~Episode of Summer I ~
「キャンプへいきましょう」
日原院亞璃須がそう言ったのは、梅雨があけて間もない昼休みのことだった。
屋上へ出てきたことを後悔したくなるような日差しの下、それぞれのランチを囲んでいる男女二組はすなわち、兄妹と姉弟の二組でもある。
「キャンプ? そんな電車代はないぞ」
「電車ではありませんわ。バイクでいくんです。バイク。
キャンプツーリングです」
妹の手作りサンドイッチをほおばりながら、興味なさそうな声で応えるその男、三鳥栖志智。
三年生であることを示す上履きの色は、亞璃須のものと共通であり、しかしその身長はコンクリートの上に座り込んでいてもなお、大人と小学生ほどの差があった。
「へえ~、キャンプかあ。面白そうだね、姉さん、僕も行っていいの?」
金髪の美少年が言う。その瞳は左が青。右が黒のオッドアイ。
額には汗が浮かんでいるものの、辺りに漂う香りは異常なほど爽やかであり、クラスメイトや担任が『洗い立ての子犬』と称するほどに心地よいものだった。
「もちろん、あなたもです、ティック。
荷物持ちは必要ですものね」
「ううっ……や、やっぱりそういう扱いなんだ……」
「あ、あのぉ……」
さめざめと涙する亞璃須の弟━━日原院ティックの隣で、彼と同じ色の上履きをはいた美少女が遠慮がちに手を挙げる。
「えっと、あの。そのキャンプって、わたしも行って……いいですか?」
志智の隣にすわっているその少女。むっちりとしたふとももと、非常によく発育した胸元が、兄と同じく成熟した肉体に恵まれていることを主張している。
後ろでアップにした髪が揺れ、うなじが覗くたびに、ティックが呆けたような遠い目になり、志智がどこか警戒するように渋い顔になる。
「ええ、もちろん妹さんにも参加してほしいところですわね?」
━━そして、きらめくような金の長い髪。
瞳は右が青。左は黒。弟のティックとは反対のオッドアイを持つ美少女は。日原院亞璃須は誰かを挑発するように語尾を跳ね上げる。
そう、その妖精じみた美貌が狙いさだめる誰かを、だ。
「ねえ、志智? あなたはどう思います?」
「………………さあな。知らねーよ」
「……おにいちゃ~ん……」
「くすっ」
露骨に顔をそむけた志智に対して、たまらなく面白いものを見つけたように亞璃須は笑う。。
(こうして見ると……兄妹ですわねえ)
亞璃須は思う。
困ったように兄を上目遣いでみあげている妹の千歳。そして、彼女の視線から逃げるように顔をそむけたままの志智。
それぞれの表情はまるで違うのに、どこか似た印象を受ける。
「そもそも、俺にはバイトがあるからな。
キャンプツーリング……か。泊まりがけなんだろ?
予定が合うかどうか、そこからの話だぜ」
「いちおう日程は月末を予定しています。
だから、夏休みに入ったあとですわね。平日でも祝日でもかまいません。志智にあわせますわよ」
「ふーん」
「……おにいちゃ~ん……」
「あ━━あのっ!
僕もみんなで一緒に……そ、そのっ、お義兄さんと千歳ちゃんと一緒にキャンプがしたいですっ! 平日なら道もすいてるし、いいと思います!!
一緒にいきましょうよっ!」
「………………」
意を決したようなティックの言葉に、志智は無言で彼の手元にある500ml牛乳パックへと手を伸ばす。
そして、蓋を開けたかと思うや、一瞬で飲み干した。
「ああああああああああああああああああああああっ!!
ぼ、僕の身長アップぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!」
「……ふ。食事時だし、千歳もいるからこのくらいで許してやる」
「う゛う゛う゛~」
「えっと、わたくしにはさっぱり違いがわかりませんでしたが。
これがティックの言ってた『義理』の有無というものですか?」
無言でうなずく男二人に、亞璃須は巨大なため息。
千歳だけが頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、小首をかしげている。
「まあ、いいとして。それで結局、志智は妹さんの参加を認めますの?」
「だから、バイトがあるかもしれないって」
「じゃあ、もしアルバイトが忙しくて志智は参加できないとして。
妹さんとわたくし達だけでキャンプに行くというのはありですか?」
「えっ」
「ええっ!?」
「おい……」
その言葉は亞璃須以外の三人にはまったく予想外だったらしく、三者三様の驚きが口から漏れる。
「えっ。あの、亞璃須さん。
ごめんなさい、おにいちゃんがいけないのに、わたしだけ行くのはちょっと……」
「ええっ!?
