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全ては安住のため  作者:
復讐猛炎ゲームスタート
29/32

奪還の冒険者……あの夜の炎に身を焦がす

「……え?」

 あまりの唐突さに、ヴェスタは素っ頓狂な声をあげる。見れば、自分の腹から短剣が生え、その根元からは血がダラダラと流れ出ている。

 ヴェスタの隣に居た男は先ほどまでの優しそうな笑みを完全に消し去り、そんなヴェスタの混乱をただの隙としか捉えておらず、これは好機ともう一本の刃をどこからか取り出し、鎧におおわれていない肌に向けて振り下ろす――。

「ウオオオオオオオオオ!」

 彼らが『敵』であると最初に認識したのはカーキだった。

 一瞬の判断で己が握っていたバスターソードを捨て、自由になった拳でヴェスタの隣に居た男を殴り飛ばす。

「ガファ!?」

 結果的に剣を捨てた判断は正しく、素早い初動でヴェスタが致命傷を負うことをなんとか防いだ。バスターソードに頼らずとも、あれほどの鉄塊を振り回すほどの腕力で殴られたのだ。男は体を不自然に曲げながら後方の壁に激突した。

 ヴェスタの危機は去った……が、ヴェスタの為に攻撃を仕掛けたカーキの背中はガラ空きだった。カーキの背後には、彼の肩に刃を突き立てた少女が未だ殺意を鈍らせずにカーキを狙っているのだ。

「ヌアアっ!」

 カーキは殴り終えた拳を休ませることなく、振り返りざまに横薙ぎに少女に裏拳を見舞う。しかし、少女はそれを読んでいたようで真上に跳躍しそれを避けた。

 身軽であった少女はその跳躍で天井まで飛び上がり、体をしなやかに反転させ、天地を逆転させたように、天井を蹴って自身の落下スピードを加速させる。そして隠していた二本目の刃を、勢いそのままにカーキの左肩に突き立てた。

「ぐあああああああああ!」

 カーキの左肩から、二本の刃が生えるように突き刺さっていた。しかし、どちらの刃も根元までは刺さっていないようだ。

「……ちっ、さすがに硬いですねーこの筋肉達磨」

 少女の緊張感の欠けたぼやきは誰にも聞こえず、少女は反撃を警戒しカーキから距離を取った。

「クソッ、テメーら一体何者だ!」

 たまらずグンジョーが叫ぶ。アサギが吹き飛ばされたのは百歩譲って理解できる。さきほどの彼らの言い分の通りゾンビだと思って攻撃したのだから、そこに理論破綻は見られない。しかし、仲間を襲うのは意味が不明だった。ダンジョン内において、冒険者が冒険者を殺意をもって殺すのは禁忌中の禁忌である。

