第三話 大胆不敵で無謀な作戦
『魔の者を退けるための超常的な力』
家にある数ある本の中には、どれにもそんな記述があった。
魔の者。超常的な力。
どちらも、今のカイルには意味の分からない言葉だった。
しかし、不思議なことに、どの本にも似たような記述があるのだ。
単なる創作や妄想の類ではないのかもしれない。
カイルはそう考え、詳しく調べることにした。
幸運なことに、家の本棚には多種多様なジャンルの本が揃っていた。それらはどれも、子供が読むような絵本や童話といった児童書ばかりだったが、それでも、この世界について理解するには絶好の情報源だった。
文字を覚えたばかりの頃は、簡単な文章を読むだけでも苦労したものだ。
だが、六歳になった今では、多少難しい表現があっても、前後の文章から意味を推測できるようになっていた。
そうして本を読み漁るうちに、カイルはある一冊の本に目を留めた。
赤い表紙に、金色の文字で題名が記されている。
――『魔導書』。
子供が読むには少々分厚い本だった。
それでも、表紙には難しい図形や複雑な紋様などはなく、児童書らしい簡素な装飾が施されている。
(魔導書……ね)
これまで読んできた本にも、魔の者や不思議な力についての記述はあった。
だが、どれも童話や伝承の一部として語られているだけで、詳しい説明はなかった。
もし、この本に何か書かれているのなら。
そう考えたカイルは、さっそく表紙を開いた。
最初のページには、目次が記されていた。
『魔法について』
『魔法の使い方』
『魔法の種類』
『魔法と魔力』
そんな項目が並んでいる。
(……魔法?)
その言葉を見た瞬間、カイルの意識が引き寄せられた。
魔の者を退けるための超常的な力。
これまで読んできた本の記述と照らし合わせれば、魔法というのは、その力を指しているのかもしれない。
もしそうなら、この世界には本当に魔法が存在するのだろうか。
前世の地球では、魔法など空想上の産物にすぎなかった。
どれほど強く願おうとも、手をかざすだけで炎が生まれることはない。呪文を唱えたところで、風が吹き荒れることもなかった。
しかし、ここは地球とは異なる世界だ。
常識が違うのなら、魔法が存在していても不思議ではない。
(……これは、ちゃんと調べる必要があるな)
カイルは胸を躍らせながら、目次の先へとページをめくろうとした。
その時だった。
ひょい、と手にしていた魔導書が、突然取り上げられた。
(……は?)
何が起きたのか分からず、カイルは呆然とした。
慌てて顔を上げると、そこには母親が立っていた。
金色の髪を揺らしながら、少し怒ったような表情でこちらを見下ろしている。
「母さ――」
返して、と言おうとした。
しかし、母親はカイルの言葉を遮るように、魔導書を棚の高い場所へと置いてしまった。
今のカイルでは、到底手が届かない位置だった。
「これはまだ早すぎるわ」
母親はそう言って、困ったように眉を下げた。
カイルは、しばらく母親の顔を見つめていた。
(……早すぎる?)
その言葉の意味が分からないわけではない。
確かに、子供が読むには分厚い本だ。内容だって、ほかの児童書より難しいのかもしれない。
だが、文字は読める。
内容だって、少なくとも目次を見る限りでは理解できそうだった。
それなのに、なぜ取り上げられなければならないのか。
「……どうして?」
カイルは、できるだけ素直な子供らしい口調で尋ねた。
母親は少しだけ表情を和らげたものの、棚の上に置いた本を手に取ろうとはしなかった。
「どうしても、まだ早いの。もう少し大きくなったら、ちゃんと教えてあげるからね」
そう言って、母親はカイルの頭を優しく撫でた。
その態度に、悪意は感じられなかった。むしろ、心配しているように見えた。
だからこそ、カイルはそれ以上、強く要求することができなかった。
(……何か理由があるのか?)
