魔族と人間の区別がない世界
「……陽介さんと、時雨さんの恋の行方が気になることろだね」
「お前は何を聞いていたんだ?」
陽奈は自分のアパートに戻ったあと、月詠家に来て自分が見聞きしたことを報告した。
陽奈は余す所なく報告したつもりだが、彗には全くと言っていいほど内容が伝わっていない。
だが、宵には正確に情報が伝わった。
「まずは陽奈さん、ご苦労だった。家族に背くのは辛いことだと思うが……今は耐えてくれ」
宵はそう言って、陽奈に頭を下げる。
「……いえ、もう決めましたから。魔族同盟よりも、月詠家が正しいです。『人間として』の私が、そう判断しました」
そう言いつつも、陽奈の表情は険しい。
それを見て宵と玲香は心が苦しくなり、哀しそうな表情を浮かべ、目を伏せた。
しかし──
「大丈夫だよ、陽奈」
──彗は、真っ直ぐに陽奈の目を見つめる。
「──私が、魔族と人間の区別がない世界を作るから」
彗は陽奈の両肩を掴み、頷き微笑む。
「あなたたち鳥峰家も、魔族同盟の連中も全員、『人間』にする。そうすれば陽奈は魔族か人間か──なんて悩まなくて済むもんね」
「ご主人様ぁ……!」
彗の言葉は、家族への裏切りという暗い闇の中にいる陽奈の心にとって、まさに希望の光。
陽奈は彗の真っ直ぐで深い目に吸い込まれるように近づき、足元に跪き、尻から尻尾を生えさせてそれをぶんぶんと振った。
「おー、よしよし、よしよし」
彗は犬に近い姿になった陽奈の頭を嬉しそうに撫でる。
そして、陽奈は椅子に座る彗の脚に顔を埋め、「ぐすっ、ぐすっ……」と涙を流しながら、彗に縋るように泣き続けた。
しかしこれは家族を裏切る悲しみの涙ではない。
信頼できるご主人様が、今自分が最も欲しい言葉をかけてくれたことに対する、安心と嬉しさの涙だ。
「うああ……ご主人様ぁ……ぐすっ、ひぐっ、えぐぅ……!」
陽奈は泣きながら顔をあげ、彗の目を熱っぽく見つめた。
この人についていけば、間違いない。
今の自分の苦しみも、魔族と人間に分かれているこの世界も、全部なんとかしてくれる。
ご主人様は今も、優しい微笑みを浮かべながら自分の頭を撫でてくれている。
魔族と人間の区別がない世界を作る──、どうやればいいのか見当もつかないほどに難しいことを、この人は簡単に言ってのけた。
それは彼女の中にある確固たる自信と強さによるもので、ご主人様の中には完璧なプランがあるのだろう、と陽奈は解釈した。
「……陽奈、本当にお疲れ様。今日は帰ってゆっくり休みなよ」
満足するまで陽奈を撫で回した彗がそう言うと、陽奈は涙で崩れた顔で、しかしどこか安心したように「はい……」と返事をして立ち上がり、フラフラと玄関の方に歩いて行った。
「外出る前に、尻尾はしまいなよ!」
彗の声が聞こえたかどうかは分からないが、玄関が開く音がして陽奈は出て行った。
しばらくの間、無言の空間が三人を包む。
「……でさ、お兄ちゃんに相談なんだけど」
「ん?なんだ?」
「どうやったら、『魔族と人間の区別がない世界』にできるかな」
「……え?」
宵は固まり、信じられないと言った表情で妹の顔を見つめた。
「……お前、なんの考えもないのに陽奈さんにあんな自信たっぷりに言ってたのか?」
「か、考えはあったよ!『お兄ちゃんに考えてもらおう』っていう私なりの考えが!」
「お、お前……お前……!」
宵は言葉が出なくなった。
この女は、口から出まかせでとんでもない宣言をして、思い悩む陽奈の心を無責任に救ったのだ。
最悪な詐欺師のようなやり口で、到底擁護できない。だが残念ながらこの女は自分の愚かな妹である。
「ちょ、彗!それはあんまりだよ!陽奈ちゃん、あんたのこと見てうっとりしてたよ!?」
玲香が立ち上がり、彗を指差して糾弾する。
「だ、だって仕方ないじゃん!泣いてて可哀想だなーって思って、私がなんとかしないとって思ったんだもん!」
「だからってとんでもないことを簡単に言うもんじゃない!『我々は魔族だ』って人間に襲いかかってくる連中を、『人間』にするなんて簡単な事じゃないぞ!?」
「だから、それを考えるのがお兄ちゃんの仕事でしょ!?」
──────────────────
「じゃあ、今後の方針を整理だ」
宵はホワイトボードの前に立ち、キュポンと黒い水性ペンの蓋を外した。
