第五話 Space Cowboy
「負けてしまいましたねぇ」
「……」
シャワールームに低い声が響く。ヴィヴィアンのセバスチャンのものだ。
「……解ってるわよ。この間の条件は……」
流れ落ちる水滴の音に紛れるようなか細い声は、ヴィヴィアンの喉から発せられている。
「ええ、ご理解いただけているのなら結構。そのように連絡しておきますので……」
ヴィヴィアンには、拳を壁に叩きつける気力も残っていなかった。
同時刻。近傍宙域にて。
「は~ぁ、残念ですわねぇ……」
客室の窓から外を眺め、マルグリットはまた溜息をついた。先ほどまで滞在していたステーションを見つめ、さらに溜息をつく。
「そ、そうですか?私は正直、ホッとしてるっていうか……」
カトリーヌは、ヴィヴィアンの剣幕を思い出して、苦笑いしながら答えた。
マルグリットは、ワルツの後に三人でお茶会をしようと提案したのだった。お互いのフェアプレーと健闘を称えるのだと息まいていたが、もちろんヴィヴィアンに断られていた。
ものすごい顔をして、「一人にさせて」とだけ残して自室に戻っていったのは、今思い出しても少し可哀そうだった。
「ま、過ぎたことはしょうがないですわよね。これから、どういたしましょうか?カトリーヌ様の意見を聞きたいですわ」
ハッとした。たしかに、このお嬢様の行く末を案じはしても、現実どうするかというのは考えていなかった。カトリーヌは、――たとえそれが、たまたま近くに自分がいただけだとしても――マルグリットに頼られることが嬉しかった。一所懸命に考えながら、言葉を紡ぐ。
「そうですね……一度、聖天の川女学園に戻って、いろいろ聞いてみるのがいいんでしょうか?マルグリット様もお嬢様ですし、あそこにはお嬢様同士の互助組織がありますから、そこで何らかの援助を受けられるかもしれません」
「ナルホド。お嬢様同士の助け合い……素晴らしいですわね!ぜひお邪魔したいものですわ」
それはもう嬉しそうに笑うマルグリット。スイーツを見つけた少女のような、鮮やかな花のような笑顔だ。
「マルグリット様、よろしいでしょうか」
豪奢なチェアの傍らに立つ長身の執事、セバスチャンが口を開いた。
「畏れながら、マルグリット様。カトリーヌ様の仰る通り、聖天の川女学園に向かわれるのがよろしいかと存じます」
マルグリットが、目線で続きを促す。
「マルグリット様は、200年前の教練課程を修了されたことによって、第2学次相当の編入資格をお持ちです。そのため、ティーガーデン家では前当主様のご意向で編入手続きを保留しております。ご希望であれば、すぐにでも正式な編入が可能です」
2人は驚き、顔を見合わせた。
「や……やりましたわーー!!」
マルグリットの喜びようは、凄まじかった。部屋中を跳ね回り、無意味に屈伸したりしていた。
マルグリットにも、居場所が。やるべきことがあるのだ。
それもそうだろう。目覚めてからこっち、母星であるティーガーデン家とは何度かやりとりをしていたようだったが、どうしたって消えた記憶と失われた時間は戻らない以上、その断絶は他よりまし、という程度だろう。記憶を失い、知人を失ったことすら忘れたマルグリットが、これから何をすべきなのか……本人には、見当もつかない暗闇の中を歩くような困難に感じられていた。
ひとしきり騒ぎ、踊り終わった後、平静を取り戻したマルグリットは、頬を赤らめて恥ずかしそうにこほん、と咳払いをして、言った。
「……と、ともかく。とりあえずの目標は決まりましたわね。セバスチャン、そういうのはもう少し早く言って頂戴ね?」
セバスチャンは恭しく頭を下げたまま、返した。
「申し訳ございません。重要事項につき、何度かお話させて頂きましたが、ワルツの準備でお忙しかったためか、その……あまり聞こえていらっしゃらないご様子でございました」
「ああ……」
カトリーヌも得心がいった。そういえば、自分の話も聞き流されていた気がする。
「………………そうだったかしら」
マルグリットは納得いっていないようだったが、やはりそうだったかも、と思い直した。そういえばなんか言ってた気がする。
ともかく、針路は決まった。
「まあいいわ!セバスチャン、跳躍の準備をなさい!」