ち、千歳ちゃんと……ぼぼぼっ、僕と姉さんの三人でキャンプ!? や、やったあー!!」
「おい……そんなの認めるわけないだろうが……」
「えっ」
「ええっ!?」
「おい……」
「………………はあ。
まあ、とりあえず分かりましたわ。妹さんの参加は志智の承諾が条件で、そもそも志智が参加しないなら行く気もない……と……」
ぐったりと肩を落としながら、亞璃須は何かを数えるように指を折りつつ、カレーパンを口に運ぶ。
「はむはむ……ふむ。
やっぱり志智がキーですわね。とりあえず今週中に月末のいつ頃が空いてるか、確認してもらえます?」
「別にいいけどさ。
キャンプか……俺そんなのしたことないぞ。いいのかよ」
「男女複数人が集まれば、何とでもなりますわ。
それに、わたくしとティックにしたって、両親以外とキャンプに行くのは初めてですし」
「………………」
「乗り気じゃないのは分かりましたけど、わたくし達も予定は決めなければなりませんから。
日程の確認は早めにお願いしますね?」
「分かったよ」
あくまでも渋い表情を崩そうとしない志智に対して、亞璃須はなぜかやたらと嬉しそうに笑っていた。
夏の空は亞璃須とおなじ顔をして、光を降り注がせている。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
それから数日後。木曜日の深夜。
「あのー、社長。月末のことなんですが」
「おうどうした『さんとす』。あたしのことは頼子と呼べと言ったろ。
なんだ選挙権でも欲しくなったか? 悪いがもう一本、今度は港区まで走ってくれ。
ったく、忙しいったら……朝から晩までリソースパンパンだよ、こりゃあ……」
「あ、いえ。忙しいですよね。選挙ですもんね。
しばらくそうですよね。月末もバイト頑張りますから。休んでる暇なんてないですよね。俺、夏休み入りますし、ちょうどいいですよ」
「んんん?
何言ってるのか分からんが、来月はともかく月末は休んでもらうぞ」
「えっ」
志智が水木金の三日間、深夜にバイク便のアルバイトをしている『テラ・ロジスティクス』の社長である藍田頼子は、一目見てわかるほど睡眠不足の印をつくった目元をこすりながら、一枚の紙を渡してきた。
よれよれと言っていいほど、くたびれた作業着姿である。
何でも今日の昼間はずっと第二次産業系の職場を、大物議員について回っていたというが、志智はときどき彼女が何者なのかはかりかねる事がある。
「シフト表……ですか。これ」
「ああ。ここんところ仕事、多いだろ。朝方まで頑張ってもらってるしな」
「そりゃあ、多いですけど。選挙なんですよね。俺にはよくわからないですけど」
「まーな、お前は未成年だからアレかもしれんが、何しろ国政選挙となるとウチの顧客である政治家のセンセ方はまあ、えらい騒ぎなんだ。
議員を続けるか、ただの人になるか、その瀬戸際なんでな」
「はあ」
「だが、選挙が終わると、お祭り騒ぎも一段落する」
頼子が手に持っている資料には、志智の知らない国会議員の事務所名がずらりとリストアップされていた。
「落選したところは、そもそも仕事なんか出さないし、当選してもまあ……一段落はするもんだ。
せいぜいお祝いはするけどな」
「えっと、それだから休めっていうことですか?」
「多く働いた分は釣り合いとってもらわんとな。
あたしが死んだダンナや祇園田さんに怒られる。そもそも『さんとす』は学生なんだから、夏休みくらい遊ばなきゃいかんだろ」
「いや、でも……」
「デモもストライキもない。
日本人っつーのはな、そういう若いころの楽しい経験が下地になってるから、厳しい社会の荒波にも耐えていけるんだ。
……お前、人づきあいのなんたるかも知らずに会社入る気か? まんずはあ、使いもんにならねーっきゃ。なあ?」
「………………」
ここで雇ってもらえるなら、それでもいいですという言葉は志智の口からは出てこない。
(遊ぶときは遊んで……そこで学べって……そういうことだよな……)
そのくらいは察しがつく。
そのくらい期待されていることは理解できる。
「━━すいません、社長」
「頼子と呼べといった」
「……ありがとうございます、頼子さん」
深々と頭を下げると、志智は次の荷受け先の資料を受け取って、車庫のスパーダへと向かう。
(人づきあいのなんたるか、か)
キーをひねると、ぼんやりとメーター灯が光り、ニュートラルランプの緑が暗闇に浮かびあがる。
午前一時の永田町。控えめではありつつも、騒音規制というものが緩かった時代にふさわしいVツインサウンドが響き渡る。
