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【コミカライズ決定】【連載版】王太子でも聖女でも悪女でもなく、一番の策士が『剣術バカ(嘘)』の私の婚約者の件  作者: 千秋 颯@6/18「一途に溺愛されて~」アンソロ発売!
第五章 さよならに嘘の嘘を添えて

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89/100

第89話 二人の秘密

 惚れ薬を受けた直後。

 ニコレットの制止を振り解き、全速力でタウンハウスへ帰ったヴィクトルは自室へ飛び込むや否やベッドの脇で崩れ落ちる。


 上半身だけをベッドに埋める彼の呼吸は乱れていた。


 頭が沸騰するように熱くて重い。

 尋常ではない速度の鼓動と視界がぐるぐると回るような眩暈、噴き出る汗。


「……っ、なんだ、これ」


(絶対に、何かが変だ、こ、こんな……っ)


 ただの体調不良では片付けられない、明らかな異常。

 思い当たる事といえばニコレットが持っていた小瓶の中身を受けてしまった事だったが、生憎と必死に説明していた彼女の言葉をヴィクトルは思い出せなかった。


(というか俺、あの時――)


 朦朧とした意識の中、何とか記憶を辿る過程で、ヴィクトルはニコレットの唇を奪おうとした過程を想起する。

 いつもよりも色っぽく映った婚約者の姿を思い描けば途端に顔の熱が膨れ上がる。


 しかし同時に思い出した自分の乱暴な振る舞いや拒絶、それに驚くニコレットの顔などが思い出され、どうしようもない後悔に苛まれた。


「~~~っ、さい、あくだ……っ」


 ヴィクトルが自身の行いに頭を抱えていた、その時。

 ノックと共に廊下から声がする。


「ヴィクトル? 帰って来るなり凄い速さで部屋に駆け込んでいったって聞いたんだけど」


 兄のベルナールだった。


「っ、あにき……」

「え、何、大丈夫? 入るよ」


 掠れ、あまりにも弱々しいヴィクトルの声に驚いたベルナールは一言断りを入れてから扉を開ける。

 そしてベッドの脇で膝を突いている弟を見た彼は驚いて駆け寄った。


「ヴィクトル……!? え、ちょっと、本当に大丈夫? ……うわ、顔真っ赤じゃないか」


 ベルナールはヴィクトルの額に手を当てて彼が発熱している事を確認すると、すぐに使用人を呼んで看病の支度を指示した。


「ほら、大人しく横になって」


 ベルナールは肩を貸し、膝を突いたまま突っ伏していたヴィクトルを一度立たせてから、ベッドに寝かせる。


「珍しいな、お前がこんな体の壊し方をするなんて」

「う……っ、あにき」

「どうしたんだい。お水?」


 ベルナールはヴィクトルに布団を掛けてやりながら、優しい声音で呼び掛けに応えてやる。

 そんな家族の思いやりに縋るようにヴィクトルは彼の服を掴みながら、苦しそうに顔を顰めた。


「ニコルに、きらわれたかも……」


 しかしそこから絞り出された言葉はベルナールが予想だにしていなかったもので。

 ベルナールは不意を衝かれ、瞬きを繰り返しながら唖然とする。

 そして数秒遅れてから、彼は


「…………え、えぇ……?」


 困惑の声を漏らすのだった。



***



 婚約者のニコレットは、同年代の子供の中でも非常に聡い人物だった。

 けれど豊かな家で沢山の愛に育まれた彼女は、年相応の純粋さと情緒も持ち合わせており、思いの外、分かりやすい一面も持っていた。


 ある日の事。

 まだ幼かったヴィクトルが友人であるグザヴィエとアンセルムと交わした、数日後の遊びの為に支度をしていた時の事。

 アルナルディ伯爵邸の書庫で紙を広げ、筆を走らせていると耳元から声がした。


「ヴィー?」

「おわっ」


 驚きながら振り返れば、ニコレットが微笑みながらカーテシーを披露する。


「ごきげんよう」

「なんだ、ニコルか。びっくりした」

「ごめんなさい。はやくついてしまったから、会いにきたの」

「いんや、迎えにいけなくて悪ぃ」


 ニコレットは首を横に振ると、ヴィクトルの隣に座る。

 そして興味深げに机に広げられた紙へ視線を落とした。


「何をしていたの?」

「宝さがしの準備」

「たからさがし?」

「ん。セルの家ってでかいだろ? 今度そこでそれぞれ用意したお宝を隠し合って探そうって話になってさ。殿下は王宮だとあんまり動き回れねーから」

「ふぅん」


 ニコレットは紙に記された文字を見て首を傾げる。

 そこに記されたのは慣れ親しんだ言語ではなかったのだ。


「折角だから本格的に暗号とか用意して謎解きっぽくしようってなって、それを使ったヒントを考えてたんだ」

「あ、だから何がかいてあるのか分からないようになっているのね」

「そゆこと。三人で考えたんだ」


 実際には宝探しの暗号はヴィクトルが主体で考えていたのだが、彼は自分の本性をニコレットに見せる事はなかった為、『剣術バカ』として違和感がない言い訳を取って付けていた。

