14星影のしたで(6)
耳のすぐ後ろから、凪沙の低い声が届く。同時に彼の息がかかり、カナコの体が甘く震えた。
「こっち向いて、カナコ」
「……じゃあ、凪沙も教えて。『気づかせてくれた、大切なこと』って何?」
星を見た時、カナコを抱きしめながら凪沙が言ったのだ。
でもまだ言わない、と。
「教えたら、こっち向いてカナコも教えてくれる?」
「……うん、教える」
うなずいたと同時に、凪沙が小さく息を吐いた。
「こういう状況で言ったら、ずるくなるから言いたくない。というか、言えない」
「何がずるいの?」
「カナコが逃げられなくなるから」
どういう意味なのかと考えながら、凪沙の腕に包まれている体を縮こませる。
「凪沙が言わないなら、私も言わない」
「じゃあ教えてくれるまで、こうする」
「あ……っ」
凪沙の大きな手に力が加わり、強く抱きしめられたカナコは、思わず声を上げた。
ぎゅぎゅーっと抱きしめられて、息が苦しくなる。
心臓のドキドキがさらに大きくなって、ズキズキに変わっていた。
「ちょ……、苦しいってば」
「言ってくれるまで離さない」
背中に凪沙の体が密着している。いつの間にか、カナコの足にも彼の足が絡まっていた。
「凪沙が先に言ってくれなきゃイヤ」
「そんなに俺の話が聞きたいんだ? カナコが後悔しないなら話してもいいよ」
「……怖い話なの?」
大切なことなのに、聞いたら後悔するのだろうか? 困惑しながら尋ねてみる。
「カナコにとっては怖いかもね」
「凪沙は怖くないよ。私が出会ってきた人の中でも、一、二位を争うくらいに優しいもの」
カナコの言葉に、凪沙の手の力が緩んだ。
ホッとして息を吐き、体の緊張を緩めようとした時――。
「俺、カナコが好きなんだ」
「……え」
「だからこのまま……、俺の彼女になって」
凪沙の告白に、カナコは動揺していた。
今の今まで、凪沙が自分を好きだなどということは、本気で一ミリも思わなかったからだ。
ただ、弟子として気に入ってくれてはいるだろうと、思っていただけで……。
「ここのところ、ずっとカナコのことばかり考えてたのは、俺がカナコを好きだからなんだって気づいたんだ」
「ここのところって、いつから……?」
「はっきり自覚したのは今日。でも俺、カナコが婚活オフ会に行くって言った時、行って欲しくないと思ったんだ。その時からかもしれないけど、でももっと前から好きだったんだと思う。そうじゃなければ、家になんて呼ばないし」
信じられないという気持ちが、彼が紡ぐ言葉でじわじわと覆われていく。
「気づかせてくれたって、そのことだったの?」
「そうだよ」
それでもまだ、実感できずにいる。
こんなに素敵な人が、なぜ自分を好きになったのだろう、と。
「次はカナコの番。こっち向いて」
肩を掴まれたカナコは静かに寝返りを打ち、凪沙と向き合った。
「ご飯の感想を言わなかったのは……、急に恥ずかしくなったから」
あの時にはもう、凪沙を好きだという気持ちが止まらなくて、意識しすぎて、万が一彼にも気持ちが悪いと思われてしまったら、という不安混じりの羞恥だった。
「どんな理由で恥ずかしくなったの?」
「隣に凪沙がいたから」
「俺がいたからって……、そんなに俺に聞かれたくなかったのか……」
明らかにガッカリした声で凪沙が言った。そういう意味ではないのだが、話を進めていく。
「温泉に入ったじゃない?」
「あ、ああ、うん」
「そこで私、自覚したの。でも、そんなのダメだって自分に言い聞かせてた。……凪沙を好きになっちゃダメ、って」
「え……」
「師匠としていろいろ教えてくれて、初心者の私のために動いてくれて、素敵な人だなって思ってた。でも、だんだん凪沙のそばにいるのが苦しくなったの。ときめいたらダメだって思えば思うほど、余計に」
この歳になっても、自分の気持ちを話すのは勇気がいる。恋心となれば尚更だ。
「なんでそんなふうに、ダメだなんて思ったんだ」
「せっかく師弟関係になったのに、壊したくなかったから。ソロピクニックもアウトドアも、私にとってはとても大切なもので、私の気持ちを知られてダメになるような関係にしたくなかったの」
大切で、なくしたくなかった。
変われた自分も、変えてくれた凪沙のことも。
「五歳も年上の、それも恋人にこっぴどくフラれて、今日も罵倒されたような女に、好きだと思われる凪沙のことを考えたら、迷惑でしかないって」
「どこが!?」
急に大きな声を出されて、カナコの体がビクッと揺れる。
「俺、言ったじゃん。迷惑なんかしてないって」
「いつの話……?」
よくわからずに顔を上げると、こちらを見ていた凪沙と視線が合った。もうだいぶ目は慣れて、彼の表情はわかる。
「あのSANAとかいう女がイミフなこと喚いてた時に。俺がカナコを迷惑がってるって言うから、迷惑なんかしてないって答えた」
「あれは演技でしょう?」
「いや、あれは俺の本当の気持ちだよ。カナコが美人で優しくて、料理が上手で、努力家で、あとは話も合って……とにかく毎日一緒にいたいってことも」
「な、凪沙……」
真剣な表情で言われて、カナコの体中がさらに熱くなる。彼の声から、体温から、視線から……その気持ちを受け取って、ようやく実感が湧いてきたのだ。
「俺はカナコが好きだ。カナコは? 俺のことをどう思ってるのか、ちゃんと言ってほしい」
ついさっきまでは、凪沙に伝えられないと思っていたのに。彼自身がそれを聞きたいだなんて……。
カナコは溢れる気持ちのままに、彼への思いを口にする。
「私も、好き」
「……本当に?」
「本当に、好き」
「俺も好きだよ。本当に好き。カナコが大好き」
「私も、凪沙が好き」
微笑み合って確かめる。
そして次の瞬間、凪沙の腕がカナコを強く、息ができなくなるほどに強く、抱きしめた。
「嬉しい、ありがとう」
「うん……、私も」
カナコは彼の胸に手をやり、Tシャツにしがみつく。彼の心臓の音がカナコの耳へダイレクトに響いた。ドキドキと大きな音を奏でている。
「キスして、いい?」
「……いいよ。私もしたいから」
「っ」
今度は凪沙の体がビクンと揺れた。どうしたのかと顔を上げると、彼は眉根を寄せて怒ったような表情をしている。
「そんなふうに言われたら、それ以上したくなるだろ」
「っ……!」
初めて聞く、彼の欲のある声にドキリとさせられた。
「さすがに、キャンプ場でそんなことはしないけどさ……」
「うん……」
凪沙の顔が近づいてきたので、カナコはそっと目を閉じる。
カナコの額に押しつけられた彼の唇は、その後、頬へ、そして唇へと移動した。
こんなにもときめいて、甘酸っぱいキスは、いつぶりだろう……。
やがてキスが深く重なり交わった時、風に吹かれた葉ずれの音と、遠くから届いたふくろうの鳴き声が、ふたりを優しく包んだ。




