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画面ごと捨てろ


「次、画面ごと捨てます」


白く曇った空間の中で、ミラの目が初めて真正面からこっちを向いた。


「正気?」

「たぶん」

「たぶんで言うことじゃないでしょ」


右目の奥が、また軋んだ。

レンズの中央へ寄ってくる黒い筋は、もうノイズじゃない。

窓を食う。

それが分かった以上、このままファインダーを覗き続けるのは無理だった。


透は短く言った。


「こっちが窓から覗いてるから、あっちが入ってくる」

「それで?」

「窓じゃないものに変えます」


ミラは一拍だけ黙った。

その一拍のあいだにも、殻の下の黒がじわじわとレンズ中央へ集まる。

右目の奥が熱い。

痛い。

でも、まだ見える。


透はもう一度だけ周囲を見た。


空中にぶら下げた白い膜。

鈍く光を返す照明。

落ちた保守橋。

裂けた殻。

残ったドローン一機。


足りる。


「ミラ、白い膜、俺の前に持ってきます」

「どうやって」

「吊ります」

「何で」

「今あるもので」


ミラの口元が少しだけ歪む。


「雑」

「でも急いで」

「知ってる」


殻の下で、核の赤がまた覗いた。

白い曇りの向こう、ぼやけた一点。

そこから黒い筋が伸びる。

レンズへ。

目へ。

一直線だった。


時間がない。


透はファインダーから目を外した。

その瞬間、右目の奥の圧が一段だけ軽くなる。

完全には消えない。

でも、覗いている時よりましだ。


やっぱりだ。


「ミラ!」

「何!」

「今から、見ないで当てます!」

「いつも大概だけど、今日は特に最悪ね!」

「今さらです!」


透はカメラを胸の位置まで下げた。

レンズは敵へ向けない。

床へ。

白い膜へ。

反射だけを見る。


ドローンを上げる。

高くない。

殻の真横。

微風を足す。


一枚目の白い膜が浮く。

二枚目。

三枚目。


ミラが剣先で引っかける。

払い上げるんじゃない。

横へ。

低く。

透と敵のあいだに、空中の壁を作るみたいに。


膜が並ぶ。

ぶら下がる。

揺れる。

湿っていて、薄くて、鈍い白。


透はそこへ照明を当てた。

直じゃない。

膜の向こうから光を返して、こちら側へ影だけを出す。


白い幕のこちら側に、殻と核の輪郭が黒く浮かび上がる。


真正面の映像じゃない。

中身でもない。

ただの影絵だ。


「……は」


ミラが短く息を吐いた。


「それか」

「覗き込む窓じゃなくて、ただの幕です」

「配信として終わってる」

「今日は終わってても生きてる方を取ります」


コメント欄が一気に跳ねる。


『何これ』

『影絵?』

『敵見えない』

『でも形は分かる』

『頭痛いの消えた』

『急に芝居始まった?』


最後の一行に、透は少しだけ息を吐いた。


効いている。


直視じゃない。

ファインダーの奥へ向かう窓でもない。

一枚、白い幕を挟んだだけで、黒い筋の寄りが鈍った。


レンズ中央に集まっていた黒が、そこで初めて迷った。

入る穴が消えたのだ。


「ミラ、今から影だけ見てください」

「こっちも窓になるんじゃないの」

「顔と細部が出ないぶん、直視よりずっとましです。形だけ渡して、想像を止めます」

「要求がだんだん前衛劇団じみてきた」

「今さらです」


幕の向こうで、影が動いた。


大きい影。

崩れた殻。

その下で、小さい丸い影。

さらにその周囲に、ぬるく揺れる薄膜の輪郭。


はっきり見えるわけじゃない。

でも、さっきまでの見えない何かよりずっと安全だった。


透はカメラを影幕に固定した。

もう敵そのものは撮らない。

白い幕に映る、黒い形だけ。


「右、来ます」

ミラが動く。


白い幕のこちら側で、黒いジャケットの輪郭が薄く走る。

刃の軌跡だけが白い線になる。


本当に線だけだった。


綺麗だった。

