八百十二 志七郎、罪人の扱いを知り覚悟を決める事
智香子姉上に指摘された通り、今の俺は此方の世界に於いて間違いなく子供だ、だから大人に頼るのは決して恥では無い、そんな訳で俺は素直に大人に相談する事にした。
「と言う訳で母上、あの子を殺さずに済む様な手立ては無いでしょうか?」
お祖父様が居れば一番手っ取り早く正解を導いてくれたと思うのだが、残念ながら丁度良く江戸に滞在して居ると言う様な事は無かったので、次善と言う事で母上に頼る事にしたのである。
此処で父上では無く母上なのは、藩主と言う立場に有る父上に相談してしまうと、法度を曲げる様な真似をさせる事に繋がり、下手に其れが家臣や他藩に漏れる事で猪山藩全体の面子を潰す可能性に繋がるからだ。
対して母上が相手ならば基本的に女性が政に関わる事が良しとされていない火元国の文化的に、飽く迄も政の解らぬ女子供がやらかした事……と強弁出来ると踏んだからだったりする。
勿論、実際には聡い女性は居るし、夫が国許に帰っている間屋敷を守る藩主の妻が完全に政に疎い人物な訳が無い。
藩に依っては藩主が参勤で江戸に上がっている間、国許に居る妾が国家老と協力して内政をやって居る様な場所も有るらしいので、女性=愚かと断言出来る訳が無いのだ。
其れでも武士の社会で肉体的な面や戦闘力の面でどうしても劣る女性を、一段下に見る風潮が有るのは『武に拠って立つ者』である以上仕方の無い事なのだろう。
母上や瞳義姉上の様に並の侍が束に成っても勝てない武勇に優れ、母上や智香子姉上の様に並の男よりも頭も良く学も有る女性だって居るが、そうした者は飽く迄も例外と言うのがこの火元国の常識なのだ。
とは言え、その常識が有るからこそ大抵の事は『女子供の戯言』と少し位ヤバい話をしても流して貰えるのだから、今は其れを利用するべきだろう。
「志ちゃんがお母さんを頼ってくれて本当に嬉しいわ! 貴方は憖過去世持ちで自分は大人だって思いが有る所為で、全然私の事を頼ってくれ無いんだもの……よしお母さん張り切っちゃうわよ!」
……ただ『暴君』の二つ名で呼ばれた過去の有る母上を頼ったのは少々早計だったか?
「んー方法は幾つか有るけれども、先ずは情報を集めるのが先決ね、どの方法が一番良いか精査しないと……取り敢えず結論をさきに言えば、瓦版で読んだ話通りの義賊なら山猫を名乗ってる子供を助ける事は出来るわ」
母上曰く夜に十両以上の盗みを働いた盗賊が死罪に成らずに済んだ例は、実の所決して少なくは無いらしい。
何せそうした大きな盗みが出来る盗人と言うのは、余程腕が立つか知恵が回るかのどちらかだ。
人を傷つけ殺める様な『畜生働き』を行った者は流石に『放免』する訳には行かないが、『人を殺めぬ事、女を手込めにせぬ事、盗まれて難儀をする者へは手を出さぬ事』の盗み三ヶ条と呼ばれる物を守った盗人は、捕らえられても即座に死罪とはされないらしい。
そうした者達は司法取引とでも言うような形で罪を許す代わりに、各奉行所なんかに所属する同心の下で『岡っ引き』や更にその下で『下っ引き』と呼ばれる立場で働く事に成るのだ。
公的には同心等が個人的に雇った家人と言う扱いでは有るが、岡っ引きは主人から十手を預けられ、下っ引き達からは『親分』と、町人達からも『親分さん』等と呼ばれる立場として扱われる。
大概の場合、岡っ引きと下っ引きは元々一つの盗賊団だった者達で其れ故に結束が固い。
が、手綱を取る同心が舐められたり汚職に手を染めたりすると、其奴等自身が八九三者として世間を騒がせる事に成る為、彼等の扱いはかなり慎重さが求められ、時折上役の与力や奉行自身が監査に入る事すら有ると言う。
実際『暴れん坊お孫様』こと武光の手柄と成った者の中にも、手下にした岡っ引き達が盗みを働くのを御目溢しする代わりに上納金を受け取っていた同心が含まれていたらしいので、盗人の性根はそう簡単には変わらないと言う事なのだろう。
