第52話 うっかりさん
「んー、どうしてっつーと困るんですけど……ちょっとした見回り、的な?」
「ふむ、見回りねぇ。ほっほ」
投げかけられた問いにヴィーが答えるとフランソワ教授は笑う。
しかし眼鏡の奥では何かを悟ったように目が細められていた。
「いやぁ、ほら。最近物騒な話もあったじゃないですか。だから気になってしまって」
「うんうん。殿下の方も大変だろうに、わざわざお気遣いありがとうねぇ」
講師という立場である以上、フランソワ教授は学園内ではそう振る舞う必要がある。
それもあってか、政治絡みの話題を彼が明確に出す事はなく、グザヴィエ殿下が『大変』であるという濁し方をした。
だが恐らくそれは、ある程度グザヴィエ殿下達の現在の立場を悟っているが故の発言――グザヴィエ殿下側の誰かが、彼に応援を求め、情報を共有していたからこそだろう。
「そうだ。お茶を淹れてあげようね」
「あ、私やりますよ」
生家が貴族とはいえ、研究室に使用人を連れていない研究者も多いらしい。
怪我の恐れなど、危険な実験を手掛けていたり、後は情報漏洩のリスクを最小限に留めるべく等、敢えて置いていない人もいるのだとか。
フランソワ教授もその一人。
貴族が、それも男性が自らお茶を振る舞うというのを不思議に感じたが、私達はそれに甘えさせていただく事にする。
「安物だけれどね。ああ、お菓子もあるよ」
「お、やりぃ!」
「ちょっと、ヴィー……ありがとうございます、いただきます」
「あ! ありがとうございます!」
「ほっほっほ、いいんだよ。ヴィクトル君は相変わらず元気だねぇ」
フランソワ教授からカップを受け取った私は紅茶で舌を湿らせる。
ヴィーはその横でクッキーをつまんでいた。
「彼はね、学生時代から非常に優秀な人物だったよ」
扉へ視線を向けたフランソワ教授は徐に呟いた。
彼、というのは先程退室したシャルル様の事だろう。
「多少やんちゃではあったけれどねぇ」
「やんちゃ……」
「見えないだろう。今は随分落ち着いているからねぇ」
私達の前では人当たりの良い、温厚そうな青年といった印象だった。
少なくとも、やんちゃという言葉が似合うような人物には思えない。
その事を意外に思っていると、フランソワ教授は楽しそうに笑い声を漏らした。
「彼が研究員になってから、まだ数年程だが……その素質を見込まれて重要な研究の手伝いを頼まれるくらいだ」
「へぇ。じゃあ魔法が得意なんですねぇ」
「魔法は勿論じゃが、彼は薬学にも精通しているからね。魔力の質や人が使えないような魔法など、特異な植物の研究などにはもってこいの人材と言えるじゃろう」
「薬学、ですか」
「うん。今はお国からの依頼もあり、偉い研究者のお手伝いで引っ張りだこみたいじゃよ」
彼が携わっているという研究の詳細については、流石に他言できるようなものではない。
それでもフランソワ教授は、お喋りな高齢者の世間話を装いながら、シャルル様が薬学や植物学周りの研究に貢献している事を共有してくれた。
(シャルル様は不審人物の侵入の企てを確信しているのだとすれば、彼が最も警戒しているのは、新米の研究者である自身の研究ではなく、手伝っている重大な研究の方……と考えるのが妥当ね)
これがただの雑談でない事は、私にもわかった。
「へー! すげー!」
「君は魔法はからっきしだからねぇ。君からは縁遠い話だろう」
「うっ……い、いーんですよ! 俺はほら、剣があるから!」
「うんうん。……さて、今は大会だろう。そろそろ戻って休んだ方がいい」
「そうですねぇ、じゃ、この辺で……と、そうだ! フランソワ教授、また窓の鍵開いてましたよ」
「君が遊びに来たという事はそうなんだろうねぇ。シャルル君からの忠告もある。気つけるよう他の者に伝えておこう。……最近鍵を開けたままにしてしまう、うっかりさんが紛れているようだからね」
カップのお茶を飲み干し、「ごちそうさまでした」とヴィーが座っていた椅子から離れる。
それに続いて私も挨拶と共に腰を上げると、フランソワ教授の声が僅かに低まるのを感じた。
ハッとして彼を見れば、目尻に皺を作って細められる優しい眼の中、聡明さを感じさせる光があった。
ご高齢で、穏やかそうなフランソワ教授。
しかしながら、彼は研究室に使用人を置かない程警戒心が高く……お年を召しても尚、衰えない頭脳を駆使して研究棟でもトップクラスの成果を掲げるお人だ。
……うっかりさん。
言葉の可愛らしい響きには似つかわしくないだろう、その正体を連想させた私は背筋が冷えていくのを感じるのだった。
***
フランソワ教授と別れた私達は研究棟の廊下を通り、外へ出た。
(シャルル様とフランソワ教授の話、そしてヴィーがここを気に掛けているという事実……それを考えれば、ここもまた、警戒しておくべき場所である事は間違いない)
「あー……なぁ、ニコル」
私が考え込んでいると、隣から、何やら少し気まずそうに声を掛けられる。
顔を上げると、困ったような、そして案じるような視線があった。
私は次に彼が言うであろう言葉を悟る。
そして彼は
「一人で無茶な事はするなよ」
私の想像通りに、そう言うのだった。




