正執政官三献の儀 ―― クライアント心理学
───【本話のウォークスルー対象】───
■ Section 01
大賢者視点:代官屋敷・待ちぼうけ
■ Section 02
ナナシノ視点:庵・経営資源の活かし方
■ Section 03
ナナシノ視点:庵・最高権力者のお宅訪問
────────────────────
─── ■ Section 01 ──────────
◆ 大賢者視点:代官屋敷・待ちぼうけ
────────────────────
儂は、執事ニコラウス、メイド長のアリンナと共に、庵近くの集落にある代官屋敷の応接室にいた。
正執政官ロミュウリス12世の到着を待っているのだ。ロミュウリス12世は鷹狩りを名目に執政府を抜け出し、お忍びで儂と秘密面会を行う手筈になっていた。
しかし、儂の胸中には拭いがたい違和感が渦巻いていた。
通常、いくらお忍びの電撃訪問とはいえ、共和国の最終責任者が動くとなれば決まった手順というものがある。まず面会の打診があり、次に日時・場所の緻密な調整が交わされ、当日は「間もなく到着する」という先ぶれが段階を踏んで届くのが絶対の鉄則だ。
それが今回はどうだ。何かの事務手続の手違いか、打診すら跳ばして突如として日時と場所を指定された。そして指定の刻限をとうに過ぎた今になっても、正執政官の影すら見えない。
(……おかしい。いくらなんでも遅すぎる)
約束の刻限を過ぎても、先ぶれの一人すら現れぬ。1時間ならまだよい。道中の事故、馬の不調、警備上の都合。理由などいくらでも考えられる。
だが、流石に面会時間を1時間も過ぎていて「なぜ遅れているのか」が誰にも分からぬとなると、話は別だ。
いつもとは違って異常事態が発生していることが見て取れる。通常なら卒なく取次係を全うする正執政官側近のロヤレーリットのやり口とは到底思えない。これは単なる遅刻などではあるまい。裏で致命的な不祥事か、あるいは政変でも起きているとしか思えない。
廊下を落ち着いた様子を保ちつつ慌ただしく行き来し、各所と連絡・調整を取り合っていたニコラウスが、静かに部屋へ戻ってきた。その鉄面皮には一切の動揺を浮かべず、しかし声には氷のような冷徹さを込めてこう告げる。
「即刻、庵まで戻りましょう。……今回は何やらキナ臭いです。こういう状況が分からないときは、とりあえず最も安心できる場所に身を移しておくのが一番です」
だからこそ、儂は眉をひそめたのだ。その提案の内容がゆえではなくあ奴の態度ゆえだ。
あ奴が「表情を変えない」ときこそ、たいていは碌でもないことがおきることを思い出したからだ。
儂は長年の信頼を寄せる執事の言に従い、直ちに庵へと引き返す断を下した。
今回は正執政官を給仕でもてなすため、わざわざアリンナを同伴させていた。だが、今となってみればこれが痛恨の悪手だったと思い知る。本来ならアリンナには庵の留守を預かってもらっていたはずだったからだ。
今、庵に残されているのはシズ一人。
安全面ならホウェツゼンが控えているため心配はない。だが、付き添いがイーダ一人だけというのは明らかに気働きが足りぬ。あれに細やかな対応など望むべくもない。
(シズの身に何も起きねばいいのだが……)
いや、待てよ。確かまだナナシノがいたな。あ奴がいるから大丈夫か。
……いやダメだ。あ奴はあ奴で、この東大陸の理にとんでもなく疎い常識知らずだった。
余計に心配になってきた。
思い至るほどに、胃のあたりがじわじわと痛みを帯びてきた。
─── ■ Section 02 ──────────
◆ ナナシノ視点:庵・経営資源の活かし方
────────────────────
困った。本当に困った。胃が千切れるほど困った。
たった今、共和国の最高権力者・正執政官殿の先ぶれから、信じがたい知らせが飛び込んできた。
曰く――『これより正執政官閣下がこの庵にお見えになる』と。
(なんでよりによって、今日なんだ……!?)
こういう絶体絶命の緊急事態に限って、賢者様、ニコラウス様、アリンナ様が揃って不在。
神域の龍神様への月一の伺候の帰り道、「たまには庵でゆっくりしよう」と立ち寄ったのが災いしたのか。
折角だからついでにシズお嬢様もお呼びしようという話になり、侍女のイーダ先輩もついてくることになった。イーダ先輩はルナリアの傍を離れたがらず、後ろ髪を引かれる思い100%の悲壮感を漂わせながらも、職務への忠誠心だけでシズお嬢様に従って庵までやってきた。
――にもかかわらず! この土壇場でちっとも役に立ちそうにない!