気を取り直したマルグリットが、威勢よく発した。
数刻後。
空間跳躍を終えたキャリッジ内でカトリーヌとマルグリットはバトルドレスの整備を行なっていた。
跳躍は時空間を超えて移動する技術だが、恒星に近すぎると重力場の影響を受けて動作が不安定になるため、恒星から少し離れた星系近傍宙域に目掛けて行われる。その後は亜光速航行によって目的地へと向かう、というのがセオリーで、つまり、ワープできる技術はあるが、結局ある程度の時間はかかる、というのが現状の技術の限界という事になる。
その時間を使って行われているバトルドレスの整備だが、やはりキャリッジ内での現場仕事には限界があった。
セバスチャン、そしてお嬢様はバトルドレスのスペシャリストであり、修理や調整のみならず、ちょっとした改修程度ならこなしてしまえるほどの知識を持つ、一種の技術職である。が、適切なサプライがない限りはパーツの交換が出来ないのは言うまでもない。無いものは無いのだ。
ひとまず、カトリーヌが提供した消耗品パーツによって、200年ほぼまるまる放置されていた「スノウホワイト」の整備は一定の目処を見たが、それでも、オーバーホールを含めた大規模な整備が必要なことには変わりなかった。
それは「スペルド」もまた同様で、損傷が多い事から外装類をすべて取り外し、素体の状態で損傷箇所の確認と整備が行われた。しかし、「スペルド」の損傷はフレームにも及んでいるもので、特にフレームの替えも無く、またフレームを換装した上での各部位との調整は、一朝一夕で行えるものでもないので、応急処置だけを施して最低限の装備を取り付け直してあった。
マルグリットとそのセバスチャンが整備を行うのを、先に作業を終えたカトリーヌが眺めている。
「セバスー?ここ歪んでますわ〜!……コンマ2度くらい?やっぱ地面ブッ叩いたのが良くなかったかしら?」
インナードレスの上からつなぎを着たマルグリットが、左腕のすき間から顔を出した。
「アブソーバーの劣化でフレームに悪影響が出ておりますね。しばらくは、白兵戦は控えるのがよろしいかと存じますが……」
忙しなくコンソールを弄りながら、セバスチャンが応える。
おほほ、と控えめに笑うマルグリットに、悪びれる様子はない。
「いや〜、難しいですわね!カトリーヌ様のビーム砲を借りたとしても、装甲とスラスターを相当降ろさないと出力過剰でレギュレーションに引っかかってしまいますわ」
笑いながら、黒焦げの穴だらけ、おまけにひしゃげて三角形のボロ布のようになったタワーシールドを見遣る。もとは綺麗に湾曲した半円柱状の大盾だったが、酷使しすぎである。
「とは言え、せめて盾の予備は欲しいですわ。学園にあるかしら?」
「あ、あはは……どうでしょうか。最近は、みんな精々小盾くらいしか使わないから……」
「あら。ずいぶん小洒落たものをお使いになるのね?」
汗を拭いながら、バトルドレスを離れるマルグリット。お願いねとセバスチャンに一声かけ、礼を返すセバスを横目に見てつなぎと軍手を脱ぎ捨てた。
「ごめんあそばせ、気が回りませんでしたわね。お茶にいたしましょうか」
「いえ、お気遣いなく……!バトルドレスは好きなんです!」
カトリーヌは本音を言っただけだったが、マルグリットには遠慮に見えた。そこで、カトリーヌの耳元に口を寄せ、囁くように言った。
「わたくし、喉が渇いてしまったの。お付き合いくださる……?」
カトリーヌは、肩を震わせながら、静かに、叫ぶように声を絞り出すしかなかった。
「ぜ、ぜ、ぜ……ぜひ…………!」
キャリッジ前方の客室に移動して、腰を下ろす2人。ティーテーブルに、カトリーヌのセバスチャンが静かに紅茶を並べていく。ふわりと、茶葉の香りが広がった。
「いい香りですわね……紅茶の味を忘れずに済んだのは、僥倖でしたわ」
「それは……良かったと思います、本当に。好きなものを忘れずにいられるのは……」
そうあれるのは、ただ奇跡なのだと、カトリーヌは思った。自分が何を忘れたのかも忘れて生きるのは、きっと普通のことだ。けれど、記憶だけが、それらと自分をおぼろげに繋いで、ふとしたときに思い出させてくれる。救いでもあり、呪いでもある。
