八百十一 志七郎、己の判断の確かさと悪行を知る事
「よく命の水の作り方なんて知ってたの、志七郎君の前世って確か捕り方の様な仕事だったって話だったけど、医学も齧ってたの?」
霊薬を扱う錬玉術師と言う仕事柄、正式な医師免許こそ取っては居ないが、幕府の御殿医から医術を学んでいる智香子姉上に件の子供を診て貰った所、一通りの診察を終え彼女が先ず俺に投げかけたのが、そんな言葉だった。
「多分此の子、天然の氣功使いなの。氣を絞ったり高めたりする運用が雑だから、常に無駄な氣を張ってる所為で普通の子より沢山の栄養が必要なの。見た感じ後一日放って置いたら餓死してたの」
氣は人の持つ有りと汎ゆる能力を自由に高める事の出来る、極めて便利な能力で有る、しかし其れは飽く迄も氣の運用を修めての事。
正しい運用を知らずに居る『野良氣功使い』とでも言う様な者は、必要な時以外にも余計な能力を高めてしまう事に依る弊害に悩まされる事が有るのだと言う。
端的に言ってしまえば氣を使っての行動は、様々な事が只人よりも楽に出来る分多くの熱量を必要とするのだ。
他にも俺が偶にやる様に『胃袋に氣を集中する事で消化力を強化する』と言う様な使い方も出来るが、氣の運用を学んで居ない者は無意識に其れを常にやってしまう事で、常人よりも極端に腹が減り易いと言う事も有るらしい。
無論、きっちり制御を身に付けて居れば、必要な時に必要な量の氣を必要な部分にのみ集中する様に扱う事で、余計な消耗を抑える事も出来る様には成る。
だがそうした運用法を学んで居ない此の子は、同じ年代の子供よりも多くの栄養が必要なのに、其れが与えられず一気に飢えた状態に成っているのだそうだ。
「んでこー言う飢えた人に行き成り飯や粥なんかを食わせると死んじまう事が有るの。先ずは重湯から順番にゆっくりと胃腸に負担を掛けない様にして、徐々に真っ当な飯が食える様に身体を慣らして行く必要が有るの。桂太郎君も覚えて置くの」
町民階級の下男と言う立場上、桂太郎は御殿医に直接師事して居る訳では無いが、智香子姉上の弟子と言う事で、彼女が学んだ事を教える事自体は禁止されていないらしい。
「……はい、解りました。ただ、其れもっと早く知ってれば、多分助けられた人居たんですよね」
そんな桂太郎が、姉上の言葉を聞いて悲しそうな表情でポツリそんな言葉を呟いた。
「の? 何か有ったの? 話して見るの」
根から明るく能天気と言っても誰も文句を言わないだろう智香子姉上が、珍しく真面目な表情を作り桂太郎にそう問いかける。
「俺の実家って腐れ街近くなんで、真っ当に飯も食えずに飢えてる人って、近所に其れなりに居たんっすよ。んで、そう言う人が偶に施しなんかの粥を食って帰ったら、翌朝には冷たく成ってた……なんて事、割と良く聞いたんです」
俺も詳しい原因は知らないが、飢えた人間に行き成り固形物を与えるのは危ない……と、東日本大震災の被災地に応援へと行く前に受けた講習で命の水の作り方と一緒に習った覚えが有る。
「……医者も錬玉術師も神様ですらも、全ての者は救え無ーの。御殿医の先生ですらも救えずに何人も見殺しにしちまったって言ってたの。んでも失敗は成功の母、過去を悔やむだけじゃぁ無く、それを生かしてもっと多くの人を救う為の糧にしろって言ってたの」
どんな名医が手を尽くしても救えない者と言うのはどうしても居る。
この世界には錬玉術で作られた『有りと汎ゆる病を治す霊薬』とか『若返りの霊薬』や『即死じゃ無けりゃ割となんとかなる霊薬』なんてとんでもない代物が幾つも有るが、其れ等とて限界と言える状態を越えたならば投与しても効果が出ない事も有ると言う。
病が治っても生きるのに必要な生命力が枯渇してれば死を待つしか無いし、老衰直前の人間に若返りの霊薬を飲ませても、効果を発揮するのに必要な体力が無ければ寧ろその効果で死を迎える可能性すら有る。
即死じゃ無けりゃ割となんとかなる霊薬も、欠損した四肢が生えて来る訳じゃぁ無いし、血を失い過ぎて居れば傷其の物は塞がっても、結局失血死する可能性は残るのだそうだ。
故に錬玉術師は医学も学び、その患者に本当に必要な霊薬を見極めて投与する知識を身に着けなければ成らないのだと言う。
