第11話「白石透子、玄関先の距離」
その日、陽斗は布団の中で天井を見つめていた。
熱は下がりつつあるが、まだ体が重い。
学校を休むのは小学校以来久しぶりで、
教室のざわめきが遠い世界のことのように感じられた。
(……白石さん、どうしてるかな)
そんなことを考えてしまう自分に、
陽斗は布団の中で小さくため息をついた。
そのとき──
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
母の声が聞こえる。
「はーい……あら、お友達?白石さんっておっしゃるの?」
陽斗は身体も心も跳ね起きた。
(えっ……!?)
布団から飛び出し、
慌てて髪を手で整え、
喉の奥で咳を殺しながら、
部屋の扉を少しだけ開けた。
廊下の向こうに、
透子が立っていた。
制服のまま、
プリントの束を胸に抱え、
いつもの落ち着いた表情で。
けれど、家の中の柔らかい光のせいか、
その横顔は学校よりもずっと静かで、
どこか優しく見えた。
「相沢くん。プリントを届けに来たわ」
透子は靴を脱ぎ、
母に軽く会釈してから陽斗の部屋の前に立った。
陽斗は慌てて扉を開けた。
「し、白石さん……!」
透子は陽斗の顔を見るなり、
ほんの一瞬だけ目を細めた。
「……顔、赤いわね。熱?」
「う、うん……ちょっとだけ」
透子は部屋に入らず、
扉の前で立ち止まったままプリントを差し出した。
「これ、今日の分のプリント。
ノートも貸してあげるから写しておいたらいいわよ」
陽斗は受け取ろうとして、
透子の指先に触れた。
(うわっ……!)
慌てて手を離したが、透子は気にした様子もなく淡々と言った。
「それと──
風邪くらいで気を抜かないことね」
陽斗は固まった。
「えっ……」
透子は続けた。
「体調管理も自己責任よ。
中学生なんだから甘えるんじゃないわ。
あなたが休むと、こうして周りに迷惑をかけるの」
陽斗は胸の奥がぎゅっと縮んだ。
(……そ、そんな言い方しなくても……)
せっかく来てくれたのに、
期待してしまった自分が恥ずかしくなる。
透子はプリントとノートを渡し終えると、
くるりと背を向けた。
「じゃあ、帰るわ」
陽斗は思わず声を上げた。
「ま、待って……!」
透子は振り返らない。
(……行っちゃうのか)
胸の奥が沈んでいく。
そのときだった。
透子がふいに立ち止まり、
ゆっくりと陽斗の方へ向き直った。
そして──
歩み寄ってきた。
距離が、近い。
陽斗の心臓が跳ねる。
透子は陽斗の目の前で立ち止まり、
顔を近づけた。
触れそうな距離。
息がかかるほどの近さ。
陽斗は息を呑んだ。
透子の瞳が、
まっすぐに陽斗を映していた。
「……でも」
声が、いつもより柔らかい。
「あなたが学校に来るのを、私は待ってるわ」
陽斗の心臓が大きく跳ねた。
透子はさらに一歩近づき、
陽斗の額にそっと手を伸ばした。
指先が触れた。
ひんやりしていて、優しい。
「早くよくなりなさい。
……相沢くん」
陽斗は顔が熱くなるのを止められなかった。
透子はその反応を見て、
ほんの一瞬だけ微笑んだ。
その微笑みは、
学校で見せるどの表情よりも柔らかかった。
「じゃあ、また」
透子は静かに玄関へ向かい、
靴を履き、
軽く会釈して帰っていった。
扉が閉まる音が、
やけに静かに響いた。
陽斗はしばらく動けなかった。
胸の奥が熱くて、
息がうまく吸えない。
(……なんだよ、あれ……)
風邪の熱なのか、
透子の言葉のせいなのか、
自分でも分からなかった。
そんな陽斗に母親の顔だけがほころんでいた。




