第十章 そして魔王は禁忌を犯す
何の気まぐれか厚い雲の隙間から、一筋の陽光が差し込んだ。
黒い半円球の物体…クール家の特殊魔術『領域』(ゾーン)が今まさに砕け落ちようとしていた。
差し込んだ陽光はまるで神が殉教者を福音しているかのような光景だった。
硝子の砕ける甲高い音が辺りに響く。
魔力の残滓が辺りに飛散する。中からはどす黒い…漆黒に限りなく近い濃密な紫の蒸気が出ている。
「ハァ、ハァ。」
スイレスは肩で息をしながら中の様子を伺う。自分の妻になるべき女の最後の抵抗を魔力で叩き壊し、捻じ伏せた満足感に満たされていた。
自分の魔力も枯渇しかけているが気にしない。残るは脆弱な人間族一人。
それに千人の人形契約者共から今も魔力の供給がひっきりなしに行われている。魔力を枯渇させ、意識を失った人形どもが目の端でバタバタと倒れていく。クール家の軍勢が出て来る前にアルマを奪って領地に戻るだけなのでなので、十分だった。
自分の策略通りにアルマが二人だけで姿を現した時には思わず歓喜の雄叫びを上げるところだった。
帰ったらどのようにこの女に教育を行おうか頭の中で想像するだに口元がだらしなく緩む。
魔力量で言えば千人の契約者を持つ自分とほぼ同等とは予想外であったが、逆に言えば意識を持った契約者が手に入る可能性が高いのだ。思わぬ拾いものだ。
笑みも漏れようというもの。
「ハハハハ〜、やったぞ!……ん?」
スイレスの高笑はしかし、すぐに止む。
『領域』があったその中心で血だらけの彩が横たわったアルマの頭を撫でていたのだ。
自分の妻を無遠慮に他の男に触られて、スイレスは殺意を再び滾らせる。
半数が意識を失った自らの人形契約者たちから残りの魔力を強引に吸い上げる。契約者なら、双子の妻たちにこれからも無尽蔵に集めさせる事が出来る。いわば使い捨ての魔力の器に過ぎない。
「おい、人間。俺の女に触るじゃない。」
彩はスイレスの声でゆっくりと立ち上がった。大剣に突かれた胸の傷の他にも全身が血まみれである。さらには目からも血の涙を流し、頬が濡れている。
「絶望の中でくたばれ。死に損ないが!」
スイレスは大股で近づくと大剣を振りかぶる。
次の瞬間、視界が一瞬歪む。
「少し…静かにしろ。」
目の前に彩が現れ、眉間をちょんっと人差し指で押された。
スイレスに認識できたのはそれだけだった。気がつけば身体が大木て殴られたように後ろに吹き飛んでいた。
殴られてもいない。切られてもいない。だが、しかし…なんだこれは?
スイレスは受け身を取りながら大地を転げ回り、思考を巡らせる。
彩は折れた刀を鞘にしまって、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
何だ…あれが人間族か?
