奪還の冒険者……尋ね人は遅れて現れる
順調にダンジョン攻略は進んでいた。確かに魔物や罠がかなり仕掛けられていて、気を抜いていれば死んでしまうようなものだってあっただろうが、今回のソラ達は覚悟が違う。それに初めてとは思えない連携に、ダンジョンの仕掛けはことごとく突破されていった。例え四人を欺いたとしても一人が気づけば全員で対策を取られてしまうのだから、なるほど急きょ作られたにしてもこの『四剣』とソラの組み合わせはかなり相性が良かったと言えるだろう。
ある程度の宝も手に入れた。財宝に皆が目を向けているときに上からスライムが強襲したが、周りに気を配っていたヴェスタが見事な五連突きをスライムに披露し、スライムが落下したときには己の体液をぶちまけて破裂した水風船のようになっていた。
ヴェスタが設定した探索時間を守るならば、そろそろ引き返した方が良い時間である。何度も右左と曲がり続け数度の階段の上り下りがあったが、ミントが丁寧にマッピングしていたので帰りに迷うことはないだろう。
つまり、今いるあたりが現在の装備と準備で潜れる最深部と言う事であり、侵入可能だった範囲の中で出口から最も遠い位置にいるわけだ。
比較的まっすぐの道を歩んでいる、どうも冒険者たちが気づかない程度にかがり火の数も徐々に減っているようで、全体的に暗く、前も後ろも果てが見えなくなり、距離感の狂いや不安感を増長させているようだ。
「……おい、そろそろ財宝があるような場所も、アサギさんやアカネがいるような場所を探すのも時間が足りないんじゃないか?」とグンジョー。
「そうね、これ以上進んで、何か見つけたとしても深入りは出来ないでしょうね」とヴェスタ。
「じゃあ、ここくらいが引き時ってことか……くっ」と、カーキ
アサギはアカネはおろか、他パーティとも接触することはなかった。ソラや、グンジョーやカーキにとっては不本意な結果かもしれないが、しかしパーティの和を乱すことはできない。本来ダンジョン内で行方不明になった人物が生還すること自体が奇跡的なことなのである。
「……しかたねーぜカーキ、最初に決めたことだ、曲げるわけには行かねーだろ……それにチャンスはまだある。アサギさんはどんな手を使ってでも生き残るような人だろ」
グンジョー自身も相当悔しいだろうが、それでも彼はこのパーティの司令塔である。
「……アカネ」
ソラはついに見つけられなかった自分の想い人の名を呟く。グンジョー達の兄貴分であるアサギは行方不明になった時よりも、アカネをこのダンジョンに置き去りにしたのはもっと前の事である。つまりアカネが生存している確率は冷静に考えてかなり低いのだ。
アクバールの言に乗せられて来たは良いが、やはり自分の考えは甘かったのかとソラは若干へこんでいた。
「……ソラも元気だしなよ」ヴェスタが滅入っているソラに気遣いの声をかける。
「ヴェスタ……」
「ここに入る前に言ったじゃんか、希望を捨てるなって。私たちを差し置いて、散々の名声を得ていたあんた達『龍狩』のリーダーのアカネさんだよ? 龍だって倒したんでしょ? なら、まだ分からないよ。それに、私たちがまたここに潜るときはソラだって連れてくるからさ。そうだよね、グンジョー」
そう問われてグンジョーを短い青髪をガリガリと掻きそっぽを向きながらも答える。
「あーそりゃそうだろ。ソラは戦力的には申し分ないし、このダンジョンにかける理由も情熱もあるしな。嫌だっつっても来てもらうぜ。それに、今回はウジウジ克服って点で見てもよかったんじゃねーの?」
「ハハハっ。そりゃまた手厳しいね」
ソラは恥ずかしげに笑った。
何もこれが最後のチャンスと言うわけではない。自分さえ諦めなければいくらだって可能性は残っているのだ。例えその先に受け入れがたい現実が待っていようと、それは受け止められると、ソラもアサギも考えていた。
『四剣』とソラは、『不明の遺跡』への再戦を心に誓っていた――ただ一人を除いて。
――ミント=ペッパーを除いて、皆、今ではなく先の事を考えてしまっていた。
「…………静かに、まだ終わってない」
ミントが言葉短に呟いたそれは、けっして荒々しくなかったのにも関わらず顔面に冷水を浴びせられたように錯覚するほどの警戒心を秘めていた。
「……まだダンジョンの中……それに、ダンジョンマスターが仕掛けるなら……今、この、タイミング……の、はず……」
「お、おい。ミント。そりゃ一体どういう――」
