来宮誠と痛恨な設定
「ああああああ!クソっ!」
昨日の胸糞悪いF組でのことを思い出し、俺は思わず会議室の床に寝転がってごろごろと身悶えた。
なんなんだあいつ!高梨恋斗!渋谷にベタベタくっつきやがって、あいつは渋谷のなんなんだ!彼氏ズラしやがってまじむかつくわ……!
「わわっ、折角埃払ったのにまたそんなことして……ていうか今、クソって言いましたね!」
ホワイトボードを眺めて吟味していたチカは、突然の奇行と再発した口癖に眉を吊り上げる。しまった。ついカッとなって禁句ワードを口走ってしまった。
もう一度チカからお小言をもらう前にすくっと起き上がる。
ダメだ、このままモヤモヤした蟠りを燻らせていたらおかしくなる。ハッキリしないことは好きじゃない。
「チカ、気分転換に飲みもん買ってくるな。なんかほしいもんある?」
「え、そんな気を遣ってもらわなくても」
「いいのいいの。ほら、チカは何が好き?」
「えと……じゃあ、緑茶で」
センス渋いな。
てっきりアップルジュースとかを頼まれるかと思っていた俺は、少し拍子抜けしつつも頷いて、渋谷千里親衛隊会議室を後にした。
すぐ近くに自販機が設置されているのだが、気分転換に出てきたのだからちょっと歩きたい。そんなわけで、俺は三階からかなり遠回りして、一階の自販機まで飲み物を買いに行くことにした。
中央棟の廊下を歩いていると、放課後ということもあって結構な生徒があちこちで談笑していた。グラウンドの方からは運動部の掛け声が響いてくる。まさに青春!といった風景だ。
俺はといえば、その青春を浪費して一体何をしているのやら。
「マジ損な役回りしてるよな、俺」
ぽつりと呟いてから、はっとする。今俺はなんと言った?損な役回りだって?
確かに苦労は多い。親衛隊の隊長は各方面に気を回さねばならない精神力を使う職だし、そのうえ今は親衛隊の存亡の危機にまで陥っている。
でも、これは俺が望んだ状況であるはずだ。隊長になって渋谷の近くにいたいと願ったのは俺だし、渋谷がリコールされたとき全てを放り出して逃げることもできたのに、残ってリコール撤回に奮闘すると決めたのは自分自身だ。
何言ってんだよ、俺。しっかりしろよ、こんなんじゃチカにも失礼だろ。
お前はこんな奴だったのかよ、来宮誠。
「……やばいな、俺。相当参ってるぽいわ」
ひたすらに自問自答を続ける自分に苦笑する。うだうだ悩んでいるうちに自販機に着いたので、ポケットから小銭を取り出した。窓から臨める中庭を横目に、五百円玉を投入する。
「緑茶、緑茶、緑茶……っと、あったあった」
ガコンッと緑茶が落ちる。ジャラジャラッと釣り銭が音を立てる。自分の分にコーラを選び、その動作を再び繰り返す自販機。今日も今日とて、自販機は寸分の狂いなく自分の役目を全うしている。
あーあ。俺にも自販機みたいに自分の役目を果たせるだけの力があればいいのに。
機械にも負けた自分が情けなくて、ぼんやりと中庭を眺める。澄んだ五月の蒼天と涼しげな噴水が目に痛いほど綺麗で、ますます自分が惨めだ。
はあ、と誰もいないのをいいことに大きく溜息を吐いたそのときだった。
「あれ。もしかしてかいちょーのとこのたいちょーさん?」
「へっ?」
背後から間延びする特徴的な声。驚いて勢いよく振り返ると、そこには中庭の風景とは別の意味で目に痛い真っ赤な頭が。しかし、赤く染められた髪よりも目立つのは、左目を覆い隠す眼帯。
こんなイタい格好で校内を歩き回っている奴を、俺はひとりしか知らない。
「…………会計の淡井?」
「そーだよー、ウチは生徒会のアイドル、ブラッディ枠担当の淡井類ちゃんだよー?気軽にるいちゃんって呼んでね?」
「…………ああ、うん」
関西人でもないくせに一人称がウチなところか、そんな担当があったこと自体初耳な枠に収まっているところか、いつもと同じく派手な出で立ちなところか。もはやどこからツッコんでいいのかすらわからない。
ひとめ見れば明らかだがこの男、生徒会会計淡井類は、個性派揃いの生徒会の中でもかなり目立っている、頭のネジがごっそり抜け落ちたくるくるパーのクレイジー野郎だ。