跳ね上がるタコの隣。スピードメーターが正午の位置をさすと、速度警告灯が言い訳のように点灯しはじめた。
節電中の都心は、こんなにも暗かったのかと思うほど、明かりに乏しい。
月は気まぐれに姿を雲へ隠し、スパーダの頼りないヘッドライトが湿気の濃い空気を、スポンジへ拳を押し当てたときのように照らし出す。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「とはいえ、気持ちはありがたいんだが、問題は多いよなあ……」
「おにいちゃん、問題ってなに? 期末テストのこと?」
「そういうわけじゃないんだけど、な」
明けて金曜日の登校時間。
朝方に降った雨がのこしたアスファルトの染みは早くも消え失せ、わずか砂利の隙間にたまった水だけがそれが夢でなかったのだと主張していた。
蝉の声はまだほとんど聞こえない梅雨明けの直後。
肌を焼くような太陽の呵々大笑。ほんの数日もすれば、手と肘の間は小麦色に染めあがることだろう。
「なあ、千歳」
「なに、おにいちゃん? 今日のお弁当なら、カレーだよ。この時期って、食べ物に気を遣うよね。
ルーが入ってる容器はひっくり返しちゃうダメだからね」
「そうか。それは楽しみだな。
……いや、昼飯じゃなくて、キャンプのことだけどさ」
「うんっ」
南多磨校へ向かうものは、必ずといっていいほど一つの歩道橋をわたる。
それは駅の方向からあるいてきた学生が、二つの横断歩道が青になるのを待てないからだ。
しかし、その歩道橋が男どもなら誰でも知っている『階段の下から見える』スポットであることも、志智は承知している。
だから、これまで車道側にあった自分の長身を歩道橋の前で、反対側へ割り込ませる。
かくして三鳥栖の兄は妹のスカートを完全にさえぎる1.8メートル級の壁となる。露骨に悔しそうな顔をしている者を見たことも、一度や二度ではなかった。
「あのな、千歳。本当にキャンプ、ついてくる気か」
「うんっ。もちろん、おにいちゃんがいいって言うならだけど」
「……困ったな」
甘えるような目をして自分をみあげる千歳をみていると、無条件にイエスと言ってしまいたくなるが、志智はその誘惑にあらがう。
「おにいちゃん、ダメ?」
「バイクは……さ。危ないんだよ。
もちろん事故ったりしないようにしてるけどさ。それでも、何かあったとき、千歳が怪我でもしたら……な」
「おにいちゃんの言ってること、よくわかるよ。
オートバイって、後ろに乗ってる人の方が事故のとき、大けがするんだよね」
「よく知ってるな」
「うん、調べてたらそう書いてあって」
志智は自分が亞璃須から聞くまで知らなかったことを、妹が調べあげていることが意外だった。
その驚きは顔に出ていたのだろうか。千歳はおどけたように、大口径2000パイはありそうなツインキャブレターをえっへんと反らしてみせる。
「そんなことも調べてしまうほど、わたしはおにいちゃんの後ろに乗せてほしいのですっ」
「そうか……」
「でも、おにいちゃんが少しでも心配することがあるなら、それに逆らうことはしたくないなあ……とも思う」
「……まあ、そうだよな」
志智の脳裏で頼子の『遊べ』という声が反響する。
それでもまだ━━と思ってしまう。
自分の独善かもしれないことは、志智自身にもわかっている。だが、たとえそうであったとしても、彼は大切な妹を危険に晒したくはなかった。
そう、ほんの少しの危険にでも、だ。
「……やっぱりダメだな。キャンプは俺だけが行く」
「うん、わかった」
「ごめんな。俺はダメな兄貴だ」
「ううん、わたしこそワガママ言ってごめんなさい」
歩道橋の上でしおらしくうつむく美少女の髪を、長身の男子が慰めるように撫でまわしている。
「よしよし」
「んっ……えへへ。おにいちゃん、もっとして」
いつ果てるともない波のようにおし寄せる登校中の学生たち。
そのうち幾人かは興味津々の様子で視線を投げているが、ほとんどの者達は『またあの兄妹か』という顔でスルーしていた。
が、そんな中で地球の終わる日を知ってしまったかのように、顔をひきつらせている金髪オッドアイの姉弟がいる。
「ティック……たぶん、わたくしとあなたは今、同じことを考えている。そうですわね」
「う、うん、姉さん」
「あの兄妹……問題ですわ」
「僕たちにとっても、だよねっ」
「そういうことです」
おはようの声は三回目。それも二人あわせた声で、ようやく三鳥栖兄妹の耳に届くのだった。




