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17 塹壕戦

 ――親愛なる姉さんへ。

 手紙が届きました。とりあえず、元気そうにしているようでなによりです。俺は十二月十九日に初めて本格的な空戦を経験して一機のソ連爆撃機を撃墜しました。

 インモラもだいぶ雪が深く、時折、爆撃を受けることもありますが、それなりに元気にしています。俺が心配するのもおかしな話しだとは思いますが、姉さんもあまりアーッテラ少尉に迷惑をかけないようにしつつ頑張ってください。

 コッラーは激戦が続いているようですが体に気をつけて……。





 エイノ・イルマリらしい手紙に目を通しながら、アリナ・エーヴァは苦笑した。

 年が明けて部隊の損失も大きなものになりつつある。

 補給物資すらまともに前線に届いてこない。

 幸いというべきか、銃弾などは敵軍のものをそのまま流用できたため、鹵獲専門の部隊が出向いていって回収して回っているがそれでも、戦火の中をかけずり回っているのだから、効率がよいわけがない。

 さらに言えば、年があけてすぐにアリナ・エーヴァ・ユーティライネンの片腕とも言えるユホ・アーッテラが負傷して一月の頭から彼女の傍にいない。

 軍医の診断では半月ほどで戻ってこれるらしいということだったが、それでも、半月という時間は前線を指揮するアリナにとっては大きすぎる期間と言っても良かった。

 もっとも迫撃砲による負傷で肩を大きく抉られただけですんだのは奇跡的だった。ユホ・アーッテラの隣にいた一等兵は即死だったのだから。

「姉さんが暴走しないかそれだけが心配です……」

 応急処置を受けてから大きな溜め息をついたアーッテラはそう言うと、珍しく真面目な表情をしているアリナ・エーヴァに苦く笑った。

「別に、おまえがいなくたってわたしはなんとでもできる」

 からかうように笑うアーッテラに対して憮然として見せた彼女は、表情を取り繕うようにして伸びかかった金色の前髪をかき上げると睫毛を揺らしてから、無事な方のアーッテラの肩を軽くたたいた。

「行ってこい。途中で死なないように気をつけろ」

「それはイワンの連中に言ってください」

 病院に行くまでの間に、爆撃でも受ければたまったものではない。アリナがそれを指して言っているのはわかっていたから、ユホ・アーッテラも軽く首をすくめて見せた。

「姉さんも無茶はやめてください。俺がいないと暴走して無茶するから」

「……――」

 そんなアーッテラに無言でひらひらと手を振った彼女はそうして、彼を雪の中送り出したのだ。

 今、彼女の手持ちの駒はアールニ・ハロネンだけだ。

 毎日のように当たり前に部下が失われていく。

 アーッテラが死なずに済んだだけでも良しとしなければならないのかもしれない。それでも、彼女は苛立たしげに奥歯をかみしめた。

 人員の補給も戦況の悪化と共に、滞らなくなっていく。

「……姉さん(シス)