ただ子供には難しいから、というだけではない気がした。
母親の表情には、単なる教育上の判断とは違う、何かを避けようとするような雰囲気があったのだ。
もちろん、気のせいかもしれない。
だが、これまでの経験から、カイルは一つのことを学んでいた。
分からないことがあるのなら、すぐに答えを決めつけてはいけない。
今は無理でも、いずれ知る機会は訪れるだろう。
そう考えたカイルは、ひとまず引き下がることにした。
「……うん、分かった」
母親は安心したように微笑んだ。
「いい子ね」
そう言って、もう一度、カイルの頭を撫でる。
その手の温もりを感じながら、カイルは心の中で呟いた。
(魔法、か……)
もし、この世界に本当に魔法が存在するのなら。
それは、カイルにとって大きな意味を持つことになる。
前世では、何もできなかった。
目の前で困っている人がいても、自分が生き延びることで精一杯だった。
白井のように、誰かを助けるために迷わず行動できる人間にはなれなかった。
だからこそ、今度こそは誰かを助けられるだけの力が欲しい。
どんな絶望の中でも、大切な人を守れるだけの強さが欲しい。
そして、白井が夢見た『最強』へと至りたい。
そのために、この世界の魔法という力が役立つのなら。
(……絶対に、読んでやる)
カイルは、棚の上に置かれた赤い本を見上げた。
母親が言うには、まだ早いらしい。
ならば、もう少し待とう。
その間に、できることはいくらでもある。
身体を鍛えることも、知識を蓄えることも、言葉を覚えることも。
そして、いつか魔法について学べる時が来たら、その時は誰よりも真剣に取り組もう。
そう心に決めたカイルは、再び本棚へと視線を戻した。
新たな人生で手に入れたいものが、ようやく見つかった気がした。
―――。
それからカイルは、魔導書の閲覧を一旦後回しにして、さらにこの世界について学ぶため、外出を試みた。
しかし、六歳の子供が一人で外出することを、両親が許すはずもなかった。
「駄目よ。まだ一人で外に出るには早すぎるわ」
「そうだな。外には危険もある。もう少し大きくなってからにしなさい」
母親だけでなく、父親にまで反対されてしまった。
(……またか)
カイルは内心でため息をついた。
魔導書を読もうとすれば早すぎると言われ、外に出ようとすれば危険だからと止められる。
もちろん、両親の言い分も理解できる。六歳の子供を一人で外出させるのは、親として不安なのだろう。
それでも、いつまでも家の中に閉じこもっているわけにはいかなかった。
この世界について知るためには、実際に自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じる必要がある。
本を読むだけでは得られない情報もあるはずだ。
そう考えたカイルは、両親との交渉を続けた。
何度も頼み込み、条件を譲り、妥協に妥協を重ねた結果――。
「……庭だけなら、いいわよ」
ようやく、母親から許可を得ることができた。
ただし、家の外へ出ることは禁止。
庭から勝手に出ないこと。危険な場所には近づかないこと。両親の目が届く範囲で行動すること。
いくつもの条件をつけられたが、今はそれでも十分だった。
何しろ、カイルは生まれてこの方、窓から外を眺めることしかできなかったのだから。
そして、待ちに待った庭での行動が解禁された日。
カイルは玄関の扉を開けると、一歩ずつ外へと足を踏み出した。
目の前に広がるのは、緑豊かな草原だった。
「……おお」
思わず、感嘆の声が漏れた。
窓越しに何度も眺めてきた景色だ。
しかし、実際に外へ出てみると、受ける印象はまるで違った。
草原を渡る風が、頬を優しく撫でる。
青々とした草の匂いが鼻をくすぐり、遠くからは鳥のさえずりが聞こえてくる。
カイルは大きく息を吸い込んだ。
肺いっぱいに、新鮮な空気を満たす。
(……気持ちいいな)
前世では、こんなふうに風を感じる余裕すらなかった。
空気は汚れ、街は荒廃し、どこへ行っても争いの気配があった。
草木の匂いを楽しむことも、青空を見上げることも、いつしか忘れてしまっていた。
それが今はどうだ。
目の前には、どこまでも続いているかのような草原が広がっている。
空は青く、風は穏やかで、遠くの景色まで澄み渡って見えた。