「…………」

 少女は答えず、さきほど殴り飛ばされた男の方を見る。

「……ちょっとー、ナマリさーん。いつまで伸びてるんですかー? 思いっきり殴られてましたけど、流石にそれで壊れるような体じゃないでしょう?」

 ナマリ――と呼ばれた男は、その声で目を覚まし体を不自然に曲げたまま立ち上がった。

「無茶を言うなよニビ。これ見ろよ、がっつり骨が折れてんじゃねえか」

「うわーダサいですね」

「ほっとけ」

 ダンジョンの中とは思えないほどの緩やかな空気を醸す二人、先ほどのは全て演技だったのだろう。纏う雰囲気が違いすぎる。

 先ほどの二人はどこにでも居そうな、よく言えば模範的で、悪く言えば平凡な冒険者に見えた。それなりの良識と優しさを備えた、ただの冒険者だと思っていたのだ。

 しかし、今の彼らからはそんな雰囲気は感じられない。ダンジョンを探索している緊張感もなければ、同胞を助けようとする慈悲もない。

 むしろ堂々と、ここが己たちのフィールドだとでもいうような、気だるげで温い空気を放っている。

「どういうことだ、説明しやがれ!」

「……彼らは、このダンジョンで行方不明のはずのパーティ『影這』のメンバーだ」

 グンジョーの問いかけに、代わりにソラが答える。

「なっ……んで」

 なんで俺達を襲うのか、グンジョーはそう言いたかったが、口に出す直前で理解した。

「まさかっ……!」

 グンジョーの反応を見て、少女――ニビはくすりと笑う。グンジョーは、ここでようやく、アサギが話したことと今の状況をリンクさせたのだ。

「おっとぉ、ばれてしまいましたかー。そーなんですよー。私も、ここにいる骨折り損さんもアンデット……しかも有情のゾンビです」

「おい、誰だよ骨折り損さんって」

 ナマリとニビ……『影這』の二人はどこか仲良さげに会話を続ける。しかし彼らが今なおやろうとしている内容は人殺し――それも同胞殺しだ。

 ミントはその会話の影で、二人のせいで傷を負ったヴェスタとカーキを魔法で治療していた。とりわけヴェスタの状態が悪かった。失血がなかなか止まらないのだ。

「ヴェスタ……! しっかり、して。意識、を保って……! 魔力、の循環、の負担を、なるべく、減らすよう、に」

「ミ、ミント……」

「《浄化の光、キュア》《癒しの光、リカバリ》」

 ミントがヴェスタを支えつつ。ヴェスタを傷つけた『影這』の二人を射殺すような目で見る。

「そんな顔しねーでくれよ。俺達だって、なるべく穏便に殺したいんだ……今回はアサギさんがやたら張り切ってたから譲ってやろうとしたら、まさか逃がそうとしてるとは、まったく、マスターに叱られちまうぞ?」

「ナマリさーん? しゃべりすぎです、おバカさんですかー?」

「おっと、ミスった」

 ナマリがわざとらしく口を塞ぐ。しかし、その口から発せられたマスターと言う言葉は、とっくにソラ達の耳に届いていた。

 ギルドマスターであるはずがない。と、なれば。

「ダンジョンマスター、か」

 ソラがイラつきも隠さず呟く。

「ほらバレたー、あーあ、ナマリさんのせいー」

「うるせっ」

「まーいいです……こいつら殺っちゃえば同じですしー」

「お、それは俺も同意見だ……」

 『影這』は軽口を叩くのを止め、ゆらりと、どこからともなく短剣を取り出した。それも、対人を目的とされた作りのものだ。

「ま、待て!」

 ソラが慌てて待ったをかける。正直、この迷宮内で初めて存在を知り、これまでの冒険者人生、その蓄積の中で有情のゾンビと接したことも皆無であるので当たり前だが、そもそもとしてソラは理解していない部分があった。

 つまり――。

「何故君たちは、操られてもいないのに僕たちを殺そうとするんだ⁉」

 ソラは必死に、しかし今自分が最も疑問に思ったことを問う。

 意思を奪われているわけでも、体が操られているわけでもないとすれば、彼らの行動は自由意思によるものだ。

 つまり、そもそも自分たちと敵対する理由がないのだ。

 故に異常。本来なら、操られていないゾンビはアサギのように、冒険者側に有利な行動を取るのが自然ではないのか?

「もしかして、脅されているのか? 仲間か、想い人の命が預かられているのか? いったい……」

「うるせえ」

 ソラの話の途中で、めんどうだとでも言うようにナマリが短剣を弱っているヴェスタに向けて投擲する。

 初動も何もない、手首と指のスナップだけでの投擲であったが、その速度は尋常ではなく確実にヴェスタの命を狩りに来ていた。

「なっ⁉」

「……っ! 《緑の弾丸、ウインドバレッド》!」

 間一髪、治療に集中していたミントが魔法を使いナイフを弾き落とした。

「そういう質問に答えるわけにもいかねえんだわ……ま、一つ言ってやるなら『順応』だな」

「……またナマリさんは、要らない一言を」

 ニビの呆れもどこ吹く風、ナマリは飄々と再びどこからか取り出したナイフをちらつかせる。

「『順応』だと……」

「そうさ、ソラ……教えてやるよ、このダンジョンが、予想以上に楽しい場所だってことをな」

 ナマリは含みを持たせた笑みを浮かべた。

「その顔、気持ち悪いんでやめてもらえませんかねー、ナマリさん」

 ニビが当たり前のようにナマリを否定しながら、ニビも持っていたナイフを投擲した。

 現在、『影這』と『四剣』の距離は数メートルほど離れている。剣という近接武器が扱えない距離感だ。『四剣』側に中遠距離を対応できる冒険者はミント一人と言ってよかった。

