「鳥峰」陽奈
望みを失うと書いて、失望。
鳥峰陽奈は夜の病院の屋上でひとり、手すりを掴んで街を見下ろしていた。
「最悪……」
立派な看護師になりたかった。
立派な人間になりたかった。
「人間として」生きたかった。
だから、ここまで頑張ってきたのに。
だが人間はいつも、私を失望させる。
私はもう、「人間として」生きることを諦めた。
だから、私は──
陽奈はカバンの中から、一本の骨を──鳥峰家に伝わる狼霊骨を取り出した。
──「魔族として」生きるのだ。
陽奈が、魔具である狼霊骨に魔素を込めると、狼霊骨は灰色に鈍く光った。
その灰色の光は陽奈の身を包み、彼女の体を変形させていく。
全身から灰色の毛が生え、頭の骨格は変形し、口の中には鋭い牙が生えそろう。
手足には鋭く巨大な爪が伸び、彼女の体自体も大きくなり──
「久々に、この姿になったな……」
──人と狼が混じった姿……「人狼」へと変化した。
身長は2mほどに伸び、巨大な爪と、口から飛び出しそうな牙が目立つその姿で、陽奈は夜空を見上げ、口を開いた。
「アオオオオオオオオーーーーーーンッッッ!!!」
鳥峰家に伝わる魔具の一つ、狼霊骨によって変身した「人狼」は、遠吠えによって動物を従わせる力を持つ。
大学病院を中心に、半径数キロメートルまで響いたその遠吠えは、範囲内にいた動物たちに、「この病院に集まれ」と命令を出した。
「あ……来た来た」
カラス、ハト、スズメ、ツバメなどの鳥たちや、鼠、犬、猫などの街の動物たち。
人狼の遠吠えによって命令された動物たちが、大学病院の周辺に集まり、次の命令を待っている。
「アオオオーーーン!!」
次の命令は、「病院の中に入って人間を襲え」と伝えた。
人狼の異能によって逆らえない動物の大群は、病院の入り口に殺到し、中へと入ってきた。
すぐに、病院の中から人間の悲鳴が上がり始めた。
「…………」
看護師を目指して、「人間として」生きようと、この大学で、この病院で頑張ってきた。
だから父に「人間を襲い、Witch Phantomという裏切りの魔族を殺せ」と命令され、魔具を渡されてからも、それを無視していた。
自分は魔族ではなく、人間として生きたかったから。
だが、もうどうでもいい。
人間が汚く、恐ろしい生き物だと「思い出した」陽奈は、魔族として生きることを決めたのだ。
(ああ、あのときもこんな気分になったな、私……)
──────────────────
幼い頃……鳥峰陽奈は、北陸地方にある鳥峰家の本家で暮らしていた。
近くには大きな街があったが、鳥峰家は山の中にあるため、陽奈は小学校に通うのが大変だった。
また本人の引っ込み思案な性格もあり、友達も少なく、一人しかいなかった。
だから、陽奈はその唯一の友達をとても大切に思っていた。
「陽奈ー!今日も遊ぼうぜ!」
「あ……ゆっくん。うん!遊ぼ!」
彼の名は裕翔。陽奈は彼のことを「ゆっくん」と呼んでいた。
「今日も山の方で遊ぼう!」
裕翔は小学校が終わるとほとんど毎日陽奈と遊ぶが、毎回遊び場所を、陽奈の家の近くを選んでくれていた。
陽奈もその優しさに気づいており、裕翔のその優しさが大好きだった。
「陽奈、人間と遊ぶな!」
口うるさい父──鳥峰大山だけは、陽奈が家に帰ると毎日そう怒鳴ってきたが、陽奈は気にしなかった。
「今日も異能の訓練だ!いつか我々魔族が人間に侵攻するその日のために、お前も異能を使いこなせるように訓練するんだ!」
父親がうるさいので、異能の練習はそれなりにやっていた。
父が言うには、父や自分は「魔族」という存在らしい。
だが、陽奈にはそんなことは関係なかった。
「ゆっくん、遊ぼ!」
「うん。今日も陽奈の家の近くの山でいいか?」
「うん!」
毎日が幸せだった。裕翔とのこの時間が永遠に続けばいいのに。そう思っていた。
しかし──事件は起きた。
「わ、わ、わ、うわあああああああああああ!!!!」
二人が遊んでいた最中に、裕翔が崖の下に落ちてしまったのだ。
崖の高さは2メートルほどでそこまで高くはないが、木や草に巻き込まれながら落ちた裕翔は、脚を切ってドクドクと血を流していた。
「だ、大丈夫!?ゆっくん!!」
陽奈は慌てて裕翔のところまで降りて、彼の脚を見た。
裕翔の脚からとめどなく流れている血は、陽奈を焦らせた。
医療的な知識がある者であれば、服などで太ももを硬く縛り、かつ傷口も布で縛って止血し、病院に運ぶという判断ができる。
だが、陽奈に医療的知識はない。
(とにかく、大人がいるところにゆっくんを運ばないと!!)