「手形を作れば其の際に盗みを働いた事事態は知られてしまうけれども、其の額面を確認する事までは神仙の術を使わない限りは出来ないわ。十両以上の盗みで死罪と言う法度は飽く迄も火元国の人間が定めた物で、神々が定めた天網と言う訳じゃぁ無いからね」
そんな言葉から始まった母上の話では、盗みが罪に成ると言う事自体は神々の定めた天網にも定められており、手形検めを行えば『盗人』と表示されると言う。
けれども『何時』『何処で』『何を』『どれだけ』盗んだかまでは、世界樹には記録が有っても、其れを見る事が出来るのは神仙だけだなのだそうだ。
ただしこの辺の何が表示されて何が表示されないのか……と言うのは、防犯上の観点から世間には知らされて居ない事で有り『罪を犯せば魂に記録され手形を検めれば全て解る』と言うのが一般的な認識だと言う。
「だから其の子が自分が山猫だと言う事を隠して生きて行く事自体は決して難しい話じゃぁ無いのよ。けれど悪徳商人が鳴りを潜めてから飢えても盗みを働かなかったと言う話なら、隠すよりも筋を通した上で貴方の手の者にするのが良いかも知れないわね」
単純にあの子が足を洗ったと言う形にするだけならば、猪山藩の責任で十両未満の盗みなんかの犯罪者を処罰した証として『入れ墨』を入れる事で、処罰済みとする事は可能ではある。
そうすればあの子が手形を作りに行った際に『既に処罰済み』と言う扱いで問題無く手形を作り、氣功使いだと言うので有れば鬼切り者として普通に生きていく事は可能だろう。
だが母上は飽く迄も『悪徳商人』に対する『私刑』として盗みを働き、得た銭を貧しい者に配って、自身の為には飢えても盗みを働こうとしなかった、あの子の性根を考えればそうした誤魔化しをした所で其れすらも後悔し続ける事に成るとそう読んだと言う。
「其の子は二つの意味で志ちゃんに助けられた事に成るわ。そうなればたった一人で火盗改の面々を相手に大立ち回りが出来る程の素質有る子が貴方の子飼いに成る。けれども其れは決して悪い事じゃぁ無いのよ」
恩で縛り付けて子供を利用する……と言うのは、俺の中に有る前世の警察官としての価値観からすれば、間違いなく『悪』だ。
しかしその『悪』を俺が飲み込むだけで、あの子はお天道様の下を堂々と大手を振って生きて行く事が出来る、しかも過去の悪事を隠す罪悪感に苛まれたままで……と言う訳では無くだ。
同時に一人の人生を背負うと言う事でも有る……武士の家に生まれた以上、家臣を持つと言うのは有る意味で当然の事だし、自身の家臣と言う訳では無いが猪山藩士に対して既に俺は上に立つ者として振る舞っているのだから、今更と言えば今更だろう。
其れに人の運命を背負うと言う事自体は今更と言えば今更の話だ、恐らくお連と結婚したならば、お祖父様や上様は俺と彼女を旗頭に悪政に苦しんで居ると言う富田藩の開放を行う心算なのだろう。
そうなれば俺は藩主として富田藩に生きる者達全ての人生を背負って生きねば成らない……それは途轍も無く重い責任だ。
為政者としての責任……女房子供だけじゃぁ無い、家臣や家人だけじゃぁ無い、父上は猪山藩大凡一万人の人生を背負っているし、仁一郎兄上は何時かはソレを継ぐ事に成る。
義二郎兄上だって今でこそ大名では無いが、あの人の事だからその内何か大きな手柄を上げて、何処か取り潰しを受ける様なやらかしをした藩を乗っ取る様な事に成るんじゃ無いだろうか?
信三郎兄上は武士では無く公家と成るが、火元国中の術者を統括する陰陽寮の頭で有る陰陽頭の地位を継ぐ事を前提に婿入りするのが既に決定事項と成って居るのだ。
義二郎兄上は兎も角、仁一郎兄上と信三郎兄上は間違いなく多くの者の運命を背負って生きて行く事は決定事項で、今の所は推測に過ぎないが恐らく御祖父様と上様の意向次第で、俺もそうした生き方をする事に成るのだろう。
富田藩は表高だけでも十五万石を超える大藩だ、其の藩主と言う立場に成るならば単純計算で十五万人の命を背負うと言う事……此処で一人増えた位ならば誤差の範囲だ……そう自分に言い聞かせ、
「解りました、母上におまかせします。あの子は俺の下で生きて貰います」
俺は決断の言葉を口にしたのだった。




