第一章 無能の烙印
また書いてます。TALESでも書いてます。お付き合いよろしくお願いします。
「避けろよ、レオン」
乾いた声と一緒に、木剣が俺の鼻先をかすめる。
避けろと言われた瞬間には、もう遅い。
頬にぴしりと痛みが走って、次の瞬間、俺は訓練場の砂の上に転がっている。口の中に土の味が広がる。最悪だ。十五歳の誕生日の朝に食うものじゃない。せめてパンにしてほしい。
訓練場を囲む使用人たちが、くすくす笑う。
「やっぱり次男様は駄目ですね」
「兄上様と同じ血が流れてるとは思えないわ」
聞こえてる。ばっちり聞こえてる。人の悪口って、どうしてあんなに通る声になるんだ。
俺は立ち上がって、砂を払う。
向かいに立っている兄、ディルク・アルヴェインは、汗ひとつかいていない。朝日を背にした姿はやたら絵になる。腹が立つくらいに。
十八歳。剣術の天才。アルヴェイン家の誇り。父のお気に入り。使用人たちの憧れ。
そして、俺を見下ろすときだけ、少しだけ怯えたような目をする男だ。
「もう終わりにしておけ」
ディルクが木剣を下ろす。
「父上が見ている」
視線を向けると、訓練場の端に父、グラナード・アルヴェインが立っていた。
眉間に深い皺。腕を組み、俺を見る目は、腐った野菜を見るときとだいたい同じだ。
「……期待はしていなかったが、ここまでとはな」
その一言で、朝の空気が一気に冷える。
「剣は駄目、魔法も駄目。お前はいったい何ならできる」
知らない。俺が聞きたい。
前世でも、そういう質問をしてくる上司がいた気がする。転生してまで面接みたいなことをされるとは思わなかった。
「ディルクは十五の頃には騎士団の模擬戦で優勝していた。セシリアはすでに精霊術師団から声がかかっている。なのにお前は」
父の言葉が止まる。
訓練場の隅に立っていた妹――セシリアが、小さく肩を震わせたからだ。
十二歳の妹は、俺と目が合うと、困ったように視線を逸らした。
嫌っているわけじゃない。たぶん。
ただ、この家で俺に優しくすると、父に睨まれる。
この家はそういう場所だ。
「父上」
ディルクが低く言う。
「今日はレオンの誕生日です」
「だからどうした」
ぴしゃり、と父が切る。
「十五にもなって何ひとつ結果を出せない男に、祝う価値があるか」
その言葉に、使用人たちがまた笑う。
笑い声の中で、ディルクだけが黙り込む。
兄は兄で苦しいんだろう。父に認められるため、完璧でいなきゃいけない。
でも、それで俺を踏み台にしていい理由にはならない。
「……じゃあ、せめて誕生日くらい、追い出すのは明日にしてください」
軽口のつもりで言った。
父は笑わなかった。
「ちょうどいい。今夜、お前に話がある」
嫌な予感しかしない。
昼を過ぎても、屋敷の空気は重かった。
廊下を歩けば、使用人たちがひそひそ話をやめる。
「伯爵家も、もう終わりかもしれないわね」
「借金がかなりあるらしいぞ」
「聖遺物に大金を払ったとか……」
扉の陰から聞こえてきた言葉に、俺は足を止める。
借金。
没落。
最近、父がやたら苛立っている理由。それか。
アルヴェイン家は名門だ。だった、の方が正しいかもしれない。
昔は王国でも有名な伯爵家だったらしい。でも今は、領地の収穫も減り、商売も失敗続き。そのうえ、父は王都から持ち込まれた『聖遺物』に大金を払った。
屋敷の奥に運び込まれた、古代文明の秘宝。
みんなが本物だと騒いでいる、家を救う切り札。
俺はまだ見ていない。
どうせ俺には関係ない。そう思っていた。
「レオン様」
後ろから声をかけられる。
振り向くと、銀色の髪を後ろでまとめた少女が立っていた。
エリシア・ルミナス。
この屋敷で働く侍女で、十六歳。平民出身。だからか、この家の連中みたいに、俺をわざわざ見下したりしない。
というか、むしろ妙に観察してくる。
