魔王様はじぇいしい! (2)
「……。久し振りの、外の空気だ……」
まおにとっては入学試験を受けに、近くの魔法学校へ行った以来の外出。
この世界にも存在している太陽がまおの両目を容赦なく照らす。西に傾きつつある太陽の眩しさに耐えきれず、鋭い斜光を小さな手で遮る。
なんて、小さな手だろうか。
……まだ、この頼りない身体の感覚に慣れない。
「まお様、大丈夫ですか?」
レイの心配そうな声音に、笑顔を強く意識して頷いた。彼女はいつだって心配性で、世話焼きで。だけど、それに何度も心を救われた。
「うむ。問題ない。ただ……」
「ただ?」
「この世界の空は、やはり……狭いのだな……」
アパートの二階から見えるのは、乱立した高い建造物。それに遮られた狭い空を眺めて、まおは静かに呟いた。
以前の世界では大空、という言葉通りに、あまねく空がどこまでも広がっていた。
朝昼には抜けるような青が彼方まで、夜になれば一面の星空が空を覆うように瞬く。まおは宝石箱のような大空が大好きだった。
一概に比較することはできないかもしれないが、この世界の文明は前の世界よりも進んでいる。……その分、多くの自然が犠牲になっていた。
森も、動物も少なく、空気や川は汚れていて、星も見えない。発展した文明の代償、なのかもしれない。
「……はい。まるで、空が切り取られたみたいですよね」
同じ制服に身を包んだレイはまおの隣に立ち、同じように空を見上げる。そよ風が、光輝く銀色の髪をさらさらと揺らした。彼女だけは、どこの世界にいても、どんな時でも、美しい。
「……そうだな。違う世界に来てしまったのだと、強く実感させるよ」
「今は元の世界に戻れるアテもないですし、この世界の雰囲気に慣れないと、ですね。その第一歩として、まずはお買い物をしましょう」
「……そこに戻るか。まぁ、仕方あるまい……」
まおは肩を落としつつも歩きはじめた。まおが先頭に立ち、その後ろをレイが歩く。いつもの定位置。しかし、まおは行く先がわからず、アパートの階段を降りた所で立ち止まり、身体の向きをレイに向けた。
「……レイ。私は街中を全く知らない。件の店に案内してくれ」
「んー……」
彼女は口元に指を当て、考えるように明後日に視線を向けた。中庭に植えられている樹木の花びらが視界をよぎる。その桃色の花びらは、まおとレイの間をひらひらと踊るように舞い遊び、やがて地面に落下する。
そして。
「まだ、時間は十分にあります。まお様が先頭を歩いて、街中を自由に散策してみてください」
「し、しかし……!」
不安に心が塗りつぶされ、頭がくらくらとする。
怖い。怖いのだ! 全く知らない世界が! 星の見えない空が! 慣れない低い視点が! 狭い歩幅が!
……でも。
長い時間生きてきた者として、元魔王として、そんな情けないことを、口にできなくて。
「新たな発見もありますよ? たとえば、一日中開いているお店があったり……二十四時間営業っていうんですけど」
「い、一日中!? いつ休むのだ!? ……ゴーレムに働かせれば解決するか……? しかし、難しいことはできないし、魔力の効率が……」
「普通の人が働いているみたいです。この辺りは大きい店舗も多いので、一人ではお店を回しません。シフトを組んで交代交代で店番をするんですね」
「なるほど……」
「まお様。周りにいる人たちにも目を向けて見るのも面白いですよ。ここにいる人たち、かなりの確率でこのような小型の端末を見ながら歩いているんです」
「……? なんだ、それは?」
レイが手提げ鞄から取り出したのは、極端に薄い、鈍い銀色の小型端末だった。レイから受けとると、見た目に反して重量があった。
「それはスマホ、と呼ばれる物です。現代社会の必携品の一つで、一人一台、所持するのが当たり前のようです。調べるのに時間がかかりましたが、安全は確認できました。今後はまお様が管理してください」
「う、うむ……。しかし、使い方が……」
「今日の夜にでも説明します。これも、新しい世界ならでは、ですね」
「……」
レイから受け取った、得たいの知れない小型端末。ひんやりとしていて、不気味だった。
「この世界は前の世界とは、驚くほどに全然違います。だけど、わたしの感想になりますが……暮らしやすい世界だと、そう思います」
少ししゃがんで、まおと目線を合わせて。まおの大好きな優しい眼差しで、彼女らしい、控えめな笑み。
「なので、どうせだったら、この状況を楽しみましょう?」
「……」
まおも、できることならそうしたい。
だけど。何もかもが、大きく変わっていく中で。
今までずっと側にいてくれた、レイとの距離も、変わってしまいそうで……。
「レイは、その……」
落ちるところまで落ちてしまった自分だけど、それでも、一緒にいてくれるか?
