第二十八話 決断
「クロード様ァ! 部隊に戻ってもすれ違いばっかりだし、和平会議にいきなり行けとか言われるし、僕とっても心細かった!」
イヴはくっきりとした目元をうるうると滲ませながら、一目も憚らずクロードに抱き着いた。
敵国のナーバート人が何人もいる中で、イヴとクロードは二人だけの世界を作っている。
あのー、私もいるんですが。
いつまで経っても抱き合っている二人を見かねたのか、アルスラン様が咳ばらいをした。
我に返った二人は、しかし抱き合ったまま彼を見る。
「あの熊みたいなナーバート人は誰ですか」
イヴの口から、失礼かつストレートすぎる質問が飛び出た。
不敬で斬り殺されても文句は言えないと思う。
「私はナーバートの第二王子、アルスラン・クーウンよ」
するとイヴは流れるような動きでクロードから離れると、床に跪き首を垂れた。
指先まできっちりと揃えた右手を胸に当てると、先程とは打って変わって、礼儀正しく自身の名を述べる。
「先ほどの無礼をお許しください。わたくしはイヴ・シャルルと申します」
「知ってるわ。そちらの国の騎士団の団員かつ、フォントネル氏の恋人……いえ、シャルロット様の前では愛人と呼んだ方がいいかしら」
「恋人でも、愛人でも、どちらでもお好きな方でお呼びください。僕にとっては些細なことです」
イヴは不敵に微笑んだ。
「あらそう。ところで、いま私たちが何の話をしていたかご存知? あのね、いまシャルロット様に離縁をお勧めしていたのよ」
イヴが目尻がピクリと動いた。
それを見たアクセル様はゆるゆると首を振る。余計に話がややこしくなると思っているのだろう。
でも私もそう思う。
「そもそもシャルル氏は、シャルロット様が作家であることはご存じかしら? ご存じなら話が早いのだけれど」
はー。またイチから説明しなければいけないのか。
シクシクと痛む胃を押さえつつイヴを見ると、彼は驚くべきことを口にした。
「ええ、存じております。ミセス・ロロットというペンネームですよね?」
うっそ! 気づいてたの⁉
動揺する私をよそに、イヴは涼しい顔で続ける。
「知人から借りた本に、まるで自分とクロード様を描いたかのような小説がありましたので、その時からそうじゃないかと思っていました。まあ、作中で自分のことを美人で性格の良い悲劇の夫人として描くのはどうかと思いますけどぉ……」
それくらい許してよ!
私はチッと舌打ちしたい気持ちを押さえつつ、イヴとアルスラン様の会話を見守る。
「それなら話が早いわね! あのね、私はあの小説とそのモデルになったフォントネル氏がとっても気に入ったのよ。だからフォントネル夫妻には離縁してもらって、私がフォントネル氏をナーバートに婿入りさせようかと思って。あ、結婚相手は私よ。ホラ、今から和平会議でしょ? 両国の和平の証として、貴族や王族同士で婚姻を結ぶっていい案じゃない?」
アルスラン様は腕を組み、ニンマリと微笑んだ。
余裕のあるその態度からは、彼は自分に勝算があると思っているように見える。
でも、あなたの提案ってとっても非常識ですけど⁉
「小説のモデルが気に入ったのなら、クロード様じゃなくて、僕でもいいってことですか?」
イヴの質問に、アルスラン様が肩眉をあげた。
「敵国だったナーバートに輿入れするということは、その人物にとって厳しい人生の幕開けと言えるでしょう。友好の証といっても、次にいつ里帰りできるかも、生涯のうちに故郷の地を踏むことが可能かどうかも分かりません。愛するクロード様にそんな想いはさせたくない。僕でも構わないのなら、僕がナーバートに——」
イヴが言い切らないうちに、アルスラン様が手を横に振りながら話を遮る。
「ちょっと待って。アナタ、貴族じゃないわよね?」
そう言ったアルスラン様の顔には、うっすらと侮蔑の色が浮かんでいるように見えた。
「平民であるアナタの命に、どれだけの価値があると思って?」
「それは……。でも、僕はあの小説のモデルだし」
「そりゃあ、私にとってはアナタは価値のある人間よ。美しいし、面白いし、傍に置いたら楽しいでしょうね。でも、ナーバートにとって価値があるのは、人質として価値のある、位の高い貴族よ。そうね、男爵や伯爵レベルの家じゃだめ。少なくとも侯爵以上で、なおかつ騎士団の副団長とかだと……望ましいわね」
アルスラン様は、はっきりと“人質”と言った。
やはり、両国で婚姻を結ぶというのは、互いに人質を交換するという意味合いもあるのだ。
できれば王族か公爵家レベルの家の方が望ましいのだろうが、クロードは騎士団の重要人物なので王族からも重用されている。
だからこそ、価値があると判断されたのだろう。
「イヴ・シャルル。あなたが望むのなら、フォントネル氏と一緒にナーバートに移住してくれてもいいのよ。離宮を与えるから、ふたり一緒に暮らしてもいいわ。第二王子の配偶者クロード氏の愛人として生きていけばいいのよ。愛人なら今と変わらないでしょう?」
その言い方には、非常に棘があった。
明らかに、平民であるイヴを見下した言い方。
イヴが黙ったまま、ぐっと拳を握ったのが見えた。
私はこのままクロードと離縁して、そしてクロードはナーバートに婿入りするしかないのだろうか。
最初は選択肢が提示されたように思えたこの交渉も、本当のところは選択肢など無いのかもしれない。
ここでアルスラン様の提案を突っぱねたところで、国の上層部からは同じように言われる可能性もある。
クロードが婿入りしなくても、多分誰かがナーバートに行かねばならないのだ——人質として。
そこで、はたと思いついた。
私は今も、実家と世間体を盾にクロードと愛のない結婚生活を継続している。
……じゃあナーバートに行って生活しても、大差ないかも?
そりゃあ文学サロンの仲間に会えないとか、色々不便もあるだろう。
差別もあるかもしれない。
でも、今みたいに自分の価値がよく分からないまま生きていくのと、何の違いがあるのだろうか。
気が付くと、私はアルスラン様に言っていた。
「クロード様とは離縁します。でも、人質としてナーバートに向かうのは、私です」




