第106話 傷痕
カミーユは私の手を引き、自分の馬を繋いでいる場所まで案内する。
「手間を取らせてごめんなさい。ありがとう」
「本当ですよぉ、全く。ニコレット様はご自分が人たらしであるという自覚をそろそろ持った方が良いんじゃないですかぁ? それと、一介の令嬢としては明らかに働き過ぎだという事も」
後者については耳が痛い話ではあり、一度素直に謝罪をしかけるものの、私の意識はその発言者がカミーユであるという事実に傾く。
そもそも人たらしと称される心当たりはなかったし、日常的に女性へ向けて口説き文句を並べる人物から指摘されるのはより納得がいかない。
「……あなたがそれを言うの?」
「なははっ、ボクはいいんですよぉ、自覚ありますし。一番厄介なのは、無自覚に人を誑し込む人です。そういう方々は自然と他者から心を許されやすい気質をお持ちですし、それはつまるところ、他者がそれに勘付ける程に当人も」
カミーユが不意に私へと振り向く。
雨に打たれて乱れた前髪の下、普段よりも鋭い視線が私を射抜いた。
「――情に引きずられやすい、という事です」
相手の言葉の意図を理解した私は小さく息を呑む。
これはカミーユなりの忠告だ。
基本的には善意や好意は人としての長所とされる一方、それは政治や戦では足手纏いにもなり得る。
優しさしか持たない者は真っ先に搾取される。それが世の常だ。
常に腹の探り合いをするような貴族社会では、猶更。
そしてそれを理解し、その場の合理的選択が見えていながらも、時として人との繋がりや情を優先してしまう一面を自分が持っているという事実は、私自身も流石に悟っている。
「流石に、情に流されて致命的な判断ミスをするような方だとは思っていませんよ。研究棟の件といい、献身的且つ自己犠牲的な面はあると思いますが、当時のニコレット様の選択や行動も結局は学園や国の為に大きな貢献を齎しましたし。感情論と最悪の選択が繋がった場合、割り切ってそれを捨てられるだけの聡明さはお持ちだと思います。ですが……深入りはしない方がいい」
長時間、遠方から尾行するだけだったカミーユが、解散を待たずして私を迎えに来た理由。
それはきっと、あれ以上ラガルド殿下と関わる事で私の中の彼への情が膨らんでしまう事を懸念しての事だったのだろう。
「既に情は湧いてしまっているんじゃないですか? それ以上踏み込んでも、苦しむだけですよ。この先どう転んだとしても、彼と我々の道が交わる事はないのですから」
「……ええ、そうね。ごめんなさい、言い辛い事を言わせてしまって。それから、ありがとう」
「構いませんよぉ。ボクの役目は主人の安全を少しでも高める事ですし、それに伴う自身の行動でどうこう思う事もありませんから~」
(ジュリエンヌ様の為であって、私の為ではない。ジュリエンヌ様が危険に晒されるような不安要素は出すな、と……そういう事でしょうね)
カミーユとは学園外でジュリエンヌ様とお会いする時に多少言葉を交わす程度の関係だが、その関係を短くはない期間続けている。
だからこそ普段の言動は掴みどころがない反面、カミーユがジュリエンヌ様に忠誠を誓うれっきとした騎士である事は分かっている。
カミーユは与えられた役割を熟すという理由以上に、ジュリエンヌ様を大切に思っている。
緩い口調の裏、僅かな棘が垣間見えたような気がしたのはきっと気のせいではない。私の行動や考えが少なからずジュリエンヌ様に影響を及ぼす可能性があると考えているからこそのものだろう。
それ程本気で、ジュリエンヌ様を思っているという事だ。
(カミーユの言う通りよ。私にできる事は限られている……優先順位を誤ってはいけない。大切な時に決断できるよう、きちんと迷いを振り払っておかなければ)
移動の最中、私はカミーユの忠告を胸に刻む。
その時ふと、視界の端で雨に濡れた前髪を煩わしそうに触るカミーユの額の下が露わとなった。
普段前髪で隠されている右の額に違和感を覚え、私は思わず目で追い掛ける。
そしてすぐに、その違和感が大きな傷痕である事に気付いた。
右の目の上に、茶色いシミのような傷痕が広範囲に渡って広がっている。
整った顔立ちの上に残された痛々しい傷はどうしたって目を引いてしまう。
傷痕を目の当たりにした私が息を呑むと、視線に気付いたカミーユが右側の額を隠すように前髪を戻した。
「ああ、すみません。御見苦しいものを」
「いいえ、見苦しいだなんてそんな。こちらこそごめんなさい」
「いえいえ、お気になさらず~。目を引いてしまうのは分かっていますからぁ」
幸い、カミーユが気を悪くしたようには見えず、いつも通り飄々とした様子だった。
やがて私達はカミーユが繋いでいた馬まで辿り着く。
「さ。戻りましょうか。この時間ならまだ、皆さん学園だと思いますし、状況も報告しなければなりませんから」
「ええ。お願いね」
「はぁい。了解しましたぁ」
先に馬へ乗ったカミーユに腕を引き上げられ、私はその後方へ跨る。
私達は学園へと向かうのだった。
***
既に授業は終わっており、多くの生徒が帰宅を果たした学園。
馬車寄せが近づき、馬の速度が落とされたところで、私は外に立っているヴィーとジュリエンヌ様の姿を見つけた。
「ほぉらやっぱり、心配されていますよ」
「……そうね」
申し訳なさを抱きながら私はカミーユの言葉に同意する。
やがて馬は二人の前で停まり、すぐにジュリエンヌ様が声を掛けた。
「ニコレット、カミーユ……っ!」
「はいはい、何ともありませんよぉ。ただのおデートでした」
「で、デート……」
必死の形相だったジュリエンヌ様はカミーユからの報告に面食らい、暫し瞬きをしながら制服ではない衣服で着飾った私を見て拍子抜けしたように息を吐いた。
「申し訳ございません。ご心配をおかけして……」
そんなジュリエンヌ様へ謝罪する最中、私を静かに見上げていたヴィーと目が合う。
彼もまた、私を案じるように見上げていたが、その視線が私と交わると、困ったように苦く笑いながら手を差し出す。
「ニコル」
「……ありがとう」
「ん」
私はその手を取り、馬から飛び降りる。
ふわりとした浮遊感の直後、私の体は軽々とヴィーに抱き留められた。
「心配掛けてごめんなさい」
「ん? んー、それを許すかはまだちょっと考えるけど」
「う……っ」
「まあ、今はとにかく、無事ならそれでいいや」
ヴィーはそう言うと私の体を持ち上げたまま、強く抱きしめた。
彼の優しい囁きがすぐ耳元から聞こえる。
「おかえり、ニコル」
「……ただいま、ヴィー」
彼の温度に身を委ねながら、私はその声に応えるのだった。




