012:飛翔(2)
◇2038年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
「光のチョウ」の姿で夜空を南へと向かう矢吹天音の目に、次に見えてきたのは、彼女の母の涼子が働くカマボコ工場だった。何となく中を覗いてみたくなった天音は、高度を下げ、天井をすり抜けて中へと入って行った。
どうやら、この時間までは稼働していないようで、工場の中は真っ暗だった。それでも天音に中の様子が分かるのは、今の状態の彼女は夜目が利くようになっているからに他ならない。
誰もいない空間には、機械や作業台の類がゴチャゴチャと置かれている。何だか、すごく魚臭い。てことは、この姿になっても、臭いは感じられるみたいだ。
そういや、私、最近は視力が落ちていて、お母さんに「眼鏡、買おうか?」と言われてたんだった。それなのに、遠くの方までクッキリ見えているのは、やっぱり「光のチョウ」になった恩恵なんだろうか? いや、さっき変異を解いた時も、見え方は変わらなかったような……。
こうして暗闇でも何があるか分かる事も含め、なんか、「光のチョウ」になって以来、良い事ずくめな気がする。
床に降り立って変異を解いた状態の天音が首を捻っていると、「お-い、そこに誰かいるのかあ?」という野太い声が響いた。天音はビクッと身体を震わせて、機械の陰に身を隠す。足元が裸足のせいで、リノリウムの床がやけに冷たかった。
身をかがめて恐る恐る声のした方を覗いてみると、警備員の格好をした男が二人、ずっと端のドアの所に立っていた。
「あれっ? さっきは、何かが光っていたんだけどな」
「どうせ、気のせいだろ」
「そうかなあ……」
警備員の二人は、碌に中を確かめもせずに戻って行ってしまった。
彼らがいなくなった後、天音はハタと気が付いた。
私、聞こえてた!
普段の天音だったら、あんなに離れた所の話し声が聞ける筈ないのだ。それなのに、自然に聞き取れたという事は……。
私の耳、ちゃんと聞こえてる! てか、なんか聴力も、視力と一緒でバージョンアップしてるみたい。
そうなのだ。変異を解いた状態での視力もまた、夜目も含めて高性能のままなのだ。
嬉しくなった天音は、再び変異して夜空に舞い上がった。そして、今度こそ、小名浜地区の街中へと到着。そこで、ビルやマンションの周りを回ったり、電気の消えたオフィースの中を覗いてみたり、港に出て魚市場の建物の中に飛び込んでみたりと、奇妙な夜の街の徘徊を満喫した。
その後、丘の上にある三崎公園に行って、マリンタワーのてっぺんに舞い降りると、そこで半分だけ変異を解いた。それは、何となく『翅だけ消せないかな?』と願ったら、できてしまったのだ。どうやら、身に纏う光は調節できるみたいだ。
何で天音がそうしたかと言うと、防寒の為だ。タワーの上は強風が吹くし、その分、寒い。でも、半分でも光を纏っていれば、寒さを感じなくて済むみたい。
タワーのてっぺんに座った天音は、足をぶらぶら。普通なら怖い筈なのに、すぐに変異できると分かっているから、全然、怖くなんてない。
そうして小名浜の街の夜景を眺めていたら、気付かない内に変異が解けていて、急に寒くなった……と思ったら、次の瞬間には強風に煽られて空中に投げ出されてしまった。このまま地上に真っ逆さま……ってなる所を、サッと変異して再び夜空へ舞い上がる。
『さっき変異が解けたのは、どうしてなんだろう?』と考えて思い付いたのは、『瞬間的に、睡魔に襲われたんじゃないか?』って事。さすがに意識が途切れた状態では、変異を維持するのは難しいようだ……と、そこまで考えて、ようやく天音は、自分が疲れていると気が付いた。それと同時に思ったのは、『あれっ、今って何時なんだろう?』という疑問……。
お母さんは、残業の日でも夜の九時ぐらいには帰って来る筈。だいたい、さっきカマボコ工場に行った時、中が真っ暗になってたじゃない!
