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21.カナコ帰還

 聖女のための場所に戻ってきて数日後、私は初めて神殿を訪れることになった。敷地の一番奥に建つ神殿は聖女の館よりやや大きく、数十人の神官が住んでいるという。

 この中で行われる帰還の儀の準備が調ったと連絡があり、私もそれを見学したいと申し出て神官長から認められていた。

 神官長が本当にカナコを送り返してくれるのか、いまいち信用できないので、直接確認したいと思ったのだ。


 神殿へはオディロンがついてきてくれた。もう保護者のようだ。彼はかなり頼りになるとは思うけれど、やはり怖い。物腰は柔らかいし、言葉も丁寧だけど、全く油断ならない。でも一人よりましだと思うことにする。


 神殿に着くと、神官長の部屋に通される。そこは思っていたより普通の部屋で驚いた。神官長ならば、もっと豪華な部屋を使っていると思ったのに、そうでもないらしい。

「身分証が出来上がりましたので、お渡しします。貴女の亡くなった夫は宰相殿の親戚ですが、貴女自身は私の遠い親戚となっています。これから貴女の住む場所は、南の地方にある小さな町です。温暖なところで、貴族の別荘も多いのですよ。神殿もありますので、どうか頼ってくださいね。貴女の家は当地の神官によって結界を張ってもらいました。でも、油断はしないでください。私の結界より数段落ちますので。私の結界ですらモイーズに破られましたからね」

 神官長は銀色に輝く金属のプレートを差し出してきた。それには魔法で刻まれた私の新しい身分がホログラムのように浮き上がっていた。これを持っていないと結婚や就職もできないらしい。

 これで、私はこの国に産まれ、愛する夫に先立たれたミキという女性へと生まれ変わったのだ。

 もう日本人の未希はどこにも存在しない。


「ありがとうございます。それでお仕事なのですが」

「あの地には神殿付属の図書館があります。そこでの写本作りが貴女の仕事です。殆どの本は魔法で写本を作成できるのですが、中には複製禁止の魔法がかかっている本がありますので、それらを手で写していただくことになります」

「でも、私はこの世界の文字に慣れていないから、そんな仕事ができるかしら」

 なぜか文章の意味はわかるのに、見たこともない文字で書かれていた。ちゃんと写すのは無理な気がする。

「それは大丈夫です。ゆっくりと文字を覚えてくださればいいのです。もちろん、その間も給金が出ますので安心してください。お一人で生活できるくらいの給金ですから」

 絶対に必要というわけでもない閑職らしく、私のために作ってくれたのかもしれない。

 それでも複製禁止の魔法をかけるくらいに重要な本なのだから、写本が必要になることだってあるかもしれない。有難く勤めさせてもらおう。それくらい優遇してもらってもバチは当たらないだろう。


「それと、帰還の儀ですが」

「用意は既にできています。後はカナコをここまで連れてくるだけです。でも、貴女は本当に後悔されませんか?」

 神官長に悪意などなく、純粋に私を気遣っての言葉だろう。でも、なんて残酷な問いだと思ってしまう。


「後悔なんて、凄くしているわよ。だって、お兄ちゃんと会いたいし、赤ちゃんの無事だって確かめたい。ブラック気味の職場だったけど、途中で投げ出すのは嫌。美味しいスイーツだって食べたいし、テレビや映画だって観たい。それに、結婚だってしたかったの。だけど、カナコをここへ残したまま私だけ帰っても後悔するもの。ずっとカナコのことが気になって幸せになんてなれないわよ。それくらいなら私が残った方がいい」

 ずっと前からそう決めていた。聖女の私はこの世界でそう無下には扱われないはずだから。

 カナコは私を殺そうとした罪人なので、私が彼女の罪を許したとしても、私ほど手厚く護ってくれないと思う。

 でも、心は揺れる。この世界でずっと生きていくのは怖い。この世界は残酷だから。


「ミキ様」

 気がつくと、私はオディロンの胸で泣いていた。嗚咽も涙も止まらない。

「お願い。早く帰還の儀を行って」

 これ以上間が空くと、『私を帰して』と叫んでしまいそうだった。


「本当に申し訳ありません。愚かにも私は貴女がこれほど苦しんでいると思わなかったのです。お言葉通りこれから帰還の儀を執り行います。どうぞこちらへ」

 どこか冷めていた神官長が初めて心を揺らしたように感じた。

 