綺麗だが、見せ場のための綺麗さじゃない。

無駄を削り切った結果だけが残った線だ。


殻の影が、横へ被さる。

核の丸い影は、その下で少しずつ位置を変える。

触手の糸が影の中で細く走る。


透はそれだけを見た。


「喉下じゃない。さらに下。影の重なりが厚いところ」

「分かった」


ミラの線が一段低くなる。

幕の向こうで、黒い影が傾く。

殻の輪郭が沈む。

丸い影が一瞬だけ揺れる。


コメントの温度が変わる。


『今の入った?』

『影だと動きが分かりやすい』

『何切ったのか読める』

『顔見せない方が逆に見やすいんだけど』

『これすごくない?』


理解だ。

熱狂じゃない。

それならまだ、敵の餌になりにくい。


透は幕の反射をもう少し強めた。

微風で灰を散らし、影の縁だけを柔らかく浮かせる。

輪郭が整う。


「もう一歩、左」

ミラが影の前で滑る。

白い線が、幕に斜めに走る。

殻の影がまた沈む。


核の丸い影が、そこで初めてはっきり歪んだ。

痛がっている。


効いている。


「いける」

「雑」

「でも分かるでしょ」

「分かるのが腹立つのよ」


そのやりとりの直後だった。


幕に映る影が、おかしくなる。


最初は光の揺れかと思った。

照明がぶれたのかと。

でも違う。


丸い核の影が、一度だけ遅れた。


本体の動きより半拍遅れて、幕の上を不自然に滑る。


透の首筋が冷えた。


「……ミラ」

「何」

「影、遅れてます」


ミラはすぐに返さなかった。

返さなかったが、動きだけが一段慎重になる。


「どういう意味」

「本体じゃなくて、影の方が残ってます」


殻の影が揺れる。

核の丸い影が、その下でまた歪む。

だが今度は、本体がいたはずの位置より、影だけが少しだけ大きい。


嫌な予感がした。


「こいつ……」


透は息を飲んだ。


「幕を使ってる」

「は?」

「輪郭を与えたら、その輪郭の方へ寄ってます」


さっきまでの敵は、余白を食った。

暗がりを食った。

窓を食おうとした。


今は違う。


白い幕に映った安全な影の方へ、敵が寄り始めている。


本体じゃない。

影だ。

見られている影の方を、新しい器にしようとしている。


コメント欄がまたざわつく。


『ちょっと待って影おかしくない?』

『本体より影がでかくなってる』

『え、今ズレた?』

『影だけ先に動いた』

『それやめろ』


透は幕から視線を離さなかった。

離せない。

でも、見続けるのもまずい。


白い幕。

安全に見せるためのもの。

輪郭だけを渡して、想像を止めるためのもの。


それが今、逆に敵の新しい窓になりかけている。


「ミラ、まずいです」

「見れば分かる」

「影、切れますか」

「本体じゃなくて?」

「そっちです」


ミラが初めて、ほんのわずかに息を止めた。


「ほんとに劇団になってきたわね」

「今さらです」


幕の上で、丸い影がもう一度だけ揺れた。


今度ははっきり見えた。

本体より先に、影の方が瞬きをした。


ぞっとする。


本体の赤は、まだ殻の下にいる。

なのに、幕の上の黒い丸が先に閉じて、開く。


影が、生き始めている。


「……最悪」


ミラの声が低く落ちる。


透は頷かなかった。

頷く余裕がない。


白い幕は、安全のために作った。

でも、安全な輪郭は、敵にとって新しい器になる。


見せないと暗がりを食う。

見せると輪郭を食う。


喉が乾いた。


でも、答えがないわけじゃない。


透はカメラを握り直した。

幕。

影。

本体。

そのズレ。


ズレているなら、切れる。


「ミラ」

「何」

「次、影だけ落とします」


ミラの白い線が、そこでぴたりと止まった。


白い幕の上で、黒い丸がゆっくりとこちらを向く。


本体じゃない。

影の方が。


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