「よーしニビ、どっちが早くあの手負いのピンク髪の子を狩れるか、勝負と行こうか」

「うわー、悪趣味ですねーナマリさん。ま、いいでしょう」

 二人は言うが否や、両手にナイフをあふれさせる。それぞれの指の間に挟みこんだり、奇妙な持ち方をしたりで、片手で五、六本のナイフを備えていた。

 狙いは、腹に短剣が刺さった状態のヴェスタだ。彼女は今迅速に回避行動がとれる状況ではない。ミントの膝に頭を乗せて介抱してもらっている状態なのだ。なので、同時にミントも動けない。ミントが癒しの魔法を送り続けているため、ミントが防御や攻撃に転ずることも難しいのだ。

 グンジョーとソラとカーキが、盾になるように前に出る。

「いつまで防げるかなー……っと!」

 ナマリの一投を皮切りに、休みなきナイフ投擲が始まった。

「ぐう!」

 カーキはヴェスタとミントの前に立ち、バスターソードを拾い上げ剣の腹を使って飛んでくるナイフを防ぐ。

 小柄なヴェスタとミントを守ることは出来るが、バスターソードを構えるカーキ自身の肉体は隠しきることが出来ない。バスターソードの影からはみ出た部分にナイフが突き刺さるが、カーキはそれを黙って耐える。

 そして、カーキが二人を守っている間に、ソラとグンジョーはナマリたちに向かって前進する。飛んでくるナイフを叩き落とす方法は、さきほどのレッドバグと同じよう要領だ。しかし、今回は的が小さく、尚且つ先ほどのレッドバグとの戦いでごっそり体力を削られている状態での戦闘のため、数本のナイフは落としきれずに肉体を傷つけていく。

 しかし、グンジョーとソラの戦闘における気概は並ではない。傷つきながらもナマリたちへ向かって突進していく。

「うわ、怖っ。こいつらの方がよっぽどゾンビだな」

「ですねー」

 高速でナイフを射出しながらも、その気だるげな口調に変わりはない。

「もらったあああああ!」

 グンジョーがソラより数歩早くナマリへとたどり着き、彼の身体を一閃するように乱暴に剣を振るった。その剣は右肩口から入り、みぞおち部分に至るまで上体の肉体をバクリと切り裂いた――が。

「おいおい、俺の事ゾンビって忘れてね?」

「――――っ⁉」

 口からゴボリと黒い血を吐きつつ、ナマリは冷めた目でグンジョーを見つめていた。

 肉体が著しく損壊しているというのに、慌ても、恐れも、痛がりもしない。器官系は破壊されつくされているだろう、中でも呼吸系はもはや破れた袋も同じだ。だと言うのに、ナマリはそれがどうしたと言った表情で、まんまと近づいて来た敵を迎え撃つ体制を整えていた。

 これがゾンビなのか、と、グンジョーはここに来て初めて有情のゾンビの恐ろしさを味わった。彼の振り下ろした剣は、ナマリの肉に埋まったままだ。つまり、グンジョーとナマリの間はほぼゼロ距離なのにも関わらず、グンジョーは攻撃と防御の手段を確実に失ったのだ。

 ナマリは手の平のナイフを、投擲のフォルムから逆手に持ち直し、グンジョーの右目に突き刺した。

「っ痛ええええええあああああああああああ!」

 たまらずグンジョーは叫びながら後ろに倒れ込んだ。

 突き刺す角度がグンジョーがとっさに仰け反ったせいで変わり、脳にダメージを与えられなかったことを悟ったナマリはとどめを刺そうとさらにナイフを取り出し、グンジョーの喉元を狙う。

 しかし、追いついたソラの剣が、逆にナマリの喉を突き刺した。

「う、ぐぇ……」

 うめきと言うより、空気が漏れるような声がして、一瞬ナマリの動きが止まった。

「おおおおおおおおお!」

 ソラはそのまま、横薙ぎに剣を振りぬいた。

 ナマリの首は、文字通り辛うじて皮一枚繋がっているが、神経伝達系は完全に切れたらしく、その場で膝を折って倒れた。

 ソラはナマリを打倒した。しかし、攻撃の瞬間というのは、同時に最大の隙を見せる瞬間でもある。ニビのナイフがソラの首元を狙う。避けることが出来ないと理解した瞬間、ソラは左手を犠牲にしてそのナイフを防いだ。

