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【コミカライズ決定】【連載版】王太子でも聖女でも悪女でもなく、一番の策士が『剣術バカ(嘘)』の私の婚約者の件  作者: 千秋 颯@6/18「一途に溺愛されて~」アンソロ発売!
第五章 さよならに嘘の嘘を添えて

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90/100

第90話 自分が知らない自分

(何でニコルが……)


 困惑と緊張を抱えながら、ヴィクトルは剣を鞘へ納める。


「わ、悪ぃ……! ニコルってわかんなくって……怖かっただろ」


 それから大袈裟な程慌ててみせながら、ニコレットの怪我の有無を確認する。

 勿論、彼女がけがをしていない事はわかっていた。


「だ、大丈夫か?」

「ええ。だって、ヴィーが私を傷付ける訳ないでしょう?」

「そ、か……っていうか、何で家に? 今日は来る日じゃなかったよな」

「そうね。……どうしてだと思う?」

「んぇ……?」


 無事を確認しながらニコレットの頬に触れていた手を、彼女が己の手で優しく包み込む。

 分かりやすく『よくわからない』という反応をヴィクトルが見せたのは芝居の一環だったが、ニコレットの問いの答え自体は本当に理解していなかった。


「少し、付き合って頂戴」


 ニコレットは肩を竦めるとヴィクトルの手を取ったまま、比較的大きな木の傍まで移動する。

 それから彼女は腰を下ろし、ヴィクトルに自分の膝へ寝転がるよう促す。


「あのー、ニコルさん? なんで急に膝枕?」

「何でだと思う?」


 また似たような返答で濁され、ヴィクトルは何も答えられなくなる。

 柔らかな風が吹く庭の中で、ニコレットは穏やかな微笑を浮かべながらヴィクトルの髪を撫でた。

 恥ずかしいような嬉しいような、少し居心地が悪いような、そわそわとした感情を抱きながらもヴィクトルが体を預けていると、彼の頭をこつんと拳が優しく小突く。


「あいてっ」

「ふふ」

「な、なんだよー、急に!」

「目を開けない」

「ええー!?」


 文句を言う為に体を起こそうとすれば、視界を塞ぐようにニコレットの手が添えられる。

 仕方なしに、言われたとおりに目を閉じてじっとしていると、再び頭を撫でられ始める。


「これは独り言だから、気にせず眠っていてね」


 ニコレットの言葉を、『寝たふりをしていてくれ』と取ったヴィクトルは返事をせずにじっとしている事にした。


「貴方の事だから、何か意図があってしている事なのかもしれないけれど……。貴方を案じる人がいる事は、忘れないでね」


 夕暮れの、少し冷えた風がヴィクトルとニコレットの顔を撫でる。

 木々が揺れ、枝葉が擦れる音がしていた。


「出来た人間であると自負している人程、上手く立ち回るべきでしょう?」


 少し間を空けて、ニコレットが言う。

 細い指が、さらさらとした赤毛を丁寧に撫で続けている。


「一人で全てやらなければならないなんて思っているのなら、それは傲慢よ。天才こそ、自分の限界を見極めた上で他者を上手く利用べきだし……。だからこそ、貴方はそうやって生きてきたのではないの?」


 『剣術バカ』として生きる選択。

 そこには他者の油断を誘発させて思うがままに動かす為――他者の精神や思想を利用する為という理由があった。


 貴族には傲慢な者、もしくは過剰な程に警戒心の高い者が多い。

 前者であれば下手に出て恥を晒していれば相手はヴィクトルを見下すなり、優越感を与える都合の良い存在として捉えるなりして、口が軽くなる。

 後者且つ、第一王子のグザヴィエと敵対する勢力であれば、彼の周りで最も愚かで隙が多く見えるヴィクトルは率先して責めるべき隙となる。

 そうなれば必然的にヴィクトルの眼前には敵対勢力の動きやその足掛かり、その他情報などが勝手に転がるようになる。


 無能を演じれば演じる程、必要最低限の行動で多くのものが得られる事をヴィクトルは幼い頃から理解していたのだ。


「分かっている事だとは思うし、余計な世話だったらごめんなさい。ただ最近の貴方は少し……らしくないように見えたから」


(らしくない、か)


 最近の自分の行いをヴィクトルは振り返る。

 彼女の言う通りだと思った。

 能天気な性格と、根を詰めるという行動はどうしたって結びつかない。不自然だ。


 『剣術バカ』を完璧に演じきるのであれば、家族やニコレットに感づかれずに研鑽を積む方法だっていくらでも考えられたはずだ。

 そこに考えが及ばなかったのは確かに『らしくない』。


(余程参っていたのか、それとも……無意識的に心の拠り所を求めてしまっていたのか)