立ち上がったスイレスは剣を構え直して目を凝らす。
血を流しながら、それでも物凄い速度で回復している。吸血鬼族の治癒能力の限界を遥かに超えているような光景だ。全ての魔力を注ぎ込めばもしかしたらスイレスにも可能かもしれない。
彩の全身から血煙のようにゆらゆらと紫煙が立ち上る。蜃気楼のように頭上の空気が揺らぐ程の量だ。
「八閃の刃の第一は己…俺はずっと勘違いをしていたよ…お爺様。申し訳ありません。」
彩は何処にともなく頭を下げた。
微妙に言葉遣いが変わっている。
「鋼で絶とうとするな…己を刃と化せ。でも、真髄はあんな説明では子供には分からないんじゃないかなぁ…。」
彩は自嘲気味に言葉を続ける。
そして、ゆっくりと刀を鞘から抜き放つ。そこには折れたはずの刀身が紫煙を立ち昇らせながら復活していた。
軽く刀を一振りすると何かがスイレスの真横を通り過ぎた。
大地が深く音もなく、穿たれていた。否、存在すら許されず消失していた。
「スイレス…礼を言う。
戦いが始まってからずっと俺は知らない感情が胸の中を渦巻いていてな…それが気になって仕方がなかったんだ。
やっと分かったよ…それは怒りだ。
俺は怒っている…アルマを護れない自分自身に。
すぐ治ると分かっていても、彼女は擦り傷だらけになりながら、自分の治癒ではなく、俺の生命を最優先にしてくれた。そんな彼女を護れなかった。」
気づけば彩は間合いの中まで来ていた。スイレスは機を逃さず、踏み込んで袈裟斬りに撃ちかかった。
彩は動かなかった。
やはり、人間族…口だけだ。
吸血鬼族の速さには付いて来れていない。スイレスがニヤリと残虐な笑みを浮かべた瞬間、壁に当たったかのような衝撃を受けて大剣が止まる。
大剣の下に指が一本見えた。
「な…。」
彩が左手の人差し指で大剣の切っ先を押し返していた。
スイレスは見えた物が理解出来ずに息をする事すら忘れる。
「誰が動いて良いと言った?」
「な、なにを…馬鹿な!」
スイレスは後ろに飛び退いて彩をまじまじと見つめる。
何が起こった?!コレが人間族なのか?自分て斬りかかるにはリスクがあり過ぎる。
「何をしている霊獣ども!コイツを食い殺せ!」
後ろに控えているはずの双子の霊獣に命令をする。
きゅー。
聞いたこともない霊獣の悲鳴を聞いて慌て振り返ると二匹の霊獣は大地に平伏していた。
いや、正確には踏み付けられていた。
『おい、霊獣風情が若に爪を立てようなんて考えるなよ。踏み潰すぞ、ごるぅあぁ!』
霊獣の三倍はあろうかと思われる銀狐のお化けが左前足一つで二匹の霊獣達を押さえつけている。
話し声の霊圧だけで鳥肌が立つ。
「九尾様、我らが眷属の長よ…お許し下さい…動きませぬ。」
「ま、まさか…神獣『九狐』だと言うのか?」
「九狐…久しいな。しかし、『若』はないんじゃないかな?…俺も少しは成長したんだがな。」
「お久しぶりでございます、我が主よ。再び顕現の日が来る事を心待ちにしておりました。
古の血の盟約と九狐の名に因りて、我が血肉の全ては貴方様のものです、サイザード様。」
銀色に輝く毛並みを嬉しそうに震わせながら九狐は頭を下げる。
「ありがとう。今までも、虎杖丸に宿り影から護ってくれていたんだろう。礼をいうよ。」
「勿体無きお言葉…して、そこの無礼者は如何なさいますか?
