17しみっしみのおでん(2)
思いついたように凪沙が言った。
「俺さ、前に俺の名刺を渡したよね? まだ持ってる?」
「もちろん持ってるよ」
凪沙に出会った頃、ピクニックを続けたカナコに彼が名刺をくれた。社名やSNSのアカウントが書かれていたものだ。
それがきっかけでカナコの世界が広がり、彼は師匠にまでなってくれた。カナコの人生を変えたもののひとつとして、今も大切に保管してある。
「それで、カナコの名刺も欲しいんだけど、あるかな?」
「私のは渡してなかったんだっけ、ごめん。ちょっと待っててね」
カナコは部屋に上がり、仕事用のバッグから名刺入れを取り出し、急いで凪沙のもとへ戻る。
「はい、これ。私の部署では使うことがあんまりないんだけど、一応全員持たされてるの」
ありがとう、とお礼を言って受け取った凪沙は、名刺をじっと見つめる。
「……」
「どうしたの?」
「え、ああ、うん。カナコって総務部にいるんだ?」
「そうよ」
「あのさ、昨日言ってた同期の男も総務部なの?」
彼の真剣な表情に、カナコの胸がざわつく。
きっとカナコが思う以上に、凪沙は気にしているのだ。逆の立場だったら同じように思うだろう。
「ううん、営業部にいる。だから滅多に会うこともないよ」
「ふーん……、そっか……」
「凪沙に余計な心配は掛けないようにする。今日も、話しかけられたけど――」
「滅多に会わないんじゃなかったの?」
指摘されてドキッとする。
「そ、そうなんだけど、たまたま退勤前にビルの出口前で会っちゃっただけ。でも二度とプライベートなことで声を掛けてくるなって、釘刺したから」
「ごめん、カナコは悪くない。悪いのは、カナコにしつこいその男だよね」
凪沙はカナコの体から手を離し、髪をそっと撫でた。しかしその表情の奥に何かが隠されている気がして、不安な気持ちが生まれる。
「あの、凪沙――」
「じゃあね、おやすみ。待っててくれてありがとう」
言葉を遮った凪沙が、優しく微笑んだ。
「……あ、うん、おやすみ。忙しいと思うけど、無理しないでね」
「うん、カナコもね」
玄関ドアを開けた凪沙は、出て行った。
なんとなく……、しつこくしてはいけないような雰囲気を感じ取ったカナコは、ドアの外まで見送らずに、静かに鍵を閉めた。
その後、凪沙からの連絡はなく、カナコからメッセージを送っても、スタンプがひとつだけの返信が来るだけで、週末になってしまった。
日曜日のお昼前。
カナコは久しぶりに、ひとりでピクニックに訪れていた。
最近、気温が急に下がったこともあり、ちょうどいい涼しさの中でピクニックがしたくなったのだ。
(最高に気持ちがいい……!)
都心にある大きな公園。
人は多いが広さは十分にあり、ゆったりくつろげそうだ。天気は快晴で、薄い雲が高いところにたなびいている。風はなく、ただただ心地よい。
(ちょうどいい気温だけど、日陰は結構冷える感じ。おでんにして正解だった~!)
土曜日の昨日、温かい食べ物が恋しくなったカナコは、おでんを作った。味を染みこませるために昨日は食べるのを我慢し、ピクニックに持ってきたのである。たくさん煮たので、家にある残りのおでんも今夜食べるつもりだ。
まだ紅葉が始まっていない木々の間を抜けながら、公園内を歩いて行く。美しい自然を感じながら、頭の中に思い浮かぶのは昨夜の凪沙の様子だった。
(あの時、なんとなく変な感じがしたんだけど……、気のせいだよね?)
この土日、凪沙は会社のアウトドアイベントに参加するため、出張に出ている。平日に代休が入ったようだが、カナコは仕事だ。
(早めにもう一度会って凪沙の顔を見たいんだけど、疲れてるだろうし無理よね)
はぁ……とため息を吐いた時だった。
「このへんでやろうか?」
「う~ん……」
「じゃあ別の場所に行く?」
芝生の上で、目の前に現われた男性と女の子を見たカナコは、思わず声を上げる。
「ちょっ、日吉……!?」
「え、あっ、渋谷!?」
振り返った日吉はカナコを認識したとたん、焦りの表情を見せた。
「今焦った顔したよね? こんなところで何してるの? その女の子誰? ねえあなた、この男の人知ってる人? 大丈夫?」
駆け寄ったカナコは日吉に問い詰め、そして彼の隣にいる女の子にたずねた。
女の子は、顎で切りそろえたボブヘアと大きな目が可愛らしく、ダボッとしたトレーナーを着て、デニムのパンツを穿いていた。小学校三、四年生くらいだろうか。
「こんにちは。この人はハヤトおじさんです。私のお父さんの弟です。だから知ってる人です」
彼女はカナコを見上げてニコッと笑い、質問に答えた。
「俺の姪っ子だよ。兄貴の娘。俺を犯罪者扱いするなよな~」
「あ、ああ……、そうだったの、良かった……」
呆れた声で言う日吉と、隣でニコニコ笑っている女の子を見比べて、ホッと安堵の息を吐く。
「……でもまぁ、小学生の女の子が男に連れられてたら、気にしたほうがいいか。俺も心がけよう」
ふむ、とうなずいた日吉の手には、バドミントンのセットと、サッカーボール、そして大きなトートバッグがあった。
カナコは女の子に視線を落とし、少しかがんで尋ねる。
「ごめんね、誤解しちゃって。改めてこんにちは。ハヤトおじさんとここで遊ぶの?」
「パパが迎えに来るまで遊ぶ予定です。お昼ごはんも持ってきました。お姉さんは誰ですか?」
「私は、ハヤトおじさんと同じ会社で働いています。だから声をかけました」
丁寧な言葉でしっかり答える女の子を見て、カナコも衿を正したのだが……。
「なーんだ、そっかぁ。ハヤトおじさんの彼女かと思ったー。あーあ、残念」
女の子は急に口調と表情を変えて、とんでもないことを言い出す。