てことは、もう帰ったって事になる訳で……。
うわあ、これって、ヤバいかも……。
『すぐに戻んなきゃ!』と焦り出した天音は、自宅アパートのある北の方向へと、大急ぎで夜空を駆ける。そして、十分もしないうちに、彼女は自室の机に座っていたのだった。
★★★
「天音、入るよ!」
天音が戻って僅か二分で、母の涼子がドアをノックして入って来た。まさに間一髪だったようだ。
その母は先にシャワーを浴びたからか、髪の毛が濡れている。こうしてみると、明らかに淡い茶色だ。視力が改善した分、今夜はハッキリと分かる。
「もう、あたしが『ただいま』って言ってるんだから、『おかえり』くらい返してよ……って言っても、あんたじゃ無理だね。聞こえてないんだから」
母は、いつもと同じような小言を言っている。
「何か、あんたの部屋静かだったから、心配して来てみたんだ。まあ、いるんなら良かったよ。最近は、ここら辺も物騒だからね。一瞬、『帰ってなかったら、どうしよう』って思っちゃったじゃないか」
「うん。私は、大丈夫だよ。ありがとう」
天音が言葉を返しても、まだ母は何やらブツブツと呟いている。それでも、天音が聞こえないふりをしていると、溜め息を吐きながら出て行ってくれた。
だけど、今の天音の耳は、その後の母の独り言まで拾ってしまう。
その母は、「ああ、今日は疲れたわ」と呟いて、リビングのソファーに腰を下ろした様子。
「だいたい、あの若い製造課長の奴、自分の指示が間違ってたってのに、現場に無理やり押し付けやがって……。ああ、もう最悪。ムカつくったらありゃしない……」
どうやら、仕事で嫌な事があったみたいだ。
天音は、『やっぱり、仕事って大変なんだな』と心の中で呟きながら、何となく母の声をシャットダウンする。すると、ピタッと声が聞こえなくなった。
さっき、身体が光を纏えるようになってから、急にいろんな事ができるようになって、いちいち新しいやり方を覚えるのが大変なのだ。
まあ、良いや。少しずつ慣れて行こう。
今朝から天音の身体にあった違和感は、もう完全に消えている。
天音は、さっき自分の身体に起こった様々な事柄を、改めてひとつひとつ考えてみた。
取り敢えず、変異した姿が「チョウ」で良かったな。もしもハエとかだったら、泣いちゃいそう。
だけど、空を飛べたり壁をすり抜けられたりするのって、色々と役立つかも。それに、身体を光らせたりするのだって、やり方によっては、使えるかもしれない。
これからはイジメっ子逹に絡まれても、身体を光らせて相手をビビらせたり、壁とかをすり抜けて逃げたりすれば良い。
いや、本当にそうだろうか?
そんな事をしたら、今度こそ化け物みたいに思われて、もっとマズい事になるんじゃないかな?
天音は、髪の色が人と違うのと、あまり耳が聞こえないだけで、今まで散々な目に遭ってきた。それが、「光のチョウ」になって「空が自由に飛べちゃう!」なんて分かっちゃったら、今度こそ化け物だって騒がれそう。
いや、学校で騒がれるだけなら、まだ良い。マスコミとかだって放っておかないだろうし、何もしてなくたって警察に追い掛けられたり、最悪、研究機関とかに隔離されて、人体実験とかされちゃったり……。
ああもう、今日は、疲れた!
今朝からあった身体の違和感に始まって、それが夕方に強まったと思ったら、じわじわと身体が光り出して……、それからは本当に色々とあり過ぎた。だからもう、これ以上、考えるのは止めよう。
天音は、考えるのを放棄した。
彼女は、下だけ寝間着代わりにしているジャージに着替えて、ベッドに潜り込んだ。そうして一分も経たないうちに、深い眠りの海に身を委ねたのだった。
END012
ここまで読んでくださってありがとうございました。
こちら、本日の二話目になります。
次話は、「天音の変貌」になります。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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★★★
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(ジャンル:パニック)
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