「また殴られましたね」
「ひどいな。人の顔を見るなり感想がそれか」
「頬、赤いです」
エリシアがため息をついて、ハンカチを差し出してくる。
石鹸の匂いがした。屋敷の空気より、ずっとまともな匂いだ。
「ありがとうございます、エリシアさん」
「気持ち悪いのでやめてください」
「急に厳しいな」
でも、少しだけ笑っている。
その顔を見ると、胸の奥の嫌な重さが、少しだけ軽くなる。
「今日、何かあるんですか」
エリシアの声が少し低くなる。
「父上が、今夜話があるってさ。たぶん、ろくでもないやつ」
「そうですか」
彼女は何か言いかけて、やめた。
代わりに、まっすぐ俺を見る。
「あなたは最初から、無価値なんかじゃないです」
突然そんなことを言われて、俺は思わず吹き出しそうになる。
「何それ。慰めの練習でもしてるのか」
「本気です」
冗談みたいに真顔だった。
だから困る。
夜。
食堂の扉を開けた瞬間、俺は笑った。
笑うしかなかった。
長い食卓。父、兄、妹。その席はある。
俺の席だけがない。
まるで最初から、この家にいなかったみたいに。
「立ったままで聞け」
父がワインを揺らしながら言う。
「レオン・アルヴェイン。お前は今日限りで、この家を出ていけ」
静かだった。
妙に静かで、窓の外の風の音だけが聞こえる。
セシリアが息をのむ。
ディルクは顔を伏せたまま動かない。
「……追放、ってことですか?」
「好きに呼べ。お前に家督はない。財産も与えん。この家に無能を置いておく余裕はない」
無能。
今日だけで何回聞いただろう。
いや、今日だけじゃない。生まれてからずっとだ。
胸の奥が熱い。
怒りなのか、悔しさなのか、自分でも分からない。
「分かりました」
気づけば、そう言っていた。
「出ていくよ。こんな家、こっちから願い下げだ」
父の眉がぴくりと動く。
たぶん、俺が泣いて縋ると思っていたんだろう。
悪いけど、そんな趣味はない。
部屋に戻って、荷物をまとめる。
服を二着。本を数冊。財布。以上。
ひどい人生だ。十五年生きて、持ち物がこれだけ。
引き出しを閉めると、部屋の外から笑い声が聞こえた。
使用人たちだ。
「明日からは平民か」
「野垂れ死にしなきゃいいけど」
ああ、もういい。
こんな屋敷、一秒でも早く出ていってやる。
俺は裏口から廊下を抜け、そのまま屋敷の外へ向かう。
……はずだった。
途中で、古い倉庫の前を通りかかる。
扉が半分開いていた。
中は暗く、埃っぽい。湿った木の匂い。使われなくなった家具や壊れた鎧が積み上がっている。
最後に見納めだ、くらいの気持ちで入った。
すると、棚の奥で何かが月明かりを反射した。
一本の短剣。
黒い鞘に入った、古ぼけた短剣だ。装飾もない。どう見てもがらくた。
でも、不思議と目が離せない。
俺は短剣を手に取る。
冷たい。
その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
眩暈。耳鳴り。心臓が暴れる。
知らない景色が、一気に流れ込んでくる。
高いビル。スマホ。満員電車。コンビニのレジ。終電。パソコンの光。
――俺は、前世で会社員だった。
ブラック企業でこき使われて、誰かに評価されるためだけに働いて、最後は過労で倒れた。
ああ、そうか。
俺は、また同じことをやっていた。
他人に価値を決められて、無価値だと言われて、それを信じていた。
短剣が淡く光る。
頭の中に、文字が浮かぶ。
『レビュー能力、起動』
『対象:古代短剣』
『評価:★★★★★』
『名称:真識の短剣』
『古代王が所有していた遺物。あらゆる存在の本質を見抜く力を宿す』
『現在の所有者に適性を確認。継承を開始します』
「……は」
間抜けな声が出る。
何だこれ。
頭がおかしくなったのか。