「大丈夫ですか?」

 オディロンはそう言いながら浄化魔法をかけてくれた。頬を濡らしていた涙がすっかり乾いている。止められなかった鼻水も消えていた。

「カナコに会ったら、また泣いてしまいそう」

「何回でも浄化魔法をかけて差し上げますから、安心してください」

 何人もの神官の前で無様な姿を晒さなくてもいいので安心だ。やはり浄化魔法は便利だった。

 聖女のために開発され、聖騎士なら誰もが使える浄化魔法だが、他の人は殆ど使えないらしい。不要な物だけを消し去る浄化魔法は高度な魔法技術がいるという。

 

「ありがとう。もう大丈夫。あのカナコに涙なんか見せたくないから」

 そう言うと、オディロンは優しそうに笑ってくれた。少しときめいてしまうほど素敵な笑顔だけど、奴に騙されてはいけない。



 帰還の儀を執り行う部屋はかなり広かった。中央が一段高くなっていて、そこには魔法陣のような模様が描かれている。その周りには二十人ほどの神官が円になって並んでいた。

 それはかなり異様な光景で、邪教の信者の集会のようだった。魔法陣には生贄が捧げられるのではないかと思わせる。


 連れて来られたカナコもかなり不安そうにしていた。

「ミキ様は自らを犠牲にして、あなたを帰して欲しいと願いました。聖女様の言葉は絶対です。だから、私たちはあなたを帰還させることにします。しかし、ミキ様がどれほど辛い思いをしてこのような選択をしたのか、忘れてはなりませんよ。あなたがミキ様を殺そうとした罪は、界を渡っても消えないのです」

 神官長の言葉にカナコは目を見開いて驚いていた。


「カナコさん、日本へ帰ったらちゃんと沙耶さんと向き合いなさいよ。もう二度と違う世界へ行きたいなどと逃げては駄目だからね」

 私は帰還を諦めるのだ。カナコにはこれくらい上から言っても許されるだろう。カナコに幸せになってもらわなければ、私のしたことが無駄になってしまう。


「ミキさん、ごめんなさい。私はあなたに全てを奪われるのではないかと怖かったの。だって、ミキさんはとても綺麗で、沙耶に似ていたから。本当に許して」

 カナコと沙耶という女の間に何があったか知らないが、似ているというだけで悪意をぶつけられても困る。

 でも、カナコにとっては少し前に召喚されていた元聖女なんて、脅威でしかなかったのかもしれない。


「悪いと思うのなら、兄に私は元気だと伝えて。無一文の私を助けてくれた男性と恋に落ち、彼と一緒に遠くの地へ行ってしまったけど、幸せに暮らしているって」

 私は兄の住所と名前を口にする。カナコは一所懸命に覚えようとしているようだった。

 彼女が本当に伝えてくれるかわからないけれど、信じてみようかなと思う。


「界を渡るのはカナコだけで、何一つこの世界から持ち出せません。しかし、私ならミキ様の書いた文字を、カナコの世界の紙に写すことができます。カナコ、無事元の世界へ帰り着けたなら、近くに紙を用意しておきなさい。そして、ミキ様が書いた文字が浮かび上がったのなら、手紙としてミキ様の兄上に届けてください。それくらいはできますよね」