「取り敢えず、此の子はあっしの所で預かって寝かせて置くの。んで起きたら重湯を飲ませ、其れから暫くは桂太郎君にお世話させて置くの。掛かった費用は志七郎君持ちって事で良いの?」
桂太郎に一通りの指示を出した後、智香子姉上は治療費に当たる銭は俺が出すのかと此方を振り向きそう問いかけた。
「ああ、其れで構わない。なんせ危険妖怪をぶっ倒した時の報奨金が未だ腐る程残ってるしな。其れに此の子が氣功使いだって言うなら、無駄な施しに成るって事も無いだろうしな」
勿論、俺に否は無い、自腹を切る覚悟が無ければ態々此処まで運んで来たりはしない。
「……無駄な施しに成るだけだぜ。なんせあーしは盗人だ。盗んだ銭だって十両ぽっちの額面じゃぁ無ぇんだ。お上に知られりゃ死罪でも生温いってな、天下の大江戸を騒がせた大泥棒の山猫たぁあーしの事だかんな」
と、不意に寝かせて居た布団の方からそんな言葉が飛んできた。
この火元国では十両を超える盗みや詐欺は、被害者側の落ち度が認められなければ、問答無用で死罪が適用される。
とは言え火元国は前世の日本程に法治が行き届いた国家では無く、例えば同じ十両以上の窃盗でも其れが行われたのが『昼間』の掏摸や空き巣であれば、被害者自身の物の管理が悪いから……と、罪が一等減じられるのが通例だったりするのだ。
逆に法度上では『十両以上の盗みは死罪』としか定められて居ないにも拘らず、額面が大きく成れば成る程に『世間を騒がせた罪』と言う規定されていない罪が上乗せされて、市中引き回しが付加されたり、より重い『火炙り』や『獄門』と言う刑に処される事も有る。
それに同じ盗みでも人を傷つけたり殺したりする様な『強盗』とも成ると、盗んだ額面に依らず火盗改が出張って来て、手向かいしよう物ならその場でズンバラリンと叩き切られ、捕らえられても死罪を免れる様な事は無い。
盗人山猫の話は瓦版で読んだ程度の事しか知らないが、極端な掛け値で暴利を貪ったり、一部の役人と結託して不正を働く様な悪徳商人ばかりを狙い、千両箱単位で盗みを働いては、その銭を貧しい家や孤児院に施して行く……と言う絵に書いた様な義賊だった筈だ。
盗みを働く際に人を傷つける様な事は一度も無かったが、盗まれた者は当然の様に其れを奉行所に訴えて、山猫の盗みが世間に知られる事と成る。
けれども山猫に関する捜査が進めば進む程に、その盗みの標的が所謂悪徳商人に偏っている事が知られる様に成ると、盗まれた商家の方も其れを隠す様に成っていたと言う。
其れでも盗まれた銭が貧困層の長屋や孤児院に投げ込まれる事が続けば、幾ら隠しても何処かの商家に山猫が盗みに入った事は世間に知られていった。
こうなると当然の様に瓦版屋は、何処の大店に山猫が入ったのかと調べる様に成り、幾ら隠しても奴が盗みに入ったのだから悪徳商人だったのだろうと噂が立つ様に成っていったらしい。
そうして世間が騒げば騒ぐ程に、幕府としても市井に広がる騒動の種を放って置く訳には行かなく成っていき……とうとう火盗改が出張る事態へと発展していったのだ。
「あーしは人を傷つける様な真似はしちゃいない。けれど盗人なのは間違い無ーし、火盗改に追われた時にゃぁ御侍に千両箱を投げ付ける様な真似もした。治療して貰ってもあーしの首を差し出して手柄にして貰う位しか恩の返し様が無ーのさ」
前世の世界でも死刑に成る事が解っている犯罪者を治療するべきか否かと言う議論は有った、其れに対して俺の持論は治療を受けた上で法の裁きを……だ。
しかしもう一つ大事な事が有る、日本の法律には『情状酌量の余地』共に『少年法』と言う物も有った。
「此処暫くは山猫が盗みに入ったと言う話は聞いて無い。足を洗ったならば今の話を聞かなかった事にすりゃ済む話だ。治ったなら真っ当な道で罪を償えば良い。俺への恩とか気にする必要は無い、子供は子供らしく大人に頼っとけ」
こうして真正面から見て山猫と名乗った此の子が死罪に成るべき悪党とはどうしても思えなかった、故に俺はそう口にしたのだが……
「志七郎君……前世なら兎も角、今はあーたも子供なの」
と、突っ込まれたのだった。