食い殺しましょうか?」
「九狐、吸血鬼族の血の呪い…契約を解く方法は知っているか?」
「呪いは死なねば解けません。だだし、仮死状態でも同じ事ができる筈です。自身が人形になれば他方は軛を解かれましょう。」
「なるほど…ありがとう。」
彩は素直にペコリと頭を下げてスイレスに向き直る。
「という訳だ。お前の事は殺さない…お前の呪いから醒めた契約者がお前をどうするのかは、俺の知ったことではないがな。
自らの行いの報いを自身の身体で確かめてみるが良い。」
「何を言っている…人間族風情がぁぁぁー!」
スイレスは口の端に泡を吹きながら、大剣で突きを放ってくる。
大剣はその武器の性格上、剣を振るう方が効果的である。本来の目的は戦闘目標を叩き壊す為だ。
突きは本来の効果を発揮し難い上に、手元に戻すまでの時間が掛かるので悪手と言える。
伸び切った大剣に彩の刀が一瞬する。
右手の一閃で剣が大地に転がる。
身体を躱してスイレスをやり過ごす。
彩の逆側の左の人差し指が空中に何やら文字を書いているが、スイレスには見えていないだろう。
自身の手首があった場所を凝視するのに忙しかったからだ。
「お、俺様の手が…手がない。」
スイレスが後ろを振り返ると大剣をガッチリ握ったスイレスの手首は主人に置き去りにされて、大地に切っ先を突き刺していた。
「氷を司る鸞が眷属よ…俺に力を貸してくれ。」
彩の呟きと共に、足元の地面に紫の魔法陣が描かれ純白の鳥が姿を現す。
鷹のような鋭い目付きと鉤爪が辺りを睥睨する。尾が長く身体の周りをくるくると揺蕩っている。
羽ばたきと共に冷気が靄となって辺りに広がる。
「主よ…命を。」
冷たく響く低い声が彩に届く。
「永遠の氷檻を奴に…。」
虎杖丸の切っ先をスイレスの背中に向ける。
「承知。」
最低限の会話だけで鸞は羽ばたくとスイレスの背中に迫る。羽音に振り返るスイレスの目が限界まで見開くと、鸞がふわりと羽ばたきをして空中に静止する。冷気は一瞬の内にスイレスを覆い隠し、霜の塊に変えてしまう。
鸞は命令を実行するとシャボン玉が弾けるかのように弾け消えた。
彩はスイレスの手首を打ち捨てて、大剣を拾う。
持ち運ぶには自分には重すぎるな…と思いつつ、片手で弄ぶ。
元の位置から微塵も動いていない半裸の女性…スイレスの二人の妻達の元で片膝を付く。
彼女達は瞬きを繰り返しながら彩を凝視している。意識が戻り始めた証拠である。
「奥方達…後は貴女達に任せます。領地にお帰りになるが良い。ハルファス家の家宝の剣はお返しします。」
それだけ言うと彩はアルマの元へ足を向けた。
「あ、あの…悪夢を終わらせて頂きありがとうございます。あの人は私達が連れて帰ります。」
彩の背中て頭を下げる気配がしたが振り返る気にはならなかった。
彩はアルマの元に駆け足で駆け寄り、抱き上げる。息はちゃんとしている。
魔力を使い果たしただけのようだ。
ホッと一息安堵の吐息を漏らす。
遠くから近衛兵がかなり遅れて出てくるのが見えた。
スイレスの魔術で出入り口を塞がれていたのかもしれない。
「九狐…。」
「お側に。」
「疲れた…後は任せて良いか?あれらが来れば後は安心だ。」
「お任せを…世界を壊してでも御身は護ります。」
「ふっ…世界は俺の…俺達の為に取っておけ。頼むぞ。」
彩はそれだけ言うとアルマを抱きかかえ、安心したように目を閉じた。
「久しぶりのご降臨で魔力を使われたか…無理もない。あの魔法をこじ開けたのだ。
ご自分を責めなけれは良いが…。」
九狐はこちらに武器を構えながら近づいてくる役立たずの近衛兵共を尻目にふわりと空気に溶けて見せた。
一組の男女が寄り添うように大地に座っている。
二人を祝福するかのように陽光が優しげに、誇らしげに煌めいていた。
☆
目を覚ますと見慣れた自室の天蓋に描かれた七体の神獣達が私を見下ろしていた。
薄暗い部屋の中で魔照灯の柔らかな光が、本物のキャンドルのように揺らめく。魔力を送り込むと輝きが増す。
あれ?ここは…私の部屋。
見慣れたモスグリーンの壁紙。ふかふかの絨毯。コティと取り合った幼い頃のお人形もちゃんと枕元にあった。
何も心配いらない…何も変わってなんかない。
私は安心して目を閉じようとした。
どうして、私はここにいるんだろう?
…どうやって私はここに!?
彩!