そう、言葉を発しようとして、だけど、のどから空気だけが漏れた。
今の、情けない自分では……。
自信を持って、目を合わせることも、できやしない……。
「その……。……。……」
レイとは何百年と苦楽を共にして、何でも分かり合っている親友だけど、その心の奥底までは見通せない。
未だに、レイを見失ってしまうことだって沢山ある。何を考えているのか全く理解できないことだってある。共感できないことだってある。
それはきっと、レイも一緒で。
……まおは、世界が変わっても、姿が変わっても、今までと同じようにレイと一緒にいたい。
その想いが一方通行だった時……。
それが、何よりも、怖い。
視界がぼやける。目頭が熱くなる。鼻の奥がツンとする。
両手に力を込めて、こみ上げてくる嗚咽を堪える。
「……あ」
ぎゅっと。全身が、柔らかなものに包まれる。
「……マオは、もっと、わたしを信じて? もう……五百年も前のことだけど……わたし、キミとの約束、一日だって忘れたことないよ?」
それがレイの抱擁だと気づくのに、随分と遅れて。安心して。心が緩み、嗚咽が漏れた。頬に温かな雫がつたう。
「……情けなくて、格好悪くて、失敗ばかりして……ごめんよぅ……」
「いいの。ほら、顔を上げて? うつ向いてばかりじゃ、楽しいこと、見逃しちゃうよ?」
ゆっくりと顔をあげると、驚くほど近くにレイの顔があった。心が火照り、頑張るための勇気が灯る。
「ね? がんばろ?」
「うん……がんばる……」
されるがままに、ハンカチで顔を拭いてもらう。レイの甘い香りが、まおの波立った心を落ち着かせた。
「ささ、まお様。まだ時間に余裕はありますが、太陽は傾きはじめています。沈んでしまう前に街中の散策と買い物をしましょう?」
「う、うむ! まずは散策だな! レイよ! 私に付いてくるのだ!」
「はい!」
まおは魔王だった頃を強く意識して、毅然と背を伸ばした。落ち込んでいる暇なんて、どこにもない!
この世界でも、頑張っていこう!
決意を新たにしていると、桃色の花びらがまおの鼻に止まった。それを指で掴み、手のひらに乗せた。前の世界では見たことのない品種だ。
良く観察してみると、薄い桃色と白色の混ざった、色彩鮮やかな花びらだ。素直に美しいと感じた。
「レイ、この花びらは……」
「桜という樹の花びらです。桜は、新たな日々を連想させる樹でもあるんですよ」
「ふむ。新たな日々、か……」
まおよりもずっと背の高い、桜の樹を見上げた。桜の花は満開で、誇らしげに咲いている。
この世界にも……。
美しいものが、あるではないか!
「ふふ。いつまでも、前の世界にとらわれていては、ダメだな……」
ここからが、まおとしての、本当のスタート地点だ。
桜の花びらをそっと地面に置いて、レイに目を合わせて頷く。
大丈夫。ありがとう。そう、想いを込めて。
まおは新たな日々に向かって、足を踏み出した。