「ぐううううっ!」

「死にやがれですよー」

 ニビが二撃目を放とうと言うときに、ニビはこちらに向かって来る重量感ある足音を聞いた。

 視線をその方向に移した瞬間、ニビが見たのは怒りの形相でこちらに向かって来るカーキだった。ナイフ投擲が止み、カーキが防御から攻撃に打って出たのだ。

 巨体からは予想できないほどの素早さのカーキのタックルを、小柄のニビは全身で受けることとなった。

 もはや攻撃と言うより追突事故のようにニビが吹き飛ぶ。壁に全身を強かに打ち付け、ひしゃげたような声を出してその場に倒れ込み。動きを止めた。

「ハア……ハア……とりあえず、制圧したのか」

 ソラが突然現れた二人のゾンビを交互に見ながら、ひとりごちる。

 そして周りの安全をざっと確認したのち、皆がグンジョーに駆け寄った。

「グンジョー!」

 ソラとカーキはもちろん、ある程度回復を終えたヴェスタやミントもグンジョーを心配し、グンジョーを囲む。

「痛ってえ……結構、やばいよな、これ……クソがっ」

「じっと、して! ナイフ、はもう抜けてる、から。止血、と、痛みどめをする。皆は、襲撃、されないように、守って」

 ミントが道具袋から数種のポーションと救急用具を取り出し、魔法をかけながらそう言った。

「ああ、分かった……」

「早く、脱出しないと……危ない……」

 ミントの途切れながらも緊迫した声は、ソラ達に自体の危険さを分からせる。

「誰も、死なせない……パーティ、の皆、は、誰も、死なせない……!」

 ミントの呟きを訊いたソラは、混乱しかけていた思考を引き締めた。

 ミントの言うとおりである。誰も死なずに、このダンジョンを脱出するのだ……。

 応急処置の手際が良く、グンジョーは何とか自力で歩けるだけの体力は回復した。

 しかし、パーティに手負いが非常に多くなってしまった。一番の重傷はグンジョーであり、次いでヴェスタだ、二人とも急激に動いては、傷のダメージが来てしまうだろう。

 命の別状がないのは、ソラとカーキとミントのみとなってしまった。

 しかし、これはかなり危険な状況である。盾役のカーキが無事でいてくれることと、ミントが常時二人の回復をしているので、最悪というわけではないが、やはり負傷者は多いと、進行が遅れる。それに、このダンジョンでは他の冒険者の人影を見つけても助けを求めることが難しい。

 この状況下で、ダンジョンからの故意的な集中攻撃を受ければ、全滅はないまでも……確実に誰かは死ぬだろう。

 しかし、ソラはこれ以上の追撃はないと考えていた。

 それは、半分以上がそうであってほしいという願望なのだが、理由が無いと言うわけではなく。これ以上、先ほどのような大軍や隠し球を寄こすと、五人の冒険者に対してかけるコストが過ぎるのではないかということだ。

 実際、ダンジョンにおいて、ここまで侵入者を確実に全滅に追い込んでいくという事例は少ない。なので、ソラは希望的観測ではあるが、死者を出さずに脱出することを諦めていなかった。

 ……ソラは知る由もないが。このダンジョンは『魔物を意図的に動かさず、冒険者を泳がす』というパターンと『冒険者を泳がせながら、最終的に潰す』というパターンの二パターンしか行われていない。

 そして、コストや手間と言う点において『不明の遺跡』ダンジョンは、歴史に名を残すようなダンジョンと比べても遜色のないほどの資本がある。

 現段階、このダンジョンにとって――望月明にとって――冒険者の撃退というダンジョンの最優先事項は、完膚なきまでに叩きのめす事ではない。

 冒険者を苛め抜き、弄りきり、様々な可能性を試した末に潰して、ダンジョンの改造の糧にすると言う、実験的な側面が強いのだ。

「……待ちやがれ……ですよー」

 予想外の声に驚き、ソラ達は振り返る。

 そこには、確実に戦闘不能にしたと思っていたニビが、アサギの髪を引っ掴んで引きずっている姿があった。

 ニビの様子はどこかたどたどしい。苦しんでいるわけではないようだが、肉体の損傷によって、体の駆動がイメージについていっていないようだった。逆にそれが――手負いの身体と不釣り合いなほどにギラついた瞳が――ソラ達に鬼胎を抱かせる。