 本来の文字を上下左右反転させて、無理矢理一筆で書く。

 用いていた暗号の解読方法を伝えている最中、ヴィクトルはニコレットがどこか不服そうにしている事に気付いた。

 本人は気付いていないだろうが、少しだけ眉が顰められていて、唇が尖っている。


「あー、悪ぃ、折角来たのにこんな話してもつまんねーよな」

「え?」

「今、こんな顔してた」

「う、うそよ」


 ニコレットの表情を誇張した顔をすれば彼女は慌てて首を横に振った。

 しかし思い当たる点はあったのか、彼女は少し悩んでから手を何度も組み直して口を開いた。


「ただ、少しうらやましいと思っただけよ」

「羨ましい?」

「ヴィーや殿下、アンセルムさまは男性だから動き回ってあそんでいてもとがめられないでしょう? でも女性は淑女であることが求められるから、ヴィーたちのあそびが、みりょくてきに見えても、同じようにあそんだりはできないから」

「ん、宝探しがしたいって事? 歩き回って物を探すのがしたい、的な?」

「んん、運動がしたいというわけではないけれど」

「あー、じゃあ暗号とか謎解きの方?」


 ニコレットが頷いたのを確認したヴィクトルは彼女が何を羨んでいるのかを理解する。

 上位貴族の令嬢として生まれたニコレットは趣味や好みなどもその立場に相応しいものが殆どだ。

 だからこそ宝探しと称して屋敷中を歩き回る運動をする事よりも、その過程に組み込まれた、頭を動かす遊びに興味を示していた。


 そしてその感情の根底をもっと探るのであれば、それは身近な存在と共通の話題を持ちたいという欲求なのだろうとヴィクトルは考えた。


 婚約が決まってからというもの、ヴィクトルはとニコレットは双方の家に定期的に訪れて顔を合わせるようになっていた。

 だからこそ必然的に共に過ごす時間は増え、家族の次に身近な存在となった。


 そんな相手の話の中で、自分が理解できない話題が混ざっていれば疎外感を覚えるのも当然の事だった。

 ましてや普通の子供なら、その疎外感をより過剰に認識してしまうものだ。


 だからこそ、ニコレットもきっと、長く付き合う相手の話をきちんと理解したいという想いを抱いているのだろうとヴィクトルは考えた。


「なぁんだ。なら一緒に遊べるな」


 ヴィクトルは明るく笑うと紙の空白に暗号を記していく。


「折角だしさ、暗号も殿下達のよりもう少し難しくしよーぜ。ニコルって頭いいから、一緒に考えたら天才的な暗号出来そう」

「え、いいの?」

「いーも何も。俺もニコルと遊びたいし! それにさぁ、二人だけの秘密って、何かよくね?」

「う、うん」


 へにゃりと、あどけない笑顔をニコレットが見せる。

 その愛らしい反応に浮かれる気持ちを何とか押し留めつつ、ヴィクトルも笑い返した。


(こういうとこは、普通の女の子なんだよなぁ)


 それからヴィクトルは『剣術バカ』の皮を被りながらも友人や兄、大人の名前を借りたり、『何かの本で読んだ』という言い訳を駆使して暗号の改造案をいくつも提案する。

 ニコレットもまたそれに乗っかるようにして意見を出し、暗号づくりはヴィクトルの想像以上に盛り上がった。


 暗号と対応する文字を元の暗号に対応していたものから二つ後ろのものにする。

 文字の順序を四文字ごとに区切り、本来の文字列と逆に並び替える。

 対応する文字に置き換え直した後、子音は三つ先の文字に、母音は五つ手前の文字に更に置き換え直す。


 子供が考えたものにしては非常に複雑な暗号だった。

 『剣術バカ』では理解できないような仕組みのそれを、ヴィクトルは何度もとぼけて間違えてはニコレットに教わりながら、時間を掛けて覚えたふりをした。


 そしてそれは結果的に、大元となる友人用の暗号よりも長く用いられる事となり、幼い頃のヴィクトルとニコレットは暇さえできればこの暗号を使って互いに謎を出し合って遊んだのだった。



***



 年相応の姿を持ちながらも、聡く思慮深い面を持つニコレット。

 時にヴィクトルの油断を突くような彼女のその一面は、確かに彼の心を何度も救っていた。


 ヴィクトルの人生で最も大きな失敗――大切な人物との関係が瓦解した日。

 その日を境に、彼は自分の才を最大限に活用し、伸ばし続けようと決めた。

 『剣術バカ』の仮面を外すつもりはなかったから、朝から日が暮れるまでは剣術に勤しみ、夜、誰の目もない場所で知識を身に付けていた。


 しかし家族など身近な人物からは、それが何かに追いつめられながら無理をしているようにしか見えず、彼を案じるような声も上がりつつあった。


 そしてこの日も、ヴィクトルは脇目も振らず、日暮れまで剣を振るっていた。


(――責任(・・)


 頭で反芻されるその言葉に突き動かされながら剣の鍛錬を繰り返す。

 しかし突如、背後から自分へ近づく気配を感じた。

 それに反応したヴィクトルは思わず反射で持っていた剣を気配の正体に突き付けてしまう。


「――っ、に、こる」


 それが見慣れた婚約者であったことに遅れて気付き、彼は顔を強張らせた。

 しかし剣を突き付けられた当の本人は一切動じない。


「こんにちは、ヴィー」


 彼女は不敵な笑みを浮かべたまま、紫の瞳を真っ直ぐとヴィクトルへ向けているのだった。

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