ここには、あの世界にはなかった平穏がある。
そう実感しただけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
家の庭は、広くも狭くもなかった。
子供が走り回るには十分な広さがあり、端から端まで駆けてみることもできる。
カイルはしばらくの間、庭を歩き回った。
地面の感触を確かめ、草花を観察し、風の吹く方向に顔を向ける。
そんな何気ないことが、妙に新鮮だった。
やがて、庭を囲む石造りの塀が目に入った。
外の景色を、もっと近くで見てみたい。
そう考えたカイルは、周囲に両親がいないことを確認すると、塀へと近づいた。
そして、手足を使ってよじ登る。
六歳の身体では少々苦労したものの、なんとか上まで登ることができた。
そこから見えた景色に、カイルは目を見開いた。
「……人が、いる」
当たり前のことだった。
家があるのなら、人が住んでいるのも当然だ。
だが、カイルはこれまで、両親と自分以外の人間をまともに見たことがなかった。
石造りの塀の向こうには、ブラックウッド家と同じような木製の家々が立ち並んでいた。
家と家の間には道が延び、その先には大きな畑が広がっている。
畑では何人もの人々が働いていた。
鍬を手に土を耕す者。収穫した野菜を籠に詰める者。馬車を引きながら、道をゆっくりと進む者。
少し離れた広場では、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
笑い声が風に乗って届いてくる。
誰かが誰かに怒鳴りつける様子もなければ、食料を奪い合う様子もない。
人々はそれぞれの仕事をこなし、子供たちは無邪気に走り回っている。
そこには、ごく当たり前の平和な日常があった。
(……本当に、平和なんだな)
カイルは、しばらくその光景を眺めていた。
もちろん、村の外で何が起きているのかまでは分からない。
この村が平和だからといって、世界全体が平和だとは限らないだろう。
それでも、少なくとも今、目の前に広がっている光景は本物だった。
人々が安心して暮らし、働き、笑っている。
前世の自分が、ずっと遠くに置き去りにしてきた光景だった。
(……俺は、こういう世界で生きていくのか)
そう思うと、不思議な気持ちになった。
やがて、カイルは視線を移した。
集落の入口と思われる場所に、大きな看板が立っている。
距離があったため、最初は文字を読むことができなかった。
しかし、目を凝らしてみると、そこには見覚えのある文字が彫られていた。
この世界の言葉を学ぶため、何度も本を読んできたのだ。
六歳になった今では、多少離れた場所からでも、簡単な文字なら判別できる。
看板に刻まれていたのは、四つの文字だった。
「イリス、村……」
カイルは、小さく呟いた。
イリス村。
それが、この場所の名前らしい。
ようやく手に入れた、確かな情報だった。
カイルは急いで塀を降りると、家の中へと戻った。
自分が暮らしている場所が分かったのだ。
それなら、地図と照らし合わせれば、より詳しい情報を得られるはずだった。
カイルは本棚へと駆け寄り、地理の本を取り出した。
ページをめくり、見覚えのある地図を広げる。
ノワラ王国の地図。大陸の東側に位置する、草原の多い国だ。
カイルは地図の端から端まで視線を走らせ、村の名前を探した。
そして――。
「あった」
地図の東端。
ノワラ王国と、その隣国であるダール王国との国境付近。
そこに、小さな文字で『イリス村』と記されていた。
大きな都市からは離れており、王国の辺境に位置する小さな村らしい。
カイルは地図を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
(……ここが、俺のいる場所か)
ノワラ王国。その東端にある、イリス村。
ようやく、自分がどこにいるのかを知ることができた。
これまで、窓の外に広がる景色は、ただの知らない世界だった。
だが、今は違う。
自分が暮らしている場所には名前があり、国があり、隣国がある。
この世界にも、人々が築いてきた歴史と社会があるのだ。
カイルは地図の上に指を置いた。
小さな村の名前を、じっと見つめる。
(……ここから、始めるか)
