電磁放射帯
視界が歪んだと思った次の瞬間に、私は見知らぬ渓谷の底に居た。
立ち込める電磁波が不快な渓谷。
上を見上げると、七千メートル先まで壁が続いているのが見える。
先程まで目の前に居た三つの敵性体は見失った様だ。
あのタイミングでは攻撃も当たっていないだろう。
「づゑ、何故僕の指示を実行しない!」
マスターが未知の言語で喋るが、私にその意味は把握出来ない。
状況から類推するに、恐らく私の言語基盤がマスターのそれとは別種の物に変更されてしまったのだろう。
この互いに意思の疎通が出来ない状態では、私はマスターの指示を受け取る事は不可能である。
「くっそ!初期化も初期設定も完璧だった筈だ!何故こうなった!?やはり地道に洗脳して行くべきだったか」
幸い大まかな指示は残っている。
労六繊維の殲滅と、内陸警察の殲滅。
先程の敵性体の内の一体はマスターから読み取った内陸警察の構成員情報と一部が合致していた。
先制攻撃した事は間違いで無いと私は断定した。
【マスター、付近に攻撃標的αに指定された労六繊維本社を検知しました。これより殲滅に向かいます】
「何言ってるか分からんが物凄く不穏当な気配がする」
理解出来ない発言は、無言と同義であると私は断定した。
マスターの背後に回り、脇から手を通して支えると「抜刀」と解析不能な言語で呟く。
「ぁぁぁぁ!?」
この解析不能な言語での呟きは、足元に広がる構造物からエネルギーを引き出すための命令手順である。
正確な仕組みは不明だが、断片化された情報が私の中に残っていた。
履歴を見る限り私は一度不完全に再起動されている。
私の理論回路に修復不可能な不具合が発生したのだろうか。
いずれにせよ再起動前のデータは断片的なものが僅かに残っているだけである。
マスターが何故言語基盤を更新しないのかは不明だが、私にはマスターの意思疎通を確立させる手段は無い。
「まて!今何やった?!何か良く分からない、こう、何だ?何で推進力が得られるんだ?」
等と考えている内に私とマスターは渓谷の上に着地した。
目標との距離凡そ七キロ。
「ここは、本社北の電磁放射帯か。境界からは脱したみたいだな」
「抜刀」
構造物から最大出力で引き出したエネルギーが労六繊維本社に激突する。
どんな素材で作られているのか、外殻が僅かに溶けただけだった。
「……。何かもうどうにでもなれ」
【労六繊維本社に乗り込み、内部から破壊を試みます】
私は全力で走る。
「―――」
何かを言うマスターの声は拾えなかった。
どうせ解析不能なのだから結果は同じだ。
次の瞬間、私は労六繊維本社の正面玄関を突破している。
視界に入った敵性体は七つ。
「抜刀」
出力を抑えて七方向に。敵性体は全て蒸発した。
誰もいなくなった広間で私は上を見上げる。
【敵性体、多数】
内部の建材を走査。外殻と違い耐熱性は一般的な耐熱素材程度と判定。同時に建物の構造解析も完了。
屋上に走査不能なエリア発見。
「抜刀」
広間の中央にあった柱が溶け落ちた。
「抜刀」
二階部分の主要な柱を数本溶断。
建物全体が不穏に軋む。柱の悲鳴を聞き届けたのは私だけ。
十二秒後にこの建物は崩壊する。予想される生存者は十名以下。
床が僅かに振動した。予想に無い振動。
【訂正。地下部分を見落とし。高度な隠蔽措置の痕跡】
僅かに横に飛ぶ。
私が居た場所の床を突き破る金属製の棒が二本。
「抜刀」
床ごと金属製の棒は蒸発。
「あー!ったく!次から次へと厄介事が!」
溶けて流れ落ちる床をくぐる様にして、両手足が亜金属製の敵生体が私に向かって飛び上がって来る。
エネルギーをぶつけるには近過ぎる距離までの接近を容認してしまったのは痛恨の極み。
【接近戦プロトコル読み込み開始。読み込み完了。戦闘定義変更完了】
最適な力と手順で私の拳が敵性体に撃ち込まれる。
【不明な脅威を検出】
敵性体に右掌で受け止められた私の右腕が、消滅した。
「うつつさん秘蔵の新式飛翔体射出装置の餌食になってしまえ」
敵性体の右腕が展開される。私はそこに高密度のエネルギーを検知した。
