小さかった名探偵
「作業終了!全員点呼の後、撤収!」
ここは月輪教本部内にある、「月輪饅頭」の製造工場。
「やっと……終わった……」
一日の仕事を終えた明智加那は、フラフラとよろめきながら工場を後にした。
彼女の首には黄色いチョーカーが巻かれている。
これは表向きには「労働」ではなくて宗教的な「奉仕」なので、この工場でいくら働こうとも彼女に給料や賞与といったものは無い。
山の地下深くで行われているこの場所には警察なども来ないので、助けもない。
彼女は8年間この工場で休みなく働き、そして月輪教が用意した施設で食事と睡眠を摂るという生活をしていた。
(今は何年で……今日は何月何日なのかしら……)
ずっとこの地下から出ることを許されず、太陽を見ていない彼女は完全に時間感覚を失っていた。
(あの日……あの日、しくじらなければ……)
加那は8年間ここにいた。
彼女はジャーナリストで、旧姓のまま「江戸川加那」として活動していた。
加那は8年前、組織を急速に肥大させ始めたこの「月輪教」を調べていた。
この組織を調べてみると、この組織にとって都合が悪い人物が突然行方不明になったり、熱烈な信者として活動を始めたりしていた。
それを怪しんだ加那は、月輪教の信者と接触をして情報を集め、週刊誌などにこの組織の暴露記事などを寄稿していた。
しかしある日突然白い服を着た謎の連中の手で車に押し込められ、加那は気がついたらこの建物の中にある「礼拝堂」に連れてこられた。
加那の周りには自分と同じような、月輪教にとって都合が悪い人物が集められていた。
すると加那たちの前に一人の女──月輪教の信者が「お母さま」と呼んでいる教祖が現れた。
『あなたたちは今日から月輪教の信者。ここで暮らし、製菓工場で働きなさい』
そう言われた加那は、工場で働くことこそが自分の真実であるように感じ、他に何も考えられなくなって必死に働き始めた。
しかしその洗脳のような言葉は時間が経つと薄れていく。
そして頭の中で洗脳が薄れていくと加那は自我を取り戻して真実に気がつき、そして絶望した。
「こうやって……邪魔者を洗脳して閉じ込めているんだ……!」
しかし真実に気がついたところで定期的に「礼拝」には参加させられ、また洗脳される。
今日は夕方に「礼拝」がある。
またあの女に再び洗脳される日だ。
礼拝の直前にはこうして意識を取り戻すことはあるが、また洗脳されれば何も分からなくなる。
彼女はもう、何も分からなくなってきていた。
自分は何者なのか。何歳なのか。帰る場所はどこなのか。何がしたいのか。
こうなってしまうなら、早く礼拝であの女に洗脳されて楽になってしまいたい。
そう思えるほどに。
「──ママッ!!」
一人の青年の声がした。
加那が振り向くと、白いチョーカーをした青年信者が自分の方へと走ってくる。
青年は加那に駆け寄り、小さな声で話し始めた。
「ママ、僕だよ!金太だよ!助けに来たんだ!」
「き……んた……?」
記憶の片隅にある、幼い息子の記憶。
しかし加那にはそれが自分の想像なのか、現実なのかももう分からなくなってきていた。
「やっぱり月輪教に捕まっていたんだね!ほら、僕、探偵になったんだ!それで一生懸命ママを探したんだよ!」
青年は涙を流しながら加那の手を握った。
そのとき、彼女の頭の中に一つの記憶が蘇った。
探偵の格好をして虫眼鏡を持って走り回る少年が、「ママ、ママ」と自分を呼びながらこちらに駆け寄ってくる記憶──
その瞬間、加那は正気に戻った。
「金太……あなた、金太なの……!?」
目の前にいる息子は「少年」ではなく「青年」。
そのことから自分はいったいどれほど長い間ここに閉じ込められていたのだろうか、と恐ろしくなった。
「そうだよ!ママ、ほら、一緒に帰ろう?」
「ダメよ!」
自分の手を引く金太を、加那は振り解いた。
「ほら、ママの首につけられた黄色いチョーカー……これには発信機も入っているの。逃げれば必ず捕まり、奴らに酷い目に遭わされる……」
「ママ……」
そう語る母親の言葉は震えている。
そして母親が「なぜそれを知っているか」を推理してしまう自分の頭が、今日だけは憎く思えた。
「あなたはまだ『白』……ということは礼拝がまだなのね。今ならまだ間に合う。一人で逃げなさい!」
「そ、そんな!出来ないよ!僕……ママを連れ戻すためだけにずっと頑張ってきたんだ!」
「金太、お願い!言うことを聞いて!『黄色』をつけられてからでは遅いの!」
加那は必死だった。
息子が自分の同じ目に遭うことだけは、避けたかった。
「『白』ならまだ連中も追ってこない。逃げるなら今しかないのよ、今ならまだ間に合う!」
「ママ……」
「金太は賢いから、色々調べてここに来たんでしょう?月輪教の内部のことも色々わかったでしょう?その情報を持って外から……ここには絶対に近づかずに、『外から』ここを崩すの!あなたならできる!」
母親の必死の形相に、金太は頷くことしかできなかった。
「わ……わかったよ。今日は一旦引くよ……でも、絶対助ける。僕が絶対、ママのことを助けるからね!」
「……うん。あなたならできる──」
加那は息を吸い、金太の背中に手を回して優しく抱きしめた。
「──名探偵さん……!」
金太は走り去る際、一つのことが気になっていた。
それは、最後の母親の表情。
去り際の母は、どこか諦めたような表情で自分を見ていた──
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「金太……ありがとう……」
加那は、息子が去った後に小さく呟いた。
この組織は強大で、これまで自分を含め数多くの人間が実態解明に挑戦しては失敗し、ある者は捕まり、ある者は殺された。
そんな組織に探偵の一人が挑んだところでどうにかなるものではない。
加那には、それがよく分かっていた。
(でも……いいの……)
この地下で働かされ、死んでいくだけの残りの人生で最後の思い出がもらえた。
(私は……それだけで満足だから……)
加那は走り去っていく息子の背中を眺め、涙を流しながら小さく微笑んだ。
☽ あとがき ☾
幼い頃から「名探偵」を目指してきた少年は青年となり、ついに母の元へ辿り着きました。
しかし彼の母が言う通り「月輪教」という組織は強大で、また闇が深いものでした。
このとき加那と金太はまだ知りません。
彼が持ち帰った月輪教の情報が、この組織の闇を祓う一筋の光となることを──