白井との約束を果たすために、誰かを助けられるだけの強さを手に入れるために。
まずは、このイリス村から、自分の新しい世界を知っていこう。
カイルはそう心に決めた。
―――。
カイルが家の庭から村の観察を始めてから、数日が経った頃。
カイルは、ある発見をした。
視線の先にあったのは、イリス村の最奥に堂々と建つ大きな屋敷だった。
城と呼ぶには規模が足りない。だが、村にあるほかの建物と比べれば、明らかに不釣り合いなほど大きかった。
真っ白な外壁は遠目からでも目立ち、屋敷を囲むように築かれた壁には、立派な門が設けられている。
その門の向こうには広々とした庭があり、中央では大きな噴水が水を噴き上げていた。
貴族か、あるいは村を管理する立場にある人物が暮らしているのだろう。
そう思わせる屋敷から、毎日のように出てくる少女がいた。
金色の髪を綺麗にまとめ上げたツインテール。遠くからでもはっきりと分かる、鮮やかな真紅の瞳。
そして、身にまとっている衣服は、カイルが普段着ている古びた服とはまるで違っていた。
毎日丁寧に手入れされているのか、皺一つ見当たらない小綺麗な服だった。
金持ちの娘。
一目見ただけなら、そんな印象を抱くだろう。
年齢はカイルよりも一回りほど上だろうか。見た目から判断する限り、十二歳前後といったところだった。
少女は毎日、決まった時間になると屋敷を出る。そして、どこかへ向かって足早に歩いていくのだ。
カイルの家は、イリス村の中でも比較的高い場所にある。丘の上に建てられているため、村全体を見渡せるほどではないものの、村の大部分を観察するには十分な位置だった。
そのため、少女がどこへ向かうのかも、自然と目に入った。
いや、正確には――いつからか、カイル自身が少女の姿を探すようになっていた。
「今日も”あの家”に行くのか?」
小さく呟き、少女の後を目で追う。
少女が向かっている先には、もう一つ、この村には不釣り合いな建物があった。
石造りの家だ。
木造の家が大半を占めるイリス村において、その建物はひときわ異彩を放っていた。
以前、両親に尋ねてみたところ、村の護衛を任されている者が住む仮の住まいなのだと教えられた。
少女は毎日、その石造りの家を訪れていた。
そして、一度中に入ると、夕方になるまで出てこない。
一体、あの中で何をしているのだろうか。
カイルは好奇心に駆られ、時間があれば毎日、その家を観察するようになっていた。
もちろん、他人の生活を盗み見ることに趣味があるわけではない。
ましてや、少女の姿を眺めていたいという理由でもなかった。
……いや、本人としては断固として否定したいところだった。
カイルが気にしていたのは、少女から感じられる異様な”気配”だった。
気配、と言っても、何か目に見えるものがあるわけではない。
少女の周囲に不思議な光が浮かんでいるわけでもなければ、特別な現象が起きているわけでもない。
ただ、彼女を見ていると、ほかの人間とは違う何かを本能的に感じ取るのだ。
圧、とでも言えばいいのだろうか。あるいは、オーラ。
どちらも正確な表現とは言い難いが、カイルにはそれ以外の言葉が思い浮かばなかった。
「気になる……」
カイルは眉を寄せた。
前世の自分には、他人の外見や雰囲気から、特別な何かを感じ取るような力はなかった。
人の顔色をうかがったり、声色から感情を読み取ったりすることはあっても、今のような感覚とは明らかに違う。
おそらく、この世界で生まれ変わってから身についたものなのだろう。
もっとも、その感覚は少女に対してだけ働くわけではなかった。
庭に生える草木からも、両親からも、微かではあるが奇妙な気配を感じることがある。注意して意識を向けなければ気づかないほどの、かすかな感覚だ。
しかし、あの少女だけは違った。
彼女から感じる気配は、ほかのものよりも明らかに強い。
だからこそ、カイルの興味を引いた。
この世界に生まれ変わってから、彼は数多くの疑問を抱えてきた。
地球とは異なる地理。見たこともない国々。そして、本の中で何度も目にした、魔法という超常的な力。
まだ分からないことばかりだ。
だが、もしこの気配が、この世界に存在する何かと関係しているのだとしたら。
魔法と同じように、この世界ならではの法則が隠されているのかもしれない。