「嫌な、予感……がする」
グンジョーが説明を求めるより早くミントが口を開く。自己主張の少ないミントが他人の言葉を遮るなんてよっぽどである。
「予感……違う? 予感、じゃない…………音? そう、音が……変。変な音が、聞こえる」
「音? 私は何も聞こえないけど」
ヴェスタが耳を澄ませるが、変わった音は聞こえない。
「みんな……すぐ出た方が、良い……早く! この音、は、本当におかしい!」
ミントの必死さに、未だ他の『四剣』は事態を完全に把握はしていないものの、確かな非常事態だと理解し、目配せで確認をとって五人で一気に今まで来た道を駆け戻った。
「ミント! 具体的にはどんな変な音がするんだ!?」グンジョーが急かすようにに問う
「分からない……遠くの方で、うるさい……のが重なってる……」
「重なってる?」
「近づいてる……かなり早い……広域探知魔法、にも引っかかったけど、まだちょっと遠い…………いや、分かった……これ、飛んでる」
「飛んでる!? 何がだ!?」
グンジョーはいまだ何が何だか分かっていないようだが。ソラはすぐに思い当った。
「レッドバグだ! 飛んでくるのはレッドバグだ!」
「何!?」
レッドバグとは肥大化したテントウムシのような形をした甲虫型の魔物である。飛行は直進的ではあるが、その分飛行速度は相当のものである。その速度を可能にしているのがレッドバグの固有魔法に依るものであり、レッドバグは翅鞘を広げた状態で、後翅の部分で炎を生成し小爆発させ続けることで、通常の飛行よりも高い推進力を得ている。
「今までこのダンジョンを調べてたが、ここに出てくる魔物で飛行能力があるのはレッドバグしかいないはずだ!」
ソラの情報を聞いて、ミントが軽く親指の爪を噛んだ。
「レッドバグ……だと、すると……これは羽音、と風切り音、と燃焼音……っ!? ……まずい……」
「な、何か分かったのかミント」
ソラの問いに皆がミントに注目する。
ミントの顔は、眉間に皴を寄せて少し困ったと言った感じであったが、普段の無表情とのギャップで、それはとても深刻に思えた。
「……広域探知、と音で……大体の数、と位置が分かった……この魔物がレッドバグだと仮定すると……」
走りながらで普段話すのが得意でないミントはいつも以上に辛そうだが、それでも必死に状況を説明する。自らを落ちつかせるためか、一呼吸置いてから、口を開いた。
「……二……から三千匹、くらい……それも途中で二手に分かれた……多分、前と後ろの両方から来る」
「三千っ……!?」
パーティの全員が言葉を失う。しかし、ソラだけはかろうじて動揺の振り幅が小さかった。どちらかと言うと、やはり来たか、と言った謎の得心すらあったほどだ。
「ミント、このまま走ってレッドバグにぶつかるのは何秒後だ?」
「三十秒、以内」
「ここで止まって迎え撃つ? それとも策が?」
「……あとちょっと、で曲がるところ、がある……そこで迎え撃つ、挟み撃ちより、マシ」
「じゃあ、それで!」
その言葉の通り、その問答の終わりに左に曲がる通路が見えた。滑り込むようにその道に入る。そして、少しでもレッドバグから距離を取るためになるべく奥へと進む。
「この通路の奥に魔物はいないのか!?」
「……多分、大丈夫」
「クッソ! まあ三千匹よりマシだろ!」
グンジョーは荒々しくそう言い放つと、踏み出していた足を止めた。ロングソードを抜くと同時に振り替える。ソラも同じようにロングソードを抜き放った。
「おいおいおいおい、挟み撃ちは回避したにせよ三千匹相手とかマジかよ……出来るかソラ?」
「愚問だよグンジョー。やるしかない、それだけさ」
グンジョーとソラがニヤリと笑いあう。冷や汗が出て頬が引きつっているが、ここで強がりの笑みを浮かべれるだけ大したものだろう。
「俺とソラがレッドバグを迎え撃つ! カーキとヴェスタは後方から来る魔物に備えてくれ、ミントは俺たちの支援を頼む!」
おお! と皆が迅速に配置につく。既に気色の悪い羽音と、何かが断続的に爆ぜる音がソラたちの耳にも聞こえるほどに近づいてきている。
「……直前まで近づけて……大きい魔法、を一発放つ……その後はお願い」
ミントが緑色の宝石が嵌ったククリを抜き、グンジョーとソラの前に立ち魔力を高める。
ソラとグンジョーも緊張の面持ちで来るべき時を待つ。
