表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【Ⅲ.私】
32/33

32.100回死んだ彼と彼女と、私

最終章——桜坂立花から見た世界。

 立春の日は、朝から良く晴れていた。この時期にしては珍しい。


 私は変わりやすいこの時期の天気も、全てを凍らせるようなこの寒さも、嫌いではない。冬が春へと向かってゆく2月は、1年の内で最も短い月であり、それ故に儚さを感じるからだ。


 陽が昇ってからしばらく経った。もうすぐ自転車に乗った彼が、手を冷たくしてやってくるだろう。私がその手を握り締め、温めてあげればいいのだろうけど、素直じゃない心がそうさせてくれない。だから、代わりに使い捨てカイロにその役を任せる。感情を持たないカイロなら、従順に彼の手を温めてくれる事だろう。


 「おーい、立花―!」


 まだ薄暗い店内のソファーで使い捨てカイロを振っていると、外から彼の声が聞こえてきた。しかし、いつもの自転車のブレーキ音は鳴らなかった。雨の日にも自転車に乗る馬鹿が、快晴の日に歩いてくるわけがない。


 私は、妙な違和感を抱きつつ、ソファーから飛び跳ねるように立ち上がると、お店の灯りをつけた。そして、待っていたことを悟られないように、少し時間を空けてからお店の外に出た。


 「よっす! 待ったけ?」


 私がお店のドアを開け、いつものように明るい声で彼を出迎えると、彼もいつものように怪訝そうな顔を向けた。


 「なんだよ、『よっす』って。つーか、先にごめん、とかねぇのかよ」


 「ああ、ごめん、ごめん。ってか、『よっす』知らんが? 最近若い子の間で流行っとる挨拶やよ。『よっ、おはよう』の——」


 私はそこまで言いかけた時、いつもと光景が違う事に気付いた。


 車が一台通れるだけの幅しかないお店の前の路地は、相変わらず物寂しい雰囲気が漂っていて、それを助長させるように凍てつくような空気が満ちている。


 それはいつもの事。


 そんなものは、私の持ち前の明るさで、容易に吹き飛ばす事ができる。


 しかし、今日はそんな寒くて寂しそうな路地に、明るい花を添えるような可憐な少女の存在があった。その少女は、私の幼馴染である百瀬正志の横に直立しており、静かに私を見詰めていた。



 路地に風が通った。


 彼女の黒くて長い髪が艶やかに揺らめき、大きな眼が潤んだ。寒さを含んだ空気が、容赦なく体を刺したが、彼女は体を縮こまらせる事はなく、堂々と立ち尽くしたままだった。


 私はそんなあどけなさと力強さを併せ持った彼女から、何か分からないけれど、強い信念のようなものを感じた。絶対に成し遂げようとする意志や覚悟のようなものを感じた。


 そして、彼女は彼よりも一歩前に出ると、可愛らしい唇からは想像も出来ないくらい力強い声を発する。


 「私は、葉月奏はづき かなでです。未来からやってきました」


 「……未来?」


 私は思わず首を傾げた。すると、彼女は力強い語調を保ったまま、とんでもない答えを返してきた。


 「はい。未来です。そして、もうすぐ、彼——正志君が死んでしまいます」


 「正志が……死ぬ?」


 瞬時に状況を呑み込むことは困難だった。急に現れた人に、しかも未来から来たという人に、幼馴染が死んでしまう、と言われて、それをすんなり受け入れられる人がどれくらいいるだろうか。


 それでも、彼女は強い信念のもと、言葉を続けた。


 「死んでしまいます。何度やっても、どう足掻いても彼は死んでしまいます。運命がそうさせるのです。これまでがそうでしたから……」


 語尾はこれまでの力強さが薄れ、彼女の顔が陰った。そして、僅かな時間だが、彼女は口を閉ざした。時間にすると、ほんの数秒程度だったが、その間に彼女の苦悩の日々が詰まっているのだと私は思った。


 それから彼女は、再び力強い表情を取り戻すと、「だけど——」と続けた。


 「だけど、大丈夫。なぜなら、ここには『ふたり』がいるからです。正志君がいて、立花ちゃんがいて、ふたりがいれば、どんな困難も乗り越えられるはずです。私は、そう確信していますし、その手助けをするために未来から来たのです」