子供としては正しい判断だったと言える。
だが、陽奈は友人を運ぶ方法を間違えたのだ。
「あった!」
肺が千切れるほどに苦しくなりながら家まで走った陽奈は、狼霊骨を手に取った。
人狼になれば、人を一人運ぶのは簡単だ。
まだ両親や祖父母は家に帰っていなかった。
陽奈は狼霊骨で人狼へと変身し、四足歩行で山道を駆け、先ほどまでと比べて10倍もの速さで裕翔のもとへ戻った。
異能は人間に見せてはいけないと父から強く言われている。
だがそのときの陽奈はたった一人の友達を救うことしか考えておらず、人狼の姿のまま必死に山道を駆け抜けた。
陽奈がさっきの場所に戻ると、木にもたれかかり、脚から血を流している裕翔がいた。
「ゆっくん!」
陽奈は人狼の姿のまま、普段とは違うくぐもった声で裕翔に声をかけた。
「う、うわあああああああああああ!!!!」
陽奈が裕翔のもとへ戻ると、彼は大声をあげて逃げ出そうとした。
狼とも人間とも言えない陽奈のその姿は、少年にとっては──
「化け物!!!」
──化け者にしか見えなかった。
「…………ゆっくん、私だよ!ほら!」
陽奈がそう言って裕翔に一歩近づくと、裕翔は「うわあああああああ!!!食われる!!!」と泣き叫び、痛む脚を引き摺りながら陽奈から逃げていった。
「待ってよ!」
陽奈は彼を追いながら気がついた。
異能を解除すればいいのだ。人間の姿を見せれば、信じてくれる。
陽奈がそう考えて解除しようとしたそのとき──
「キャッ!?」
──陽奈は何者かに肩を掴まれ、持ち上げられた。
そのままぐんぐんと上に持ち上げられ、木々の隙間を抜けて空へと上がったとき、陽奈が自分を持ち上げている者を見上げると、自分を持ち上げているのは一匹の巨大な鷹。
だがその鷹は完全な鷹の姿ではなく、ところどころに人間の面影が残っており、人と鷹が混じったような姿であった。
陽奈は自分を持ち上げたその者を見上げて、叫んだ。
「お父さん!!離してよ!!!」
陽奈を持ち上げていたのは、彼女の父──異能で姿を変えた鳥峰大山であった。
「馬鹿者!!!もう少しで、あの小僧にお前が魔族であると知られるところであったのだぞ!?」
「そ、そんなのどうでもいいよ!ゆっくんを助けないと!!降ろして!!」
「魔族として人間に手を出したと思われてしまえば、『魔王』が殺しにくる!!」
「ッ……!!」
父の言葉に、陽奈は押し黙った。
幼い頃から何度も聞いた注意だ。
「それにあの小僧は大丈夫だ。傷口はそれほど深くはないし、今からお前が人間の姿で戻って、この手拭いで傷口を縛ってやれば事足りる」
大山はそこから離れた場所に陽奈を降ろしたあと、そう言って一本の手拭いを娘に渡した。
「人間なんぞ助ける義理は無いが……お前が助けたいと言うのであれば、俺は止めん。だが忘れるな──」
元の姿に戻った大山は膝を曲げてしゃがみ、陽奈の目をしっかりと見つめて言った。
「──我々魔族は、人間と相容れない存在だ」
大山は娘が持っていた狼霊骨を取り上げ、自分が持ってきた鷹霊羽と共に懐にしまった。
「ゆっくん!」
陽奈は父親の言葉を半ば無視して、再び裕翔のところへと走った。
魔族だとか人間だとか、関係ない。
自分は彼を助けたい。それだけだ。
「ゆっくん!大丈夫!?これで傷を縛って……」
「ひ、陽奈!!」
裕翔は、駆け寄ってきた陽奈に慌てて抱きついた。
「ど、どうしたの?ゆっくん」
「き、聞いてくれ。さっき……俺、危なかったんだ!俺を食おうと、恐ろしい化け物みたいなやつが来て、俺、殺されそうに……!!」
「違う!!」
錯乱しながらそう話す裕翔に、陽奈は怒鳴った。化け物じゃない。あれは、裕翔を助けるために走ってきた自分だ。
だが、裕翔は引かなかった。
「違わない!!鳥の化け物みたいなのに連れて行かれたが、奴が近くにまだいるかもしれないんだ!!だから早くここを離れよう──」
裕翔は、陽奈のことを想いながら言っている。
友人が──自分が大好きなこの娘が襲われないために、本気で言っている。
「──あの化け物が、また戻ってくる前に!!!」
だが、その言葉は──陽奈の心に二度と抜けない棘として刺さった。