 ハロネンの声に顔を上げた。

 彼は腕の良い狙撃手だが、アーッテラのように信頼できるかと言えばまたそう言った存在ではない。

「どうした?」

 また誰かが被害を被った、という報告かと内心で思わず身構える。

「補充の兵士が到着しました」

「……そうか」

 補充兵、という言葉に胸をなで下ろして彼女は頭から毛皮の帽子をむしり取った。

「わかった、とりあえず、わたしの部隊はどうにかするから、ハロネンとアーッテラの部隊に振り分けておいてくれ」

「……はっ」

 敬礼を返したハロネンを見送って、アリナ・エーヴァは兵士から投げ渡された機関短銃を受け取ると悠々と塹壕へ向かって歩いて行く。

 その日もいつもと同じように敵の襲撃があった。

 彼女の部隊は陣地戦を最も得意としている。

 塹壕に潜み、ソ連軍を返り討ちにするのだ。

 前方からは銃弾が飛んできているというのに、彼女は全く怖じ気づきもしない。そんな中隊長の女性を部下たちは見やってから、ほっと息をついた。

 二人の小隊長に加えて、副官を手元から離さざるを得なかった彼女の表情は、少なくとも外見上は変わっている様子は見られなかった。

「……ぶっつぶす」

 ぼそりと呟いてから、アリナは塹壕に飛び込むと地面に這いつくばるようにして顔だけを塹壕から出すと銃を構える。

 いつものように聞こえるのは「ウラー」という赤軍兵士の雄叫び。

 状況はなにひとつ改善していない。おそらく、どこの戦線も似たようなもので、襲いかかる赤軍兵士たちをただひたすらに撃退し続けているのだろう。

 司令部では各戦線からの補給要望などに応えられなくなっているはずだ。

 アリナ・エーヴァ自身も、毎回無理を承知で要望を上に出しているのを理解していた。しかし、現代の戦争で弾丸もなしに敵に突っ込むことなどできはしない。それこそ、ソ連軍の銃剣突撃と一緒になってしまう。

「姉さん、もう無理です……っ!」

 声が聞こえる。

 兵士の悲鳴だ。

 塹壕に飛び込んできた敵に銃口を突きつけて引き金を引きながら、若い兵士がアリナに悲鳴を上げていた。

 咄嗟に彼女は敵に銃口を向けるが、間に合わない。

 そのまま殴りつけられた兵士は、赤軍兵士の銃口の前に動かなくなった。

 銃身を振り上げながら赤軍兵の動きを押さえ込んで、アリナは腰に指したククリナイフを引き抜いた。隣で混戦状態に陥っている部下に襲いかかる屈強な敵の首根っこを掴んで引きはがすとそのまま首筋にナイフの刃をたたき込む。そうして、自分の隣で三人の赤軍兵を相手にしている別の兵士の男に、せめてもの武器にでもなればと彼女は長い足でスコップを蹴り飛ばした。

 腕を大きく振り上げながら、巧みにナイフと拳銃で襲いかかる敵兵を薙ぎ倒しながら、彼女は視界の片隅でサブマシンガンを操りながら白兵戦に興じるシモ・ヘイヘを見た。しかし、気を散らしている暇などない。

 塹壕の中ではもみ合うようにフィンランド兵たちは戦いを繰り広げている。

 やがてアリナは自分の周りにいる赤軍兵士のほとんどが片付いたのを確認してから、キュルリキュルリと金属がこすれ合ういやな音に目をあげた。

 気がついていなかったわけではない。

 ただ、それどころではなかっただけだ。

 はっとした様子で顔を上げたアリナは眼前に戦車が迫り来ていることに気がついてさっと顔色を変えた。

「……姉さん!」

 叫び声に、彼女は我に返る。

 思わず体を横倒しにした瞬間、フィンランド軍の対戦車砲が火を噴いた。

 アリナは頭を抱えて体を縮める。対戦車砲を受けて彼女の直前で停止した戦車は後部のエンジンに砲撃を受けて火を放っている。

「待避……っ!」

 爆発する。

 アリナはそれを察した。

 戦車はエンジンがありガソリンを積んでいるのだ。アリナの叫びと同時に、銃弾の幕の中、戦車から走って離れる兵士たちの後ろでハッチが開く音がした。

 赤軍の戦車兵たちが銃を構えてフィンランド兵を狙う。

 それに対して、対戦車砲をたたき込んだ兵士たちが銃弾の雨をお見舞いした。

 アリナ・エーヴァも走りながら振り返って手榴弾を戦車に向かって投げつける。同時に戦車が大きな音をたてて爆発した。

 熱風を受けて、アリナは腕をあげて顔をかばうとアールニ・ハロネンに首根っこを捕まれるようにして引き寄せられた。

「怪我はありませんか? 姉さん」

「大丈夫」

「全く、敵さんたち、ものが有り余ってて羨ましい限りですな」

 舌打ちした男は、アリナに機関短銃を手渡すとハロネンも目の前に迫り来る赤軍兵士を蹴散らすように銃弾の幕をまき散らしはじめる。

 そのときだ。

 ごう、と音をたてて空を影が舞っていく。

 プロペラが回る音が響いて頭上をかすめた戦闘機に、アリナ・エーヴァらは息を飲み込んだ。

 フォッカーD21(フォッケル)だ。

 本来、フォッケルは戦闘機であって対地支援が仕事ではない。しかし、混戦状態に陥り尚、雄叫びをあげながら進軍してくる赤軍の歩兵たちに機銃の雨を降らせていく。

 四機編隊のフォッケルに、アリナ・エーヴァの部下たちは顔を輝かせた。

 見慣れた青い鉤十字(ハカリスティ)