「てめえ……! アサギさんに何してやがる!」

 グンジョーがニビに向かって咆えるが、己の声が頭に響いたのか。右目を抑えて立ちくらみする。

「おーおー、グンジョーでしたっけー。分かりますよ、その気持ち。尊敬してる人をコケにされたら誰だって怒りますよねー……でもまあ、ナマリさんをあんなにされて怒ってるのは、私も一緒なんですよねー」

「ダンジョンマスターなんぞに魂を売った売女が何ほざきやがる」

「うわ、ひどい言われよう……ま、簡単な話あんたらが気に入らないんで、意趣返ししてやろうって話ですよー」

 ニビが懐からネックレスを取り出し、見せびらかすようにゆらゆらと揺らす。

 それは、髑髏を象った漆黒の宝石だった。

「これは闇や影を司る宝石でしてねー。普通の冒険者が使わないような陰険な属性のものです。そもそも『影這』はそういった陰湿な人が多くてですねー……私、二つ名が認められるなら『呪堕』のニビになるだろうと考えていたほど……『呪い』が得意なんですよー」

「……何っ?」

「理解できないなんて可哀想な脳味噌ですねー。理想的な供養が『浄化昇天魔法』であるとするなら、考えられる限り最悪の逝かせ方、名付けて『汚染堕獄魔法』なんてものもあってしかるべきだと思いませんかー? んー?」

 一行が、寒気を感じながらそれを聞いていた。そして理解した。

 苦しみを取り去り、魂を神の元へと送る『浄化昇天魔法』。そして、体を焼き払い、全てを無に帰す焼却による消失。ミントは、どちらにせよ死者を敬い、死者の魂を少なくもゼロに還そうとしていた。

 しかし、ニビのいう魔法は、それと全く正反対の思想と発想のもとに執行されるものだ。彼女が言う魔法が本当に存在するならば、ニビはアサギに対し、死して尚苦しみを送り続け、魂をゼロどころかマイナスへと落とし込める非人道的な呪いを、ただの意趣晴らしに行おうとしているのだと。

 ニビは、どちらかというと無表情だった表情を一転させ、瞳の闇をいっそう爛々と灯し、糸切り歯を見せつけるように高らかに笑った。

「アサギさんは、罪を犯しました。本当なら、こいつらをレッドバグ襲撃の直後に焼き払うべきだったんです。それを全く、顔見知りだからって甘ったるい。貴方を潰したとしても、マスターも許してくれるでしょう」

 ニビがケタケタと笑いながら、アサギの目の前で漆黒の骸骨をぶら下げる。アサギは未だに硬直の支配が解かれていないようで、眼球を辛うじて動かしてニビの悍ましい形相を眺めていることしか出来なかった。

「恨み晴らさでおくべきか」

 出来の悪い人形のように首をグリンと曲げて、静かにそう言ってのけた。

「……《人の業より出でて、闇より暗き夜を呼べ、救われぬ者の嬌声を、否定に枯れる声を聞け――》」

 詠唱と共に、アサギの身体が闇に包まれていく。ミントの発動しようとした『浄化昇天魔法』とは、全く逆の現象と言った感じだ。アサギもあの時のような優しい表情ではなく、段々と狂気に目を見開き、恐怖によってか痙攣している。

 ……グンジョーは、ミントの『浄化昇天魔法』ですら拒絶した。アサギという存在がこの世から消失すること自体を否定した。

 それでも、冒険者として、ゾンビと化したアサギを討伐することは、冒険者としてやらねばならぬことだと言われた。

 だが、理屈でわかっていても、本能ではわからない。グンジョーは頭の良い人間ではない。我儘と言う人間がいようが何だろうが、己を貫くことだけがグンジョーの生き方だった。

 そして、今アサギに永遠の苦しみが与えられようとしている。

 グンジョーが妥協出来る範囲ではなかった。彼の脚は、動いていた。

「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」

 恐るべき速さで抜刀。術者のニビの首を刈るべく、先ほどまでの己のダメージなど考える余地なく全力で疾走する。グンジョー自身の目は血走っており、その視野にはニビの憎たらしい笑みしか入ってこない。