 今、ニコレットがしてくれているように、誰かの優しさに触れたかったのかもしれない。

 自覚していなかった、自分の内側に秘めた幼稚な可能性が過り、ヴィクトルは呆れてしまう。


 そこへ、自分自身へ向けられた彼の注意を引き戻すように、ニコレットが言葉を紡いだ。


「言いたくない事があるなら聞かないわ。けれど、抱えきれない事があればそれを預けられる存在がいるという事だけは、覚えておいて」


 無意識に抱えていた緊張をほぐすような、柔らかな声音だった。

 心地よい声がすんなりとヴィクトルの耳へ入り込む。


「孤独になんて、させてあげるつもりはないから」


 くすりと、小さく微笑む気配があった。


「だって私は――貴方の、婚約者だもの」


 目を閉じていても、どんな顔をしているかが分かってしまう程に、温もりに溢れた声だった。

 その言葉が、どれだけヴィクトルの心を揺さぶり、彼の支えとなったのか、ニコレットには分からなかった事だろう。


(……本当の俺はきっと、君が思うよりもずっとつまらない男だ)


 ヴィクトルが自棄になって無理を重ね、周囲に心配を掛けようとも、それすら考えがあるのかもしれないという可能性を踏まえる。

 実際は、感情に振り回されて動いていただけであり、ニコレットが買い被り過ぎているだけだというのに。


 だがそれでも、彼女がヴィクトルを『天才』ではなく『つまらない人間』である可能性も同時に考え、その上でこうして優しさを注いでくれることが、ヴィクトルは嬉しかった。


(嬉しいはずなのに、失望されたくはない……矛盾しているな)


 理屈的ではない自分の一面に、ヴィクトルは内心で苦笑する。


(本当に……。君といると、俺すら知らなかった俺に気付くな)


 グザヴィエを守るという最も優先すべき責務を全うする為にも、そして失望を恐れる感情を踏まえても、彼女が言ってくれた通りに、自分の事情を話す事はヴィクトルには出来そうになかった。

 だがそれでも、今日ニコレットが与えてくれた言葉や温もりは、胸に刻んで置こうと彼は思ったのだった。




 その後、ニコレットは口を閉ざしたままヴィクトルの頭を優しく撫で続けた。

 最近の寝不足もあってか、ヴィクトルは少しだけうとうととして、やがて遠くから二人を呼びに来た家族の声が聞こえて来たところで彼は目を開いた


 その頃にはすっかり『普段通り』に戻ったヴィクトルは、大きな欠伸と伸びをしてからニコレットと腕を掴んで走り出した。


「何か寝たらすっきりしたなぁ。うじうじ悩むのってやっぱ性に合わないし、やめたやめた! ほら、行こうぜ!」

「ちょ、ちょっと! もう……っ!」


 引きずられるようになったニコレットが困ったように声を上げる。

 それに無邪気な笑いを上げると、ニコレットがヴィクトルの様子を窺うような上目づかいで問い掛ける。


「さっきの話、聞いてた?」


 勿論、『さっき』が何を指すのかをヴィクトルは理解していた。

 その上で彼は、わざと目を丸くして首を傾げる。


「んぁ? 何の事?」

「全く……」

「あ。ありがとな、ニコル。昼寝したら体が軽くなった!」

「……そう。どういたしまして」


 すっかり元通りになって無邪気に笑う婚約者の様子に、ニコレットは肩を竦めて苦笑した。


「――結局、どちらだったのやら」


 ヴィクトルが前を向き直った時、そんな声がすぐ後ろから聞こえたが、彼は聞こえないふりをするのだった。



***



 遠くから人の会話が聞こえる。

 おまけに、自分の頭を優しく撫でる感触があった。


 朧げな意識を何とか引き寄せながら、ヴィクトルは目を開ける。

 焦点が中々合わない目を何度か瞬かせていると、突如視界に、見慣れた顔が飛び込んだ。


「あっ、ヴィー」


 夢の中よりも随分成長した婚約者の姿。

 彼女は心の底から案じるように横になっているヴィクトルを覗き込んでいた。


「に、こる……?」

「おはよう。……急にお邪魔してごめんなさい。貴方が休んだと聞いて――」


 ニコレットの姿を視認してすぐに、ヴィクトルの意識は驚きと共に覚醒する。

 しかし体を起こそうとした彼の背中を支えようと、ニコレットが顔を近づけた次の瞬間、ヴィクトルの全身を駆け巡る熱が膨れ上がった。


「う、あ」


 爆発するかのような頭の熱に耐え切れないヴィクトルは、自分の体の変化に困惑しながら目を回し、再びベッドに体を沈める。


「え、ちょ……ヴィー!? だ、大丈夫!?」


 殴られるような頭の痛みを抱えながら、ヴィクトルは潤んだ瞳でニコレットを見る。

 彼女はただ困惑し、純粋に心配してくれているだけなのだが……どうしてだかその姿が普段以上に艶めかしく、そして愛らしく見えてたまらなかった。


「か……」

「か?」


 ニコレットが真剣な面持ちでヴィクトルの声を聞き返す。

 その際に握られた手を握り返しながら、ヴィクトルは過った言葉をそのまま吐き出した。


「――かわいいな、ニコル…………」


 妙な間が生まれる。

 ニコレットの数歩後ろに控えていたアンセルムがゆっくりと首を横に振り、深々と溜息を吐く。

 そして、彼が目一杯息を吐き切った頃。


「…………はい?」


 ニコレットは、困惑の声を漏らしたのだった。

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