私は全身の血が漣のような音を立てて引いて行くのを聞いた。
胸からあんなに血が溢れてた。
傷を塞いでも、指の間からあんなに血が…。
悲鳴を上げそうになるのを口を押さえて必死に飲み込む。
彩は…どこ?
私は、あの男…スイレスの物になったのだろうか?
首筋を触るが勿論傷はなかった。
もし、契約されているとしても自然治癒で傷なぞ消えてしまう。
彩さえ、無事なら自分の事はどうでも良い。彩は無事なのだろうか?
部屋の中には誰もいなかった。呼べば誰か来てくれるだろう…でも、私は聞けるだろうか?
彩が生きているのかどうかを。
…どのように生きているのか?
徐々に記憶が蘇ってくる。彩の首筋に顔を埋めて牙を立てた。
口の中に広がる鉄の味…外からはあの忌々しい男が『領域』を叩き壊そうと魔力を削っている。
急速に薄れていく魔力が自分の意識を失わせるまで私は腕の中の彩を抱きしめていたのを覚えている。
段々冷たくなっていく彩の身体の体温を少しでも元に戻そうとぎゅっと抱きしめた。
彩は…どうなったのだろう?
呼べば誰かがやってきて、その者に問えば答えはあるだろう。
私は、でも聞けるだろうか?
どんな彩でも愛していける…受け入れるまでには時間はかかるかもしれないけど、私はもう二度と彩を失いたくない。生きてさえいてくれれば良い。
私は冷たいベッドの中で身動きも出来ずに叫び出したいのをぐっと堪えた。
怖くて勝手に涙が溢れてくる。
それでも、夜は明けてしまうのだろう。知りたいことと知りたくない事が頭の中で渦巻き、何人もの自分が頭の中で、言い争いをしていた。
このまま夜明けが来ないように祈りながら、私はベッドの中で丸くなって震えていた。
☆
「大公妃殿下、公女殿下がお目覚めです。」
ナーシャは事件の翌日、その日初めての朗報をドロレスの元に届けられて安堵した。
昨日の式典は彼奴のせいで目茶苦茶になってしまった。
お嬢様とその契約者が役立たずの近衛兵の到着よりも早く、あの男を追い返した事は痛快ではあったが、しかしそのせいで少なくとも鈴宮が大怪我を負い、お嬢様は魔力を使い切り、昏睡状態に陥ってしまった。
まぁ、お嬢様の方は休めば回復してくれるだろうとナーシャとしても楽観視はしていたのだが。
問題は鈴宮の方だ。服の破れ方と血の飛び散り方からすれば瀕死の重傷を負った事は間違いなく、その傷が癒えているという事はお嬢様が牙を立てたという事に他ならない。
つまり、お嬢様が一番恐れていた鈴宮の意識を奪ってしまった可能性が高いの…いや、誤魔化すのは止めよう…人間族の鈴宮が意識を保てる道理はないのだ。魔力量があると言ってもそこは人間族…期待をしても望みは薄いだろう。
お嬢様は悲嘆されるだろうが、結果として鈴宮と共にこちらに戻ってくる良い理由にはなる。鈴宮はシャイターン様との御前試合の様子を見ても中々に腕は立つ。お嬢様をお護りする良いボディーガードになるだろう。
大公家にとってはかえって良い結果になったのだとすらナーシャは思っていた。
ただ、ドロレス様は鈴宮の事を痛く心配されていた。今も目を覚まさない鈴宮を見舞っていた。
「そう…鈴宮さんのお見舞いに来るのかしら。」
「それが…その。」
「どうしたのです?貴女にしては珍しく言い淀むのね、ナーシャ?」
「お嬢様は寝室から出てこようとしません。」
「あらまぁ、随分と鈴宮さんにご執心なのね。いいわ、まだ目を覚まさないうちは好きなようにさせておきなさい。」
「はい。」
「私はこれから、ハルファスの人間に会って来ます。」
「な、なんと性懲りもなくまたノコノコと現れたのですか?
