、固定するように地面へ打ち込んでいく。
振り向くと、ティックは小さな体で何かロープのようなものを引っ張っては、近くの木に巻き付けている。
「それ……大丈夫か? 一人で」
「大丈夫ですよ~。こうやって、ロープで固定すると、急に天気が荒れてきても平気なんです」
「へえ」
テントの入り口には『ひさし』のような覆いがあった。タープというらしい。その下へ亞璃須のXR650Rに積まれていた椅子やテーブルを並べていく。
「はー……すっかりそれらしくなったな……」
あとはテントの中に寝袋があれば、それだけで何日も過ごせてしまいそうだった。志智の目からみると、ほんの数十分の間に、家が一軒建ってしまったようなものだ。
「すごいな、これ」
「お兄さんキャンプするの初めてなんですよね。慣れると楽しいですよ」
「いや、今の時点でものすごく楽しいよ」
亞璃須はというと、コンロを組み立てると、折りたたみ式のバケツに水をくみ、野菜を洗い始めていた。
(……亞璃須の奴、こんなことも出来るんだな)
その姿は家事をする千歳とも、キッチンに立つ母の記憶とも異なるなにか暖かいものだった。
日が沈む頃、すべての準備は整う。
下界で買い込んだ炭に火がつくまで、少々手間取ったものの━━
星の光が天を覆い尽くす頃、志智達の前には肉と、野菜と、米と、水と、そして燃える炎があった。
「さあ、いただきましょうか」
亞璃須の微笑みと共に、すべてのキャンパーにとって、もっとも楽しい時間が始まろうとしていた。