【時空間干渉逸脱二段階。国際法違反の武器と認定】
その時空間干渉装置はマスターの所有している装置と似た構成をしていた。対処は可能。
私は敵性体の懐に飛び込み、抱き着く様にして肘付近を握る。恐らくここが排熱機構。
「抜刀」
出力は最小。みしりと悲鳴を挙げて、亜金属製の腕が歪み始める。
私も敵性体も反応は最速。手順は最短。
敵性体が熱暴走し始めた右腕を自ら切り離すのと、私がそれを空中で掴むのはほぼ同時。
エネルギーは全て私の中に流れ込んだ。
目を丸くする敵性体の前で、私は亜金属を元素変換して右腕を再構成していた。
動作検査開始。異常無し。
「抜刀」
私の攻撃に対する敵性体の反応は早かった。左腕で時空間干渉を行い私にぶつけようとする。
時空間の歪みは豆粒大の大きさだが、当たれば私の攻撃を打ち消しても有り余るエネルギーが襲い掛かっただろう。当たればの話だが。
前提として、私の攻撃は直接敵性体を狙った物では無い。
構造物から引き出されたエネルギーは熱に変換され、敵性体の背後にある柱を溶断する。
一連の戦闘と柱の溶断で建物の崩落が五秒早まった。崩落が始まるのは今この瞬間。
大きな瓦礫が私と敵生体の間を遮る直前に、私自身も時空間干渉を行う。
針孔程度の貧弱な時空間干渉だが、敵性体のそれとは四次元的ベクトルの異なる干渉。
ベクトルの異なる二つの時空間干渉が重なり合う時に起こる現象は一つ。
莫大な量の仮想エネルギーの疑似放出。
「抜刀」
出力は最大で範囲は最少。広範囲への攻撃には耐えた外殻をも蒸発させる一撃が、私に逃げ道を作る。
「抜刀」
不完全に引き出したエネルギーが生む破壊力の無い力の流れに乗って、私は建物の外へと脱出した。
空間が顫動分断する。最初は粗く弱く、そして徐々に細かく激しく。
一階部分を中心に上下三層が消滅する。敵性体の反応がいくつか消える。
地下三階から地上三階までを失った建物は、真っ直ぐ下に落ちる。
今の所は無事な階層から多数の悲鳴を検知。
実質六階分落下した建物は自重で四階部分から順番に砕けて散る。
粉塵がどうどうと巻き上がり、時折小さな礫が私を打つ。
私より大きな瓦礫が飛んで来た時は一応殴って砕いた。
九十一秒と言う長い時間を掛けて、内部の敵性体を押し潰しながら崩落する建物。
完全に崩壊し、唯一残った生体反応を処理しする。
ぶよぶよとした肉の塊が知性を持っているかは不明だが、念のためである。
そして私はマスターの所に舞い戻る。走って。
【目標α完全破壊しました】
「…派手にやったねぇ。ナシの生体反応も途中で消えたし」
マスターは未知の言語で何か言っていたが、私は別の事が気になっていた。
「いずれナシも七郎も皆殺す気だったからいいんだけどね」
ここに来た時には僅かな磁気の乱れかとも思っていたのだが、どうやらこの渓谷のどこかに何かが潜んでいる。
「でも七郎の生体反応が正確に補足出来ないのは少し気になるな。複社長に殺られたか?」
【高精度解析開始】
私は周辺の渓谷を複数のフィルターを通して走査する。
【不自然な電磁波を検知。発生源は不明】
何かが、居る。
渓谷が発する不規則な電磁波に混じって、単調な電磁波が一定間隔で照射されている。
渓谷の電磁波の影に隠して発信源を隠蔽した自発式の磁気探査をかけているのだろう。
こそこそ隠れる割に大胆な事をする。
こちらからはそれの位置は特定出来ないが、それはこちらの位置を特定していると思っておいた方がいい。
そして私は単純な事に気付く。
どうせこちらの位置がばれているならば、こちらも大規模な走査を掛けても問題は無いと。
【自発式磁気探査起動】
高出力の電磁波が私から放射される。
「おうぅ。なんだい急にそんな強い電磁波なんて出して」
マスターがこめかみを手で強く押さえた。高出力電磁波の影響を受ける身体を使用している様だ。
電磁波が渓谷を駆け巡り、反響して私の元へと戻る。
【逃げられましたか】
電磁波の痕跡はあれど、そこに居たであろうそれは検知出来なかった。