だんだんと音が大きくなっていく、それはもはや羽音や燃焼音と言うよりも、この世の全てを呪ったようなおぞましい獣の咆哮に思えた。
「……来る」
ミントの言葉の端を言い切った瞬間、通路の左右が急に明るくなった。
――かと思うと炎を纏った甲虫が、まるで溢れ出る溶岩の如く猛スピードでこちらに迫り来る。一匹一匹と認識するのがもはや困難であり、全体で一体と成す、意志を持った炎の巨塊であった。
肌を焦がすような熱風がソラ達を襲う。ただのレッドバグが数体ならばここまでのプレッシャーは感じないだろう。今までだって作業のように切って捨てて来た。
しかしそれが三千体――言葉で言われてもイメージできないものでも、目の前に来れば否応なくわかる。その圧倒的な数は、ザコを全く別物の、強大な何かへと変貌させている。
ソラは以前見たウィークの大軍を思い出した。これが、ここのダンジョンの特徴だとしても、ここまで絶望的状況を演出してくるとは予想だにしていない。
一滴の絶望がソラ達の脳内に広がっていく。
それを掻き消したのは、一人の少女が静かに紡いでいく数節の魔法詠唱だった。
「《重ねて吹けよ今は留まれ、チャージ》《重ねて吹けよ今は留まれ、チャージ》《解放――集うた全てよ此処に有れ、我が刃の先へ駆ける幾千の奔流、トルネイドドライブ》」
ミントがレッドバグに向けたたククリの周りに風が渦巻き、次の瞬間、刃の切っ先より解き放たれた鋭く強烈な風が、暴れた蛇の如くレッドバグの群れへと向かっていく。
レッドバグの群れの僅かな隙間。そこに食い込んでいくよう進む乱れた風はレッドバグの飛行を阻害した。
制御を失ったレッドバグは最大速度のまま四方の壁や床に激突し、今まで整列していた大部分はお互いにぶつかり後続のレッドバグたちと衝突する。
どれだけ集まれど雑魚は雑魚。巨大な何かと感じていたものは、しょせん群れに過ぎないと再確認できた。
レッドバグの群れ、その統率は乱された。最初に気圧された分は払拭され、アドバンテージはソラたちへ移る。
「……密度が高い、から出来た……もう効かない……っ私の魔力、も、キツい……あとは――」
「ああ、任されたよ!」
ミントが一歩引き、二人の陰に隠れる。ソラが自らの剣を握りしめ構えなおす。
「サンキューミント! 来いや虫共ォ!」
グンジョーが咆えたのに呼応するように、体制を立て直したレッドバグから次々にグンジョー達の方へ向かって攻撃を開始する。
レッドバグの超加速から放たれる突進攻撃、それにレッドバグが纏う魔法炎のダメージはまともに喰らえば相当のものだろう。
しかし――レッドバグの群れを、個の集まりと捉えた冒険者たちにとって、レッドバグ自体は脅威ではない。
「ハアァアアアア!」
気合一刀。掛け声と共に振るわれたグンジョーの剣は空中のレッドバグを的確に捉え、レッドバグは自慢の甲殻ごと真っ二つに切断された。
「次ィ!」
掛け声が終わる間もなく、二匹目、三匹目のレッドバグがソラとグンジョーを襲う。後ろに控えるミント、ヴェスタ、カーキごと薙ぎ払ってしまおうとするように、先頭のレッドバグが斬られようが怯えることもなく虫の大軍は突撃を続ける。
レッドバグ単体の攻撃が通ることは無くなった。今のレッドバグの攻撃理由は、ソラたちを数によって疲弊させることのみ。体力を削り続け、力の拮抗が崩れた瞬間、数の力をもって残りの冒険者を蹂躙するための捨身の戦略。
ここまで来れば、後は気合の勝負であった。
レッドバグが全滅するのが先か、ソラとグンジョーの体力が尽きるのが先か。
「クソがッ! やってやんよォ!」
グンジョーは剣を振るい続ける、野良剣術らしい大振りだが、その分力が強いのか一振りで確実にレッドバグの甲殻を破壊する。剣を構えなおす暇もなく、袈裟切りと切り上げを繰り返して眼前に迫るレッドバグを斬り続けている。
「……シッ!」
一方のソラは、軍隊式の規律だった剣裁きであり、剣先の動きの流れに一切の無駄なく、一定のリズムでレッドバグを切り結んでいく。例え完全に殺せなくとも、飛ぶのに重要な器官を破壊して着実にレッドバグの数を減らしていった。
一度の切り損じも許されない、一度の呼吸の乱れさえ死につながる。
ソラとグンジョーは迫りくる熱と光に目が潰されそうになりながらも、集中力を最大まで研ぎ澄まし、終わりの見えないレッドバグの群れを斬り殺していった。
魔力により剣の強度や切れ味を上昇させ、肉体強化を行っているとはいえ、一秒の休憩も挟めないこの切り続けるという行為は、二人から確実に気力と体力を削っていった。