大公妃殿下、我らに命を。今度こそ八つ裂きにしてご覧に入れます。」
「先代がスイレスと双子の妻達の首を持って、今回の件の詫びに来ているのよ。
会わない訳には行かないでしょう。
何でも双子からのたっての願いだったそうですよ。夫の首を自分達で落とした後、お互いに胸を突いて果てたそうよ。
ハルファス家は後継者をヴァルフォール家の遠縁から迎えたいとの申し入れもあるのよ。よく考えてみてね。」
「はぁ、そのような事までも…。」
ドロレス様はそれだけ言うと部屋を出てしまった。
ハルファス家は吸血鬼族でも名家。連なる貴族も多いから潰す訳にも行かないのは分かる。クール大公妃の生家であるヴァルフォール家の血筋から後継者が入るならそれはクール家にとっては最大の勝利。
あれ?ドロレス様は何と言っていた?
『ヴァルフォール家の遠縁から』とだけで、男子とは言っていなかった。
『よく考えてみてね?』とは私に言った言葉だったのか!?
自分に当てはまる事が多過ぎて今から追いかけて行って真実を確かめたい衝動に駆られる。
でも、確かめて真実を知ってしまうのが怖い。結果が変わらないのだとしてももう少し知るのを先延ばしにしても良いだろう。
ナーシャはアルマの気持ちが少しだけ分かったような気がした。
今夜はお嬢様の好きな料理をお部屋にお持ちする事にしよう。
ここの中のメモにそう付け加えるナーシャであった。
☆
酷い顔だ。
分かっている。
鏡の中の私は死刑宣告を受け、これから死刑台へ最後の一歩を踏み出す死刑囚のような顔をしている。
昨日一日寝室のベッドから出る事なく現実逃避を続けた私は今朝、ナーシャから死刑宣告を受けた。
世界から色が消え失せて見える。
『お嬢様、鈴宮様が目を覚まされました。』
その言葉が今でも頭の中をリフレインしている。
昨日の夜、部屋を抜け出して一度だけ彩の寝顔を見に行った。彩の寝顔はいつも通りだった。
それがかえって私の胸を締め付けた。
活動報告会の舞台のラストのシーンで着たウェディングドレスを身に纏い髪を梳かしている。
本当の事を聞くのは怖かったけれど、私の心は決まっていた。
彩の首に牙を立てる瞬間に誓った事を護る。護り通します。
一生一緒にいてあげる。
そしてもう、二度と貴方を傷つけさせたりしない。私の全てで護ってあげる
そして、私の全てを捧げる。
このウェディングドレスは私の意思。
誰にも邪魔はさせない。
もう二度と彩を失わない。
溢れそうになる涙を堪えて、私は部屋を出た。
彩の部屋の前に来て、息を一つ飲む。
覚悟は決めた…もう、あの時に決めている。
ナーシャのノックにお母様の直答があって彩のいる部屋に入る。
「お母様、おはようございます。ご心配をおかけしました。」
お母様に会釈して、ベッドに一歩近づく。
彩は身体を起こしていた。
もう、傷跡は見えなかった。しっかり治癒されているようだ。
「彩、目覚めたのね…おはよう。痛い所はないかしら?