 葉月奏と名乗る少女の瞳は、真っ直ぐに私を見詰めていた。その瞳の奥にどんな感情を抱いているのだろうか。私には理解できない。だけど、胸の前で握り締めている両手は筋張る程力が入っていたし、潔い表情は、とても嘘を吐いているようには見えなかった。




 いいえ——。



 私は彼女が嘘を吐いていない事を初めから知っている。彼女が未来から来た事も知っている。







 「life reset」——。


 そのアプリは、インストールした日までさかのぼる事が出来る、神のような力をもったアプリだ。しかし、そのアプリにもいくつかの「決まり」が存在する。


 例えば、人生をやり直している事を他人には告げてはいけない。もし告げてしまえば、アプリは自動的にアンインストールされてしまい、もう二度とやり直す事ができなくなるのだ。



 そして、彼女はその神アプリを使って、何度も人生をやり直してきているのだろう。何回やり直してきたのか、私には分からないが、彼が生きる未来を掴むため、必死になって、もがき、苦しんできたことだろう。


 ここに辿り着く過程で彼女の精神は、擦り減り、廃れ、崩壊し、人ではなくなったときもあったかもしれない。また、人を人として見れず、容易く切り捨ててきたかもしれない。



 辛かっただろう。



 苦しかっただろう。



 強くはない身体に強さを求める事は、凄まじい苦悩と苦痛を人に与えるのだ。


 そして、私にはその苦悩も痛みも分かる。彼女がそれを言わなくても私は理解できる。なぜなら、私自身もそのアプリを使い、何度も人生をやり直しているから。



 私も幼馴染である彼を生かす運命を探し続けてきたのだ。そして、彼女が未来からやってきたと告白したという事は、全てが上手くいった事を意味している。



 彼を生かすためには、どうしても彼自身に死が迫っている事を伝える必要があった。しかし、その事を私の口から彼に告げれば、もう二度とやり直す事ができなくなる。この先、どんな運命が待ち構えているのか分からない以上、やり直せない、というリスクを取る勇気は私にはなかった。



 だから、私は考えた。


 彼を生かし、アプリも失わない方法はないだろうかと。


 

 そして、考えついた。



 彼女——葉月奏にアプリをインストールさせ、彼女から彼に死が迫ってきている事を告げさせることだった。


 そのために私は、何度も試行錯誤を繰り返してきた。彼と彼女を何回失っただろうか。何回死なせてしまっただろうか。たぶん、100回以上だと思う。その過程で、私の心が正常を保てなくなった時もあった。もしかしたら、今現在も平穏に見えて、もう感性が失われているだけかもしれない。



 だけど、ようやく辿り着いた。


 あとは、彼の死を回避しながら、運命を選択していくだけだ。




 以前、彼女は言っていた。


 人は、運命を回すだけの歯車だと。



 また、彼は言っていた。


 運命に流されているだけという漠然とした不安があると。



 今なら私は、そのどちらも理解できる。


 人は自分で運命を選択し、歩んでいると思っている。しかし、その些細な選択が、誰かを生かし、誰かを殺しているのだ。それを知らない人間は、盲目的に仕事を熟すだけの「歯車」なのだろう。



 また、それは逆の立場もあり得る。


 誰かの選択ひとつで、自分が生きるか、死ぬかを決められているのだ。



 そうやって、皆、それぞれの仕事を熟し、誰かを生かし、誰かを殺し、誰かに生かされているのだ。運命とは、自分で選んでいるように見えて、誰かに選ばれ、流されているのだろう。



 だったら、私はそれらを全て承知の上で、人生を選択していく人間になりたい。盲目的な歯車ではなく、意思を以って運命を選んでいきたい。


 だから、私はふたりの言葉を理解できても、敢えて否定する。


 「運命」とは自らが選ぶもので、人の「宿命」は歯車として仕事を熟す事ではなく、生命として意思を以って考える事だと信じたい。


 私は必ず辿り着いてみせる。


 【100回死んだ彼と彼女と、うち】が生き永らえる未来へと。



 それは果てしなく孤独な戦いだ。運命と宿命の本質を知った私だけの、私ひとりだけの戦いだ。



 私は大きく息を吸った。


 冷たい空気が頭を目覚めさせる。


 私の決意を固く結びつける。



 そして、私は、吸った息を全て吐き出すように声を発した。



 「奏ちゃん。全てを教えてくれてありがとう」


 一年で最も寒く、最も短いはずの2月は、まだ終わらない。





終わり。


長々と、誠に有難うございました!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