同じ『イイダ』でも、あっちの飯多先輩なら、弦セクションリーダー並みの包容力と神がかった冷静さでこの窮地を救ってくれたはずなのに……! イーダ先輩には『フロオケ』でも磨いていてもらおうか。
頭の中でアニパロってふざけていても問題は解決しない。いつまでも現実逃避していないで、そろそろ問題を直視することにするか。
そもそものイシューは、庵の主人が不在の時、主人を訪ねて一国の最高指導者がお忍びで庵までいらっしゃった点にある。
それでは、この事態が引き起こし得るリスクは何か。ブレストしてみよう。
1.アポなしお忍び訪問 ⇒ 迎える準備ができず、ロミュウリス12世に恥をかかせる
2.一国の最高指導者がわざわざ足を運んだのに不在 ⇒ 大賢者の不遜と受け取られ、株が暴落する
3.連絡手配の不手際 ⇒ 伝書を回した連絡係の首が物理的に飛ぶ
4.大賢者を待つ間に退屈・不快感を与える ⇒ 現地の最高責任者に怒りの矛先が向き、処罰される
うん、いまさら1~3は自分の手だけではどうにもできない。この場合は解決対象から捨て、だな。
今自分がコントロール可能な領域は「4. シズお嬢様の首皮一枚を繋ぐこと」だけか。ならば、それだけに全神経を注いで、庵の経営資源を集中させるしかない。うん、『選択と集中』はいつでも大事。
自分が怒られるくらいなら、別にどうということはない。
しかし、シズお嬢様に累が及ぶのは別問題だしね。
それに自分の手に負えないことをいつまでもうじうじと、あれこれ悩んでいても仕方がないからね。そうした方が精神衛生的に最も健全だ。多分。
次は活用できる手持ちの「リソース」のチェックだ。
この場合の所有している最大資源はやっぱり人的資源っと。えーと、シズお嬢様、ホウェツゼン様、自分……そしてとりあえずイーダ先輩っと。
使えそうなスキルは、水属性魔法と、魔導工学と、雑学、それと後は……食いしん坊か。
――まあ「鶏鳴狗盗」とも言うしな。
外の気温はかなり高い。そして相手は遠路はるばる鷹狩りにかこつけて馬を走らせてきたはずだ。わざわざ先ぶれが、鷹狩り中のお忍びといっていたな。それじゃ汗もかいているだろうし、喉もカラカラに乾いているに違いない。
……一か八か、あれをやってみるしかないか。
(ええと、柿嫌いの『治部醤油』だったっけ?あの三段落ちの接待術は?)
─── ■ Section 03 ──────────
◆ ナナシノ視点:庵・最高権力者のお宅訪問
────────────────────
気まずい、非常に気まずい。胃の奥がキュッと縮むほど気まずい。
いや、最初から分かっていた。
この庵に残っている戦力は、たった4人。しかも“接待適性ゼロ”の4人。
シズお嬢様、ホウェツゼン様、自分、そしてイーダ先輩。
本来なら立場的にはホステスはシズお嬢様のお役目だ。しかし如何せん。あの沈黙姫に接待役が務まるわけがない。魔力波形で意思疎通するタイプで、言語による接待はそもそも仕様外だ。この状況で前に出したら、逆に正執政官の魔力探知を刺激してしまう。元魔導技師のホウェツゼン様も完全に職人肌で接客は無理筋だ。イーダ先輩は……。
(こんなマスクで半分顔を隠したガキにホストが果たして務まるものだろうか?)
……
慎重に慎重に。器の中の液体に一切の振動を与えないよう、指先に全神経を集中させて運び、そっと正執政官の前のテーブルへ置く。
正執政官閣下の龍顔は畏れ多くて見ることはできない。いや、本来なら直答も拝顔も憚られる身分差だよね。
汗が滲む、視線を伏せてマスクの陰に隠す。
脇に控えていた近衛のお付きが、すかさず毒見をしようと身を乗り出す。だが正執政官が静かな手振りひとつで制する。
(助かった。毒見役のお付きの方には悪いけど、このまま飲んでもらう方が都合がいい。)
正執政官閣下は、分厚い革製の鷹狩り用手袋をゆっくりと外し、目の前の器を素手で取り上げた。
その瞬間――。
正執政官閣下の指がわずかに止まった。だが、顔を見ることはできない。
器を持つ手の動きがほんの少しだけ変わった気配だけは伝わった。
――よし。
驚いた。
それだけは分かった。
その衝撃的な冷たさに驚きを隠せないリアクション。そう、それが欲しかった。
そして、正執政官閣下が器を傾け、喉を鳴らそうとしたまさにその刹那。
サラリとした液体だったジュースが、唇と器が触れた微小な振動をきっかけに、一瞬で網状の結晶を形成。目の前でシャリシャリの極上フローズンへと変貌を遂げた。
「な、なんだこれは……!?」
厳格な最高指導者が、思わず目を見開いて声を漏らす。
「金粒酸果の果汁に、極微量の塩と蜂蜜を加えた、お身体の疲労を急速に回復させる飲みものでございます。」
「いやそうではなく、なぜ口をつけただけで凍ってしまったのかと聞いておる」
――正執政官閣下の声は低く、静かで、逆に怖い。