そう考えると、目の前の少女は、単なる村の金持ちの娘には思えなくなった。
「……あの家の中に、何かあるのか?」
少女の姿は、すでに石造りの家の中へと消えていた。
カイルはしばらくの間、その建物を見つめ続けた。
そして、数分にも及ぶ思考の末――大胆な行動に出ることを決意した。
「よし、あそこに行ってみよう」
想像や妄想をいくら膨らませたところで、答えが出るわけではない。
疑問を解消したいのなら、実際に自分の目で確かめるのが一番だ。
そう考えたカイルは、石造りの家へ直接足を運ぶことにした。
もっとも、問題はそこに至るまでの道のりではない。
両親だ。
父親は仕事のため、午前中から家を空けていることが多い。一方、母親は専業主婦で、毎日家事に追われていた。
六歳の子供であるカイルが一人で外出しようとしても、母親の目を盗むのは難しい。
以前、庭に出る許可を得るまでにも、ずいぶんと苦労したのだ。
そんな母親の監視をかいくぐり、村の反対側まで出かける。普通に考えれば、無謀な計画だった。
しかし、カイルには勝算があった。
これまでの生活の中で、彼は母親の行動を注意深く観察していた。
本人にそのつもりはなかったのだが、前世で培った習慣もあってか、日々の行動から規則性を見つけ出すことには慣れていたのだ。
そして、ついに見つけた。
母親には、毎日のように訪れる隙があったのである。
それは、昼過ぎの仮眠時間だ。
朝早くから家事に励む母親は、昼頃になると一度、休息を取る習慣があった。
家事の合間に温めたミルクを飲み、その後は寝室でしばらく眠るのだ。
この世界には時計がないため、正確な時刻は分からない。
それでも、前世の時間感覚に照らし合わせるなら、おそらく午後二時から三時半頃に相当するだろう。
およそ一時間半。
その間だけは、カイルに対する母親の監視が緩む。
もちろん、母親が眠っているからといって、好き勝手に動き回れるわけではない。
途中で目を覚ます可能性もあれば、家の中にカイルがいないことに気づかれる危険もある。
だが、やってみる価値はあった。
カイルの家から、例の石造りの家までは徒歩で三十分ほど。
往復するだけで一時間を費やす計算になる。さらに、道中で誰かに呼び止められたり、目的地で思うように調べられなかったりする可能性も考えなければならない。
つまり、現地で自由に動ける時間は、せいぜい二十分程度。
その短い時間で、少女から感じる奇妙な気配の正体に迫る何かを見つけられれば、作戦は成功と言えるだろう。
「作戦は完璧……あとは実行するタイミングだな」
カイルは小さく頷いた。
もちろん、完璧という言葉を使うには、あまりにも不確定要素が多い。
そもそも、石造りの家に何があるのかすら分かっていないのだ。
行ったところで何も分からず、ただ往復するだけに終わる可能性も十分にある。
それでも、好奇心は抑えられなかった。
何より、あの少女から感じる気配は、カイルにとって無視できないものだった。
魔法という未知の力が存在するかもしれない世界。
自分が感じ取っているこの感覚も、何か特別な力に関係しているのではないか。
もしそうなら、その正体を知ることは、これから生きていくうえで大きな意味を持つはずだ。
カイルは一度、庭から家の中へと戻った。
そして、何食わぬ顔で母親の様子をうかがう。
母親は、ちょうど大体の家事を終えたところだった。
台所で温めたミルクを飲み終えると、軽く息をつき、寝室へ向かおうとしている。
――今だ、とカイルは心の中でそう呟いた。
母親が寝室へ入り、扉が閉まるのを見届ける。
それから、数分。寝室の向こうから、規則正しい寝息が聞こえてきた。
母親が眠りについたのだ。
「……よし」
カイルは小さく声を漏らした。
今を逃せば、次の機会がいつ訪れるか分からない。
失敗すれば、母親に叱られるかもしれない。そもそも、無事に目的地へたどり着ける保証すらない。
それでも、ここまで考えた以上、引き返すつもりはなかった。
カイルは物音を立てないように家の中を進み、玄関へと向かった。
そして、扉に手をかける。
これから始まるのは、たった六歳の子供による、無謀な単独行動だった。
カイル・ブラックウッドは、ついに家を抜け出したのである。