玲香はダイニングテーブルの自分の席に座り、彗は床に正座させられ、顔の左右の頬にそれぞれ「反」「省」とペンで書かれ、玲香がどこからか持ってきたコンクリートブロックを太ももに乗せられ、後ろ手に縛られている。
「え?私、このまま江戸時代の罪人みたいなスタイルでいくの?」
「「…………」」
二人は彗を無視した。
あまりにも無責任な発言で陽奈を誑かした罪は重い。
「まず……残念ながら、敵の本拠地である『風天家』の場所はわからなかった」
「陽奈ちゃんに持たせたGPSタグは?」
玲香の言葉に、宵は首を振る。
「ここから南の海上の途中で、反応が途絶えた。敵もなんらかの対策をしてると考えられる。反応が途絶えた地点、そして反応が復活した地点からある程度の範囲は割り出せたが……」
宵がそう言ってパソコンの画面を玲香に見せると、玲香は顔を顰めた。
「えっと……これだと、だいたい陸地から100kmぐらい離れた太平洋のどこかってことですか?」
「残念ながらそうなるな」
「いいよ!私がその範囲探してくる!」
画面を見せられた彗がそう言ったが、玲香は彗の脚に載せられているコンクリートブロックを一つ追加した。
「何言ってるの。探せるわけないでしょ。Witch Phantom様の魔力が保たない」
宵が作成した図はあまりにも広大な範囲を示しており、船や飛行機、そして彗が探すという案は現実的ではない。
「……そして、次に魔族同盟がどう仕掛けてくるかも分からない」
「陽奈ちゃんが、途中で会議を連れ出されて最後まで聞けなかったって言ってましたもんね」
「そうだ。だが……無差別攻撃ではなく、WitchPhantomを標的にしてくれるように仕向けることはできた」
「いやー、あれはナイスだよお兄ちゃん」
彗がニヤリと笑い、頬に書かれた「反省」の文字が歪む。
「悪の組織に殺害予告状を叩き付けるなんて。普通思いつかないよ。流石はお兄ちゃんだね」
「まあ……強引だが、この国の人間を守るためにはこうする他無かったからな」
宵は魔族同盟に対して挑戦的な、そして殺害予告とも取れるような予告状を、陽奈を介して出した。
そして宵が考えた通り、魔族同盟の注目を自分たちに集めることに成功したのだ。
「でもそれ、これからずっと彗が危険に晒されるってことですよね……」
玲香は目を伏せ、暗い顔になった。
この予告状という作戦に、玲香は反対だったのだ。
「大丈夫だよ。私負けないし」
「……」
玲香は無言のまま、彗の太ももに乗っているコンクリートブロックを追加した。
「ねえ、さっきからちょいちょい追加すんのやめて?脚痛いんだけど」
「だって彗は怖くないの?いつもたった一人で、恐ろしい敵と戦って……陽奈ちゃんにだって、殺されてもおかしくなかったんでしょ!?」
「……どうしたの?玲香。Witch Phantom様は無敵で最強──じゃなかったの?」
「そうだけど、今は茶化さないで!」
玲香はそう言って彗の目を真っ直ぐに見つめる。涙で濡れた玲香の目には、自分の心配をよそに微笑む親友の姿が映っている。
「私、今回も本当に怖かった……!彗は怖くないの!?いつも、一人であんな危ないことを……!」
玲香は、彗が陽奈に腹を切り裂かれて小指が千切られた話を聞いたとき、涙が出るほどに怖かった。
「……一人じゃないよ。Witch Phantomは」
彗は小さく微笑み、続ける。
「神器を取り返してた高校生のときから、ずっとお兄ちゃんと二人だから。お兄ちゃんの作戦が無かったら私はとっくに死んでる。それにWitch Phantomは──」
彗は玲香を見つめ、口元を綻ばせて笑う。
「──今は、三人だよ」
「ッ………………!!!」
玲香は、親友に──そしてWitch Phantom様から仲間だと認められていることがたまらなく嬉しく、心配で暗く沈んでた気持ちは一気に舞い上がりそうになった。
しかし、そんな玲香の舞い上がりを抑えるような記憶が頭の中に蘇った。
「あれ?でも置き去りにしたよね?病院に。その三人目の仲間を」
「…………」
彗は一度目を伏せ、しばらくしてからもう一度玲香の目を見つめ、言った。
その目は真っ直ぐで、強い信念の炎の煌めきが見える。
「Witch Phantomは──今は、三人だよ」
「いやいい感じの顔を作ってから言い直してもダメだからね?」
玲香はコンクリートブロックを彗の脚の上に追加した。




