第37話 無防備な顔
ヴィーの、訳が分からない姿勢を目の当たりにした私は絶句する。
そうして数分間呆れ切った後、私が思ったのは……
『このまま寝かせていては逆に体を壊しそう』だった。
せめてまともな体勢で眠らなければ、休まるものも休まらないだろう。
そう思い至った私はソファの正面に回り込む。
俯せで座面に顔を埋めたり、よくわからない体の捻り方をしたりと……想像通りまともな姿勢ではないヴィーの寝方に私は溜息を吐いた。
(ただでさえ大きいんだから、ソファで寝ても休まらないでしょうに)
私は熟睡しているヴィーがソファの上で少しでもまともな姿勢で休めるようにしてやろう、と彼に近づく。
寝たふりの時とは違って大きないびきは聞こえない。
寧ろとても静かだった。
主張が激しい姿勢については置いておくとして……彼の寝顔にだけ言及するなら、正直、見惚れてしまうくらいには綺麗だ。
元々端正な顔立ちをしているのだから、長い睫毛を伏せてじっとしていればそんな印象を抱くのも当然の事ではあるのだけれど。
そこに更に、あどけなさのようなものを感じて……そんな無防備な顔を見るのが初めてで、胸がとくとくと鳴った。
……まぁ、姿勢に視線を戻すと正気に戻ってしまうのだけれど。
小さな寝息を立てている彼の顔に掛かった前髪を払ってやろうと手を伸ばす。
そうして指先が彼に触れそうになった、その時。
私は思い出した。
――今のヴィーにはあまり近づかないでくださいね。
……ベルナール様の言葉を。
(そういえば、あれは結局どういう意味――)
ふと思い出した言葉。
それについて考えを巡らせようとした瞬間の事だった。
私は腕を掴まれる。
「――え」
かと思えば力強く引き寄せられ……あっという間にソファの上に仰向けで倒された。
その勢いに思わず身構えている傍で、本来ソファで眠っていた部屋の主は無駄のない動きでソファの横に着地し、次の瞬間には馬乗りになって私の動きを完璧に封じた。
私の顔のすぐ隣はヴィーの両手で囲われていて、逃がすつもりがないという圧を感じる。
何より――私を見下ろす翡翠色の瞳は鋭くて冷たい……獲物を狙う獣の様だった。
……一体あのめちゃくちゃな姿勢からどうやったらそんな洗練された動きが出来るのだろう。
重圧を感じさせられた上で動きを完全に封じられている中でありながらも、そんな呑気な考えが過ったのは……彼がヴィーだったからだろう。
どれだけ冷たい目で睨まれ、今にも襲い掛からんとする気迫を感じたとしても、彼は私の婚約者で幼馴染のヴィーだ。
まあ間違いなく、私に危害を加える事はしない。
……それがたとえ、寝ぼけ眼で正常な判断が出来ない状態であったとしても、だ。
仮面舞踏会でバルコニーで飛び降りた時もそうだけれど、私はヴィーのそういう点には絶対的な信頼を置いていた。
そう感じる理由を言語化するだけの根拠はないけれど、何故かその確信には、毎度大きな安心感が伴うのだ。
そしてこの確信は、今回も揺らがなかった。
「……んぁ」
一瞬、翡翠色の瞳が大きく見開かれたかと思えば、鋭い眼光が和らぐ。
それからすぐにとろんとした目つきになった彼は、まだ夢現なのか、ふらふらとしながらゆっくりと首を傾けた。
「…………ニコル……?」
「ヴィー」
眠気でふわふわとしている彼が何だか愛おしくて、私は笑ってしまいながら彼の頬を撫でる。
すると彼はその手に顔を寄せてふにゃりと笑った。
「なぁんだ、ニコルか……びびった…………なら、いい、か…………」
先程の戦士としての顔はすっかり鳴りを潜め。
覇気のない声で呟いたかと思えば、彼は突然力尽きて私へと倒れ込んだ。
「……え!?」
これにはさすがに驚きの声を漏らす。
ヴィーは俯せになったまま私を押し潰し、すぐ耳元ですやすやと寝息を立て始めた。
「え、ちょ、ちょっと……っ、ヴィー?」
声を掛けても、身じろぎをしようとしても彼が起きる気配はない。
「ね、ぇ……っ、お、重いんだけど……ヴィーってば」
彼は着やせするタイプなので普段はあまり意識していないが、れっきとした騎士であり、毎日体を鍛えている人間だ。
引き締まった体を持つ彼の体は、恐らく同じ身長の男性の中でも重い。
そんな彼の体を、鍛錬とは無縁な貧弱な令嬢が押し上げる事など出来る訳もなく。
(お、重、くるし……っ、つぶされる……)
「~~っ、もう、ヴィーのばか……っ」
私は彼の耳元で負け惜しみのような文句を零す事しか出来なくなる。
どくどくと心臓は脈打っていて煩わしいし、身じろぎすら叶わない姿勢は決して心地よいものではないし……というか苦しいし。
そんなこんなで非常に困らされている現状ではあったけれど。
「んっ、ふふ……っ」
人の気も知らずに心地よさげに眠る気配と息遣いを感じつつ、こちらを見下ろしていた時のヴィーの気の抜けるような笑顔を思い出した私は、自然と頬が緩んでしまう。
「…………ばーか」
情けない顔をしているだろう事への恥ずかしさを紛らわせるようにもう一度だけ呟く。
それから私は、顔に熱を溜めつつも、ヴィーの顔に自分の顔を摺り寄せるのだった。
視界の端には、どこか満足そうに微笑んだまま眠る彼の寝顔があった。
私がヴィーの下から逃れられたのはそれから数時間は経った頃。
様子を窺いに来たベルナール様が気付いてくださった時だった。