でも、短剣を見た瞬間、また文字が浮かぶ。
『耐久:S』
『価値:計測不能』
『備考:本来の力の一部のみ解放中』
見える。
短剣の価値が、頭の中に流れ込んでくる。
しかも、なんとなく分かる。
この力は、短剣だけじゃない。
人も、物も、全部見える。
試しに、近くに転がっていた壊れた鎧を見る。
『評価:★1』
『見た目だけ。衝撃を受けると三秒で壊れる』
ひどい。レビューが辛辣すぎる。
いや、俺の感想じゃない。勝手に浮かんでくるんだ。
そのとき。
倉庫の奥の棚に、見覚えのある箱が置かれているのに気づく。
父が王都から買ってきた聖遺物。
どうしてこんな場所に。
豪華な箱を開ける。
中には、青白く光る水晶の杖が入っていた。
家を救う切り札。
数百万ゴールドしたとかいう、王都の鑑定士お墨付きの代物。
俺は息をのんで、その杖を見る。
次の瞬間、頭の中に表示が浮かぶ。
『評価:★1』
『名称:偽造聖遺物・蒼天の杖』
『粗悪な魔道具。魔力を暴走させ、使用者の精神を破壊する』
『市場価格:銀貨三枚』
「は……?」
銀貨三枚。
父はこれに、伯爵家が潰れかけるほどの金を払ったのか。
喉がひゅっと鳴る。
これ、本当にやばいやつだ。
そのまま父の執務室へ駆け込む。
扉を開けると、父が書類を睨んでいた。
「父上、その聖遺物、偽物です」
父がゆっくり顔を上げる。
「何だと」
「粗悪品なんです。使ったら危険だし、家を潰すだけです」
自分でも何を言ってるのか分からない。
でも、分かるんだ。見えるんだ。
父の顔がみるみる赤くなる。
「……誰に吹き込まれた」
「誰に吹き込まれたわけではありません。で、でも俺には分かるんで・・・」
「黙れッ!」
鈍い音。
言い終わる前に、頬に衝撃が走って、俺は床に叩きつけられる。
殴られた。
鼻の奥に鉄の味が広がる。
「お前みたいな無能が、王都の鑑定士より正しいとでも言うのか」
「で、でも――」
「出ていけ!」
怒鳴り声が、部屋に響く。
俺は唇を噛んで立ち上がる。
やっぱり駄目だ。
この家は、誰も本当のことなんて見ようとしない。
廊下に出ると、エリシアが立っていた。
全部、聞こえていたらしい。
「……信じませんよね」
「普通はな」
「私は信じます」
即答だった。
「あなた、嘘をつくとき、もっと下手ですから」
「ひどくないか」
「褒めてます」
褒め方が独特すぎる。
でも、その一言だけで、さっきまでぐちゃぐちゃだった胸の中が、少しだけまともになる。
「レオン様」
「ん」
「一度、自分を見てみたらどうですか」
自分を。
俺は短剣を握る。
そして、心の中で、自分自身を見る。
レオン・アルヴェイン。
十五歳。無能。追放寸前。家族から嫌われてる。使用人からも笑われる。
表示が浮かぶ。
『対象:レオン・アルヴェイン』
『評価:計測不能』
『覚醒条件未達成』
その文字を見た瞬間、心臓が大きく跳ねる。
計測不能。
無価値、じゃない。
でも、まだ何かが足りない。
「……何だよ、それ」
俺は思わず笑う。
今日一日で、家を追い出されて、殴られて、意味不明な力まで手に入れた。
なのに、不思議と最悪な気分じゃない。
むしろ、初めてだ。
自分の人生が、誰かの決めた点数じゃなくなる気がする。
俺は窓の外を見る。
夜の空気は冷たい。
でも、屋敷の外の闇は、ここより少しだけ自由に見えた。
「出ていく」
俺は短剣を腰に差す。
「この家も、この国も、偽物だらけなら――俺が全部、本物かどうか決めてやる」
背後で、小さく息をのむ音がした。
振り返ると、エリシアが俺を見ている。
月明かりの下で、彼女は少しだけ笑った。
「では、荷物をまとめます」
「……は?」
「私も行きます」
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