第45話 許さない
「――始めッ!!」
ヴィクトルと男子生徒は互いに剣を構え、向き直る。
そして、闘技場内に響き渡る審判の声と同時、ヴィクトルは地面を蹴った。
瞬く間に詰められる距離。
しかしその時、彼の眼前に炎の球が飛んだ。
「……っ」
(そういえば、今年からルールが緩くなったんだったか)
それを既の所で避けたヴィクトルは、冷静な頭で考える。
昨年までは剣と体術を戦いの主な手段として定めていた剣術大会だが、今年からは魔法や剣の代わりに他の武具を用いる事などが許可される事となった。
これは怪我の恐れがある試合の際、必ず用いられる魔導具に改良が為され、これまでは使用を禁止されていた高威力の魔法にも耐えうる結界を張ることが出来るようになった事、また相手の手の内が分からないという、より実践的な状況での経験を積む機会を与える為などといった理由によるものとされていた。
しかしその裏で、グザヴィエは呆れるように苦笑いをしながら「まあ最も大きな理由は、君が大暴れしたせいというものだろうけれどね」と言っていた。
対策がされてしまう程、誰の目から見ても、昨年の剣術大会でのヴィクトルの戦う姿は『圧倒的』だったという事だろう。
ヴィクトルは魔法の扱いが得意ではない。学園内であれば普段よりもより魔法が使えない生徒を演じている。
そんな彼に他の者が勝てる余地があるとすれば、彼が苦手とする分野で戦う事……と、考えての対策である、と学園側は踏んだらしい。
グザヴィエの苦い笑みを思い出しながらヴィクトルは複雑な気持ちを抱く。
やり過ぎだとは言われつつも、前回はそれでも学生同士の戦いとして成立する程度に上手く手を緩めていた。
だが今回はそれすら出来そうにない。
(来年は出禁かな)
そんな事を思いながらヴィクトルは相手の剣を弾き、その首元に剣先を突き付ける。
動きとしては複雑なものではない。
だが問題だったのは――その動きの早さだった。
彼の剣筋を、一体どれだけの者が視認できたというのだろう。
試合相手ですら、剣が手から離れた時には既に相手の剣先が突き付けられていたように思えていた。
相手生徒も、審判すらもが唖然とする。
一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れる。
「そ、そこまで! 勝者、ヴィクトル・アルナルディ……!」
そんな空気を破ったのは審判の声だった。
直後、観客席がワッと沸き立つ。
一回戦目とは思えない盛り上がりは流石のヴィクトルも想定外で、彼は少し顔を引き攣らせた。
(やりすぎ……ではあるか、うん)
しかし彼が顔を強張らせた本当の理由は自分が目立ってしまったからではない。
彼は観客席の方へ視線を彷徨わせ、事前に聞いていたニコレットとジュリエンヌの席を見つける。
そして自分を見ているニコレットに気付くと彼は何も考えていない風を装った満面の笑みで大きく手を振った。
しかしヴィクトルは気付いている。
注目や黄色い声を浴びるヴィクトルの事をニコレットが――大層不服そうに見ている事に。
(……やっぱり機嫌損ねてるぅ~~~~…………)
ニコレットはヴィクトルの本質に気付いている。
日頃敢えて賢くないふりをし、周囲から警戒されない立ち位置を築いている事にも。
その上で、ヴィクトルの在り方に一定の理解を示してくれている。
そんな彼女だからこそ、この状況は怪訝に、そして愚かに映るのだろう。
(こうしたのにはちゃんと訳があるんだって……!)
彼が目立つ度、途轍もない空気を纏うニコレット。
例に漏れず、今回も不服そうな彼女に何とか弁明をしたいとヴィクトルは考えていた。
彼は気付いていなかった。
ニコレットがヴィクトルのこの行動にも意味があると理解し切っている事を。
そしてその上で――全く関係がない点で機嫌を損ねているのだという事を。
――それを人は『ヤキモチ』という事を。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
日頃、他者の心理を汲む事に長けているはずなのに、何故か心から愛している女性の気持ちだけは上手く汲み取れない。
――ヴィクトル・アルナルディとはそういう男だった。
***
「あにうえ!」
広々とした廊下を自分は駆ける。
気を弾ませながら向かうのは、前方を歩いていた兄の背中だ。
自分の声に気付いた兄が、振り返る。
朗らかな笑顔が自分へ向けられた。
「ラガルド。そんなに急いでどうしたの?」
「さっき、ろう下で家しんたちの話をきいたんです! あにうえは、まだ小さいのに、とてもゆうしゅうだと!」
兄は青い瞳を見開いた。
「やはり、あにうえはすごいです! ぼくも見ならわないと!」
「ラガルドは剣が上手いでしょ。俺なんかよりもよっぽど」
「でも、剣だけがうまくても、王にはなれないと、ははうえが」
「……王」
兄は瞬きを繰り返した。
「ラガルドは、国王になりたいの?」
わかり切ったような問いをされる。
今度は自分が目を丸くする番だった。
だって、母は毎日のように自分に王になるのだと言う。
周りの大人だって、自分が王になるに相応しい人間だと言う。
だから、自分が王になるのは当然なのだと、そう信じて疑わなかった。
「はい! ぼくはちちうえのような王さまになりたいです!」
その言葉を聞いた瞬間、兄が小さく息を吐く。
その顔には、心からの安堵が浮かんでいた。
「……そっか」
それから兄は柔く微笑み、自分の頭を優しく撫でてくれる。
「大丈夫、なれるよ。ラガルドなら」
その様子を見て、言葉を聞いて、自分は悟った。
ああ、兄は王にはなりたくないのだと。
「あにうえは、王にはなりたくないのですか?」
「俺? 俺は……そうだね。いらないなぁ。だから、ラガルドがなってくれよ」
そうしたら、自分が支えるから。彼はそう言って微笑んだ。
だから自分は安心しきってしまったのだ。
大人達は王になる為には兄を超えなければならないという。
けれど、兄は王になりたくない。
自分が座る予定の王座を奪おうという考えすら、無欲で争いを嫌う兄には存在しないのだ。
兄が必要としておらず、自分が必要としている王座。
ならばやはり、当然のように自分が国王になるのだろう。
……そう、思っていた。
大きな称賛を浴び、人々に囲まれる兄。
「立太子、おめでとうございます!」
「おめでとうございます、王太子殿下!」
「王太子殿下万歳!」
彼に向けられる言葉の数々。
それは本来――自分が向けられるべきものだった。
大勢に囲まれながら呆然と立ち尽くす兄がふと自分を見る。
――反吐が出る。
王座を望まないふりをしながら、彼は長年自分が望んでいたその席をいとも容易く奪い去っていった。
彼は嗤っていたのだ。
当然のように国を統べる未来を信じる自分の事を。
「――嘘吐き」
……許せなかった。
許さない
許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない――
心が濁っていく。
憎悪が胸の奥深くから急激に溢れ出す。
この時の自分の気など、笑い者にしてきた彼には微塵も伝わらないのだろう。
仲の良い兄弟。
王家に生まれた自分達の中にあった関係は全く同じ名の、けれど空っぽなハリボテでしかなかった。
***
名が呼ばれて我に返る。
「次か」
ラガルドは長く深い溜息を吐き、剣の柄を撫でる。
脳裏を過るのは、最近顔を合わせた際の兄の顔だ。
(……精々、高みの見物をしているがいい)
「どうせその時間も、もう長くは続かないのだから」
ラガルドは歪な笑みを貼り付けながら試合場へ向かって歩き出すのだった。




