魔王様はじぇいしい! (1)
「魔王様、逃げないでください。わたしが、はかせてあげますから」
都内にあるアパートの、広くはないが綺麗に清掃されている一室。長い銀髪の少女が、彼女自身の純白の下着を両手に掴み、真剣な眼差しでじりじりと魔王に近づいていた。
魔王の背後は部屋の壁しかなく、逃げ場がどこにもなかった。白い下着を持っている長い銀髪の女の子、レイは魔王の腹心兼、親友なので逃げる必要もないのだが、今だけは死神のように見えた。ひらひらとした白の下着が命を絶つ鎌のように錯覚する。
「や、やめろ……自分で、自分ではける……!」
「それなら早く、はいてください。……魔王様がご自身ではくと仰ってから、何時間が経過したと思ってるんですか? これではいつまで経っても外に出られませんよ」
レイの呆れた声と至極面倒そうな視線が突き刺さって心に痛い。下着を顔面に突きつけられる摩訶不思議な状況になっているが、これは彼女に非はまったくなく、魔王が一方的に悪い。
魔王がレイの突きつける純白のパンツを装着できずに、何時間も躊躇している理由は簡単だ。
魔王はつい最近まで、正真正銘、男だった。
当然、女性の下着など五百年以上生きてきた中で、一度もはいたことも触ったこともない。五百年も色恋沙汰に縁がない、情けない魔王だったのだ。
「……魔王様、心中はお察しします。確かに、わたしも男物の下着をはけ、と言われたら断固として拒否します。けれど、今回については、魔王様ご自身で決断されたことなんですよ?」
「わ、わかっては、いる……」
レイが持つ白のパンツを今一度注視する。それを自身が今から装着すると想像して、全身鳥肌が立った。魔王の身体は今、少女であるのだが、自身の心は未だ男だ。そんな男が、これを、はく? やはり無理だ!
「だが、だがだ! そのだな、どうせスカートで局部は隠れるのだ。それで十分であるまいか?」
「魔王様。女の子になってからまだ外出していないから、イメージがつきにくいのかもしれませんが、スカートの中なんて簡単に見えちゃうものなんですよ? まして、これから通う魔法学校の制服は短いデザインなんですから」
レイの言葉を確認するように、近くにあった姿見に目を向けた。そこに映っている少女に、以前の男だった自分は片鱗も残っていない。長い金色の髪に、幼さと凛々しさが混じりあったような、中途半端な顔つきの少女がいるばかりであった。
背の低い少女は白を基調としたブレザーの制服を着込み、泣きそうな顔でこちらを見ていた。それが自分自身だとは、なんとも悲しい現実である。
髪の金色と、緋色と蒼色のオッドアイだけは男の時と変わらなかったが、そんなものは何の慰めにもならない。
「……女の服は、何故こうも防御力が低く、ひらひらとしているのだ? もっと丈を長くしてくれても……」
自身が装着しているミニスカートを指でつまみ、ひらひらとさせる。下半身に風が送られ、ひんやりとした。男の時は一度も味わったことのないその不思議な感覚に戸惑う。
「だめです。学校の制服はミニスカが正義です。あ、だけど、わたしとしては魔王様のロングスカートも見たいですね。でもそれは私服かなぁ」
「レイに見せるために服を着るのではないのだがな……」
半分八つ当たり気味に、ささやかな反抗をしてみたがどこ吹く風と言わんばかりに流された。さて、とレイは人差し指を立て、話を切り替えた。
「魔王様。今日はまだ、登校日ではないので大丈夫ですが、当日もこの調子だと、学校に通うのはとてもではありませんが無理ですよ? わたし、魔王様がノーパンで外に出るのは絶対絶対絶対に認めませんから」
「ううむ……。まぁ、そうだな……」
自分で提案しておきながら、ノーパンはさすがにないなぁと深く頷いた。局部をさらす変態には進んでなりたくない。
「魔王様。パンツで苦戦してますけど、これから買いに行く、ブラだってあるんですからね?」
そもそもとして、何故レイのパンツをはかなければならない状況に追い込まれているかといえば、魔王がこれから学生になるために、魔王の下着セットを購入する必要があったからだ。
パンツはまぁ、男の時にも当然着用していたから、それが男性用から女性用に変わるだけなのでまだ分かる。
しかし。
「ぶ……ら……?」
「はい。ブラです。ブラジャーです。今の魔王様はjcで、きちんと胸があるんですから。当然、着用しないとですよ」
胸をぺたぺたして、目の前の女の子と比較してみる。あるけど、慎ましい。スタイルの良いレイと比べたら雲泥の差だった。大きさで負けて悔しいという気持ちは微塵も湧かなかったが。
「……ところで、その、じぇいしい? とはなんなのだ?」
「この世界独特の言葉で、女子中学生という意味です。一説によれば女の子がもっとも可愛らしい時とも言われていますね」
「そうなのか……。一番可愛らしい時……。では、レイも、その、じぇいしいなのか?」
レイは突然無言になり、固まってしまった。みるみる顔が赤くなり、くるりと踵をかえした。
魔王ははて、と首を傾げる。本当のことを伝えただけなのに、何故照れる必要があるのだろうか?
