第28話 託された交差路
トルク邸の静かな客間。
セナはベッドに深く身体を沈め、天井を見上げていた。あの男に額へ触れられて以来、体内の『刻術』の回路が熱を帯び、過剰な冴えと激しい倦怠感が波のように交互に押し寄せてくる。
「セナ、冷たい水よ。少し飲んで……」
「……ありがとう、リリア」
差し出されたグラスを受け取り、一口含む。リリアの心配そうな眼差しに、セナは無理に笑みを返してみせたが、指先はまだかすかに震えていた。
――同じ頃、廊下の先にある執務室では、アヤとエルナが事の顛末をヴァルターに報告し終えたところだった。
机に腰掛けたヴァルターは、重苦しい溜め息をつき、眉間に深いシワを刻む。
「……新王の兵士どもが私腹を肥やすための麻薬畑、か。裏ギルドを使い、その資金源を潰させる……何者かが新王の足元を壊しにかかっているのは間違いないな」
「それだけではありません、お父様」
エルナが、ワディから手渡された厚みのある封筒を執務机の上に置いた。
「ワディはこれを『私達を名指しした指名依頼』だと言っていました。報酬と一緒に、次の依頼書が同封されています」
「君たちを名指しで……?」
ヴァルターは不審そうに眉をひそめながら封筒の封を切り、中に納められていた一枚の羊皮紙を引き抜いた。
そこにあった見覚えのないごく短い文章と、最下部に記された一人の差出人の署名。
それを目にした瞬間、ヴァルターの息が詰まった。
「――なっ!?」
ガタリと音を立てて立ち上がり、食い入るようにその署名を凝視するヴァルター。その激しい反応に、アヤが瞬時に視線を鋭くし、手紙の署名を覗き込んだ。
「ヴァルター様、この名は……まさか、近衛騎士団の……!?」
「……ああ。君も知っているはずだ。この名は……ヘイゼル・ローゼンバーグ。前王様の側近であり、かつて近衛騎士団の副団長を務めていた男だ」
元騎士であるアヤの顔色が一変する。
「ですが、ヘイゼル卿はクーデターの際に戦死したと……!」
「そう聞かされていた。だが、この特有の筆跡と、私と彼の間で使っていた合印……間違いない、奴は生きている!」
生存していた元上官の名を知ったアヤは、素早く身を翻して執務室を飛び出し、客間のドアを開けた。
「セナ! 依頼主は前王の元側近――近衛騎士団副団長だったヘイゼル卿だ!」
「……っ、ヘイゼル……?」
聞き馴染みのない名前に首を傾げるリリアの傍らで、ベッドの上のセナはアヤの報告を聞き、胸の内で重く息を吐いた。
新王派の目を盗みながら王国の腐敗と真相を追ってきた自分たちの前に、ついに前王の核心を知る人物からの手がかりが転がり込んできたのだ。
「待って、アヤ! 気持ちはわかるけど、セナは今立つこともできないのよ。依頼の内容を読んでどう動くかは、セナの体調が戻ってからにしましょう!」
リリアがセナを庇うようにアヤを制する。アヤもハッと息を飲み、自身の焦りを恥じるように短く首を振った。
「……そうだな。すまない、焦りすぎた。まずはしっかり休んでくれ」
セナは心配そうに見つめてくる仲間たちの前で、ベッドの上で静かに、力強く拳を握りしめた。
◇
夜が更け、屋敷全体が重い静寂に包まれた頃。
客間で横たわるセナの意識は、激しい疲労と脈動する熱の狭間で揺れていた。
月光すら届かない暗闇のなか、ふと――耳元で、聞き覚えのある低く冷徹な声が響いた。
『――刻よ』
ハッと目を見開くセナ。
静まり返った部屋の中、その『言葉』だけが重く重く、セナの身体と空間を浸食していった。