 神官長はやはり力のある神官らしい。まるでファックスのような魔法が使えるのだから。

「わかりました。便箋を用意しておきます。絶対にミキさんのお兄さんに届けますから」

 カナコは何度も頷いていた。



 それからカナコがゆっくりと部屋の中央へ向かい、魔法陣の中心に立った。神官たちの祈りの言葉が部屋に響き、神官長が大きく手を振った。

 カナコの体は金色に輝き、徐々に薄くなっていく。

 そして、カナコの着ていた服と靴だけが残された。


 これで帰ることができなくなったと思うと、胸がチクリと痛んだ。喪失感がものすごくて、また涙が溢れだす。

 すると、またもやオディロンが抱きしめてくれた。彼の胸はやはり暖かく、これ以上頼っては駄目だと思うのに、腕を振り払うことができない。


「私の部屋でお兄様への手紙を書きませんか? カナコの気配が残っているうちに手紙の文字を写したいのですが」

 しばらくしても私が泣き止まないので、神官長が焦ったようだ。私も可能性を捨てたくない。

 再びオディロンに浄化魔法をかけてもらい、神官長の部屋へ向かう。


 兄への手紙には、とにかく元気だから心配しないでと書き綴った。それと探さないで欲しいとも。かなり怪しいし、兄は絶対に心配するだろうけれど、本当のことも書けないので、これが限界だった。

 私の書いた手紙を持って神官長が慌てて部屋を出ていく。あの帰還の儀を行った部屋で文字を送るらしい。


「ミキ様、聖女の力を持ったままでは、ここを出ていくことが許されません。それに、聖女の力は人には過ぎた力ですので、長く身に宿しているとお体に障ります。どうか、私を夫として選んでくださいませんか? 幸い騎士団を追放されたので、貴女について行くことが可能です。モイーズとエヴラールを処刑すれば私の仕事は全て終わります。私は貴女を一生大切にお護りいたしますから、どうか、結婚していただけないでしょうか?」

 二人きりになった神官長の部屋で、私はオディロンにプロポーズされてしまった。

 痛みを感じることができないというオディロンは、だからこそ、笑顔で処刑も拷問もできるのだろう。

 彼ほど価値観が違うのならば、歩み寄る努力も無駄だ。何も知らなかったことにして彼に頼って生活していれば、それは楽かもしれない。

 でもそれでは駄目だと思ってしまう。無意識のうちに兄に依存していて、自立できていなかった頃と同じだ。


「有難い申し出ですが、申し訳ありません。私はあなたを選ぶことができません」

「そうですか。本当に残念です。それではこれからどうなさるおつもりですか?」

 オディロンは本当に残念そうな顔をしていた。彼の笑顔以外を初めて見たかもしれない。


「今夜、モイーズを私の部屋に寄越してください。そして、明日の朝、モイーズを罪人から解放してください」

 こんなことを頼むのは恥ずかしいけれど、オディロンは牢番なので、彼に頼むしかない。

「モイーズを選ぶのですね。貴女がそう選択したのなら、私は従いましょう」

「そして、明日の朝、私は出発いたします」

 身分証が手に入った。馬車も一台用意してもらった。出発の用意は全て済んでいる。

「それは無理です。モイーズには解放の焼印を押さなければなりませんし、新しい身分証も発行しなければならない。とても明日に出発することはできません」

 罪人となると身分証を失ってしまうらしい。そして、罪人から解放されると、新しい身分証が発行される。事務手続きもあるだろうし、確かにすぐには出発できないだろう。しかも、また焼印を押されるらしい。

 

「明日の朝は、エヴラールを寄越してください」

「モイーズを捨て、エヴラールを選ぶつもりですか?」

「いいえ、彼には護衛と力仕事を頼むだけです。そして、エヴラールがこの地へ帰ってきたのなら、彼も罪人から解放してあげてください」

 これで本当に全てが終わる。

「護衛と力仕事くらい私でも出来ますよ」

「だって、何もせずにエヴラールを解放するのは悔しいじゃない。だから、うんとこき使ってやるの」

 客観的にみれば、エヴラールのしたことは日本ではそれほどの罪に問われなかったに違いない。初犯ならば懲役刑にもならないかもしれない。彼の背中の焼印は、だから過ぎた罰だと思う。でも、とても怖かったあの夜を忘れることができない。だから、精々こき使ってやろうと思う。


「聖女様のお言葉は絶対です。だから、そのようにさせていただきます。でも、貴女はあえて自分を傷つけるような選択をしているように私には感じます」

 そう言うオディロンは泣きそうな顔をしていた。



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