五百年、レイとは一緒にいるが、彼女のことはまだまだ分からないことが多い。
何て話しかけようと、しばらくおろおろしていると、レイは咳払いを一つ。身体の向きを魔王に戻した。その顔はいつものキリッとした表情だった。
「いえ。わたしの身体は十六歳で止まっているので、分類的にはjkになりますね。あ、jkは女子高校生という意味です」
「色々あるのだな……。まぁ、この世界のことはおいおい勉強していこう……」
「ですね。わたしも色々と興味がある分野がありますし。魔王様は、当面は女の子の勉強をしてください」
「うぐぅ……。……もう、疲れた。明日から、本気出すぅ……」
「それ、明日も本気出さないパターンですよね? 今日、頑張りましょうよ。ほら、足をあげてください」
レイは下着をはきやすいように両手に広げて、魔王の足元にしゃがみこむ。
スカートの中が、み、みえてしまう!?
男の時に感じたこともない羞恥心が首をもたげ、すぐさまスカートを抑えた。
「じ、自分ではく!! だから私の前でしゃがむなっ!!」
「このやり取り、何度目ですか? だったら早くはいてくださいよ」
足元から顔を上げたレイは、大きなため息を吐いて下着を魔王に手渡した。そろそろ決心しなければ、見限られてしまうだろうか。それは、とても怖かった。
下着をレイから受け取り、広げてみる。みょんみょん。レイが、普段、はいているパンツ……。顔が少し熱くなる。
「くっ!! こんなただの布切れに、私は何をおののいているのだ!」
心を無にして、レイの下着を勢い良く装着した。私はいったい、何をしているのだ……。
「ふー! ふー! ど、どうだっ、レイ! 私だって、やればできるのだっ!」
「パンツ一つで、なにを勝ち誇っているんですか……」
頑張って装着したのに、呆れたような半眼で見られた。
「な、なら! 貴様! 男の下着はいてみろっ! 私の恥辱の一端でも味わうがよい!」
「あ、お断りします。それじゃ、下着を買いに街へ行きましょうか? 次はブラですよ」
「い、いやだぁ! 胸当てだけは! 胸当てだけはいやだぁ!」
「往生際が悪いです。あと、胸当てなどとは呼びません。ブラです」
「ぐっ」
心が折れそうだった。こんな調子で、新世界を生きていけるのだろうか……。
「あ、そうだ。魔王様が引退するなら、もう魔王様って呼べないですね。これからは真名でお呼びしても?」
「相変わらずコロコロと話題が変わる奴だな……。構わんが、真名などと大仰なものではないだろう。普通の、ありきたりな名前だ」
「そうですけどね。でも、名前はとても大切です。では、『マオ』様。今後は『まお』様とお呼びしますね」
「うむ。発音的には、今までとあまり大差ないな」
「ですね。うっかり魔王様とお呼びしても気づかれなさそうです。では、まお様。買い物にいきましょう」
魔王改め、まおは腕を捕まれ、レイに引っ張られ、玄関へと引きずられていく。
「ああ……前途多難だ……」
まおの第二の人生は恥辱との戦いになりそうだなと、深いため息が自然と漏れた。