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## 第四十八章:見えない鎖と、二つの通貨
経済学の教科書をめくると、そこにはまるで遠い国の物語のような、それでいて僕らの日常に深く根差した法則が記されている。今回は、僕の思考を捉えて離さなかった二つの通貨、「円」と「ユーロ」の話をしよう。
まず、僕らの足元、この日本の話だ。なぜ、これほどまでに「インフレ」という亡霊に取り憑かれているのか。政府や日本銀行が躍起になってインフレを目指していたことすら、僕は最近まで知らなかった。単純にお金を刷りまくれば、物の価値が上がってインフレになる。そんな単純な話ではないらしい。世界中の経済学者が頭を悩ませるこの問いは、まるで複雑なパズルのようだ。
さらに厄介なのは、僕らの心に染みついた「デフレのマインド」だ。「失われた数十年」という言葉が、呪いのように僕らの意識に刷り込まれている。物価は上がらない、給料も上がらない。それが当たり前の日常。この「自己実現的デフレ」の空気が、経済をより一層停滞させる。まるで、自分から沼に沈んでいくような、そんな奇妙な感覚だ。
一方、海の向こうの「ユーロ」は、また別の問題を抱えていた。単一通貨という理想は、現実には「実質的な固定為替レート」という名の鎖となって、各国の首を絞めている。経済状況が違う国々が、同じ金融政策という窮屈な服を着せられているのだ。
例えば、経済が傾いた国が、自国通貨の価値を切り下げることで輸出を増やし、景気回復を図る。そんな当たり前の「薬」が、ユーロ圏では使えない。さらに深刻なのは「モラルハザード」という病だ。ギリシャのような国が財政赤字を垂れ流しても、それを見捨てれば連鎖的に世界恐慌を引き起こしかねない。だから、ドイツのような優等生が、その尻拭いをせざるを得ない。この構造的な欠陥は、まるで解決不可能な迷宮のように思えた。
教科書は「最適通貨圏」というヒントを示す。労働力の自由な移動、強力な中央政府と中央銀行、そして地域間の経済的な結びつき。だが、その具体的な意味合いは、まだ僕には霞んで見えた。
債券の世界もまた、不可思議な法則に満ちている。需要が高ければ低い金利で、低ければ高い金利で。その価格が下がれば、利回りは上がる。まるでシーソーのような関係性だ。そして、僕が最も興味を惹かれたのは「マイナス金利」という禁じ手だった。
なぜ、これが安易に使えないのか。その答えは、銀行が置かれるジレンマの中にあった。
この政策は、市中銀行が中央銀行に預けるお金に、いわば「罰金」を科すようなものだ。銀行は、この新たなコストを埋めるため、顧客への手数料を引き上げるかもしれない。しかし、政策の本来の目的は、銀行がお金を貸し出すハードルを下げ、経済を活性化させることにある。
だが、デフレに慣れきった社会では、そもそも「借金をしてまで何かをしたい」と考える人が少ない。たとえ銀行が貸出金利を下げたとしても、借り手がいなければお金は動かない。結果、銀行はただ罰金を払わされ、経済は少しも温まらない。あまりに現実離れした、机上の空論に思えた。
最後に、なぜ「インフレ率2%」という中途半端な数字を目指すのか。その答えは、あまりにも人間的で、少し切実だった。インフレ率ゼロという完全な物価安定は、一見すると理想郷のように思える。だが、ひとたびデフレという崖から足を踏み外せば、「ゼロ金利」という壁にぶつかり、身動きが取れなくなってしまう。
だからこその「2%」。それは、万が一の事態に備えた、ささやかな「バッファ」なのだ。崖っぷちに立つ僕らが、少しでも安全な場所にいるための、知恵と、そして祈りのようなものなのかもしれない。




