020:二人目の少女(3)
◇2038年9月@福島県二本松市《安斎真凛》
毎朝、安斎真凛が起きる時間に、彼女の両親は寝ている。だから彼女は、いつも一人で適当に朝ご飯を食べて、適当に身支度をして外へ出て行く。
学校には行かなくてもアパートに籠ったりしないのは、彼女が強めの弱視だからだ。テレビの画面はぼんやりとしか見えないし、マンガなんかは全く読めない。スマホやパソコンとかは文章を読み上げてくれるけど、母の希美はケチだから、どっちも買ってはくれない。
そんな訳で、学校の教室に居辛くなった小学一年生の夏休み明けの頃、真凛は公園に一人でいた。だけど、雨の降る日も風の強い日もあるから、毎日、公園にいる訳にもいかない。
一応、岳温泉にも、小規模なショッピングモールはある。でも、そこにいると知らない大人の人達が寄って来て、「ご両親は?」とか「学校は?」とか聞いてくるから、そこにも長くはいられない。
結局、試行錯誤の末に真凛が見付けたのが、小さな図書館だった。そこは市立図書館の分室で、あまり人が来ないし、司書の人とも顔見知りだから、安心して長くいられる。
そこでの真凛のお目当ては、物語の読み上げと流行りの音楽を聴くこと。どっちも司書さんにPC端末の使い方を教えてもらって、すぐに自分で操作できるようになった。
それに、そこでなら真凛も、ちゃんと勉強だってするんだ。
その図書館に初めて真凛が訪れたのは、小学一年の九月の終わり、しとしとと雨が降る日の事だった。
その時だけは、カウンターにいた女性司書から、いろんな事を真凛は訊かれた。最初、その司書の笠間詠美は真凛の親と連絡を取ろうとしてたけど、すぐに諦めて小学校に連絡を入れたようだった。
そうして、やって来たのは担任の杉内先生。その彼女は図書館にズカズカと入って来ると、真凛の前に仁王立ちして、一方的に罵詈雑言を浴びせ掛けて叱責した。教室から追いやったのは自分だというのに、すっかり忘れてしまったような物言いだった。
それを止めてくれたのは司書の笠間で、何となく事情を察してくれたのか、尚もいきり立つ杉内先生におずおずと提案を申し出てくれた。
「あの、しばらくは私どもの方で真凛ちゃんの面倒を見させて頂けませんか?」
「えっ、良いの? だったら、助かるんだけど。この子がいるだけで、教室の雰囲気が悪くなって困ってたのよねえ」
「でも、ここにいる時の真凛ちゃんは、大人しい良い子ですけど」
「そういう意味じゃないのよ。あなただって、この子の変な色の髪を見たら分かるでしょう? こいつ、キャバ嬢の娘なのよ」
そう言って杉内先生は、真凛の方にニヤニヤと嫌らしい顔を向けてくる。それを見た司書の笠間は、さすがにカチンときたようで、「キャバ嬢の娘だからと子供を差別するのは、おかしくないですか?」と苦言を呈した。
ところが、杉内先生は逆ギレして、笠間を汚い言葉で罵倒してくる。それに閉口している笠間の下に、騒ぎを聞き付けた男性司書の神野がやって来て、その場は何とか収まったのだった。
そして、それから五年もの間、真凛はその図書館に学校よりも足繁く通っている。
司書の笠間詠美は、真凛にとってのもう一人の先生だ。ていうか、唯一の先生と言っても良いくらいに彼女は笠間を慕っている。笠間は時間が空いた時、真凛に勉強を教えてくれるからだ。それに、男性司書の神野もまた真凛に様々な話をしてくれて、彼女の知識の幅を広げてくれた。
いくらEラーニングが主流になったとはいえ、小学生の場合、全て自分だけで学習を進めるには無理がある。特に算数とかはそれが顕著で、あまり学校に行っていないにも関わらず、真凛が一定の学力を保っていられたのは、笠間と神野のお陰である。
それでも真凛の成績は良いと言えるものではなかったのだが、彼女は決して頭が悪い訳ではない。ひとえに育つ環境が悪すぎただけだ。と言うのは、彼女の両親は共に学業が苦手であり、しかも、勉強の必要性を全く感じていない人達だったのだ。
もっとも、そんな両親だからこそ、真凛があまり学校に行かなくても黙認されていたとも言える。だから、真凛が図書館というシェルターを得ていた事は、尚更、ラッキーだったのである。
★★★
最近の真凛は、だいたい週に一回は学校に行って、残りの五日は図書館。日曜は図書館が休刊日なので、ショッピングモールとかで適当に時間を潰している。
真凛が週に一回程度とはいえ学校に足を運ぶのは、担任教師の桑原拓斗から呼ばれるからだけど、それとて、無視しようと思えばできなくもない。実際、家に引き籠って学校に全く来なくなった子なんて、大して珍しくないからだ。
もちろん、そうなってしまえば桑原の評価も下がるから、定期的に彼は真凛を学校に呼ぶわけだが、それでボコられるリスクがあるのに、わざわざ出向いてやるなんて馬鹿げてる。
それでも真凛が学校に行くのは、図書館司書の笠間詠美が行けと言うからだ。
「真凛ちゃんが学校に行きたくないのは分かるんだけど、少しは行った方が良いと思うのよね。もしも学校に行かないじゃなくて、『行けない』って事にでもなったら、真凛ちゃんの将来の選択肢が減っちゃうじゃない。いくら嫌な所でも、学校は真凛ちゃんを社会に繋ぎ留める大切な絆ではあると思うんだ」
正直、その話の意図を正しく理解していたとは言い難いけど、学校に行かなくなっちゃうのがマズいってのは、真凛にも分かった。それに「学校が、自分を社会に繋ぎ留める大切な絆」だってのは、何となく理解できるのだ。
真凛が母の希美の話とかを聞いて思うのは、世の中には嫌な奴がたくさんいるんだけど、そいつらを避けてばっかりじゃダメだって事。それじゃ、お金は稼げないし、やりたい事が何もできない。きっと、そういうのを学びに学校へ行くんじゃないかな?