ミントはもしもの時のために防御結界を張る準備をしていたが、大技を撃って魔力が回復しきっていないミントの結界は相当数のレッドバグでさえ破られてしまうだろう。
ヴェスタの剣速はかなりのものだが、得物がスピアーである彼女の攻撃には突くと抜くの二作業が要されるのでレッドバグの群れには有効ではないし、カーキは的がデカい上、レッドバグサイズの敵には攻撃を当てるのが不得意だ。
故に、本当にソラとグンジョーの二人が最後の砦なのだ。
斬っても斬っても終わりの見えないレッドバグの群れに、二人の疲弊は限界に達していた。
熱は体力を奪い、光は脳を混乱させる。筋肉がキシキシと変な音を立て始めたような気がするし、いつの間にか剣が鉛の塊のような重さに感じる。
既に何匹切り捨てただろうか。十匹――百匹――千、に届くか届かないか? もう永遠の時が過ぎているように錯覚する。
――何秒経った? 十秒? 百秒? 終わりが見えない……どこまでいるんだコイツらは……
もはや自分のリズムが正しいのか狂っているのかすら分からなくなってくる。ソラの目も明るい光源ばかり見過ぎて大分いかれて来たようで、眼前まで迫ったレッドバグを辛うじて切り落としていた。
グンジョーの方は体力も魔力も消耗が激しく、もはや気力と生への渇望のみで剣を振るっていた。
――いけるっ、あと数百体もいないはずだ……数十! あと数十さえ切れば……
僅かな弛緩――ゴールの目測を立ててしまったが故の弛緩。それが今まで張りつめていた気力の糸を切断してしまった。
グンジョーの膝がガクリと折れる。
「あ」
体制を立て直せるほどの力はもはや残っていなかった。回復の暇もない。
先ほどまで感覚を最大まで研ぎ澄ませていたせいか、目の前に迫るレッドバグの姿がしっかりと視認出来た。そして、その先に連なるレッドバグと、群れの終わりも確認できた。
――間違ってなかった……俺はここまで斬り続けた……ここまでくれば全滅はない、俺の身体がある程度抉れるくらいだろう。
レッドバグの残りは、本当に数十体だった。
あと十数秒間、二人がもてばレッドバグは全滅しただろう。しかし、現段階でも、あとはヴェスタとカーキを含めて処理できる程度だ。
しかし最前線で体制を崩したグンジョーは無事ではすむまい、攻撃を直接受けることになるのだから。
――クソッ……あと少しだった! 油断した! ……せめて冒険者を続けられるくらいの怪我で済ましてくれよ……。
魔力もほぼ尽きた状態でおそらくそれは望めないだろうとは思ったが、願わずには居られなかった。
周りの音がゆっくりに聞こえる。
ソラが声を荒げている。
目の前までレッドバグが迫っている。
後ろでカーキたちがざわめいている……ざわめき?
自分が体勢を崩したことに対する驚きではないように声のニュアンスで分かった。では、何があったのか。
――俺の背の後ろで、何かあったのか?
そんな疑問と同時に、グンジョーの視界の端から右手が現れた。レッドバグに手のひらを向け、まるでグンジョーを守るように腕がのばされている。
とても懐かしい感じがした。
「《有象無象を灰に帰せ、インシニレイト》」
グンジョーの眼前が真っ白になった。否、その右手から放たれた超高温の炎が視界を覆っているのだ。
炎を纏うレッドバグが耐えられないほどの炎――レッドバグとは比にならないほどの光と熱と音が数秒間レッドバグを包み、炎が収まった時全ては終わっていた。
もはや原型を留めていない虫の死骸が眼前に転がっている。今ので全て焼却されたのだろう。
グンジョーは未だ混乱状態だ。一体何がどうなったのか?
後ろでカーキのすすり泣きが聞こえる。
「うっ……ぐす……」
「泣くなよカーキ! いつまで泣き虫カーキなんだよ! シャキッとしろ!」
グンジョーはその声を聞いて固まる……この声――あの自信に満ちた声は。
「あ、貴方は……」
ソラが息も絶え絶えに問いかける。こちらも体力の限界を迎えたのか、へたり込んだままの状態で突如現れた『彼』を見上げる。
「『龍狩』のソラだな――コイツらが世話んなったみてえだな」
「い、いえ」
グンジョーが恐る恐る振り返る。
心のどこかで諦めかけていた面影が、目の前にあった。
「ア……アサギ、さん……」
「すげぇじゃねえか……よくやったなグンジョー、そう俺こそが天下の『火走』リーダーのアサギだ!」