 まるで天使のようだ。

 固定脚の特徴的な緑色の機体に、兵士たちは「おおー」と歓声が上がった。そうして、それに勢いづけられたようにそれぞれが自分に襲いかかる敵兵を倒していく。

 フィンランド空軍のフォッケルは何度か彼らの頭上を通り過ぎて、迫り来る赤軍歩兵に機銃を乱射してからその勢いが止まるのを確認して飛び去っていった。

 おそらく、別の戦線に向かう途中だったのだろう。

 何にしろありがたいことだった。

 アリナは自分に襲いかかる男の顔面に、地面から拾い上げたスコップを思い切りたたきつけてから、反対側の手に持ったナイフをその腹に突き刺した。

 敵の血でまみれながら乱闘を繰り広げる彼女は、部下たちの助っ人に入ってやりながら荒い呼吸を繰り返す。叩いても叩いても沸いてくるような敵は、それでも、ある程度先ほど上空を舞ったフォッケルによって数を減らされている。

 どれほどの時間がたってからか、ソ連兵を撃退した彼女はへとへとになって塹壕の中で尻をついた。

 足元には死体が山ほど転がっている。

 後で塹壕の死骸を引きずり出さなければならない。

 そんなことを考えながら、機関短銃を抱えるようにして上半身を支えると目を閉じた。

「そんなところでしゃがみ込んでないで上がってください。ケツの下に死体じゃ気持ち悪いでしょう」

 ハロネンの声だ。

 機関短銃を抱えているアリナ・エーヴァの二の腕を掴んで塹壕から引っ張り上げた彼も小さな傷を山ほど負っていた。

「ハロネン、おまえは大丈夫か?」

「姉さんこそ、どうなんです?」

「わたしのことなら心配いらないよ」

 彼女の機関短銃を無理矢理奪うようにして受け取りながらアールニ・ハロネンが笑った。

「俺も大丈夫です」

「……そうか」

「しかし、さっきのフォッケルには救われましたね」

 敵に機銃をたたきこんでくれるだけで充分威嚇になる。それで、敵兵の気勢がそがれたというのも大きいだろう。

「……そうだね」

 連日の戦闘で、さすがの彼女も顔色があまり良くはない。部下たちを失ってそれでも強い精神力で戦線を支え続けているのだ。

「悪いけど、少し休ませてほしい……」

「了解、いつ起こしますか?」

 戦場で意識を失うほどやわではないが、それでも激しい戦闘に明け暮れている彼女にかかる負担は大きなものだ。

「二時間でいい。その後に作戦会議をする。各小隊長はわたしのテントまで来てくれるよう伝えてくれ」

 足を引きずるようにして陣地まで戻っていく彼女は、自分のテントへと歩いていった。そんなアリナ・エーヴァを見送って、アールニ・ハロネンも部下たちをまとめるとテントへと潜り込んだ。

 部隊の兵士たちの誰もがぼろぼろだった。

 体力の限界で彼らは、尋常ではない緊張感と寒さの中で戦っている。中隊長のアリナも決して口には出さないが体力的にかなりきついはずだった。

 極限状態だ。

「……隊長、姉さんは」

 兵士のひとりがハロネンにアリナの様子を尋ねた。

「寝るとさ」

「そうですか……」

 無事で良かった、そう言いたげに壕の中で膝を抱えると極度の疲労感から膝に頭を埋めた。

 こんな戦闘がいつまで続くのだろう。

 寒さの中で、ハロネンはそう思った。

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