大丈夫、答えなくてもいいわ。今、見てあげる。」
私はドレスがシワになるのも気にせず、彩のベッドに腰掛けてパジャマに気がていた彩の胸の辺を上から撫でてみた。
「うん、大丈夫そうね。首の傷も消えているし…もう大丈夫。
アイツも彩が倒してくれたって聞いたし、色々面倒に巻き込んじゃってごめんね。
でも、これからは私が彩の面倒を見てあげる。ずっと一緒にいるからね。
彩の大好きな卵焼きだって毎日作ってあげる。
大丈夫、彩の好きな物は全部知ってるから…唐揚げは醤油風味が好きだし、歴史の本が大好きだし、女の子にすぐ甘い飴上げちゃうのはちょっとヤだけど我慢するわ。
シャツは白いのが好きだし、お昼寝も大好き…他にも彩の好きな事何でも知ってるから。
いつでもちゃんと私を護ってくれて…あんなに痛い思いまでして。」
「アルマ…あなた…。」
一方的に喋り続ける私にお母様が声を掛ける。
大丈夫…私は平気。
「お母様、私は大丈夫です。
今まで彩に迷惑をかけちゃった分、私がこれからは彩の面倒をちゃんとみていきます。
大丈夫…私は彩の大好きな事、沢山知ってるから、彩が辛くないように過ごさせてあげます。
私がずっと一緒にいて…あ、げる、んです…彩に、お嫁さんに、してもらうんです…。
…彩の望む事、は、なんでも、してあげるんです。」
我慢していた涙が堰を切ったように溢れる。嗚咽で上手く喋れない。
彩に抱きついて胸に顔を埋めてしまう。
ぽんっと頭が撫でられる。
「なら、アルマのおにぎりが食べたいなぁ…。」
彩の優しい声が幻のように話しかけてくる。もう、聞くことの出来ないあの優しい声。
私は絶対忘れないよ。
私がぎゅっと抱きつくと、彩は優しく抱きしめ返してくれる。
これも幻想。
でも、大丈夫。私は彩の優しさを覚えているから。
これからもずっと一緒だよ。
そして、また頭をポンポンと撫でられる。
あれ!?
私はガバッと彩から離れて顔を見上げると彩の優しげな瞳が私を捉える。
「おはよう、アルマ。アルマも身体の方は大丈夫そうだね…そのドレスもとっても素敵だよ。」
一瞬、世界が止まる。
くつくつくつ。
お母様の堪えた笑いが部屋に響く。
ナーシャもお母様付の侍女達も俯いて肩を震わせている。
「な、な、な、なんで?!
彩は…だって、どうして!?」
「アルマ…落ち着きなさい。」
お母様が笑いを堪えながら、冷徹な声を装って私を諭す。
でも、ダメですわよ。お母様、目尻に笑い涙が溜まりまくりですのよ。
「鈴宮さんはいつも通りですよ。貴女と契約した時のようにね。」
ナーシャを見ると少しバツが悪そうにコクリと頷く。
ナーシャがお母様に全部話したに違いない。
「でも…。」
「鈴宮さんの魔力量は貴女のそれより大きかったみたいね。良かったわね、アルマ。」
顔が高潮するのが分かる。
いや、茹でダコのようになっているに違いない。事実、頭の中は茹で上がっている。
ぐぅ…彩のお腹の虫が鳴く。
「アルマや。鈴宮さんが空腹で本当に死んでしまう前に何か作ってきてあげなさい。」
「はい、分かりました…彩、また後でね。」
お母様の助け舟に私はそそくさと部屋を後にする。
部屋を離れるとお母様の大爆笑が聞こえた気がするけど、聞かなかった事にしておくわ。
今は何を言われても構わない。
だって、彩が生きてたんですもの。
そして、また微笑んでくれたんだもの。
他には何にも要らないわ。
来る時は色を失っていた廊下が今ではキラキラして見える。
今日も世界は美しい。まるで私達を祝福してくれているかのようだわ。
私はスキップしそうなるのを必死に押さえながら厨房に急いだ。
☆
ドロレスさんの笑いが収まるまで僕は何とも居心地の悪さを味わっていた。
アルマが突然やって来たかと思うと、いきなり一方的な告白…というかアレはプロポーズなんじゃないか?
