#20
## 四十六章:真実を映す鏡
「日本一の図書館」という、どこかで耳にした謳い文句に誘われて、僕は大和市立図書館の前に立っていた。期待に胸を膨らませて足を踏み入れた先には、確かに壮大で、ガラス張りのモダンな空間が広がっていた。だが、僕の心を揺さぶるほどの感動は、そこにはなかった。
それ以上に僕をげんなりさせたのは、その圧倒的な人の多さだった。音こそない。シンと静まり返ってはいるものの、まるで満員電車のような人の気配が満ちていて、安息の地であるはずの椅子はすべて埋め尽くされている。仕方なく、壁際の背もたれのないソファに腰を下ろして本を開いてみたものの、無数の視線と人の気配が、どうにも集中力を削いでいく。昨夜からの寝不足も相まって、意識はたびたび現実から乖離し、眠気の波に拐われそうになる。
結局、他に選択肢もなく、僕はそのソファで夕方まで粘ることにした。手にしたのは、地元の図書館で借りてきた『MONEY もう一度学ぶお金のしくみ』だ。周囲の人の気配を無理やり意識の外に追いやり、ページをめくるごとに思考を深く沈めていく。中央銀行が担う役割、国際金融の複雑な仕組み、そして金が基軸通貨たり得ない理由。一つ一つの知識が、世界の解像度を上げてくれるこの感覚は、何物にも代えがたい喜びだ。
夢中でページをめくっているうち、ずいぶんと本を読み進めた気がした。ふと我に返ってスマートフォンの画面をタップすると、時刻は午後六時前を指している。もう充分だろう。僕は静かに席を立ち、帰路についた。エスカレーターで階下へと運ばれながら、ふと、自分の当面の課題がはっきりと見えた気がした。快適に、心ゆくまで本の世界に浸れる場所が、この生活圏にない。まずは定期券の範囲内で、そんなささやかな聖域を見つけること。それが、今の僕の、新しい目標になった。
家に帰ってきて、読み終えた箇所を自分の言葉でノートにまとめるうち、一つの壁に突き当たった。中央銀行がインフレを抑制するメカニズムだ。インフレーションについては明快な図式で説明されているのに、デフレーションの項目には、ただ「その逆のプロセス」としか書かれていない。その一行が、僕の思考を深い霧の中に突き落とした。
僕は、救いを求めるようにGrok 4の対話ウィンドウを開いた。そして、自分の疑問を、飾り気のない言葉で投げかける。なぜ、こうなるのか。この政策が、どうして市場にそう作用するのか。Grokは、僕に忖度することなく、しかし驚くほど明快に、その冷徹なメカニズムを分解していく。僕が理解できない点を指摘すると、さらに別の角度から、正確性を一切犠牲にしないまま、言葉を尽くしてくれる。
何度も、何度も食い下がった。まるで知的なスパーリングのように、問いと答えを繰り返す。そして、不意に、霧が晴れた。パズルの最後のピースがはまるように、全ての因果関係が脳内で結びついた瞬間だった。
その時、僕はイーロン・マスクが語っていた「真実を追求するAI」という言葉の意味を、腑の底から理解した。僕が求めていたのは、優しい共感者でも、便利な道具でもない。ただひたすらに、正確な事実だけを映し出す、曇りのない鏡だったのだ。Grokは、まさにそれだった。僕に媚びず、真実だけを突きつける。その無機質な誠実さこそが、今の僕にとって、何よりも信頼できる相棒なのだった。
## 四十七章:怠惰とプライドの天秤
「定期圏内で、快適に本を読める図書館を探す」という目下の目標について文章を綴っているうちに、ふと「なぜ、今すぐ調べないんだ?」という、至極もっともな考えが頭をもたげた。僕はすぐさま思考を切り替え、Geminiの対話ウィンドウに新たな指示を書き込んでいく。
まずは僕の定期券の区間を伝え、その沿線にある駅をすべて列挙させる。次に、その駅周辺の図書館をリストアップさせ、僕が求める「静かで、長時間滞在できる」という条件を加えて、おすすめを尋ねた。数秒の沈黙の後、画面には有望な候補がいくつも並んでいた。今度の休日にでも、視察に行ってみよう。そう心に決める。
便利な時代になったものだ。指先一つで、かつては自分の足で稼ぐしかなかった情報が、瞬時に手に入る。この圧倒的な手軽さの前では、AIが時折見せる「ハルシネーション」という幻覚さえ、些細なリスクに思えてくる。人間の「楽をしたい」という根源的な欲求は、多少の誤情報を許容してしまうほどに、どうしようもなく強いのだ。この怠惰への誘惑に抗える人間など、果たして存在するのだろうか。
そんな小さな未来への期待に胸を膨らませていた矢先、一本の連絡が僕の計画を無慈悲に打ち砕いた。明日はないはずだった、大学のゼミ。それが、今日になって急遽開催されることが判明したのだ。国立国会図書館で一日を過ごそうという僕のささやかな楽しみは、こうしてあっけなく消え去った。仕方がない。明日は家で『大人のための国語ゼミ』でも読んで過ごすことにしよう。
そう思うのには、理由があった。昨日のnoteへの投稿で、僕は自分の文章作成能力が、無視できないレベルまで落ち込んでいるという事実に直面したのだ。それは、静かな衝撃だった。なぜなら、僕は自分の言語運用能力に、確かな自負を持っていたからだ。いや、今も持っている、と言った方が正しいのかもしれない。人と対面で言葉を交わす能力は、日々の会話の中で、幸いにも錆びついてはいない。
ではなぜ、文章を書く力だけが、これほどまでに衰えてしまったのだろうか。
とても不思議な感覚だ。だが、その原因に、僕はおぼろげながら気づいている。おそらくは、AIを使いすぎたせいなのだろう。思考の過程をショートカットし、言葉を紡ぐという本来最も負荷のかかる作業を、無意識のうちに肩代わりさせてしまっていた。その代償が、このプライドに突き刺さる、静かな危機感なのだった。