というのも、こいつは昔からとある病気を患っているのである。初期なら軽い症状で済むものの、年を重ねるごとに症状は悪化し、治療が間に合わなければ大変なことになる不治の病。
通称、厨二病と呼ばれる痛々しい病を、未だその身に宿している。
「あれぇ?なんかまこっちゃん、反応鈍くなーい?」
「まこっちゃん?」
「キミ、名前は来宮誠くんでしょ?だからまこっちゃんね」
「あ、そう……」
昨日の高梨恋斗といい、こいつといい、妙な渾名ばっかりつけやがって。
しかし残念ながら、今の俺にはそう反論する気力は残っていなかった。
すると淡井は、何を思ったのかへらりと笑った。
「ふふっ、元気のないまこっちゃんには、ウチが血脈の力を貸してあげるよ」
「けつみゃ……ああ?なんだって?」
「ウチがお母様から受け継いだヴァンピール……つまり、吸血鬼の力のことだよぉ。ウチの母方の祖父はね、スラブの方でエクソシストをやってたんだけど、吸血鬼の娘と恋しちゃってぇ、人間と吸血鬼のクウォーターのウチが生まれたんだよー」
「おー、そりゃまた壮大な世界観をお持ちで」
ピクピクと口元が引きつるのを抑えきれない。前から痛々しい奴だとは思っていたが、面と向かって話してみると、軽く頭痛がしてくる。
つうか何、吸血鬼?エクソシスト?どんなファンタジーだよ。
胡乱な目で自称ヴァンピール・淡井を見つめていると、何故か向こうも見つめ返してきて、それから小首を傾げた。
「それにしても、噂はほんとなんだねぇ?」
「噂?」
「渋谷千里親衛隊隊長の来宮誠がご乱心!今までのキャラは猫被りだったのかー?って噂」
「うげ、んなのが広まってんのか」
俺なんかの噂で盛り上がれるなんて、この学園の生徒は余程暇らしい。
そのときふと、身体中に突き刺さる視線に気づいた。辺りを見回せば、慌てて物陰に隠れる人影がちらほらとある。
「ほらねぇ?みーんなまこっちゃんの言動が気になってんだよー。まあ、ウチが魅力的すぎて見てたって子もいたと思うけどね?」
「自分で魅力的とか言うなよ余計痛々しいだろ……ったく、人にジロジロ見られんのは好きじゃねえのに」
「ええー?それでよく隊長やろうとか思ったよねー」
「うっせ、それにはそれでわけがあんだよ。つうか、なんで俺はこんなとこでお前と立ち話しなきゃなんねえんだ」
改めて淡井の方に向き直り、思いきり睨みつける。
こいつは裏切り者だ。渋谷がリコールされたとき、同じ生徒会の仲間でありながら何もしなかった。それどころか、リコール騒ぎの直前まで佐瀬や他の生徒会役員と共に、あの転入生、大原白兎の尻を追いかけて遊び呆け、仕事を疎かにしていた。
そのせいで渋谷は生徒会室に閉じこもって仕事に追われることになり、そのせいで生徒たちの前に姿を現さなくなり、そのせいで生徒たちは渋谷が生徒会室にセフレを連れ込み職務怠慢していたと思い込んだ。
つまりリコールの原因を辿れば、それは佐瀬を筆頭とする、淡井たち生徒会役員のせいということになる。
渋谷を追い出して、俺にとっての唯一無二の絶対的存在を奪ったことを、俺は絶対に許さない。いちばん憎いのは佐瀬紫織で、その次に憎いのは転入生の大原白兎だ。でも、その次ぐらいに淡井も憎い。
ところが淡井は、全く意に介する様子もなく、またお得意のへらりとした笑みを浮かべた。
「確かにウチは仕事してなかったけどさぁ、別に渋谷っちを見放して佐瀬ちゃんに協力したってはわけじゃないんだよぉ、あの子とは違って」
「は?なんだそれ。あの子って誰だよ?」
「ん?あの子っていうのはねぇ、今ちょうどあそこにいるウサギちゃん」
ピッと人差し指を窓の外に向ける淡井。釣られてそちらに視線をやると、そこにいたのは、
「……あれは」
中庭の噴水前で、口論をするふたりの人物。ひとりは小柄な可愛らしい生徒で、もうひとりは黒いマリモ。正確には、マリモのようなカツラを頭に乗せている生徒。
「お前ら親衛隊がいるせいで、紫織には友達ができないんだぞ!」
「はあ!?意味わかんない!大体あんた、佐瀬様を呼び捨てにするなんて何様なわけ!?」
まぎれもなくそれは、佐瀬紫織親衛隊隊長、光岡涼と、季節外れの転入生で現在生徒会副会長に就任している、大原白兎だった。