 グンジョーの瞬発力は異常な状態にあり、制止できる者は居なかった。グンジョーは一人ニビに向かって駆けていく。

 そして、不穏に気付いた人間が二人。

 一人はソラ。ニビの狂気の笑顔に、どこか計算めいたものが映った気がした。そして、グンジョーが駆けだした時、それが色濃く出た気がしたのだ。彼女は私怨のみで動いているように見えなかった。

 もう一人は、ミント。彼女は頭の中で物事を整えてから、それを言葉に出す癖がある。グンジョーが飛び出したのはニビの心理の裏を予測している最中であった。そして、不幸にも、グンジョーの後ろ姿を見えたその瞬間に、ミントはニビの腹の内を悟ったのだ。

「ダメ! グンジョー!」

 理想的な制止の言葉が出てこない。ミントはこの瞬間ほど己の言語選択機能の使えなさを呪ったことはないだろう。

 咄嗟に出た「ダメ」ではないのだ。そこには明確な、死の理由が存在しているからこその懸命に振り絞られた「ダメ」なのである。しかし、今のグンジョーにその真意は汲み取れなかった。

 ミントの予想通り、ニビはあっさりと拘束していたアサギを手離し、地面を蹴って急速に後退した。グンジョーはチャンスだとアサギを保護しようと手を伸ばす。

 ニビは壁の一部をめざし跳躍した。遺跡の壁の模様に紛れたとあるスイッチ押すためだった。

 ヴェスタもこのタイミングでようやく気付く。このパーティの中で、罠の探査と解除はヴェスタの仕事である。探査の点においてはミントの方が得意なため、解除以外は任せている部分が多いが、そうは言っても己の仕事であることに変わりはないため、ヴェスタも普段から迷宮に隠された罠に目を光らせている。

 そして、罠において、皆に危険だと伝えるのは基本的に受動的パッシブなものだけなのだ。それは、能動的アクティブなものは余計な行動をしない限り発動しないからだ。

 そして、アサギが今いる箇所は、能動的アクティブによって発動する罠の位置に相当していた。

「戻って! そこには落とし穴が!」

 ヴェスタが叫び、グンジョーが落とし穴というワードに一瞬足を止める。

「……ちょっと遅かったですねー」

 ニビが全てのやりとりをあざ笑うように、壁の模様にしか見えない一部分を殴りつけるようにして押し込む。

 途端、アサギの足元が大口を開けた。アサギはあと数歩でというギリギリの位置だった。

 そして、このタイミングでダンジョンマスターによるアサギの硬直の支配が解かれた。

 アサギは生前のように反射的に落下の恐怖から逃れようと手を上へと伸ばす。

 その助けを求めるように伸ばされた手を……グンジョーは掴んだ。

「グン、ジョー……」

「へへっ、大丈夫かよ、アサギさん」

 落とし穴ギリギリの部分で、グンジョーは右手一本でアサギの全体重を支えていた。

 落とし穴の下には、針山が広がっている。まとも落ちればいくら歴戦の勇士でも死亡すると思うほどに、鋭い針が上を向いて所狭しと並んでいた。

「手を……手を離せグンジョー! 俺の事は気にするな!」

「気に入らねーんだよ! アンタを置いて、このダンジョンを出れるか!」

 ソラは、どこか茫然とグンジョーを見ていた。

 彼は確かに、冒険者としては最悪だ。その精神は青く未熟だ。しかし、その仲間に対する熱さにおいて、ソラを超えているような気がしたのだ。

 ――あの時、己がグンジョーほどの熱さを持っていれば。

 ――キーロやアカネを救えたのではないだろうか?

 そう考えてしまった。

「くすくすくす……茶番ですねー」

 ニビが場の空気を壊すように、グンジョーとアサギを見て冷たく笑う。

「アサギさん……硬直が解けたみたいですねーおめでとうございますー……でも、本当に解けてますかー?」

 ニビの言葉に、アサギは一瞬頭上に疑問符を浮かべる、が、今はグンジョーの危険を取り去る方が先だ。

 今、アサギ自身はゾンビなので針山に突っ込んでもどうということはない、己が死を願っていても死ねない状態なのだから。しかしグンジョーはそうではないのだ。

「グンジョー! 俺はゾンビだからこんなことで死にゃしねえ! それよりお前は自分が生き残ることを考えろ! 俺は、お前に生きて欲しいんだ! 頼む、この手を放してくれ!」