その繋がりを失った少女の心細さは、よほど強く優しい心を持っていなければ耐えられないはずだ。それこそ、マルグリットのような。
そんなことを思いながら紅茶を楽しんでいると、紅茶のお代わりを淹れにいったカトリーヌのセバスチャンと入れ替わりに、整備を終えたマルグリットのセバスチャンが部屋にするりと入ってきた。
「ご歓談中申し訳ございません。「スノウホワイト」のOSについて、お耳に入れておきたいことがございまして――」
そこまで言って、セバスチャンがハッと顔をあげた。お嬢様ふたりはきょとんとしたが、一瞬遅れて大きな衝撃がキャリッジを揺らした。
「なっ……何!?」
「これは……!」
人工重力が揺らぎ、ふわりと浮き上がる感覚。
「カトリーヌ様!!」
給湯室から大急ぎで戻ってきたカトリーヌのセバスチャンが、大きな声を張り上げる。彼のインプラントが、コンピュータを通してキャリッジの窮地を伝えているらしい。
「し……失礼いたしました。えぇと、右手に見えますひときわ明るい光点が、銀河海賊でございます」
怪訝な顔をして窓を振り返るお嬢様ふたり。窓には、すでに大きくなりつつあるスラスターの噴射光が輝いていた。その中央に影を落とすその正体は、鋭利なシルエットを持つ宇宙船だった。そこから伸びるワイヤーが、キャリッジを捉えている。
そのワイヤーの上を、駆けてくる人影があった。
濃緑の野暮ったいスーツに身を包んではいるが、頭部は覆っておらず、ふわふわとしたピンクのツインテールが宇宙をバックにきらりと光っている。小柄な少女であった。
そう、お嬢様である。
危険と見て、とりあえず廊下に移動する一行。セバスチャンの影から、窓を見守るお嬢様がふたり。
とんでもないスピードで、宇宙空間を渡す細いアンカーを駆け抜け、勢いそのまま窓をぶち割って室内に転がり込んできた。
「カトリーヌ様!!」「マルグリット様!!」
散弾のように飛来するアクリルや金属の破片に、身体を割り込ませて懐から展開式のシールドを広げるセバスチャンたち。ばちばちと破片が弾け、部屋に突き刺さった。
乱入してきたお嬢様が、風穴へと吹き抜ける突風をものともせずに立ち上がる。自己修復装甲が壁を覆い、風がゆっくりと収まっていく。
「ごきげんよう、カスども!このフネと物資はいただくわ!」
腰に手を当て、勝気におとがいを上げてそう宣言する彼女の声は苛烈だった。
「この、クラウ――――」
その最中、三連発の銃声が響いた。廊下のさらに奥からである。
マルグリットは手を振り払い、三発のライフル弾を弾き飛ばす。加速時に印加された電荷が空気を破裂させ、ばちばちと音を立てた。
「イッテぇですわ!」
「マルグリット様、なんで素手で!お下がりください!」
セバスチャンたちはお嬢様を背に隠して大きく退いていく。操縦席側からの銃撃だったので、下がるその先は格納庫だ。
「……」
客室には、名乗りに失敗して唇を引き結ぶ小さなお嬢様だけが残された。宇宙空間に漏れでる最後の風が、ひゅうと鳴った。
「あれ~、逃げられちゃった」
そこに、少し屈みこむようにしてひょっこりと顔を出す、対照的に大柄なお嬢様。大人しそうなタレ目の顔立ちで、肩ほどまでの黒髪がさらりと流れる。手にしたライフルからは、陽炎が立ち上っている。
「あっ、クラウディア。どっちにいったか解る~?」
クラウディアと呼ばれたお嬢様は、決まりの悪そうに頭を掻き、声を荒らげた。
「……ベアトリス!見境なく撃つのをやめろ!海賊にも礼儀ってモンがあらぁ!」
「え~?さっさと殺した方が絶対早いよぉ。宇宙海賊なんだし」
不満気な顔でライフルの弾倉を確認するベアトリス。
「こいつ……スチュワート!お前が来いって言っただろ!」
通信機越しに怒鳴りつけるのは、海賊船の直掩に残っている三人目のお嬢様。短めのくせ毛に眼鏡、そばかすの、いかにもといった風貌だ。
『嫌だね。お嬢様相手に取っ組み合いなんかしたくないし』
「クソッ。とにかく、キャリッジは後だ。バトルドレスが出てくるぞ!ベアトリス、戻ってこっちもドレスを出す、スチュワートは援護だ!」
「あいあい~」
『OK』
クラウディアは、すたすたと廊下を進み、今度はベアトリスがこじ開けたハッチから戻っていった。