「ああ、そちらでございますか。それは『過冷却ジュース』と呼ばれるものでして。液体が凍る温度以下になっても静かに置いておくことで凍らない『過冷却現象』を利用しております。もっとも、私も伝聞で知っているだけでして、なぜそのような不思議な現象が起きるのか、詳しい原理まではさっぱり理解できておりません。ただ、塩が何らかの悪さをしているらしいです。」
「……」
正執政官閣下は無言のままフローズンを口に含み、じっくりと味わった。
「……お味の方は如何でしょうか。お口に合いましたでしょうか?」
「……うむ。悪くない」
「左様でございますか! 一安心いたしました。過冷却によって角が取れ、まろやかな味わいになったかと存じます。それもこの器――『錫』のおかげなのです。錫には高い浄化作用があるとされ、古くから『錫の器に入れた水は腐らない』『雑味が抜けてお酒や果汁が劇的に美味しくなる』と言われているんですよ。知識だけですけど。」
「……」
正執政官閣下は深遠な眼差しで、手中の錫の器を見つめている。
「それはそうと閣下、器の表面に彫られております貴家の紋章を、少し強めに押してみていただけますでしょうか。」
「な、なんだこれは」
「その器は純度100%の錫でできておりまして。閣下の御手の熱と指の力で、紋章が立体的に浮かび上がる仕掛けとなっております。……よろしければ、もう少し強い力でグッと握り込んでみてください。閣下の掌圧と指の形状に寸分違わずフィットする、東大陸で唯一の『オーダーメイドグラス』の完成にございます。」
「うむ……!」
「ついでにお茶請けの器に添えてございます葉っぱの飾りも、どうぞご自身の手で好きな形に曲げてみてください。」
――ピキピキ、ググッ。
「な、なんだこれは」
「それは『 Tin cry』と呼ばれる現象でございます。錫特有の金属結晶同士が擦れ合うことで、かすかな悲鳴のような音が鳴るのです。ほんと金属なのに人の手で自在に形を変えられる、実に不思議な感触が楽しめますよね。」
「……」
(ふふん、大層腕がいい職人、いや違った元魔導技師が超特急で鍛造してくれた賜物だからね。いやでもさすがだね。あんな短時間でここまでのクオリティの器を2つも仕上げるだなんて。そしてシズお嬢様の完璧な水魔法による氷生成と温度管理。見事なものだったな。……そして絶妙な果汁選びと王の舌をもってのこれまた絶妙な調合。うん、食い意地の勝利だな。)
正執政官閣下は器をそっと置き、重厚な声で告げた。
「もう一杯頼めるか」
「はい、畏まりました。」
(心の声:はいっ、喜んでー!)
自分は静かに一礼すると、部屋の隅で小さく縮こまっているイーダ先輩へ目配せを送った。
イーダ先輩は「はひっ!?」と肩を跳ねさせ、何度も大きくウンウンと頷くと、手を震わせながらマグカップを準備し始めた。
カチャカチャ……。
陶器のぶつかる情けない音が静寂に響く。
(イーダ先輩頑張れ!あともう少しでこの試練は終わるから。)
さすがにイーダ先輩を直接前に出すわけにはいかない。自分が給仕を代わり、熱すぎず冷たすぎない『ぬるめのお茶』をたっぷりと大きめのカップで正執政官閣下に差し出す。
正執政官閣下は喉の渇きを癒すようにぐいっとやり、一気にそれを飲み干すと、鋭い眼光でこちらを凝視してくる。
はいはい、分かっていますとも。
再び、イーダ先輩の方を見やる。イーダ先輩は相変わらず緊張感で顔を蒼白にしながら、次はやや小ぶりのティーカップにお茶を注ぐ。
カチカチカチカチ……
ティーカップがこの TPOに全く相応しくない自己主張を始める。
(……もう音には何も言うまい。)
イーダ先輩が冷や汗を流しながら注いだ『アツアツの濃いお茶』を小ぶりのティーカップで差し出す。
三度、自分が正執政官閣下にお茶を出す。
正執政官閣下がふうふうと息を吹きかけながら、今度は熱いお茶をじっくり啜る。
「……」
(いや、じっと見つめられても……目のやり場に困る。給仕するとき以外は目を合わせてはいけなかったはずだ。こんなことで不敬罪になることだけはご勘弁願いたい。)
その視線は、評価なのか、警戒なのか、判別できない。
ただ静寂だけが部屋を支配する。
その後もしばらく、正執政官閣下はこっちを見つめていたようだったが、やがておもむろに立ち上がった。
「……帰ることにする」
その声は、どこか満足げでもあった。
「はっ。お見送りいたします。」
ふううぅぅぅ……! 心の中で深く長い息を吐き出す。
とりあえず、この場での即座のお咎めは回避できた。シズお嬢様の首皮も、これでどうやらしっかり繋がったらしいな。
安堵の溜息をつきつつ、顔色を窺おうとシズお嬢様の方へ視線を向ける。
すると――シズお嬢様もまた、尋常ではない眼力で自分を凝視していた。
……え、これ、怒ってる? 褒めてる? どっち?
(……いや、あの、もしもしシズお嬢様? 自分はルナリアじゃないので、お嬢様の『無言の魔力思念波』は1ミリも受信できませんからね!?)