「アサギさん……何言ってんだ?」

 グンジョーがよく分からないと言った顔をする。


「アサギさんも俺の手、強く握ってんじゃねーか」


 グンジョーの言葉に、アサギは酩酊したような眩暈に襲われた。

 アサギの右手だけが、まるで誰かに支配されているかのごとく、グンジョーの手を掴んで離さない。どれだけ手を離そうとしても、他人の手のように動かせない。

「…………嘘だろ。硬直の支配、ここでっ……おい、マジかよ、止めてくれよ。もう俺はどうなったって良いから、焼かれようが地獄に落ちようがどうでも良い。せめて、コイツだけは、グンジョーだけは助けてやってくれよ!」

「ど、どうしたんだよアサギさん⁉」

「ダンジョンマスター! 聞こえてんだろ! 頼む、今後あんたの言う事は全て従う何でもする! 人だって何人だって殺してやる! だからグンジョーは! 助けてくれやめてくれ、やめてくださいお願いします!」

「落ち着いてくれよ、今から引っ張り上げてやるから!」

「クソっ! 手を離せ! グンジョー思い切り振りほどいてくれ! ッ! 俺の手首を剣で掻っ切れ! 早くしてくれ、早く! 早く手を解けええええええええええええ……っ……か、ひゅ……が……」

「……アサギ、さん?」

 アサギが突如、呼吸困難に陥ったかのように、喉を潰されたように、声を枯らした。

 絶望にくれた表情をグンジョーに向けながら、痙攣するような口元は、声なき声でこう呟いた。

 すまない、と……。

 口元の痙攣が少なくなり、どこか抵抗するかのように、しかし、それも虚しく、アサギの口から詠唱が唱えられていた。

「……か……は……《……有、象……無象……を、灰、に……帰……せ……――》」

「…………は?」

 グンジョーの口から、戸惑いの声が漏れる。この詠唱は、術者の掌から超高温の白炎を放つ、アサギの得意とする火炎魔法の詠唱であるのだから。

 アサギの瞳から流れた一筋の黒い液体は、悲しみ濁った涙なのか、それとも絶望の血涙なのか。

「……ぁ………《――イン……シニ、レイト》」

 強く強く繋がれたアサギとグンジョーの手から、白い炎が吹き上がった。

 白い炎は、アサギの半身を焼却せんと、光と熱がグンジョーの皮膚を、皮下組織を、肉体のあらゆる細胞を破壊する。

「ぐ、が、アアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああ嗚呼あああああああ⁉」

 グンジョーの断末魔が、ダンジョンの通路に響いた。

 ソラ達は、突然の出来事に、どうすることも出来なかった。

 グンジョーは熱さによって踏ん張っていた足を浮かしてしまい、手が繋がれたままのアサギの体重によって、落とし穴へと引きずられる。

 数瞬の浮遊感のあと、鋭い針はアサギの肉体を突き破り、そしてそこに覆いかぶさるように降ってきたグンジョーの体までもまとめて貫通した。

「い痛ぎゃああああああああ熱っづアアアア痛がああああああああああああああ!」

「クソっ、止まれ! 止まれよ! グンジョーを燃やすんじゃねえ! クソクソクソクソクソクソ! 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろおおおおおおおおお!」

 二人の慟哭は虚しく。グンジョーを包む白炎は全身を包み、身体を重ねているアサギにも引火し、アサギは目の前で燃えていくグンジョーを助けられない怒りと絶望で全力で咆えていた。