いつも真凛は、そんな風に思っているのだった。
★★★
真凛が学校や図書館から自宅アパートへ帰って来る頃、彼女の両親は仕事の準備で忙しい。母の安斎希美は気が向けば夕食の用意をする事もあるけど、たいていは真凛に任せっきりだ。希美自身は寝起きなので、食欲が無い。真凛が何か言うと、すぐ怒る。血圧低めだから、機嫌が悪いのだ。
父の芳賀力哉はというと、出勤時間のギリギリまで寝ていて、一人でサッと支度して出て行ってしまう。だから、真凛が気付かないうちに、いなくなっている事の方が多い。
つまり、真凛が両親と顔を合わせるのは夕方だけなのだが、両親共に話し掛けられる状態じゃないという事だ。よって、どうしても二人に用事がある時は、メールを送るか、休みの日まで待つしかない。
そんな訳で、ほとんど両親には頼れず友達もいない真凛に何か相談事がある時は、図書館司書の笠間詠美と話す事になる。だけど、親でない彼女に話せる内容には限りがあって、学校でのイジメだとか理不尽な目に遭わされた事だとかは、結局、独りで我慢するしかないのだ。
生まれ付き楽天的な性格の真凛でさえ、さすがにこの状態はきつい。
「光のチョウ」に変異する能力を得る前の真凛は、そんな行き詰りの状態にあったのだった。
★★★
さて、真凛にとって運命の日の朝、やはり彼女もまた自分の身体に妙な違和感を覚えていた。
だけど、真凛の場合、そういった事には耐性がある。常に一人でいる事が多い真凛は、多少の違和感なんて関係なしに学校にも図書館にも行ってしまう。そして、どうしても駄目な時、学校だったら保健室に行くし、図書館だったら笠間詠美が何とかしてくれる。
その日の真凛は、だいたい週一回の学校に行く日に当たっていた。ところが、その学校では、珍しく桑原先生もクラスのイジメっ子達も絡んで来なくて、少し拍子抜けするぐらいだった。それで彼女は、身体に違和感を持ちながらも、割と集中してEラーニングでの学習を進め、分からない所は次に図書館に行った時に聞こうとノートにメモったりして、気が付くと放課後になっていた。
真凛には友達なんていないので、速攻で下校する。うだうだしてると誰かが絡んで来ちゃうから、急ぐのは大事。タブレット端末とかをリュックに仕舞うと、早足で下駄箱に向かい、外へ出て家路を辿った。
変化は、夕方に両親が出勤した後に始まった。徐々に身体が光り出し、気が付くと「光のチョウ」になっていた。
彼女の翅は薄い水色で、細い青の翅脈が走っている。翅の上下の隅に紺の文様があって、青系の色目なのを除けば、モンシロチョウみたい。サイズは天音の翅よりも小さいけど、その分、小回りが利きそうだ。
当然、真凛は激しく動揺した。自分の身体がこんな風になって、動揺しない女の子なんていない。
だけど、そこは天性の楽天家である真凛だ。たぶん、同世代女子の誰よりも適応能力が高いに違いない。しかも、この時点の真凛は自分が置かれた境遇に辟易としており、それが変えられるのであれば藁にもすがる思いだったのだ。
そして、夜空に飛び出してみれば、こんなに愉快な事はない。
この時、真凛は、偶然に得られた「光のチョウ」の新しい自分に一瞬で魅了され、夜空を自由自在に飛び回れる事に有頂天になったのだった。
END020
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、安斎真凛の「光のチョウ」になってからの話です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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★★★
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(ジャンル:パニック)
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