凪沙視点 憧れの人(1)
十一月中旬の土曜日。
凪沙は千葉県のとあるキャンプ場に到着した。天気は良く、風もない穏やかな小春日和だ。
(しかしよくこんな場所知ってるよな……。穴場というか、たぶん地元の人しか知らない場所なんじゃないか?)
駐車場に車を停め、フリーサイトへ向かう。
この辺りの紅葉は今がピークのようで、色とりどりの葉が美しかった。
「カナコにも見せてあげたかったな……」
真っ赤に染まったイロハモミジを眺めながら、ひとりごとを呟く。
こんなふうにどこかへ出かけると、彼女に教えたい、見せてあげたい、食べさせたあげたいという思いが膨らむ。
「早くカナコに会いたい。なんで俺はこんなところにいるんだ……」
言葉を濁した自分が悪いのだが、まさか彼が本当にキャンプに誘われるのを待っていたとは。
「……二度目の決着か」
凪沙は荷物を肩にかけ直し、気合いを入れて歩みを進めた。
フリーサイトは常識の範囲内で決められた場所ならどこでもokで、ソロキャンプの人や、グループで来て個々にテントを張る人に最適な場所だ。
「うわ、広っ! え~……こんなに広いのに、人が全然いないんだけど……」
広々とした林の中にあるサイトはスペースがたっぷりあるにも関わらず、人がまったく見当たらなかった。
本当にここでいいのだろうかと不安に思った凪沙の目に、人影が映る。
(あ、あれだな……)
ここから少し離れた木のそばにタープが張られ、微かに煙が上っている。
そこへゆっくり近づいていき、座っている男性に声をかけた。
「こんにちは」
顔を上げた彼がこちらを見て、いつものように微笑む。
「ナギサくん、遅かったですね」
「どうも。ハヤトさんは早いっすね」
「楽しみにしてたから待ちきれなくて」
「……はは」
満面の笑みで言うハヤトに、凪沙は苦笑いをして荷物を下ろした。
「コーヒー淹れるんだけど、とりあえずナギサくんも飲みませんか」
「じゃあ……いただきます」
タープを張るのは後にし、チェアだけ出して焚き火のそばに置いて座った。
――今日、ハヤトとキャンプに来たのは、カナコと三人で買い物に行った時の会話が発端だ。
カナコの恋人は自分だと宣言するつもりでハヤトを誘った。しかし彼の姪の買い物に三人で行くことになったので、ふたりで会う約束はチャラになったのだが……。
次はまた連絡します、と凪沙が言ったのを真に受けたハヤトから、「千葉にいいキャンプ場があるから行きましょう。ハンモックも貸したいので」と言われて、断れなかったのだ。
(買い物の時、ハヤトさんはまだカナコを諦めていない様子だったから、婚約したことを直接言う良い機会だったのもあるけど)
ハヤトが淹れたコーヒーをゴクリと飲んで、婚約を伝える機会を窺っていると、彼が先に口をひらいた。
「やっぱり千葉は暖かいですね。タープを張っただけで汗掻きましたよ」
「やっぱりってことは、どこかに行かれてたんですか?」
けだるそうにコーヒーを飲み、焚き火を弄るハヤトの様子は、男の凪沙から見ても惹きつけられるものがあった。
「先月の終わりに、雷鳥沢でテント張ったんですけど、寒すぎて笑っちゃいました。普通に雪も降ってましたし」
「雷鳥沢……、立山ですか。ハヤトさん単独で?」
雷鳥沢キャンプ場は、富山県の立山連峰に囲まれた絶景の場所にある。標高は二千メートルを超えており、ここを拠点にして立山の登山へ向かう者が多い。
「もう三十超えたし、冬の単独は今のうちかなと思って。ナギサくんも登山はするんですよね?」
「今は低山の縦走くらいです。ロングトレイルとか、普通にキャンプとか、そっちのほうが俺には合ってるんですよね」
「それは残念。一緒に登りたかったんですけどね~」
凪沙を見るハヤトの挑戦的な目にドキッとさせられる。表情は柔らかだが、何を考えているのかわからない。
「俺と一緒に……、ですか?」
「そう。厳冬期の蝶ヶ岳とか」
「は、はぁ!? 雪の北アなんて絶対にイヤですよ……! マジで誘わないでください」
「じゃあ谷川岳に行って大氷柱!」
「俺を殺す気ですか。ていうか、俺はロッククライミングできませんし、超上級者が挑戦する山ですし、最近は暖冬の影響で氷瀑も氷柱もできにくい年もあるらしいですし」
「あははっ、嫌がってるわりにさすが詳しいですね。冗談ですよ、冗談」
「ハヤトさんが言うと冗談に聞こえないんですよ」
からかうためにあんな顔をしたのか、と凪沙はホッとしたような、でも腹が立つような複雑な気持ちになる。
「あ、そうそう、ナギサくんに渡す物があったんです」
席を立ったハヤトは荷物のところへ行き、紙袋を持って戻ってきた。そして凪沙にそれを渡す。
「はい、これ。開けてみてください」
「え? なんですか?」
いいからいいからと急かされたので開けてみると、中から出てきたのは……。
「Aクラフトのナイフじゃないですか! どうしたんですか、これ!」
凪沙は思わず大きな声を上げる。
前から欲しいと思っていたが、値段的にもなかなか手を出せなかった逸品なのだ。
「ナギサくん、来月誕生日でしょ? だから早めのプレゼント」
「ありがとうございます……! もう誕生日過ぎてますけど、嬉しいです」
「えっ、過ぎてたんですか。素で間違えてた、すみません……」
申し訳なさそうに頭を掻くハヤトに、凪沙は頬を緩めた。
「意外とそういうところがあるんですね、ハヤトさん」
「いや本当にすみません……。というかそのナイフ、俺とお揃いなんですよ、ほら」
自分のナイフを掲げたハヤトは、「かなり使い込んでいるので、使い方に困ったら教えますね」と笑った。
こんなふうに凪沙へ接してくるハヤトを前にすると、決着などと意気込んでいた自分が恥ずかしくなってくる。
「やっぱりハヤトさんは大人ですね……。敵にプレゼントなんて、俺にはできませんよ」
「ナギサくんは恋敵ではあるけど、俺の敵じゃないでしょう。大切なキャンプ仲間なんですから」
「……そう、ですよね」
彼の言葉にうなずくしかなかった。
コーヒーを飲み干した凪沙は、前に約束していたハヤトのハンモックを借りて、キャンプの支度を始めた。
あっという間に日は落ち、暗がりの中でバチバチと焚き火が爆ぜている。
それぞれの焚き火で肉や野菜を焼き、燻製やチーズを食べ、ビールに焼酎、ワインで楽しむ。
そして夜も更けた頃、ハヤトが持ってきた瓶のウィスキーをふたりで飲み始めた。
「――俺、カナコにプロポーズしたんです」
酔いが回ってきた凪沙は、ようやくその言葉を吐き出せた。