「がああああああアアアアアアアアアアアアアアアアア……ああああ……嗚呼……」

 喉や肺が焼けて来たのか、だんだんとグンジョーの叫びが小さくなっていく。

 アサギの目の前で、グンジョーの命の燈火が、消えようとしていた。

 ふと、グンジョーの表情が、苦悶のものから、少年のような安らかなものへと変わった。

 アサギは目を見開いてグンジョーの顔を覗き込む。今まで一緒にいて、初めて見た表情だった。

 死の淵で、脳がイカれたのか、痛みの末の狂気か、そんなことはどうでも良かった。

「……あったかぃ」

 アサギの脳には、いつかの邂逅の瞬間がフラッシュバックしていた。

 子供とは思えない厳しい表情をして、納屋に閉じ込められ、寒さに凍える少年が一人。そして、その少年何とかして救いたいと思った、とある過去がよぎった。

「ア、サギ、さン……ァり、が、とう……」

 グンジョーは、アサギにだけ聞こえるようなか細い声で、安らかな顔で息絶えた。

「グン、ジョー」

 アサギは、半分以上炭化してしまった、元はグンジョーだった塊の重みを感じつつ、剣山に貫かれたまま、茫然と迷宮の天井を眺めた。

 もう何も考えたくなくて、そして、全ての思考を放棄した。

「そんな……」

 ソラもまた、グンジョーの突然の死を受け入れがたく、驚愕と混乱が脳を渦巻き支配していた。

「あっはっはっはっはっは! すっごいですねー! いやー、やっぱりマスターは残酷ですねー、強制的に詠唱を唱えさせるなんて! 流石の私もドン引きでしたよー……でも、傑作ですねー! ひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 そんなソラを馬鹿にするように、正面でニビがケタケタと首を揺らしながら笑う。

「テメエ……!」

「許さない」

 ソラの言葉を遮るように、ミントが言葉を紡いだ。

 今までのどの言葉よりも明瞭に、そして、決意と殺意の籠った言葉を言い放った。

「潰す」

 ミントが四振りのククリを全て引き抜き、ニビに対して戦闘態勢をとる。

 ミントの怒気に押されながらも、ソラも同じ気持ちだった。

 確実に、彼女はここで葬り去らなければ、己の気が済まない。

「……いやー、それにしても、私がギミックやらブラフやら囮やら、色々使ってようやく一人殺せたってのに、嫌になっちゃいますねー。筋肉達磨にもらった一撃、結構まだダメージ残ってるし。マジないですよねー。反撃の機会も掻っ攫うとは、これが才能の差ってやつですか」

 刃の切っ先を向けられたニビだが、依然として、どこか緊張感を欠いたように、平坦な声ですらすらと喋る。それに、何故か会話が噛み合っていない。視線は明らかにソラ達に向けられているはずなのに、どこかその瞳は、その先を見据えているようである。

「後は……もう『二人』ですかー」

 ニビはふぅとため息を吐き、己の仕事は終わったとでも言いたそうに大きく伸びをした。

 ……平坦なテンションのせいで、聞き逃しそうになった単語は、ソラは脳内でもう一度咀嚼する。

 『二人』と、ニビは言った。それはおかしい。だって現にここにはまだ四人――。

 ――嫌な予感がした。振り向いてはいけない気がした。しかし、首は意に反し後方へと向く。視線は中空を待っている、二つの球を捉えた。

 とても毛むくじゃらな球だった。赤い液体をまき散らしながら、その球はまさに今放り出された瞬間であったらしい。

 一つの球と、目が合った。右目と左目が、それぞれあらぬ方向を向いている。

 ダンジョンの入口で不器用ながらも優しい言葉を呟いてくれた唇も、みんなに弄られて羞恥で赤く染めていた頬も、手作りであろう可愛らしいアクセサリを付けたピンクの豊かな髪も、血に塗れて台無しだった。

 もう一つの球とも目が合った。恐怖と驚愕に彩られた瞳だった。

 気弱ながらも、勇ましくかったその精悍な面構えも、事あるごとに涙していたその双眼も、恐怖を散らすように幾度なく咆えていたその大口も、二度と動くことはない。

 その二つは球でなく、首だった。人の生首だ。

 宙に飛ぶ首の下では、肉体が気前よく血の噴き上げ、あたりを彩っていた。ソラとミントにも飛沫が掛かる。生暖かく、先ほどまで生が宿っていたことがよく分かる。

 ズシャリ、と、肉塊が膝から崩れる音の後に、ゴトリ、と、頭蓋の割れる音と共に首が地面に落下した。

 血塗られた遺跡の石床を、まるでレッドカーペットでも歩くかのように、ソラとミントの二人の方に、とある女が歩を進める。

「……ア、カネ」

 ソラの口から漏れ出たのは、憧れの人の名。

 冒険を共にし、友情を築き、想いを伝えようと決めていた、この世で最も大切な人の名だった。

「……ソラではないか、久しいな!」

 槍を振るい、血垢を落としながら。

 アカネ=マーガロッドは悠然とそこに居た。

 最悪の、再会が果たされてしまった。

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