それに対して、『おにぎりが欲しい』とは我ながら直情的な物言いをしてしまった。
全く恥ずかしい。
ドロレスさんは侍女を全て下げて、僕と二人っきりになっていた。
「久々に笑わせて貰いました。礼を言いますよ、鈴宮さん。」
「はぁ、いえ。」
「鈴宮さん、大公家としては近衛兵が遅れた事を謝罪致します…恨んで貰っても構わないわ。」
「態と遅らせた事についてですか?途中からなんとなくそうは思っていたんですけど。」
「…気づいていましたか。貴方とアルマの契約がどことなく一方的である事は魔力の流れを見れば分かりますからね。大公家としてはアルマに貴方との契約を正式にさせたかったの、アルマを護る為にね。」
「ええ、それは理解しています。」
「でも、結果として貴方に酷い怪我を負わせてしまった。少し読み間違いをしたのは謝ります。
でも、アルマの知らない事です。恨むなら私だけを恨んで頂けないでしょうか?」
「…あの様子を見れば全く知らなかったんでしょうねぇ。
ところでスイレスという男をけしかけたのもドロレスさんが?」
「まさか!断じてそれだけはありません!単に状況を利用させて貰っただけです。」
数瞬、僕らは沈黙して見つめ合った。
「それだけは信じてください。クール家はそこまで墜ちてはいませんよ。」
「分かりました。いま、こうして僕はここに生きて、居ますからね。気にしませんよ。
ドロレスさんも色々大変なんですね。」
「鈴宮さんの聡明さに感謝を。ところで鈴宮さん、一つお伺いしても?」
「なんでしょう?僕に分かることなら。」
ドロレスは少し言い淀み、そして続けた。
「貴方は本当に人間族ですか?」
☆
「はい、あーん。」
「じ、自分で食べれるって。」
「じゃ、あげなーい。さっきはホントに恥ずかしかったんだからね。
もっと早く言ってくれれば良かったのに。だから、はい…あーん。」
論理的には全く理解出来なかったが、食欲には勝てず、アルマにおにぎりを差し出され、思わず食べさせてもらってしまう。こちらが返って恥ずかしい。
「どれくらい寝てたのかな?」
大きなおにぎりを二つ平らげて落ち着いた僕は気になっている事を聞いてみる。
「あの戦いの後、二日間は寝てたわね。」
「そっか、じゃ明後日には帰ってないとな。授業が始まっちゃうね。」
活動報告会休みの一週間もそろそろ終わる。中間テストも間近に迫って来ている。
「ねぇ、アルマ。アルマは契約者のお披露目をしたかったんだよね?
勿論、僕は今はもうちゃんとした契約者になった訳だけど。これから、どうするの?」
「え?…あ、そうだね。」
「ごめん、今の無し。男として今のはズルい言い方だった。
アルマの気持ちはさっきので良く分かった。僕も…その、アルマの事は好き…だよ。」
女の子に告白なんて生まれて初めてだ。心臓がバクバクと乱暴な悲鳴をあげる。
アルマの目が大きく見開かれて、頬が上気するのが見て取れる。
「いつかはこっちに来る事を考えても良いけど、出来れば人間界で暮らしていきたいって思ってる。
アルマは家の事もあるから、自由じゃないっていうのは分かるんだけど、僕と一緒に帰ってくれないか?
でも、その…いきなり結婚とかは早い気がするんだ。
まだ、君の魔王にはなれないかもしれないけど…順番というか、順序というかね。いつか君の魔王に相応しくなりたいと思うよ。
だから、えーっと…まずは僕と付き合って下さい。」
アルマの目が潤む。
情けない顔をしているだろう今の自分の顔は余り見せたくないので少し天井を向く。
アルマが子供の頃に 将来は魔王と結婚するんだと言っていたことを思い出して考えていた事を口に出す。
「はい。不束者ですが末永くお願いします、私の魔王さま。」
アルマがすぽっと、胸に飛び込んでくる。僕はウェディングドレス姿のアルマをぎゅっと抱きしめた。
とこかで見た黄色の華の香りが心地良く鼻孔をくすぐる。




