第42話 遭遇
私は深々と溜息を吐く。
教室を移動する中、ジュリエンヌ様と通った外廊下の先――訓練場として整備された空間では男子生徒達が剣術の授業を受けていた。
開始が遅れたのか、もしくは単に授業が長引いているのかは分からないが、とにかく未だ続いている授業。
それを……遠目で眺める女子生徒の多い事。
彼女達の視線の先ではたった今、剣を交えている男子生徒が二人いた。
一人が大きく踏み込み、剣を突き付ける。
だがそれは軽々と相手が避けた事で空振り、逆に体勢を崩してしまった。
そこへ、回避した生徒が距離を縮め、相手の剣を弾き飛ばし――その喉元に剣先を突き付ける。
止め、という審判の合図と共に勝敗が決した。
そして同時に、息を呑みながら試合を見ていた女子生徒達が黄色い歓声を上げる。
「……ニコレット、すごい顔よ」
「しかめっ面にもなるでしょう。何ですか、キャアって」
体勢を崩して尻餅をついた相手に手を差し伸べているのはヴィーだ。
彼は汗一つ掻かず、しかし嫌味のない笑みを浮かべながら相手の腕を引き上げていた。
「普段はただのおバカだと誰も相手にしない癖に」
「仕方がないわ。去年の圧勝の事があるし、大会の事を意識する時期になって来たのだから」
私の視線の先では女子生徒達がはしゃいでいる。
「やっぱりお強いのね、ヴィクトル様は」
「王太子従きは伊達じゃないのね」
「ねぇ、ところで……普段気にした事はなかったけれど、よく見るとヴィクトル様もお綺麗なお顔をされていらっしゃらない?」
「私も同じことを思っていたの! 普段はグザヴィエ殿下に目が行きがちだけれど」
「嫌味がなくて素直でお強い……多少お勉強が出来ずとも充分素敵なお方なのでは……」
よく見るも何も、ヴィーの顔は整っているし、彼は馬鹿を演じているだけで勉強が出来ない訳ではない。
私の方が彼を理解できているけれど? と謎の対抗心が湧いてくる。
「……ニコレット、ニコレット」
(まあ、彼が優秀である事なんてわかり切っているし、別に気にするような事ではないけれど)
「ニコレット、視線だけで人を殺せそうな形相で睨みつけるのはやめなさい」
(ええ、気にしておりませんとも)
気にしていないのだから、ジュリエンヌ様が言うような顔など私がしている訳もないのだ。
そもそも私とヴィーは政略的な婚約関係であり、互いに合理的な立ち回りをする為のビジネスライク的な関係であり、いちゃいちゃする関係だって全て理に適っているからしているだけに過ぎないし……つまり別にこの状況に何か思う必要もないのだから、彼についてだれがどう思おうが私には関係のない話――
「ニコレットったら」
ジュリエンヌ様は窘めるように、扇の先で私の頬を突くのだった。
ジュリエンヌ様に引きずられるようにして私は訓練場から離れた。
並んで次の教室へ向かう中、ジュリエンヌ様は突然くすくすと笑いだす。
「如何されましたか?」
「いいえ。ニコレットが随分可愛いものだから」
「可愛らしいという言葉でしたらジュリエンヌ様の方がお似合いかと思いますが」
「あら、どうもありがとう。けれど、私が言いたいのはそういう事ではないのよ」
ジュリエンヌ様は扇で口元を隠しながら微笑む。
「一体どんな心境の変化が合ったものやら……。随分変わったものね、ニコレット」
「変わった?」
「あら、自覚がないのね。やっぱり可愛らしいわ」
ジュリエンヌ様は一体何を言っているのだろう。
私が首を傾げていると、ジュリエンヌ様は赤い瞳に私を映しながら目を細めた。
「ニコレット。私には……一年前までの貴女と今の貴女では――ヴィクトルを見る貴女の眼差しが別物のように思えるわよ」
「……はい?」
私は思わず足を止めてしまう。
ジュリエンヌ様は何を言っているのだろうか。
確かに、ヴィーの事は大切だ。
けれどそれは長年付き合ってきた戦友のような立場であり、色恋の話を好むジュリエンヌ様の考えるようなものでは決してない
……はず、なのに。
胸がきゅっと縮むような感覚に私は困惑した。
その時だ。
バタバタバタ、とこちらへ走って来る騒々しい足音が聞こえた。
「っ、ニコル~~!!」
私は驚いて肩を跳ね上げる。
何故このタイミングで。
そんな事を想っている最中、私はがばっと腕の中に閉じ込められた。
「ちょ、ちょっと、ヴィー、授業は……」
「終わったから走って来た!」
ヴィーは自分の頭をぐりぐりと私に押し付けて来る。
「なぁ、俺何かしたか?」
「え……急に何?」
「何って……さっき親の仇を見るような目で俺を見てたじゃねーか! 何か怒らせるようなことしたのかって思ってさ……」
「な……っ」
ヴィーと私は相当な距離があったはずだ。
そもそも私はジュリアンヌ様の指摘は誇張表現込みのものだったと思っていた。
だがどうやら……授業が終わるや否や全力疾走して来たヴィーの事を考えると、あながち嘘ではなかったのかもしれない。
その証とでもいうように、すぐ傍でジュリアンヌ様が吹き出す気配があった。
「……別に、怒ってないわよ」
「ほんとか!? 嫌いになってない?」
「なってない」
「はぁ~~~~~……よかったぁ」
ヴィーが安堵の溜息を吐く。
「ならいっか。悪かったな、呼び止めて」
「え、それだけ?」
「んぁ? ああ」
そう言いながら彼はあっさりと私から離れた。
私が驚いて思わず振り返ると、ヴィーは首を縦に振る。
「何か怒らせたなら謝らなきゃって思ってさ。ただでさえあんま会えてねーのに、ギクシャクしたままになんの嫌だし」
「……そう」
彼が私を最優先に駆け付けてくれた事。
その事実が私の胸を温かくしていく。
たとえこれが芝居なのだとしても、ここまで来てくれたという事実があるならばいいかと思ってしまった。
「本当に、何もないわ。ごめんなさい、気にさせてしまったみたいで」
「謝んなよ、ただの勘違いだったって事だろ?」
ヴィーは私の頭を撫でる。
彼の触れ方は相変わらず優しい。
それに心地よさを覚えつつ、少しの間だけ彼の好きにさせた私だったけれど、いつまでもこうしている訳にもいかない。
「そろそろ行かないと」
「ん、そーだな。んじゃ――」
少しだけ名残惜しさはあるが、互いに次の授業があるのだからそろそろ別れなければならない。
私達がそのまま別れようとした、その時。だった。
目元を和らげ、私を見つめていたヴィーの顔から、突然笑顔が消える。
かと思えば彼は私を引き寄せてもう一度抱きしめたのだ。
「え、ちょ……ヴィー……」
「静かに」
耳元で、低い囁きがあった。
そしてそれからすぐに。
「へぇ。面白いものを見たな」
声が聞こえる。
覚えのあるトーンだった。
私の脳裏に、仮面舞踏会の光景が過る。
手を離すことなく、私の仮面を落とした相手。
仮面の下から見えた歪で高圧的な笑顔が過る。
ヴィーの背から聞こえたその声は、紛れもなく
――ラガルド殿下の声だった。




